このトイレも、15年近く前に改装された時になくなり、今では普通の屋内洋式トイレになったためにもはや記憶も相当おぼろげで、一部他の家のトイレと記憶が混同してしまった部分もあるかと思うが、薄れゆく記憶をなんとか辿りながら絵にしてみた。
これが、夜に一人で行くのは"高校生になっても怖かった"トイレの一例だ。ほんの20年前まで、日本にはこういうトイレがあちこちに(特に田舎に)残っていたのですよ。

トイレへのルート。
裏口からだとすぐに行けるのだがけっこう暗い。
玄関から行くと遠回りになるのだが、やや灯りがある。泊まりに行くことはそう頻繁ではない外孫だった私は、玄関からのルートを使うのが普通だった。

トイレ外観。
男性小用*1、大用*2。
屋根の素材は忘れたが、全体的に木製。
男性小用はただ丸く穴をあけただけの超シンプル構造で、「暗い中足元を誤ってここの中に落ちたらどうしよう」というセルフホラー妄想もよくやった。
大用個室は2つあるのだが、なぜか私は奥の方ばかり使っていた。
照明は裸電球+傘で、点けばそこそこ明るいのだけど点けるまでが怖いのよ。

よく利用していた大用2号室。
陶製便器のあるごく普通のトイレ。
トイレットペーパーではなく、箱に「ちり紙(「落とし紙」とも。ストレートなんだけどモロじゃなくていい呼び名だと思う)」が積んであった。
(参考:「 ちり紙 」…タイムカプセルBOX - タイムカプセル時空便)
このちり紙、箱ティッシュと水洗トイレが急速に普及したこともあって、30代前半より若い人は知らない方もけっこういるんじゃないだろうか。
お店でも、大きなスーパーやホームセンター・地元密着型の商店とかでないと置かなくなったので、近頃ではなかなか探すのが大変らしい。700枚とか1000枚とかドサッと入ったでっかい袋のアレである。
大きさはB5ぐらいのサイズで、トイレットペーパーよりも幅が広く、紙自体の厚みも適度にある。製品にもよるが、浅いエンボス加工がしてあって、使って見ると意外に肌あたりがマイルドでもある。
そうした特性は、"自分の"よりも"人の"を拭くときに威力を発揮するので、介護用、ペットのトイレの始末用などに愛用され、隠れたロングセラー製品だったりもする。うちでも義理祖母が存命で介護中の時期には欠かせなかった。
また、以前は水洗との相性が悪い(溶けない)のがネックだったが、現在は水洗で使用可の製品がメインになったため、痔主様の中にも愛用者が多い。
今でも汲み取り式トイレの風景とよくセットになっているものだ。
使わない時はフタ(多分プラ製だったような)をしており、それを外して用を足し、また戻しておく。
この「便器のふた」というのも知らない人が今や多いのだろうなあ。
明かりとり的な小窓があったかどうか思い出せないのだが、いずれにしても木製の扉を閉めると本当に暗くなる。
夜は電灯をつけるからまだしも、明かりをつけるまでもない昼間だとその暗さがめちゃめちゃ圧倒的だった。

滅多に使わなかった大用個室1。
なぜ使わなかったかはあまり覚えていないのだが、数回だけ入った記憶が確かならば、便器が木製だったような気がする(どこかの家とごっちゃになってるかも)。
もうこれだけでガキにはハンパない。
その上明らかに個室2よりも暗く、雰囲気が段違いに怖かった。
また、便器の幅自体、子供にはやや広くて跨ぎづらかったような気もする。とにかくうろ覚えなのだが、「個室2より怖い」ことだけは強烈に印象に残っている。
ばあちゃんちに泊る機会はさほど多いわけではなく(多ければある程度便所の暗さにも慣れていただろうけど)、盆正月やお祭り・夏休み期間が多かった。
ことに盆と夏休みが曲者で
・TVでは怪奇系特番(あなたの知らない世界とか)がしきりに放送される
・漫画雑誌でもホラー特集
・昼間にお墓参りを済ませている
など、「お化け」「妖怪」のイメージが刷り込まれる機会が山盛りな上に、
・麦茶やサイダー・スイカなどをさかんに勧められるため、トイレがめちゃくちゃ近くなる
ので、全力で阻止すべき「夜トイレ」にどうしても行かざるを得ない状況が生じやすい。
また、床をとってもらった部屋が高確率で仏間だったりして、祖母の家の仏壇にある遺影は、写真だけでなく精密肖像画もあって、これがまたなんともいえない空気を醸し出してるのだった。
多分小学生中学年くらいのある日。大抵は寝る前の適当な時間に母や兄につきあってもらってトイレを済ませるわけだが、その日はどうしても尿意で深夜に目を覚ましてしまった。
母を起こそうとはしてみたが、「一人で行ってきなさい」と一蹴。そりゃ小学生にもなっているのでこっちも引きさがりづらい。
仕方なくビクビクしながら玄関の扉を開け、風の渡る葉音や鳥の鳴き声に十分にビビリつつ半分ぐらいまで来たところで、隣家の牛小屋の牛がなぜか
「ンモ"〜〜〜〜」
と妙に迫力のある声で鳴いたもので、そこでビビりゲージが一気にMAXへ。
朝までトイレをあきらめることにして走って家の中に帰ったのだった。
あの牛小屋もとうの昔になくなり、祖母の家同様近隣の家もほとんど近代的なデザインの住宅に建て替えられて、あの周辺ではデフォだった「外ボットン」もほとんど見なくなった(残っていても使っていない場合も多い)。と同時に、「トイレの恐怖」の記憶を共有して語れる年代も私たちを最後にいなくなるのだろうなとも思ったりもするのだった。
名作絵本「モチモチの木」で、主人公の男の子は
「五歳にもなって、じいさまについててもらわないと夜一人でセッチンにも行けない」
と揶揄されているのだが、作中に登場するセッチンはまさにこういう外便所、しかも昔のことだから電灯もなにもないわけで…
あの絵本を読み返したり、表紙を目にするだけで「五歳でなんて絶対無理だよ!!!何言ってんの!!!」と思わずにはいられない私には、実際高校生になっても夜のばあちゃんちの便所は怖かった。
群馬県の田舎のトイレを思い出して納涼になりました…
小用が穴だけというのはさすがに知りませんが、木製の便器はまさにこの通り。おいてあるのが浅草紙ならいいほうで、新聞紙や目の前の壁にかけてある商店の日めくりの過去日が置いてあったり。
便所の軒下は毎年蜂が巣を作るので、祖父が松明みたいなもので焼いていたような…
その近所に牛は飼っていませんでしたが、豚、山羊小屋があって時々切なく啼くんですよね…(遠い目)
環境にやさしいとはいえ、その生活には戻れないですね。
母方の祖父母宅のトイレは辛うじて家の中にありました、木製便器ボットントイレでした。
しかも子供にはハードルが高い形(便器の縁に高さがある、木箱に跨っているような感じ)でしゃがむと木の縁に尻や太ももに当たるのでいつも中腰。
快適に用をたすことが出来ませんでした。
私は帰省した時だけで済みますが、同居してたイトコ達は平気だったんだろうか…。
「トイレの恐怖」といえばセルフホラーではなく落下。
スリッパは何度も落とし、物心つく前には父方の祖父母宅で足を滑らせ落ちそうになった所を母に救出されています。
前にも書いたことがあるかもしれませんが2階のボットンは最高に怖いです。
大道寺さんの絵で和式便器の蓋が顔(モアイ)っぽいことを思い出しました。
今でも売ってるのかしら。
小さい頃、母の実家にも牛いた!鶏もいた!
しかも外のボットン小屋の隣に牛小屋あったわ!
母の実家のボットン小屋には、木の便器がついてた個室の他に、コンクリの穴に板を2枚渡しただけの剥き出しのヤツがあったなぁ。
今思い出すと凄い時代だった・・・
ところで、わたしの友人で、北海道開拓農民としては成功した先祖を持つ人が言うには、
「おじいちゃんの家の便所は(家屋との構造はもちろん大道寺さんのところと似たり寄ったり)、便器が伊万里焼で、あの青と朱の色合いだけでもものすごく怖かった」
とのことです。
全体的に暗く、においもあり、木枠だけ・穴だけ・白い陶製の便器でも十分怖いけど、伊万里焼もなんか出てきそうで怖い・・・・・・・
>我が家も都区内にありながら平成8年取り壊されるまで汲み取りトイレだった
区内でもですか!と驚いたのですが、住宅地それぞれに下水等の事情は異なりますからねえ…
>おいてあるのが浅草紙ならいいほうで、新聞紙や目の前の壁にかけてある商店の日めくりの過去日が置いてあったり。
なんと、そういう再利用もあるんですねー。あのうっすい日めくりは確かに使えそうではあります…
あの落とし紙も、今は綺麗な白ですが、昔は再生・漂白技術の問題か、かなり黒ずんでたような記憶があります。
>環境にやさしいとはいえ、その生活には戻れないですね。
そうなんですよねー。さまざまなことについて、「今の若い人は●●の味わいを知らなくて…」という文脈で回顧に走ってしまう中年なわけですが、ことトイレに至っては、明るく清潔で手入れしやすいのが一番ですからねー。やはり汲み取り式は、特に夏は匂い等の衛生的な問題が多く(堆肥利用だけでなく、だからこそ外に設置されたのでしょうし)、匂い対策の消臭剤の香りがまた強烈だったりしましたし、日々の掃除や管理をする主婦の負担も今とは比べ物にならず大変だったと思います。
改築した現在の家に入ってシャワートイレに慣れきった私は、今や実家(今は水洗ですが、和式なので当然シャワー話)などで用を足すと非常にスッキリしない贅沢者になってしまいましたからねえ…;本当にこればっかりは「戻れない」ですね。
>>クマさん
>「トイレの恐怖」といえばセルフホラーではなく落下。
>スリッパは何度も落とし、物心つく前には父方の祖父母宅で足を滑らせ落ちそうになった所を母に救出されています。
もうそれは妄想とか雰囲気とか関係なしに、単品のトラウマですよねえ…物を落とすだけでも十分来るのに…
>大道寺さんの絵で和式便器の蓋が顔(モアイ)っぽいことを思い出しました。
今でも売ってるのかしら。
嬉しい!私も昔から「人の顔っぽい」「モアイっぽい」と思っていましたので賛同者が見つかって嬉しいですー。
今やボットン用蓋が必要な環境も少なくなったとはいえ皆無ではありませんから、多分大きなホームセンターなどに行けば(取り寄せになるかもしれませんが)買えると思います。
>>engさん
牛、いましたかー。20年くらい前まではけっこう農家に何らかの家畜は多かったですよね。母の実家でも戦後はヤギを飼ったりしてたそうです。実家の近くの農家には馬がいて、一度逃げ出して周辺で騒動になったとか。
>母の実家のボットン小屋には、木の便器がついてた個室の他に、コンクリの穴に板を2枚渡しただけの剥き出しのヤツがあったなぁ。
そ、それは凄すぎる…というか怖いですな…
床が木製なだけでも、「床板が抜けたら(ry」と妄想してしまう私にはかなり無理な気がしますよ…;
>>Feliceさん
>あれは、トイレというよりも断然、「便所」ですよねー。
そうそう、そうなんですよね〜。「トイレ」という横文字ではいまいちしっくりこないものが確実にありますよね。やっぱり「便所」とか「はばかり」なんて言い方が似合いますよ。
>便器が伊万里焼で、あの青と朱の色合いだけでもものすごく怖かった
あ、それ分かります。
こちらにも、北海道で一山宛てた人の鰊御殿があるんですが、その中のトイレの便器(もちろん展示用で現役ではないです)有田焼の染付なんです。
参考:
http://blog.4071.net/?eid=676107
その他にも、文化財として公開されているお金持ちの旧家邸宅などで目にしたことが何度かあります。当時の富裕層のステイタスだったんでしょうねー。
これ、確かに現役だったらいわく因縁の深いものが出てきそうな雰囲気はありますなあ。
そうそう、昔のトイレットペーパーって、ロール型じゃなくて、ちり紙とかいって、小さな入れ物の中につんでおいて、つかっていました。
トイレに、ものをおとす話は、よくききましたが・・・・一番印象的なのは、私がまだ4歳か5歳か、そんなときだとおもうのですが、曾祖母のお葬式のときに、そこのおうちのトイレで、だれかが、懐中時計をおとしたらしくて、お葬式のときに、騒いでたことでした。(^_^;) いくと、いつもお菓子をくれたりして、かわがってくれた曾祖母のお葬式の唯一の思い出がそれっていうのもねえー。あは。
当たり前のことですが、普段そこに住んで使っているか、たまに行く程度かどうかで全然怖さが違ってきますよね。
私はばあちゃん大好きだったので、母実家に泊まれるチャンスがあると嬉しい反面、「ああ、でもトイレなあ…」という不安も常にありました。
>洋式トイレ、いまはあたりまえになっていますが、あれって、最初のころは、どうもおちつかないといいますか、やりづらいといいますか・・・
実家は今は水洗ですが、今でも和式なのでずっとそれで育ちまして…
やはり実際に洋式を常用していなかったころは、
「あんな椅子に座ってしっかり気張れる気がしない」
と思っていたのですが、慣れると楽ですよねー。特に足を痛めたときには洋式のありがたさが身にしみました。
一方、和式のあのポーズがもっとも輩出しやすいという説とか、和式に慣れていない今の子供たちはしゃがむための腹筋ができておらず、用を足そうとするとひっくりかえりそうになって不安定になってしまうとも聞きますねー。
親戚が集まる冠婚葬祭って、意外に
「●●おじさんがクダまいて大変だった」とか「**ちゃんが××を壊した」とか、意外に瑣末なことばかり印象に残ったりしますね。当時の懐中時計でしたらものも良く、おしまれたことと思います。
「汲み取り便所に何かを落とす」関係の話でもっとも笑った話と言えば↓でした。
>http://janba.blog58.fc2.com/blog-entry-3109.html