2008年07月27日

被害者写真は必要ですか日記

被害女性の顔写真、TV2局が別人…八王子の通り魔 (YOMIURI ONLINE)

 東京都八王子市の書店で女性2人が殺傷された事件で、TBSとテレビ朝日が24日から25日にかけて、死亡した中央大4年、斉木愛(まな)さん(22)として報じた顔写真が別人のものだったことが分かり、両局は26日夕方のニュース番組でそれぞれ訂正、謝罪した。


またかい。
この間も同じような写真取り違えがあったばかりだと記憶しているが、全くこのマスコミの拙速とお粗末さには呆れるばかりである。
他者のミスにはこれでもかと付け込むのに、同業に関しては「謝罪したからもういいでしょ」であっさり済ませようとするんだよなー。毎日新聞の件もしかりだけども。

この手のお粗末な取り違えを見るたびに、「だからそもそも被害者の写真なんか必要ないんだって。まして卒業文集とか、ブログのログとか」と強く思うのだが、今日も誰かが殺されれば、マスコミが遺族の親戚や同級生を回って写真や過去物件を漁り回っている。


業界ではこうした被害者写真を「ガン首写真」と呼び、それを収集するのはもっぱらペーペーの仕事らしい。
以下の引用は奥秋昌夫という方のブログ(記事は福知山線脱線事故の時のもの)より。

追撃コラム&取材メモ:JR福知山線 脱線事故とガン首写真

大事故の時の新米記者の役割は、亡くなった方の顔写真を集めることだ。首から上の顔写真のことを新聞社内ではガン首写真と言っている。家族や勤務先、学校、友人などを回り故人の写真を入手する。わけが分からず、とにかく行けーとデスクに言われて一軒の遺族の家に行った。
車のフロントガラス越しに、その家が近づいていくところは映像となってよく覚えている。近所の人や親戚などが集まっているようだった。車を降りて近づくと人垣の中心で泣き声が聞こえた。声をかけるのをためらったが、怖いもの知らずというのだろうか、「亡くなった方の写真をください」と言った。死者は大勢いるので、他にも回らなければならない都合があった。その時の私にとって、ここはいくつかのうちのひとつだったのだ。
人垣がわれて、涙で顔をくしゃくしゃにした中年の女性が食って掛かってきた。思わず後ずさりした。なんと言われたか覚えていないが、突然家族を奪われたやり場のない怒りをぶつけられたのだと思う。考えてみれば当然だ。逃げ出したかったが、それもできなかった。親戚と思われるおじさんがとりなしてくれた。その女性の肩を抱いて「記者さんも好きで来ているわけではない、仕事なんだから」といったようなことを言ってくれた。その後のことはよく覚えていない。写真は貰ったようだ。帰り道の記憶はない。

読者は何気なく見過すだろうが、亡くなった方の顔写真の掲載にマスコミは力を入れる。他社に負けるな、一人でも多く載せろーとやっている。なぜそれほどに?と思って先輩記者に聞いたら、「被害者の顔写真を載せることによって事故にリアリティーをもたせ、再発防止の一助にするため」といったような答えが返ってきた。あまり説得力はない。「顔写真がないと格好が付かないからさ」といったほうがピンとくる。
人の死に立ち会うことで記者は鍛えられる。そんなこともあってガン首集めは新米記者の仕事なのかもしれない。


この記事は以下のように締めくくられている。

プライバシーは大事だが、多くの人が名前も顔も出さずに死んでしまったら、その事故のリアリティーは薄まる。過度に感情的になるのはよくないが、人が死んで何の感情もないのもどうなのだろうか。ガン首写真はその人がこの世に存在し、亡くなったことの最後の証でもある。
死亡者を「匿名の男性何歳ー」といった報道のしかたをしているテレビ番組があった。家族の希望だという。そのうち全部が匿名になったらどうなるのだろう。事故の痕跡や問題性も薄まってしまわないか。
プライバシーより命のほうが大事ではないのか。不慮の死をとげたときぐらい、顔写真や名前を出したほうがよくはないだろうか。


最後の方には多少無理があるように感じる。

事故や災害での死亡事件の場合、どうしても同地に住む親戚や知人・あるいは所用でそこに赴いた人の安否が気にかかる。だから速報では死傷者の氏名や居住地を支障のない範囲で知らせてもらえればありがたいと思う。
しかし単独の殺人事件(通り魔的なものはまた別だが)等に関しては、被害者遺族が望まないならば氏名の報道はなくてもよいと思う。「31歳女性(会社員:●●市)」程度の表現で誰が困るだろうか。
まして顔写真やら勤務先の会社名・学校名・所属しているクラブ活動や趣味などの情報は、明らかに「痛ましさを演出」するためのもので、それを必要とする第三者など(マスコミ以外には)ほとんどいない。

上記ブログでは「最近ではガン首写真の収集・公開についても慎重に…」とあるが、最近はまたそうでもなくなってきているのか、通り魔事件に巻き込まれた被害者の遺族が写真提出を拒んだにもかかわらず、マスコミが無理やり卒業アルバムから引っ張ってきて、30代の被害者だというのに、、制服姿の中学時代の写真を映し出していた。20年経てば人相だって随分変わる。そんな昔の写真を無理矢理出すことに何の意味があるのか。「そこまでして写真を集めて、遺族の意思を無視するような形で電波に乗せる必要があるのか」と本当に疑問に感じる。

引用元ブログでは「リアリティを抑止力に」というような描き方をしているが、私にはいかにも詭弁に感じられた。
本来報道に求められるものは「過不足ない事実の迅速かつ確実な伝達」であって、本来過分な「演出やドラマ」は必要ない(もっとも視聴者の中にそれを取り違えている層が少なくないからこそこうなったのだろうけども、そういう方向に導いたのもマスコミだと思う)はず。
しかし何か人が死ぬ事件、あるいは異常性のある犯罪が行われると、加害者・被害者両面について幼少時からの写真や作文・卒業アルバムや寄せ書き・ネットでの活動があればサイトやブログの文章を持ってきて、結婚式の新郎新婦生い立ちスライドさながらの「ミニドラマ」を添付しなければならないような風潮が強まってきている。
最近はNHKのニュースですらこういうドラマ的報道に踏み込みつつある感が強く、疑問を抱いているところだ。
しかしこれらの多くは、視聴者の野次馬根性・あるいはミニ評論家欲を刺激し・満足させるだけで、事件そのものをリアルにとらえる・あるいは抑止力を発生させることにはつながっていない、むしろドラマ性を強めることでかえってフィクショナルな感覚で受け止められることもあるのではないだろうかと思える。
ましてそれを被害者側で展開させるのは、本当に遺族や本人を冒涜して食い物にしているだけのように見える。

先日の秋葉原の事件でも、ごく普通の庶民の家で、「この子は頑張って勉強して現役で芸大に入ったのにねえ」などと、個人情報や生育歴がダダ漏れのままに、茶飲み話や食卓での会話のネタにされるのを目の当たりにして、「絶対この状況はおかしい」と寒いものを感じずにはいられなかった。

結局はすべてが「番組や誌面のその場のインパクト」のためでしかないのだろうと思う。
そして他社よりもインパクトの強い写真や過去物件を、他社よりもちょっとでも早く入手して記事や番組に反映させるのがすべて。わずかでも出し抜けば褒められる。だからこうした「写真間違い」などというアホな事態が頻発するのも当たり前だ。
まったく、陳腐な比喩だがハイエナやハゲタカが屍肉を漁る様子そのもの…と言ってはハイエナさんたちに失礼というものなのだろう。
「ガン首写真で新人を鍛える」という記述が本当のことならば、「人の不幸を勝手にトレーニングの材料にして当然のように思ってるんじゃない」と言いたい。

ニュースの受け手として、シンプルに「被害者の顔写真は必要かどうか」と考えると、私は「必要ない派」に属する。写真がなくて物足りなく思うことも、まして何かに困ることもない。
特に掲示板などで、美人であれば「貴重な●●●が」と持ち上げられたり、不細工だったら叩かれたり揶揄されたり、昔の写真が現在より太ったり痩せたりしていればそのことまでもアレコレ面白おかしく言われたりと言うのを見る(そしてこれは匿名の場だから言語化されて出てくるものの、実際同じような下世話な会話が飲み屋やら井戸端では交わされている)と、「心底いらん」と思うほかないのだが。


posted by 大道寺零(管理人) at 10:55 | Comment(5) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
 被害者の顔写真、わたしも要らないと思います。被害者の人格を尊重するため・生存していた証と件の記者は書いているようですが、逆に遺族の感情を逆撫でする人格無視を行うのは受け入れられません。

 ちょっと話は飛びますが、最近通り魔事件がはやっていますね。これなんか「報道しないこと」で模倣犯は消えるんですよね。それをわざわざ報道して、あおっているのが今のマスコミ。
マスコミの「知る権利」って多くの場合詭弁だなあと思います。
Posted by Felice at 2008年07月27日 14:01
前に通り魔殺人で、犯人が未成年のため、写真が公開されなかったことがありましたね。ところが雑誌だったかで、たしか、でましたよね。このときのことを思い出しました。会社にいくと、同僚の人が、どんなやつかとおもって、みてやったと、自慢げにいってました。なんだか、とてもいやな気分になりました。つまりは・・・好奇心まるだしで、それ以外の何ものでもないということです。
私にも好奇心はあるけど、その自分の思いを満足させていいときと、悪いときがあるとおもうし・・・また、うまくいえませんが、必要ない好奇心をみたすために、あらたに、人の気持ちをわざわざ傷つける必要はあるのかしら。この場合、犯人の写真は、被害者写真とはまた別のものかもしれませんけどね。あと、最近、犯人の身内が会見とかして、あやまるいうのも、普通化しつつあるような気配ですが・・・
悪いことしたうちは、どんなにたたいてもいいってことなのかな。昔村八分ってあったけど、村どころか、日本中全部で、そういうふうにするつもり?
ちょい、支離滅裂になりましたが、それに、自分が実際被害にあったら、わからない。ただ、好奇心を満足させるため、雑誌、ニュースの部数および視聴率をあげるためのことを、わざわざそうでないもっともらしい理由でごまかすのは、まちがってますね。ずるいこといいますが、報道はむずかしい・・・ってことなのかな。
Posted by okapi at 2008年07月27日 19:24
私も被害者の個人情報は必要ないと思っております。
というか、公的な立場にある人とかの犯罪以外は加害者の個人情報も必要ないと思っております。

現在のところ、被害者の個人情報って加害者よりも守られないような気がします。
加害者は刑期を追えると罪を償ったということで、顔写真も使えなくなったりするのですが(死刑の場合は不服を言い立てる本人がこの世にいないためなし崩し的に使われているようですが)、被害者の顔や名前はずっと出つづけていたりします(相当家族が申し立てたりしない限りそのような気がします)。
なんだかなぁと想います。

報道する意義がまったくないとはいわないまでも、報道により被害者も加害者(とその関係者)も二次的に傷つけられるのは変だなぁと思います。
Posted by ぽち at 2008年07月27日 22:33
被害者に人権なんてないこの国。。。
加害者は人権の元に保護される。。。
人権てなんなんでしょう。。。
Posted by りょうMC08 at 2008年07月28日 00:30
>>Feliceさん

>最近通り魔事件がはやっていますね。これなんか「報道しないこと」で模倣犯は消えるんですよね。それをわざわざ報道して、あおっているのが今のマスコミ。

まったく同感です。欧米では、こうした模倣犯の予測される衝動的な犯罪(特に若年層の関わったもの)や自殺等については、影響力や模倣犯が続出するのを防ぐために報道を自粛する、もしくは具体的な方法などは報道しないという取り組みがあると聞いたことがあります。それに比べて日本では、他社よりも少しでも詳しく手口や犯行のタイムテーブルなどを広めていますよね。自殺にしても、練炭やリュウ化水素等の手口や入手先までも詳しく報道してます。かつてこれまでに、若者の間で自殺が流行ったことが何度もあったのに、全く気にせず、神妙な顔をして「何が若者たちの心に起こっているのでしょうか」と学校やゲームやネットで犯人探しをする(絶対にマスコミやテレビを選択肢に入れない)だけです。絶対おかしいと思います。
個人的には、説明の中でBGMや効果音を入れる番組を報道番組とは認めたくないです。明らかに印象操作を狙った演出であり、それが入った時点で「事実をありのままに、製作側の解釈を交えずに出す」ものではないと思うからです。
同じ顔写真でも、バックの色やエフェクト、BGM一つでまるっきり違う感じになりますし…

>>okapiさん

被害者と加害者の場合は少し違うかもしれませんね…
例えばアメリカの一部地域のように、性犯罪累犯者の氏名や写真が公開され、それと一致した人が近所に住んでいる場合。または実名報道されて後に出所した同様の前科者がいる場合…更生プログラム的には不適切かもしれませんが、例えば娘を持つ母親であれば、
「あのアパートの近くは絶対に通らないように」
と言い聞かせるのは当然の親心だと思うのです。限られた状況・自分の身の回りで起きる確率は低いかもしれませんが、加害者情報が公開されることでこうした利点が提供される可能性はありますね。
でも、被害者の名前や顔写真、近所の風景や同級生・知人のコメント…一体誰の、何の役に立つことがあるのかと考えれば…何もないんですよね。しまいには子供が死んだ親にマイクを向けて「今のお気持ちは?」「犯人に言いたいことは?」とまで。
単にTVを見ている一部視聴者の好奇心や正義感や同情心を刹那的に満足させるだけですよね。

>悪いことしたうちは、どんなにたたいてもいいってことなのかな。昔村八分ってあったけど、村どころか、日本中全部で、そういうふうにするつもり?

私もついつい多罰的になる性格なので反省しなければと思うのですが、ネットでもTVでも村八分的な場面を目にすることが多くなりましたね。
本人やその行為について批判するのならまだ分かりますが、「親もカメラの前に出て謝罪するのが当然」とか、TVも「カメラの前で土下座して泣き崩れる絵を撮りたい」とか、ネットでも家族や友人(特に擁護も正当化もしておらず、単にリンクや付き合いがあるだけ)まで探し出してSNSや日記を炎上させたりというような方面にエスカレートするのを見ると、「違うだろ」と思います。
また、被害者の家族が変に開き直っているインタビューなどを見ると不快になりますが、これも最初から流す必要ないんじゃ…と感じるのです。

>>ぽちさん

>加害者は刑期を追えると罪を償ったということで、顔写真も使えなくなったりするのですが(死刑の場合は不服を言い立てる本人がこの世にいないためなし崩し的に使われているようですが)、被害者の顔や名前はずっと出つづけていたりします(相当家族が申し立てたりしない限りそのような気がします)。

おっしゃる通りですよね。被害者写真が出るのがもう当たり前になっていて、遺族としても「使わないで」と突っ張れるものかどうか自信を持てないケースも多いのではないでしょうか。加害者情報保護の法律やガイドラインに対して、被害者情報に関するものはほんとうに未整備ですよね。
あと、最近ではあまりなくなりましたけど、ちょっと前は子供が誘拐されたり殺害されると
「●●ちゃん事件」
というような呼び方がどの局でも普通にされてましたよね…

>>りょうさん

>被害者に人権なんてないこの国。。。
>加害者は人権の元に保護される。。。

近代法では、「人権」はあくまで生きている人間に対して付与されているものでしたっけか…
「死者の人権」についての論議は、清新論的なもの、もしくは著作権に関するものが今のところメインなのでしょうかね。
とりあえず被害者情報については、「被害者遺族」を守る、意向を尊重するというのが今できることなのでしょうが、それすらほとんどなされてないんですよね…
Posted by 大道寺零 at 2008年07月28日 15:11
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