老舗プロ・エイケンの制作した「ほかほか家族」は、1976〜1982年の月〜金曜日に放映されていた5分アニメ。
放映時間は15:55〜16:00(フジ系)で、当時16〜18時は子供向けのアニメ・特撮番組を放映していた民放局が圧倒的に多いため、「アニメタイム直前の着席サイン(ほかほかが始まったらそろそろTVの前に移動する)」としてこの番組を認識していた当時のガキんちょは少なくないだろう。
放映当時、民法でよくある番組シフトは
・14〜16時 時代劇再放送(ジジババタイム)
・16〜18時 アニメ・特撮の本放送・再放送(ガキタイム)
というパターンだったので、「年寄りと子供の時間帯の橋渡し」的な役割でもあった。
また、ビデオデッキやテープはまだまだ高価で、次第に入手しやすくなってきたとはいえ持っていない一般市民は多く、子供番組はリアルタイム視聴が基本という時代だった。
この一家の構成は
・ばあちゃん
・パパママ
・お兄ちゃん+妹
の5人。主にばあちゃんがさまざまな生活の知恵を若夫婦や子供に伝授したり、子供の行動が思わぬヒントになって生活のさまざまな場面を解決に導いたりという内容が多かった。
何しろ短い番組なので、レギュラーサイズのオープニングなどはない(ごく短いタイトルバックアニメがある程度)のだが、エンディング曲はあった。
しかしやはりこれもごく短く、
「明るい日〜 そう書いて あした〜とい〜う〜の〜♪」
という1フレーズ(曲の一節のみを抜き出したと思しきもので、音の流れもいかにも続きそうな感じ、ちょっと消化不良というか唐突な感じを受ける)のみだった。
小学校の高学年のときだったと思う。
学級会において、忘れ物がかさんだ児童に対して、「終わりの会で歌を最低ワンコーラス歌わせる」というペナルティ設定が議決された。
いかに生徒が提案して決めたこととはいえ、現在ならばそれを認定した担任含めて大問題になりそうな羞恥プレイ罰なのだが、当時はまだまだおおらかだったし、「忘れ物をするほうが悪い」「体罰よりは」という空気もあったのだと思う。
その日の終わりの会では、忘れ物常習犯のYくんが例によって忘れ物を繰り返したため、「羞恥リサイタルの刑」を科されることになっていた。
先ほども書いたように、リサイタルの規定は「最低でも1曲・ワンコーラス分歌うこと」。
そこでYくんはちょっとした悪知恵を働かせ、ごく短い「ほかほか家族」のエンディングを歌ってお茶を濁すことにした。
「短くても1曲は1曲だろ」
というのが彼の言い分だったのだが、さすがに短すぎる曲に対して、40人の陪審員が下した判定は「不認可」。
主文:
「ほかほか家族だったら10回くらい歌わないと1曲分にならない」
というわけで、その火の終わりの会では
Yくん「明るい日ー そう書いてー あしたーといーうーのー♪」
クラス「1回!」
Yくん「明るい日ー そう書いてー あしたーといーうーのー♪」
クラス「2回!」
・
・
・(中略)
・
・
Yくん「明るい日ー そう書いてー あしたーといーうーのー♪」
(さすがに疲れが見える)
クラス「ラスト!」
Yくん「明るい日ー そう書いてー あしたーといーうーのー♪」
なんというかあまりにシュールな光景。隣のクラスの連中はさすがに微妙に変な雰囲気に
「3組なにやってんの…?」
といちいち覗いていくのだった。
「ほかほか家族」のことを思い出すとき、いつもこのYくんに科せられた羞恥プレイの記憶がセットになって蘇ってくるのだ。
なお、その後Yくんの粗忽な行動が改善したということも、特になかった。
そうそう、夕方4時からはジジババタイム(すいません、この言い方にえらい受けてしまいました・笑)が終わってトムとジェリーとかルパン三世とか西遊記(マチャアキバージョン)とかののガキタイムの始まりだったので学校から帰ったらテレビに噛り付いてました。ほかほかエンディング、何か脳ミソの片隅に記憶があるようなないような…こ、このもどかしさと来たら!!ひょっとしたらと思ってニコ動で「ほかほか家族」で検索かけてみましたが有りませんでしたガッデム。しかしこの頃はビデオデッキはちょっとリッチな家庭のステイタスでしたよね。今はDVD…も代替わりしてブルーレイディスクの時代ですか。時の移り変わりの速さにおっちゃん着いていけんわー(泣)。
羞恥プレイにめげずに10回歌いきったYくんは今は立派なドMになってると良いですね。ウソです、立派な肝の据わったおっちゃんになってると良いですな!
スレ違いですが実写化「MW」はホントににんともかんともですよね。「ナオンみたいにハクいぜよ」も賀来×ミッチーも犬×ミッチー×犬も無くて何がMWか…!!(血涙)
何かラストはミッチーが改心して死にそうな気がしてなりませぬよ映画版(やめてけれ)。
見てましたよー、「ほかほか家族」。
「3時のあなた」→「ほかほか家族」→アニメタイム
というパターンが不動でしたねえ。総理府提供ならではのあのぎこちなさがなんともいえませんでした。
そして…す、すまない…山形県は…「8時だよ全員集合」を放送してなかったんだッ…(血涙)!
他県の子供がめちゃめちゃ羨ましかったですよ。そして大学以降全員集合の話になる時にはなんとも言えぬ疎外感を。ヨヨヨ。
>トムとジェリーとかルパン三世とか西遊記(マチャアキバージョン)
そうそう、そのあたりはとにかくヘビーローテーションでした。「太陽にほえろ!」「みなしごハッチ」あたりもよく再放送で回ってました。
>しかしこの頃はビデオデッキはちょっとリッチな家庭のステイタスでしたよね。
そうなんですよ〜。デッキももちろんですが、テープが高かったため、切れるまで重ね録りするのも珍しくなく、そのためなかなかビデオのある家でも録画したものがあまり残っていなかったり…
毎日遊びに行く友達の家は割と金持ちでして、夕方はそこの家のばあちゃんが時代劇にかぶりつきでした。そのためお部屋に専用のテレビがありまして、「一家に1台じゃなく、2台目3台目」という家が増えてきつつあった時代だったように思います。今じゃ一部屋1台当たり前ですもんね…
>羞恥プレイにめげずに10回歌いきったYくんは今は立派なドMになってると良いですね。
数年前に同級会で会った時にはすっかりいいパパって感じでした。小学生の頃アホの子だった男子って、久々に会うと意外に地に足のついたいいオッチャンになってることが多いように思います。さすがに性癖までは訊けませんでしたw
>何かラストはミッチーが改心して死にそうな気がしてなりませぬよ映画版(やめてけれ)。
映画はなんというか、「玉木に何かイケメンの役当てがうべ」みたいな企画ありきの匂いがぷんぷんしますね…
最後に「俺たちに足りなかったのは愛し合うことだったんだ!」とか言っちゃったら本当にどうしてくれようか…;
久々にMWを読み返してみましたが、ミッチーの顔や体はあんなになまめかしいのに、モミアゲだけがワイルドなのがセックスィーですよね!