2008年10月09日

「モンテ・クリスト伯」感想(その1)一般書籍

岩波文庫版全7冊・第75版(山内義雄訳)。

いやー面白かった。
「1日1冊は無理だろなあ」と思っていたのが、正味5日かからずに読破してしまうとは自分でも驚いた。

かつては「巌窟王」の名でも日本人に親しまれ(最近子供向けのリライト版もあまり見なくなってしまった気がするが…)、復讐ものの傑作として知られ、数々の翻案作品を生みだし、今なおクリエイターをインスパイアし続ける作品。として、私同様「概要は知ってる」が、実際に全訳を通して読んだことはない…という方は多いのではないだろうか。

勿論全編を貫くのは主人公の復讐譚なのだが、その中にもさまざまな要素がバラエティ豊かに詰まっており実に飽きない。
ある時はラブロマンス、ある時は船乗りや海賊が跋扈する海の男の海洋ロマン、アクションドラマ。
またある時は法廷劇・残酷性や退廃を隠さないピカレスクロマン・親子愛や友人愛や葛藤のみならず、最後には宗教的観念までも抱合する人間ドラマとして展開して終劇となる。

ややロングレンジではあるがつとめて伏線を回収したり、序盤に出てきた人物が終盤意外なところで出てきたりするのを見つけるのもまた楽しい。

この作品は当時新聞連載小説として発表されたこともあってか、大げさに煽るような文ではないのだが、とにかく「この次どうなるの?」という「ヒキ」が上手い。
そんなわけで、一度読みだすともうやめられず止められず。終盤に差し掛かるとますますページをめくる手が加速する一方で、残りページが目に見えて減ってくると「もう少しで伯爵ともお別れか…」と名残り惜しくもなってくる。
こうした傑作に出会うといつも、「更級日記」の有名な、源氏物語全巻セットをゲットして一気読みにふけり、「この快楽に比べれば、お妃様の位もナンボのもんじゃい」というあのくだり(超意訳)を極めて共感的に思い出し、1000年近く経っても、傑作の感動や書痴の信条は呆れるほどに変わらぬものなのだなとしみじみ思う。

[注意:これ以降色々ネタバレがあります]また一方で、「おフランス文学の名作を、しかも岩波文庫で」というといかにもいかめしくて権威主義的で、中身も古臭いものと構えなければならないイメージがあるのだが、蓋を開けてみればそんじょそこらのノベルズやドラマ・映画を蹴散らすほどに徹底したエンターテインメント。こちら寝そべろうが何しようが、好きなポーズでその悦楽に身をゆだねるだけで事足りる。
この嬉しい不意打ちを初めて体験したのは、やはり同じデュマの超代表作「三銃士」を高校時代に初めて全訳で読んだ時だった。
そして次に味わったのは、黒澤明の「七人の侍」や「椿三十郎」だった。

そんなわけで、私の中で大デュマと黒澤明はものすごく近い位置に鎮座ましましているのだ。


[序盤のストーリー]
マルセイユの船乗り、エドモン・ダンテスが航海から帰ってくる場面で物語は始まる。年は19と若いが、航海士としての腕は同僚や船主からも信用されており、謙虚で実直な性格は誰からも好かれていた。慈愛に満ちた老父、美しい婚約者、帰るなり時期船長に内定するなど、つましい暮らしながらも幸せに満ちたエドモン。
しかしその一点曇ることのない彼を妬み憎む者がいた。
一人はエドモンの恋人・メルセデスに横恋慕するカタロニア人漁師フェルナン。
もう一人はエドモンと同じ船の会計士であり、彼の昇進を良く思わないダングラール。
さらに、「悪人」とまでは呼べず、エドモンを特に憎んでいるわけではないが、小心者でとにかくいらんことばかり思いつく小悪党、隣人で仕立て屋のカドルッスのちょっとした発想がエドモンを地獄に送るきっかけとなる。

エドモンの公開中に、船長が病を得て急死していた。そのいまわの際に、ナポレオンからフランスへの書簡を届ける用事を頼まれて言いつかり、エドモンはその遺志に従って言われるままに届けた。ただ単に、右から左に届けただけだった。
ダングラールは筆跡を偽って、「エドモンが熱烈なナポレオン支持者であり、国家転覆に関わる書簡を橋渡しした」と密告する告訴状をしたため、フェルナンがそれを投函する。

時はちょうどナポレオンが一度失脚してエルバ島に流された王政復古の頃。そして再びパリを制圧して「百日天下」と呼ばれる状況になるその前夜だった。

そうとも知らずにメルセデスとの婚約披露パーティーを催して得意絶頂のエドモン。しかしあと30分すれば正式に誓約書にサインができるという時に警吏が乱入し、そのまま逮捕されてしまう。

ちょうどその時、婚約披露の宴を催すもう一つのカップルがあった。その男性は検事代理のヴィルフォール。エドモンの取り調べのため、彼もまた自分の晴れの宴を中座することになった。
決して堕落しているわけではない、厳正たる法の番人たるヴィルフォールは、通常通りに尋問を行うはずであったが、エドモンが託された問題の書簡を見て顔色が一変する。
若く有能で将来を嘱望された彼の唯一最大の泣き所が、元ジロンド党員で、ナポレオンと深い関わりのある父親の存在だった。今回の婚約相手も王党派の由緒ある富裕貴族の娘であり、「ナポレオンの腹心の息子である」という不利を払拭し、自分が王党派であることをアピールする絶好のチャンスであった。
しかしナポレオンの書簡の宛先は誰あろう、ヴィルフォールの父親・ノワルティエ氏その人。この事実が外に出たら自分の婚約は破談になり、これまで王党派として勝ち得てきた信頼や社会的地位もすべて水泡に化してしまう。そう考えたヴィルフォールは親切めかしてこの証拠を焼いて隠滅し、無実のエドモンを永遠に投獄するように差配する。
ダングラールたちと顔一つ合わすことなく、名前さえも知らぬまま、彼ら3人の利害はエドモンを囚人として死ぬまで牢に送り込むことで見事に一致したのだった。


物語の前半には、社会背景の動きとしてナポレオンが大きく関わってくる。
当時のフランス史状況を特に知らなくても、文中の説明や訳注で大体「ナポレオンと王制側が対立していた時代なんだな」ということが分かるし、それで物語理解の上では過不足ないのだけれども、やはりある程度の歴史的基礎知識があると何倍にも面白く読むことができる。wikipediaで「ナポレオン」とか「フランス王政復古」あたりをちょいと調べるだけでハマり具合が違ってくるだろう。
簡単に言えば、ナポレオンと王党の覇権が何度か入れ替わって、そのたびに反動による敵勢力への粛清が激しく行われた時期なのだ。それを考えると、王党派として生きようとするヴィルフォールにとって、父の存在がどれだけ厄介だったかも理解できる。
日本人の感覚だと、つい「王」と「皇帝」を同じものと捕えてしまいがちなのだが、そのまま読むとややこんがらがってしまうので、その違い(皇帝=ナポレオン)はしっかり押さえておきたい。

読後ふと思い立って、作中に示された範囲で年表を作り、実際の歴史の動きと比較してみるとなかなか面白かった(とはいえ、肝心の作中での記述にブレがあったりしてなかなかうまいことまとまらなかったのだが…もうちょっとまとまったらあとでアップロードするかもしれない)。

1804 ナポレオン皇帝として即位
1814 フォンテーヌブロー条約締結・ナポレオンエルバ島へ流される
1815 2/24 エドモン、マルセイユに帰還
   2/26 ナポレオンエルバ島を脱出
   2/28 エドモン逮捕
   3/1  ナポレオンがカンヌに上陸
       同日、エドモンがシャトー・ディフの監獄に収監される
   3/20 ナポレオンがパリ入城、再び帝位につく(百日天下はじまり)
   6/18 ワーテルローの戦いでナポレオン敗れる
   6/22 ナポレオン退位

という感じで、エドモンの一大事の時期が見事なまでにナポレオンの動きとリンクしていることが分かる。

エドモンはそのままシャトー・ディフの牢獄に送られた。フランス革命以来、政治犯(ミラボーが送られたことでも知られる)を多く収監してきた実在の刑務所である。
財産のあるものはそれなりの居室で生活できたらしいが、ヴィルフォールによって「危険な反政府分子」として送り込まれ、財産もない彼は最下層の、暗く湿った土牢に収監される。最初のうちは必死に無実の訴えや憤怒のうちにすごしたが、年月がたつにつれてただ絶望のみとともに生きるようになったエドモン。
しかしその彼を、同じ土牢の離れた室に収監されていたファリア司祭が訪れる。彼は秘密裏に道具をこしらえて、来るべき脱獄の日のためにトンネルを掘り進めており、それがエドモンの室に達したのだった。
獄吏たちは誰もが、司祭を「絶望のあまりに気が狂った哀れな誇大妄想の老人」だと思っていた。司祭はずっと「牢獄から出してくれたら自分の莫大な財産から多額の礼を支払う」と言っていたのだが、それを狂人の妄言以上に受け取る者はおらず、ただ嘲笑するだけだった。
しかし狂人どころか、司祭はこの世に類を見ないほど頭脳明晰、百班に通じた博覧強記の、ある時は哲学者、ある時は科学者の英知を持つ人間だった。ナポレオン帝政時代に収監されたにもかかわらず、エドモンの断片的な状況だけで彼が誰に陥れられたかまでも正確に推察してしまう。
二人の間には親子にも似た信頼関係が生まれ、ともに脱獄すべく計画を練る一方、司祭は自分の持つすべての学識や知恵をエドモンに授け、エドモンをそれを真摯に、驚異的なスピードで吸収して多方面の学問に精通するほどになった。
しかし元々病を持ったファリア司祭の体は老いには勝てず、無念のうちに獄中で一生を終える。そのいまわの際に、司祭は自分があるイタリアの貴族から受け継いだ隠し財宝をエドモンに託す。財宝の話は妄言ではなく真実だったのだ。
エドモンは神父の遺骸を入れた袋の中に入れ替わり、墓中から抜け出して脱出する計画を立てる。しかしシャトー・ディフで言う「墓」とは、地上の墓地ではなく、断崖の下の海のことだった。袋ごと夜の海に投げ出されたエドモンだが、なんとか脱出。途中密輸船に助けられて気に入られ、短い間船員として働き、その後辞していよいよモンテ・クリスト島へ赴く。そして確かに司祭の言ったとおり、一見それとは分からぬように隠された巌谷の中に、莫大な財産が眠っていた。
収監されてから実に14年が経ち、過酷な獄中の生活はエドモンの人相も声も、昔なじみが見てもそれと分からぬほどに変わっていた。

司祭の姿に変装したエドモンは、今は妻と小さな旅籠を営むカドルッスのもとを訪れ、「獄死したエドモンの遺言と遺産」を届けるという名目で、宝石をちらつかせてマルセイユの人々や事件にかかわった人間の現況を聞き出す。
父はエドモン逮捕ののち、貧しさの中に餓死。
収監後も何度となく釈放を嘆願してくれた船主のモレル氏の会社は今では潰れかけ。
百日天下終わり頃に徴兵されたフェルナンは軍功を立てて今や伯爵になり、ダングラールは相場を転がして大銀行家で男爵に。ヴィルフォールは鬼の検事総長に出世し、それぞれ社会的位置を手に入れていた。
そして婚約者のメルセデスはフェルナンの求婚を受け入れて伯爵夫人となったことを知る。

エドモンはここから、財宝によって得た莫大な経済力と、いくつもの顔と変装を使い分けて、恩人には何百倍もの恩を返し、彼を陥れた悪人たちには実に周到に、時間と手間を惜しまずにジワジワと復讐の種を蒔き育てて行くのだった。

ある時はイタリア人のブゾーニ司祭、ある時は変わり者のイギリス人投資家ウィルモア卿として、また一方では山賊や海賊たちがひれ伏す謎の男「船乗りシンドバッド」を名乗る。
そして1838年、フランツとその友にしてフェルナンの息子・アルベールとローマで出会った時の名前は「モンテ・クリスト伯」。アルベールの危機を救い、まさか自分の父を敵と狙う男とはつゆ知らず慕われるようになった伯爵は、アルベールを頼る形でパリの社交界に颯爽と現れる。


というわけで、モンテ・クリスト伯爵の復讐劇は1838年5月に幕を開け、それから半年経たぬうちに終わることになる(もっとも同時期に起こる事件などを合わせると、1838年だか1839年だか判然としない部分が結構あるのだが、いずれにせよその辺りの話という設定)。
一方、この作品の発表時期を確認してみると、1844〜1846年にかけてフランスの大手新聞「デバ」に連載された(余談だが、しっかり作中で登場人物が「デバ」を読むシーンがあったりする)。
設定的には「つい数年前の話」というわけで、さほど「昔の話」として書かれたわけではない。
読者も作中人物同様、ナポレオンと王制の振り子に揺らされまくる時代を生きていたということで、「別に説明するまでもないでしょ」という感じで同時代の風物やら実在の人物や事件が文中にバシバシ登場する。それらのほとんどは訳注で補われているのだが、それゆえに当時の生の風俗や流行を味わうこともできる。
例えば贅沢な調度や食卓、気のきいたコレクションを列記した中に「日本製の陶器」が入っているのを見ると、東洋趣味の中に既に日本製品が入り込んで評価されている時代なんだなーとか、汽船や記者はあるけど自動車はまだだよなあとか、わかりそうでいまいちピンと来ない「19世紀前半」の様子がうかがえる。
それだけでなく、作者デュマの生きた時代そのものの様子も一緒に楽しめるというわけだ。

この作品を調べていて、とても面白いテキストに出会った。

『モンテ・クリスト伯』アレクサンドル・デュマ (松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇)

デュマは単にモンテ・クリスト伯を著わしただけでなく、自らモンテ・クリスト伯になろうとし、動乱のフランスにあってただ書斎で執筆していただけではなく色々動いた男であったことが、生い立ちから含めて書いてありとても興味深いものだった。
 デュマが、ナポレオンが皇帝になる2年前の1802年に生まれて、普仏戦争が勃発した1870年に死んだことだけは、とりあえずおぼえておいてほしいのだが、この時代を生きた大作家たちは、みんな「歴史と自分の生涯を一緒くたにする癖」があったのだ。
 自伝を歴史化し、歴史を自伝化したがったのだ。
たとえばシャトーブリアンは『墓の彼方の回想』という奇妙な題名が象徴しているように、死後出版を想定した自伝を書いたのだし(1849)、962夜の『レ・ミゼラブル』のところでは触れなかったのだが、ユゴーは『言行録』とか『見聞録』といったリアルタイムなノートを“歴史現在的”に書きつづけてもいた。
 あとでも書くけれど、これが「フランスのロマン主義」というものなのだ。「ナポレオンの時代」というものなのだ。実在と歴史とは自分において密接につながっていると思いたい時代だったのだ。


このテキストによると、デュマは1842年のイタリア旅行でモンテ・クリスト島をも訪れたのち、まさに「タネ本」とも言うべき資料を手に入れたという。

 帰って、あれこれの史料や資料をマケとともに当たっているうちに、『パリ警察古文書調査覚書』というものに出会った。かの警視総監ジャック・プーシェの監修だ。そこに「ダイヤモンドと復讐」という記録が入っていた。
 ナポレオンの第一帝政期、パリに住む若い靴屋の事件の犯罪記録だった。その若者は大金持ちの娘と結婚することになっていたのだが、それを妬んだ4人の友人が、その若者を「王のスパイ」として密告した。若者は夜中に詮議もうけずに逮捕され、そのまま7年間を牢獄に送った。牢獄にはイタリア人の聖職者がいて、若者はその牧師に献身的に尽くし、臨終を看取った。このとき若者は莫大な遺産を譲り受けた。釈放後、若者は遺産を手にしてパリに戻ると、変装を駆使して自分を陥れた4人の友人に復讐していったというのだ。
 この記録に、デュマは「謎のモンテ・クリスト島」を組みこんだのである。まさに『巌窟王』は、この下敷きの話だけであらかた出来上がったようなものだった。ちなみに、この靴屋の若者は4人目の復讐にとりかかったところで正体を見破られて、殺されてしまったらしい。


なかなかに、「事実は"小説かよ!""またまたネタでしょう"と言いたくなるほど奇」といったところか。もうこれだけで、「モンテ・クリスト伯」の1/4くらいの内容だもんなあ。

このネタ元の靴屋さんは残念ながら変装がバレて復讐の道が閉ざされてしまったのだが、我らがモンテ・クリスト伯爵は絶対に失敗しない。
あまりにも変装を駆使してあっちで暗躍こっちで根回しと飛び回っているので、物語の流れを正確にキャプチャしたら、「同じ時刻に別の場所に伯爵が存在している日時」が余裕で発見できそうなのだがまあ野暮はやめておこう(それ以前に、日時が正確に記されている場面の方が少ないのでなかなか追うのがしんどいのだ)。
いかに巧みな変装といえど、当時可能なものと言えば、カツラ・付け髭や帽子、せいぜい顔色を塗り分ける程度のもので、声自体を変えられるわけではなし、「そんな風に日に何度も違う役で同じ人に会ったらバレるだろ!自重して伯爵;」と読んでいて大いにハラハラさせられてしまう。
この辺ご都合主義と言えば全くその通りなのだが、それもまたデュマの仕掛けであるとも言えるだろうか。
そして、すべての変装と偽名を脱ぎ棄てて、高らかに
「私の真の名前こそエドモン・ダンテスだ!」
と名乗る時、相手が伯爵の正体を知る時こそ、殺しても飽き足らない仇敵が破滅する瞬間なのだ。
このキメというか、圧倒的なカタルシスが素晴らしい。

彼は単に復讐の鬼であるばかりではなく、誰よりも恩を知る男でもある。そして恩義に報いることは迅速に、復讐は焦らずジワジワと時間をかけて仕掛けを醸成し、そして単に命を奪うのではなく、相手が一番大事なものを奪うようなやり方で成し遂げる対比が素晴らしい。
例えば、エドモン投獄後も何度かヴィルフォールに再審や釈放をかけあい、父親の墓も建ててくれた船主のモレル氏に対しては、巨額の資金で援助し、首をくくるしかなかった破滅から一家を救い出し、その後も長きにわたってモレル氏の子供たちに便宜を図り続けている。
各人への復讐のうち、ダングラールについて「え、殺さなくていいの?」と思ったのはやはり私がキリスト教徒ではないからなんだろうか。まあそれでも、あの銭ゲバをして、二度と立ち上がれないやり方で一文無しにした上でなお命を奪わないことの方がより残酷な罰だとも言えるのだが。
終盤の伯爵の心境の変化についても、「いやそこで手をゆるめなくても!」とも思ってしまうのだが、最後まで鬼モードのままでやってしまうと、この救いと希望のあるエンドには辿りつかないわけで、やっぱり良かったんだろうなあ。
これだけの復讐劇で、ちゃんと爽やかに終われる物語の処理というのも凄いもんだと思う。

私はアニメの「巌窟王」を見たのがきっかけで全訳に挑み、その上でこのように楽しめたのだが、やや残念なこともある。
それはやはり、アニメのキャラクターデザインが頭の中に焼き付いてしまっているので、どうしても読んでいてそのグラフィックが支配的になってしまうことだった。
つまり、
「まっさらな状態で全訳の方を先に読んでいたら、私の脳内は一体どのような伯爵やエデやメルセデスや、その他のキャラクターを描いていたんだろうか?」
と思い、それに会えなかったのが今となっては残念
というわけだ。
まあこれは、幼年版の挿絵とか、その人のファーストコンタクトそのままに刷り込まれてしまうのは何でも一緒なわけだが。

それだけアニメのキャラクターデザインがまずまず秀逸ということなのだろうが、その中にあって(これはアニメの中でかなりキャラクターの設定や性格、ストーリーの流れを変えているから当然なのだが)アニメのキャラデザインでは印象が保管できない、随分違っていると感じたのは

・ユージェニー(原作では長い黒髪で、美人だけどなんか強面で、かなりアニメオリジナル色が強いキャラクターの代表だろう)
・ベルツッチオ
・バティスタン(二人とも悪すぎるw)

それほど露骨でもないのだが、さすが全文を読むと、「お子様向けのリライト版にはとても書けない」「デュマ先生もお好きですな!」という感じの、"大人向け"な要素が随所に見られる。
代表的なのは、イドさんもご自身の書評の中に挙げておられる通り、フランツを迎えた伯爵が、岩窟の中の秘密の部屋でハシッシュ(ハシシ=大麻樹脂)パーティーに耽る場面だろう。マルコ・ポーロの中の有名な一節を話の俎上に乗せつつ、ハシッシュのジャムを一嘗めしたフランツが文字通り「堕ちて」いくサイケデリックな描写、ラリラリになった時の心理や感覚描写がやたらとネッチリ濃厚なのには、読んだ誰もが「この力の入れようは怪しむまでもなくデュマ先生やってるんじゃ?」と立ち止まらずにはいられないものがある。
勿論当時のフランスでは大麻は違法ではなかったし、大麻 - Wikipediaにも
ヨーロッパでは、嗜好品としての大麻は1798年のナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征によってエジプトから伝えられ、1843年にはパリで「ハシッシュ吸飲者倶楽部」が設立、1870年にギリシアで大麻使用が全土に普及した。

とあるように、作品発表当時のパリでは大人気のものであり、そしてここにもまたナポレオンが関わってもいるのだった。

このシーンの後も、伯爵がエメラルドをくりぬいた瓶の中にハシッシュの丸薬を持ち歩いてその効用の講釈を垂れたりする場面もある。
作中では「伯爵はほとんど普通の食事を食べず、またそれで事足りている」ことが何度か語られる。
勿論長年の過酷な牢獄暮らし(しかも普通の囚人よりはるかに劣るレベルの待遇)によって胃が小さくなったせいもあるのだろうが、そのうちいくらかは、トリップ効果により空腹感を覚えなくなっているのかもしれない…とまで言うと考えすぎか。

その他にも、チョイ役ながら、普通の見た目のいい女性で間に合わせることもできるのに、わざわざ「女装の達人の美少年」を出したり、ユージェニー嬢にほんのり百合の匂いを漂わせたりして、元来そういう倒錯っぽいのが好きなんじゃないか?と邪推しているのだが。

その他、ややこしい!と思ったのは、この時代のフランスはいくつもの貨幣単位が併存していた時代なので、やたら銭の話が出てくるのだが、必ずしも単位がフランでない場合も多い。
で、ある時はフランだったりエキュだったりルイだったりリーブルだったりして、さすがに1世紀半後のアジア人には荷が重いのだった。
せめて巻末か巻頭あたりにちょこっと換算表みたいなものがあればその親切が身にしみたなあ…と思う。

1巻末解説によれば、デュマは少年期より「アラビアン・ナイト」や「ロビンソン・クルーソー」に代表される冒険譚やエキゾチックな物語に親しみ、長じてはシェイクスピアに始まる各種戯曲を読み漁り研究したという。この作品の中にも、エデに関する描写の醸し出すエキゾシチズムやアクションシーンの描写、またカドルッス夫人やヴィルフォール夫人の中に、マクベス夫人やその他の歴史上の悪女の影をダブらせたりと、その素養が様々な形で散りばめられている。
それは決してイタダキとかいうものではなく、物語の遺伝子が分解されてどのように継承されていくかという楽しみ方ができるものだろうし、何より「モンテ・クリスト伯」そのものが、現代に至るまで多くのクリエイターたちを刺激し続け、色々な着想や時代のモンテ・クリスト伯の物語を生みだして受け継がれていくのだろうと思う。
posted by 大道寺零(管理人) at 18:25 | Comment(3) | TrackBack(0) | 一般書籍
この記事へのコメント
こんばんは。
実は私も半年くらい前に、岩波の7冊セットを買いました(レ・ミゼラブル4冊セットも同時買いですw)。
昔実家にあった新潮社の文学全集で一度読んでいて、読み出したら止まらないのはわかってたので、「時間の取れるときに腰を据えて読もう」と本棚に納め、まだそのままになってますw

大道寺さんのエントリを見たら無性に読みたくなってきた・・・w
Posted by じゅま at 2008年10月09日 23:48
>>じゅまさん

私は古本屋でレ・ミゼラブルを買ったんですが、積んだままです…
子供の頃、なぜか学童向けリライトの「ああ無情」が異常に好きで、アホほど読み返してました。そういえばユゴーもデュマと同時代人でしたね。

もうほんとに一度読むとノンストップですので、ぜひ7冊全部お手元に置いた上で読み始めることをお勧めいたします。
本文にも書きましたが実にデュマは引きの天才ですな。これを毎日新聞でちまちまと小出しにされていたリアルタイムの読者たちは、色々な意味でたまらなかったことでしょう。
Posted by 大道寺零 at 2008年10月10日 02:26
 大道寺さんこんにちは、過去記事に失礼いたします。初めてコメントいたします。
 『モンテ・クリスト伯』いいですよね!私も大好きで、10年以上にわたり、全7巻を数えきれないほど読んでいます。私の周りには同好の士がいないので、このような考察を書かれているのを遅まきながら発見し、非常にうれしく思います。
 お金の単位については今もってぴんと来ないのが残念ですが、だからこそ天井知らずの財力を自由に想像できて楽しいですね。
 こんなに面白い話があるのに、世の中の人が「長い」とか「難しそう」といって読まないのがもったいないと常日頃思っています。
 詳細な検証や考察、非常に興味深く読ませていただきました。ありがとうございました!
Posted by アガスティア at 2015年09月16日 18:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:[基本的に空欄を推奨します。詳細はこちらをご覧ください。]

ホームページアドレス:

(コメント投稿後、表示に反映されるまで時間がかかる場合がございますのでご了承の上、重複投稿にご注意ください。)
コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/107838888

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。