[後補:と思ったら、「もうつじ」ならば一発で変換できた。えー。ずっと「もうつうじ」だと思っていたのだが…
相方いわく「俺はずっと"もうつじ"で、発音も"もうつじ"としていたんだが…」せ、世間的にはそっちの方がポピュラーなのか?この年で初めて知る事実。でも公式サイトでの表記は「もうつうじ」なんだけども。]
衣川の磐神社から平泉へ。
平泉に来たのは高1の研修旅行(記事末尾に注記)以来だから20プラスゲフンゲフン年ぶり。あの時も月見坂を歩いて、金色堂を見たので大体一式見学したはずなのだが、何しろ駆け足の行程だったので、当時既にどっぷりの仏像マニアだったのだけど、感慨もちょい薄かったように思う。
で、今回はゆっくり堪能しよう!と思って行ったのだけど、結果的には
「感想は前回とさほど変わらん」
「むしろ前回よりも土産物屋などが増えている気がする」
「周辺全体に漂う商業主義の臭いの強さに辟易」
という感ばかりが強く残った。
直前に、観光地化されておらずやや不案内な代わりに、雰囲気重視で保存し、それなりに説明もちゃんとついている衣川の空気が良いと感じたから、余計にガッカリしたというか、正直「こんなに銭ゲバな空気が充満してちゃとても世界遺産とか無理じゃん…」と思った。まあ理由はそれだけではないのだけど…
[中尊寺]
平泉に入り、レストハウスの駐車場なら無料だったようなのだが、まんまと左側の有料に入ってしまい400円の料金発生。
私は「聖☆おにいさん」のブッダと同じで、こういうことでびっくりするくらい落ち込むんだぜ。はふー。
ここからだと地下道か歩道橋を通って月見坂からのスタートになるのだが、実は金色堂直下あたりにも駐車場があるので、歩くのが辛い人・時間をショートカットしたい人はそちらがオススメ。
確か高校時代も月見坂を登ったような気がするのだが…
おかしい…こんなに序盤しんどく感じたっけ…
まあ…あのころとは体力と、何より体重が違うもんねえ…
世界遺産にあぶれて、地震の影響で岩手への観光客が激減とはいえ、結構な数の観光客がいる。ベビーカーを押して上り下りする剛の者もいる。暑いし、赤さんはすごく不機嫌そうなのだが大丈夫なのか。
すれ違いに「やだーもうーなにこれー」とやかましく坂を下りてきた、いかにもアホっぽいギャル系の女の子はピンヒールのミュールを履いており、いつ足首がグキッと行っても差し支えない雰囲気だった。あー、見た目で判断してはいけないとはいえやっぱりアホなんだなあと思ったが無事たどり着けただろうか。神社仏閣では誰もチミの足元の装いやコーディネイトに注目したりしないから、無理しないほうがいいと思うんだ。
20年以上ぶりに思ったのは、
「…あの時もこんなに土産ものや寺社グッズ(数珠とか大量生産系のお守りとか)や茶屋ばっかりいっぱいあったっけ?」
ということだった。
中尊寺の敷地内には数々の小さなお堂や末社などがひしめいているのだが、そのポイントポイントで社務所的なグッズ売り場があり、さらにその中間には「一見お堂や庵に見えるお店」がぎちぎちにあって、なまじ見た目がそれっぽいだけにちょっと嫌らしいものを感じる。いや、これも景観の統一感を出すためなのだろうけども、日本語の読めない外国人の人なんかはまんまと入っちゃったりすることもあるのではないだろうか。
入り口付近の有料駐車場の誘導に始まって、この「銭臭さ」は平泉一円に強く感じられた。
それでいて本当のお堂や神社についての説明の板などは20年前とほとんど変わらないレベルで、英文の説明などが特に追加されてわかりやすくなった感もない。
観光のメインが金色堂だからしかたがないにしても、本堂なんか影薄いしなあ。ところどころ素敵な本尊も見えるのだけども…
一番「劣化」を感じたのは、月見坂から見下ろす下方の景色。
高校の時には確かに、ここから見た田畑や山・川の風景に「古戦場や栄華の後」を脳内補完することができたのだが、現在は自動車道や、その建設のための橋げたが斜めに走っている。もはやこの光景で昔のように脳内補完することは無理だった。
当時脳内ロマン溢れる
勿論そうした道路整備があるから今回のように手軽に見学に来れるのだし、アクセスが良くなることは観光客・地元住民双方に大きなメリットがあるのは承知の上なのだが、こと「史跡としての価値を高く評価してもらう」場面において大きなマイナスになったことは間違いないだろう。
金色堂は以前見たけれども、「まあせっかくここまで上がってきたんだし」ということで再度久々に見学。入場料は金色堂・讃衡蔵含めて800円。安くはないが、中尊寺境内自体の見学は無料だし、こういうものは維持協力費なのでこんなもんだろうと納得している。私は讃衡蔵のほうが好きなので、できれば料金を分けてくれるとありがたくはある。
このコンクリの覆い堂はやや無粋に感じるのだけれども、やはり金色堂の迫力や細かい細工には圧倒される。
残念ながらこのへん撮影禁止なので写真はナシ。

旧覆堂。中に入って天井などの構造を見ることができる。中の壁面には、昔の中尊寺の姿を描いた絵と説明があって、見逃されがちな場所だがしっかり読んでおきたいところ。
讃衡蔵は平たく言えば宝物館。金色堂には寄ってもここをスルーする観光客がけっこういるため、仏像や当時の遺物等を落ち着いてじっくり見ることができる。仏像・歴史好きには実はこっちのほうがお勧め。
私は金色堂はリピートしなくてもいいけど、こっちのほうはリピートしたいんだな。だから別チケットにして欲しいと思う。

ちょっと詳細を忘れてしまったが、恐らく義父に「目のお守り」を買ったところの本尊。
新し目の木彫りの仏像なのだが、なかなか感じが良かった。
[毛越寺]
続いて車で毛越寺へ。
この中尊寺-毛越寺間がまた、徒歩で移動するには微妙な距離で、そんでもってまた駐車場料金が発生するわけでして。
町営駐車場・普通車400円也。
毛越寺の拝観料は500円。

ここの庭園はさすがにどこから見てもよく出来ている。ゆっくりと遺構などを見ながら回っても1周20分はかからないくらい。


庭園手前の池で育てられていたハス。ほとんど終わりのようだった。
以下に紹介するのは開山堂の前にあった立て看板。
中尊寺に比べて毛越寺は、こうした表示板の明確さ、さらに英文も併記されているなどの点で優れた取り組みをしていると感じられた。
しかし今回これこそが、「平泉…こんなこっちゃやっぱ無理だよ、世界遺産…」とハッキリ思わせてくれたブツでもあった。
というわけで、間違い探しです。時間は30秒。はいどーぞ。
この看板、明らかにここ2,3年のものじゃなくそれなりの年季が入っている。
ということは、さすがに「その間誰もこの看板にツッコミを入れなかった」ということはないと思うが、「その間誰もこれに手直しの対応を取らなかった」ということは明らかなわけで
「ダメだなあ平泉くん、全然ダメだ、へたくそさ」
と言わざるを得ないと思うのだった。
…と思ったら、日光の社寺のサイトにも同じような文面が書いてある始末。お前らみーんなホゲタラだな!まったくもう!これ何か元になったテンプレがあって、それが間違ってるっぽいなあ。
毛通寺の宝物殿も折角拝観料を払ったのだから見て行きたかったのだけど、ちょっと急ぎたかったので残念ながらスルー。
というのは、次に目指す厳美渓の「郭公だんご」の営業が16時までで、しかも売り切れ御免のシステムだから。この旅の目的に、実は「ちょっとだけ水曜どうでしょうの聖地巡礼」も入っているのだった。
中尊寺-毛通寺間も、循環バスを利用するという手も考えたのだけども、そろそろロスしたくない時間になってきていたもので…
[注:高校の研修旅行]
私の母校には戦前のトラブル(旧制中学生同士の定期戦的な喧嘩)があったのを理由に、戦後60年以上たった今でも修学旅行がない。まあぶっちゃけ今では、授業時数の確保のために好都合というところなのだろう。
学年全体で宿泊を伴う校外活動や見学などを行うのは唯一この「研修旅行」のみなのだ。
この旅行は、1年次の5月頃に岩手山にある青年の家に宿泊して行われるものだが、内容はかろうじてキャンドルサービス・平泉や小岩井牧場観光等が含まれているものの、その他はオリエンテーリングやディベート大会、夜はほとんど学習合宿のノリ。
山の中の宿舎はたとえ抜け出しても周りに何があるわけではなし、時々自衛隊の演習の音が聞こえてきたりして、雰囲気・実質ともどもに「ブートキャンプ」そのものである。
さらに、気心が知れた2年次辺りに行われる一般的な修学旅行に対して、1年の5月は「ようやくクラスメイトの名前が把握できた頃、出身校はまだちょっと怪しい」くらいのもんで、その親睦を深めるという目的があるものの、とても修学旅行の楽しさには及ばず、代わりにできるものではない。
2年の秋頃、他校の友人が修学旅行で楽しんだり、通学電車がいつもよりスカスカだったりする季節になると、母校の同学年の生徒にはルサンチマンをはらんだ空気があふれるのだった。ちくしょー。
未だに「修学旅行は奈良京都だった?それとも別のところだった?」とごくライトで一般的で当たり障りのない話題として振られるたびに心が寒くなってしまうんだぜちくしょー。
ところで私が在学中、
「応援団員は移動バスの中で
『金太の大冒険』『●●の七不思議』『お万の歌』
を歌わなければならない」
という決まりごとがあったようなのだが、今も健在なんじゃろか…
貧乏旅行で通りすがっただけのようなものだったので、いずれゆっくりと思っていたのですが、・・・。いや、今度は大道寺さんのガイドに従ってお奨めポイントに行くことにします(^^
落ちが付いているので、観光案内人の養成講座のテスト問題にもピッタリです。笑えました。
冬の平泉とはなかなか渋いチョイスですね〜。月見坂は雪や氷で危なくなかったでしょうか。人気の少ない中尊寺はなかなか貴重な風景でしたね。
あの頃、少なくとも今ほど出店ががめつくなかったような印象があるのですが、限られた時間で駆け足見学でしたので自信がないのですが…
中尊寺自体の展示は当時と変わった印象は受けませんでした。リピートするのであれば季節ごとに風情が変わる毛越寺の庭園は間違いないと思います。
>>cakeさん
「開山堂」をなぜか最初「円仁堂(なぜ間違ったんだろう;)」と間違って書いた私も人のことは笑えなかったです;(もうな押しましたが)
ウケていただけで何よりでした。相方さんは本当にこういう間違いは絶対に見逃しません。非常に優れた校正能力だと思うのですが、大抵日常生活で発揮して得られる評価は
「細かすぎ…」「性格わるっ」
という類になりがちなのが切ないですね。しかしこの看板だけじゃなく大手を振ってまかり通っているのはかなり問題な気が…