竜泉洞からの帰り、田沢湖の宿へ向かう途中、盛岡の天満宮と八幡神社に立ち寄って参拝&狛犬撮影をした。
この天満宮の狛犬は、狛犬ファンの世界では遠野のカッパ狛犬と並び個性派狛犬として結構有名な存在なので、ぜひ直接ご対面せねばと思っていたもの。
天満宮の場所へは地図通りにたどり着けた(途中右折禁止などもあって遠回りはしたものの)のだが、駐車場への入口が分からずちょっと難儀して、結局またも近所で作業をしていた地元のおじさんに道を尋ねた。ありがとうございました。

これが、狛犬というよりおよそ「人間が土下座している」とか「何か用のヤプー」に近く見える話題の狛犬。
この狛犬は、石川啄木の「葬列」に登場する描写で知られ、台座にには歌なども刻まれている。
此樹の下から左に折れると凹凸の劇しい藪路、それを東に一軒許で、天神山に達する。しん/\と生ひ茂つた杉木立に圍まれて、苔蒸(こけむ)せる石甃(いしだゝみ)の兩側秋草の生ひ亂れた社前數十歩の庭には、ホカ/\と心地よい秋の日影が落ちて居た。
遠くで鷄の聲の聞えた許り、神寂びた宮居は寂然(ひつそり)として居る。周匝(あたり)にひゞく駒下駄の音を石甃(いしだゝみ)に刻み乍ら、拜殿の前近く進んで、自分は圖らずも懷かしい舊知己の立つて居るのに氣付いた。
舊知己とは、社前に相對してぬかづいて居る一双の石の狛(こまいぬ)である。詣づる人又人の手で撫でられて、其不恰好な頭は黒く膏光(あぶらびか)りがして居る。
そして、其又顏といつたら、蓋し是れ天下の珍といふべきであらう。唯極めて無造作に凸凹(でこぼこ)を造(こしら)へた丈けで醜くもあり、馬鹿氣ても居るが、克(よ)く見ると實に親しむべき愛嬌のある顏だ。全く世事を超越した高士の俤、イヤ、それよりも一段(もつと)俗に離れた、俺は生れてから未だ世の中といふものが西にあるか東にあるか知らないのだ、と云つた樣な顏だ。自分は昔、よく友人と此處へ遊びに來ては、『石狛(こまいぬ)よ、汝も亦詩を解する奴だ。』とか、『石狛(こまいぬ)よ、汝も亦吾黨の士だ。』とか云つて、幾度も幾度も杖で此不恰好な頭を擲つたものだ。然し今日は、幸ひ杖を携へて居なかつたので、丁寧に手で撫でてやつた。
(青空文庫「葬列」より)
松の風夜昼(よひる)ひびきぬ
人訪(と)はぬ山の祠(ほこら)の
石馬(いしうま)の耳に
(「一握の砂」より)
夏木立中の社の石馬も汗する日なり君をゆめみむ
(「小天地」より)
「石馬」とは、子供がこの狛犬を馬に見立てて背に乗って遊ぶ様子から詠んだといわれている。
この狛犬は明治36年に、高畑源次郎という人が病気平癒を祈願して叶えられた礼として奉納されたのだが、特にプロではないこの人がアマチュアなりに頑張って作ったと言われており、このセオリーから遠く離れた独自すぎる造形は、それゆえに可能だったのだろうか。