2008年06月25日

記名という名の欲望日記

前のエントリで、ふと
「なぜこうも日本人は旅先でやたらと建物(特に神社仏閣、城や武家屋敷などの旧跡)等に"俺様参上"と記名したり、個人情報を置いて来たがるのだろうか?」
と不思議に感じ、思い当った一つの要因が
「寺社のさまざまなパーツに奉納者の名前が記されること」

「千社札奉納の慣習」
がかなり曲解された形で継承され、現在に至って、日本人特有の「やたらと記念したがる」体質と結びついたのではないか?という考えだった。

まず寺社の風景を眺めてみると、これほど個人名が列挙された門戸開放施設もそうそうないんじゃないかと思われるほどに、建物の内外問わず名前が並んでいる。

一般的なものは、「奉納者の氏名(あるいは団体名やその代表者名)」である。
「誰が」「いつ」「どういう目的で」奉納を行ったかという情報が刻まれている。

神社であれば
・鳥居
・灯籠
・神社名が記された門石
・玉垣(祇園や車折神社のものが有名)
・手水場
・狛犬や狐などの神使像(の台座)
・額
・絵馬
などに刻まれたり、記されたりするのが一般的。
特に石に刻まれたものは風化しづらく、作られた時期や奉納された経緯などのデータとしてとても貴重である。

また、変わったところでは、石段の石に奉納者の名字を刻んだりすることもある。

寺の場合は、定期的な修繕などのために檀家から寄進を募ったりした場合に、大きな額に寄進者や企業名がズラズラと書かれたり、単に名札が堂内に貼り連ねられることが多い。
(たいてい、寄進額が多いほど大きな文字で書かれて番付表みたいな状態になったりもする)

そのような感じで、ただでさえ奉納や寄進の証としての個人名が満ち溢れる場所なのだが、それに輪をかけて「名前空間」にシフトさせるものが千社札である。

千社札(厳密には、濁らず"せんしゃふだ"と発音するのが正式だとか)は、もともと木の札に自分の名前を書いたものがルーツとされている。
霊場詣りの際に、木の名札を山門などに打ちつけ、
「本人の代わりにお参りをさせる」
「これを一定期間置き続けることで、願かけのお籠りを続けたのと同じ行為とみなす」
という慣習が生まれたのが始まりらしい。いわば名札を分身に見立てた「代理参拝」である。

製紙・印刷技術が向上した江戸時代には名札から紙の札となり、墨一色のものを寺社に貼りつける習慣が生まれた。(当初は手書きだったが、黒一色刷りの印刷ものが主流となって行く)
意味合いも、本来の「代理参拝・代理お籠り」から「参拝・奉納の証」にシフトしていく。
墨一色で刷られたのは理由があるという。
ものが紙なので、いずれは風化してしまうのだが、墨汁に含まれる炭に防腐作用があるため、文字の部分だけは風化の進行が遅く、そこだけが切り取られたように残る(画像の余白部分を透明化したような状態をイメージしていただければいいかと。専門用語ではこれを「抜け」と呼んでいる)。自分の名前を美しく、長く残すために必然的に墨一色刷りが選ばれたらしい。

既にして「自分の名前を、できるだけ長く残したい」という願望は生まれている。これが単なる参拝記念のものか、はたまた元来の「参拝やお籠りを代理させるものだから」という信仰心が残ってのものかは現代人の身からは判別することができない。
しかしながら、少なくとも「元来の正しい貼り方、マナー」を見ると、最近の現状よりは慎ましやかである。
そのマナーとは

・参拝を済ませ、奉納や納経・寄進(最低でも集印など)を行ってから
・寺社に千社札を貼ってもよいか確認する(NGのところも多い。許可がでなかった寺社には当然貼ってはいけない)
・貼ってよい場所や、ルールについて確認する(どこにでも貼っていいわけではなく、山門や柱などに限定されるのがほとんど。また許可がない限りは文化財に指定されたものには貼らないのが常識だという)

・札は黒単色刷りの紙のみ。裏にノリのついたものやシール加工されたもの、ビニールコートされたものやフィルム製のものはダメ。
・多色刷りのものは、名札や名刺感覚で交換する場合に用いられるものであって、参拝時に貼るものとは違うので使わない。
・札の裏にデンプンのり(昔ながらのチューブ・ビンなどに入ったヤマトのりとかフエキのりとかのアレ)を付けて貼る。化学糊・ボンド・接着剤などはNG。
・見苦しくないように余白に並べて貼る。他の人の千社札を隠すようにして上から貼るのはご法度。

と、こんな感じで、調べてみると本来守らなければならない決まりごとが色々あることがわかる。
(参考:株式会社文字プロ・「千社札」

そして実際の有名寺社の柱や梁・天井を眺めてみれば、こうしたルールがほとんど守られていないことにも気付くだろう。

・「千社札やシールを貼らないで」ときっちり注意書きがあるのにまったく守られていない
・カラフルなシール型の千社札(業者がいるだけでなく、観光地ではよくプリクラのような機械で自分の名前の千社札を簡単に作れるメカが置かれている)で埋め尽くされている
・本来貼るべきでない場所やもの(窓や障子、狛犬やお稲荷さんの狐、仁王本体や各種彫刻、ひどいときには石仏や仏像にまで)にベタベタ貼られている


マナーを守らない参拝客に閉口した挙句、立て板を設けて「千社札や名札はこちらにどうぞ」としている寺社もある。
また、定められたマナーを守って札を奉納してきたファンが、心ない連中のために納札ができなくなって嘆くことも増えてきたようだ。

最近では寺社ですらない場所(歴史旧跡や記念館の類)や、旅館などに貼りつけられたり、自称温泉評論家やレビュアー、研究会などが、浴室や露天風呂などに「俺たちに来てもらえて光栄だろ」と言わんばかりに貼って行くけしからん例も増えたという。

「参上記念」「来訪記念に名前を記していく」という発想の源の一つに、この千社札の習慣があるのかもしれない、と思ったのである。
まして、初詣などで訪れた寺社の、「天井のこんなところにどうやって貼ったんだ?」と驚いてしまうような場所にまで張り尽くされた千社札を見て、「こういう場所には名前を書いていいんだ」と曲解したまま大人になった日本人も多いかもしれない。

断っておくが、決して千社札を悪者にしたいわけではない。
例えば、本来のマナーで、「千社札はデンプンのりで貼る」とあるのは、
「寺社側の判断でいつ外されてもいい」
「簡単に剥がせて、そのあと水洗いして掃除する場合に都合がいいようにデンプンのりにする」

という一種の謙虚さから生まれたものなのだ。
シールやフィルムだと剥がしづらいし、合成ノリや接着剤は水だけではどうにもならず、また剥がす際に塗装面まで持っていくことも多い。
これが近年では守られないことが多くなってしまった。
こうした、本来の意義を踏まえず、自己中心的な考えでマナーを守らずに好き勝手する行為と、ペンやナイフで建造物や設置物を汚したり傷つける行為の源は同じように思えてならないのだ。


千社札の他には、「記帳」の習慣も関係しているかもしれない、と思う。
一般の記帳でもっとも印象的なのは、やはり皇室に関わるものだ。
慶弔(結婚・出産・逝去等)や正月の一般参賀などの場合には、皇居や居所等に記帳所が設けられて多数の人間が名前を記していく。
これまでもっとも印象深かったのは、昭和天皇が危篤になった際の病気平癒祈願の記帳で、これは皇居だけでなく日本各地に設けられてものすごい数の記帳者がいてニュース等で報じられていた。
ちょうど私は大学受験を控えた時期で、日付が変わる程度まで起きていることも多かったのだが、毎日深夜TVの定点カメラで写しっぱなしになっている二重橋の光景とともにかなりのインパクトがあった。物心ついてからそれまで特に大きな皇室の慶弔時がなかったので、「記帳システム」の存在を意識したのはそれがはじめてだったと思う。勿論崩御後の記帳の列なんかもかなり凄かった。

言うまでもなくこれらの記帳は、一般人の冠婚葬祭や展覧会の入口などで行うものとは質が違う。
結婚式や葬儀の記帳は、参加者確認や、あとでお礼を送ったりする際に重要なチェックリストになる。展覧会等の場合は、後日同様のイベントの場合にダイレクトメールなどで案内を送る相手のリストとして役立てられる。どれも後日何らかのレスポンスを行うことが多い性質のものだが、皇室の記帳は、書いたからと言ってあとから何かレスポンスがあるという類ではない。ただ「自分がその場に赴いて記帳した」という事実を残すのみのものだ。

記帳の列に並んだ人の心中はそれぞれなのだろうけど、中には「時代(元号)が移り変わるその時に自分の名前を刻む」という意識の人も一定数いたんじゃないかと推測してみる。
その種の「その場、その時代に自分が確かに存在した」という存在証明的な記帳・記名を残したいという感情が、それに本来適さない場所や物体に対して発動したとき、「記名落書き」の原動力になるのではないか、とも思う。

なお、皇室慶弔時に集められた記帳は、宮内庁で10年間公文書と同じ扱いで保管されるとのこと。


例のフィレンツェ落書きバカ娘6人衆も、「精神が高揚して」とアホの子らしいコメントを出しているらしいが、結局はそこに行き着く単純な問題なのだろう。
特に相合傘やらハートやら、「KENJI&AYANA ずっと一緒にいようね♪」とか平気で書いてしまうバカップルは、精神が舞い上がった状態の極め付けなのだろう。(「そんな願文を城門とかに彫りつけて何がしたいんだよお前らは」と見るたびに思うのだが…)
恋愛発熱時とか、旅行・レジャーや非日常の空間に居合わせて精神が高揚した時に、日頃の教養とか躾とか常識といったものが試されるということになるのだろう、結局のところは。
posted by 大道寺零(管理人) at 19:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
旅の恥は何とやらなんですかね。
修学旅行時代から神社仏閣の落書きは違和感有りましたね。
神社仏閣になぜか近寄らない同級生数人も謎でしたが・・・。
せめて無人駅とか居酒屋に名刺とか定期券おいてくるのが関の山かな?
アレもちょっと理解しがたいですが・・・。
Posted by at 2008年06月25日 22:13
>>風さん

>神社仏閣になぜか近寄らない同級生数人も謎でしたが・・・。

多分その中に創価学会などの日蓮正宗系の信者の家の方もいらっしゃったのかなと。最近はそうでもないですけど、基本的に自分のところ以外の寺や神社、特に鳥居はくぐらないという教義?があり、実際は「参拝しないなら敷地に入ってもいい」らしいですが、親や祖父祖母が熱心な信者だと鳥居もダメといい聞かされてる可能性はありますね。

>せめて無人駅とか居酒屋に名刺とか定期券おいてくるのが関の山かな?

無人駅や定期券でそういう慣習があるのは知りませんでした。定期券だと「落し物(忘れもの)ですよー」と言われたりしそうですね;
Posted by 大道寺零 at 2008年06月26日 09:13
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