2008年08月18日

8/11 達谷窟毘沙門堂日記

厳美渓で無事郭公だんごに撃たれた(なんかもう日本語として無茶苦茶な表現ですいません)我々は、来た道を一関方面に戻り、西光寺・達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわや・びしゃもんどう)へ。

ここも狛犬がいるからというのが一番大きな理由で寄ったのだけども、個人的に今回の旅行の中で一番感動したスポットだった。
これは決して…駐車場が無料だったからではないんですよ…信じて…;

こちらも後日狛犬サイトの方でまとめるかもしれないのだけど概要と写真のみ。

詳しい縁起などは公式サイトがとてもよく充実している。

この毘沙門堂は、坂上田村麻呂がこの地で暴虐の限りを尽くした「悪路王」という蝦夷の悪党の頭領と戦って打ち破り、制圧した拠点に毘沙門天を祀り、京の清水寺を模して堂宇を建てたのが始めとされている。
「悪路王」の詳細についてはいくつかの説があってはっきりしていないらしいが、一部アテルイと同一視する説もある。
ここに向かう途中に「姫待ちの滝」という場所があって、何かローカルなラブロマンスの伝説でもあるのかと思いきや、実はそうではなく、

悪路王が済んだ達谷窟には、さらわれてきた女たちも多数住まわされていた。女たちが隙を見て逃げることもしばしばあったが、窟から人里に出るためには必ずその滝のところを通らなければならない。
そこで悪路王の手下たちは、「逃げた女を捕まえるにはここで待ち伏せしていればいい」というわけで、ここで定点キャッチしており、哀れ女性たちは捕まってアジトに連れ戻されましたとさ…

という、およそ「聞かなきゃよかった」という由来があるそうな。
「待つ」のは、逢引き的な意味ではなく、「待ち伏せ」の意味だったというオチ。

またさらに、その滝の近くには「かつら石(「かつら」は「髪」の上半分+その下に「也」をくっつけた珍しい漢字で表記)」という岩があり、逃亡を試みた後に捕らえた女の髪を岩にくくりつけて見せしめにしたという伝説があるという。

そんなちょっとおどろおどろしい話がある毘沙門堂だが、文字通り巨大な岩壁と建物が合体した風貌は一見しただけでとても面白いものがある。

iwaya01.jpg

残念ながら内部は撮影禁止だったので(とはいえ係員のような人は誰もいなかったけど)写真はなし。
本当に、壁の1面がまるっきり岩。これにはびっくりさせられる。
岩をくりぬいた洞上のところには、大小の毘沙門天がずらっと並んでおり壮観。まさに「ドキッ!毘沙門天だらけの宝塔大会〜邪鬼もあるよ」といった風情。何が「まさに」だか。

毘沙門天は、四天王のうち北方を守る「多門天」と同一。四天王はみんな武人の姿をしているのだが、一人だけ武神として格別の人気のある多門天がソロで信仰される場合に「毘沙門天」と呼ばれる。
北方の守護神なのだが、田村麻呂的には「北の蝦夷・蛮族どもをを倒す」という意思を込めた信仰というわけだろう。

毘沙門堂を下った先には、北東北では珍しい磨崖仏がある。

iwaya02.jpg
明治29年の地震で肩から下が剥落し、現在は顔面のみが残っている。
大日如来とも言われているが、崖下にある古碑には、阿弥陀如来を示す種字(梵字一文字で諸仏を表現したもの)「キリク」が刻まれており、阿弥陀仏ではないかと目されているらしい。

関西や九州の磨崖仏に比べれば断片的でスケール感にもちと欠けるけれども、北東北では結構珍しいし、何より「この前の地震には耐えたんだなー」と感慨もしきり。

地震と言えば、毘沙門堂直下にある大きな石燈籠の一つが壊れており、「触らないでください」と新しめの張り紙があったのだが、これは地震でパーツがズレ落ちてしまったのだろうか。
地震の被害報告ページによればどうもそうらしい。)

境内の池の中に小さな中島があり、そこに弁天堂がある。中にいる弁天様は「慈覚大師の作」と伝えられており、「慈覚大師ゆかり」「円仁作」や「弘法大師が開いた水場」の伝説はもう日本じゅう至る所にあって正直眉唾ではあるのだけども、八臂の姿というのが珍しい。
写真を取らせてもらって柏手を打って参拝したのだけども、後で見たら「悋気な神様なのでカップルで拝むと嫉妬から別れさせられる」とありがちな講釈がサイトにあったよ。

iwaya03.jpg

↑の写真は不動堂の中の本尊。素朴でいい顔をしている。
またこの不動堂の藁ぶきの屋根といいたたずまいといい実にイイ感じで、なんとなく中世風な趣を感じたのでパチリと。


建造物の面白さを含めて、20分もあれば見学完了する境内ではあるけれども、珍しいものであり、とても満足度が高かった。
また、「西光寺」として現在も神仏混淆の形を伝え、あくまで毘沙門堂が主・自らは従である「別当寺」としての活動を続けているというのも興味深い(だから檀家はなく、葬式も行わないという)。

毘沙門堂は、平泉の世界文化申請エリアの中に含まれており、磨崖仏も阿弥陀仏と目されてはいるものの、これを「阿弥陀信仰の一要素」として主張するのはやや無理があるように思われる。
少なくとも私は、悪路王伝説や諸堂のたたずまいなどを含めて、「奥州の中世、中央VS当地の構図とその"乗っ取り"の過程」を一番強く、それゆえに面白く感じた。

拝観料は大人300円。維持費等を考えれば今時安いくらいだと思った。
周囲の景観がけっこういい感じで、バイクなどで走るのも気持ちよさそうなところ。特に普通に走ると見逃しがちな姫待滝(道路からすぐ見える)などは、悪路王伝説を知っているとそれなりに興味深く見れるだろう。

時間的に骨村遺跡は今回は断念して、宿に入るため一路高速で盛岡へ。
posted by 大道寺零(管理人) at 23:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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