「何その虎の穴」
と言わざるを得ない凄まじいスパルタ指導で、検索してまとめて読んだらば本当に絶句レベルだったので、多分多くの方にとって超常識大陸のことなのだと思うけども、私同様知らなかった方や若い方のために書いてみる。
「八田イズム」とは、長年レスリングの指導に関わった八田一朗(1906-1983)氏が選手の強化・練成のために用いた様々なメソッドや理念を指す言葉。
ちょっとwikipediaを覗いただけでもこんな感じ。
* 1960年のローマ五輪後、来るべき東京五輪に備え、不屈の精神力を涵養し技術を磨く、スパルタ訓練が連日連夜代表選手に課せられた。東京オリンピック開幕前、このレスリング選手団の猛特訓はマスコミの注目を集め、恐怖の厳罰「剃るぞ!!」という言葉が紙面を賑わせ、当時の流行語にもなった。この題名で本も出しているが、だらしなく負けたり逃げ回って負けた選手に猛省を促すため、上はもちろん、下の毛も剃った。金メダルが取れなかったローマ五輪では、自らも白髪を剃り丸坊主となっている。
* その他
o 選手のコンディションによく気をつけていて、「おはよう」という挨拶の代わりに「クソが出たか」と聞いた。
o 厳しい減量が必要とされる競技のため、毎日の排便を選手に報告させる。ついでに射精の報告もさせる。しかも、それが夢精によるものか、利き腕によるものか、ノートに書き込んで表にする。食事の量、体重、排便回数、そして、射精回数&射精方法。これだけ把握しておけば、選手の健康管理は絶対と言う。
o 時差ボケに対応するために真夜中にいきなり選手を叩き起こして練習する。睡眠は重要なためいかなる状況でも、ごく短時間でも眠れるよう日頃から訓練しておく。
o ライオンや虎とにらめっこさせて眼力を鍛える。
o 沖縄でハブとマングースの戦いを見て闘魂を学ぶ。
o 左右とも利き手にしろ。
o 食事の量は、朝5、昼2、夜3が良い。
o 負けた理由を探すな。
o 元旦に寒中水泳をさせた。
o 夏に電灯をつけた柔道場で蚊帳なしでゴロ寝させた。
o 夢の中でも勝て。
o マスコミを味方にしろ。
イヤもう本当に「虎の穴」そのものです本当にありがとうございました。
一見キテレツに見える数々の指導にも実は深い理由と洞察があった、と解説するのが次のページ。
・これが伝統の八田イズムだ!
選手は試合に負けたとき、その理由を自分の実力以外の要因にもとめることがよくある。「夜眠られずに体調が悪かった」「食事が普段と違って力が出なかった」など。
だが、これは負けを正当化する口実にすぎない。どんな時でも寝られるようにしろ、とばかりに、合宿では電気や音楽をつけっぱなしにした状態で寝らせた。時に、夜中にたたき起こし、点呼をとって、また寝らせた。こういう経験を積み重ねることで、どんな状態でも寝られるようなり、たとえ試合を控えて緊張していても、ぐっすり眠られるようになる。
選手が「外国では米が食べられないから力が出ない」と言ったことがあった。合宿ではすべての食事がパンに代わり、「パンを食べて力を出るようにしろ」となった。
選手たちは負けた理由を訴えることができなくなった。
だが八田会長は「強いレスラーというのは、常に相手の上に乗っかっている。マットの中央で、がっちりと押さえこめば負けにされることはない」という信念を貫いた。昭和13年に刊行された「レスリング」で、「ジャッジやレフェリーの主観の問題であって、判定は絶対に公平には行われない。選手たちには、完全に敵をフォール出来なかったら負けと思えと言っている。完全に上からフォールしている者を逆に負けにされる様な事は、如何に無茶なレフェリーでもできない」と述べている。
ルールの解釈が民族によって違うのは当然ということを受け入れていた。当時から国際感覚にたけていればこその行動であり、前項と同じで「負けの理由を審判のせいにするな」をいつでも貫いた。
あいさつはもちろんだが、洋食のマナーといったことにも厳しく、渡航する選手には国内の一流レストランで実践練習させてマナーを覚えさせてから遠征させた。
昭和20年代、30年代は洋式の食事マナーなど知らないのが普通だ。だが欧米へ行ってマナーに反する食べ方をすれば、「未開の国の人間」と見下され、マットの上でも相手に優越感をもたれてしまう。それを避けるためでもあった。
東京五輪の際、ある国の選手がカメラで写真を撮り、その場でフイルムを取り出して「写っていない?」と騒いだことがあった。八田会長は日本選手に「このような国の選手に負けるのか?」と伝えた。私生活の未熟ぶりは、相手に優越感を持たせてしまう。一流の選手になるためには、マットを降りても一流の行動を望んだ。
耳が痛い記事があっても一切文句をつけず、レスリングに関する記事はすべて歓迎した。新聞記者には「批判記事でもいいから、毎日でもレスリングを書いてくれ」と注文し、周囲には「悪口も宣伝と理解する度量をもたないと、大きな発展は望めない」と説いた。
日本レスリング界が報道規制をほとんどせずマスコミの取材を歓迎するのも、八田イズムの真骨頂。周囲からの注目と応援も強化の大きなエネルギーとして活用した。
うーんなるほど…
まだ日本では概念すら普及していなかったイメージトレーニングを取り入れるなどの先取性に感心してしまう。
そう言えば私が子供〜10代ころの日本レスリングは強かったもんなあ。
スパルタを無条件に賛美するつもりはないが、ここまで徹底されると「そりゃー強くもなるわ〜」と言わざるを得ない。
最後に、wikipediaのこの一文につい吹いた。
著書
* 「剃るぞ」ほか多数。
八田さんも凄いけど、耐え抜いた選手もエライなと思います。昔の日本人は芯が強かったのでしょう。現在の子供達には通用するかは、難しいですね。東京オリンピックの時には東洋の魔女の大松監督も、同じように鬼監督でしたね。彼も遠征で、相手方に有利な判定に泣かされたのでした。「判定に公平はない。」そう仰る八田さんは、真の国際人だったと思います。
レスリングと言えば、子供の頃のTVで見た力道山に始まります。リアルタイムで見てましたからね。家族や父の弟子も並んで見てましたが、試合中に母が興奮して「そこだ!頑張れ!」と周りの人間を叩くので、恐かったです。
本当に「リアル虎の穴」…というか、年代的に言っても「虎の穴」の発想のソースの一つになっていたかもしれないですね。
現在の子供たちには通用しない、というかもう親のクレームが凄いことになりそうです。それでも、成人男性2人をおんぶして走る女子レスリングの練習を見ているといまだDNAが残っているようにも見えたり…
「判定に公平はない」というような内容を、戦後しばらくたってならいざ知らず、早い時期にしっかり見きっていた感覚は凄いですね。ちょっとしたことで引けを感じないように、欧米の生活習慣までも学ばせるメンタル重視の感覚は今でも通用するのではないでしょうか。
私にとってレスリングというと、プロレスだとやはり、馬場さんよりも猪木や長州の新日ムーブメントが記憶には強烈でした。でもハンセンとかブロディも好きでした。小学校低学年の時に出会ったビューティーペアも外せません。大学生時代に再びプロレス熱が再燃した時にはいろいろな団体の番組やビデオを見まくりました。
アマレスだとやはり、金メダル紛失の小林さんの記憶が強烈です。