2008年10月10日

「モンテ・クリスト伯」感想(その2)一般書籍

今回はキャラクターごとに色々雑感など。
文中の「伯爵」は、名前を挙げて特定していない限りすべて「モンテ・クリスト伯爵」のことです(いちいち書くのが面倒なので…)。
[注:全体的にネタバレだらけですので未読の方はご注意]



[エドモン・ダンテス]

序盤の、幸せいっぱい夢いっぱい過ぎるあまりにいささかKYの域にもしばしば足を突っ込む浮かれっぷり(まあこれは現代でも、結婚前後の「幸せのおすそ分けー」とか言っちゃう新郎新婦が容易に陥るドリーマー状態なのである意味リアルと言えばリアルかもしれない)。その後に控える運命を知るこちらにとってはこれがまた痛々しい。
フェルナンとダングラールという、片や恋愛・片や仕事で出し抜かれた男の目の前で幸せを謳歌するシーンを読むと、「いやちょっと自重した方が…」と思わずにはいられない。
さらに逮捕後、ヴィルフォールの思惑と隠ぺい工作が行われている現場だとはつゆ知らずに、「親切な検事代理さん」と信頼して疑わないあたりは、もう見てらんない。
もし太田垣康男あたりに漫画化された日には、見てらんなすぎてこっちが憤死するかもしれない…というレベルだ。

脱獄してモンテ・クリスト伯爵となってからの感想はおおむね前稿に書いた通り。
メルセデスの懇願と、復讐がヴィルフォール家全体を巻き込んでしまったことをきっかけに生き様が変化していく。
ダングラールへのとどめがやや甘いことやラストの展開は、たぶん当時のパリの人たちも「ええ〜これでいいの?」「こういう終わり方だからいいんじゃないか」と感想や議論を語り合ったのではないだろうか。

[ノワルティエ氏]

ヴィルフォールの父。
イドさんはじめ、この物語を読みとおした多くの人が、この老人に対して強い印象を抱かずにはいられないことだろう。
そもそも、エドモンが託された手紙のあて先がこの人でさえなければ、ヴィルフォールも普通の審理を行っていただろうし、エドモンが重罪人にでっちあげられることもなかった。
そう考えると、このノワルティエこそがエドモンの悲劇の源流であり、「大体すべてはこの爺さんのせい」でもある。伯爵の復讐対象の一人にリストアップされてもおかしくない因果関係を持ってはいるのだが、なぜかそういうことにはならず、終盤に両者が顔を合わせて以降も、むしろ仲がよさげな雰囲気だった。要するにこの物語、「ナポレオンシンパにはとことん甘い」という側面も持ち合わせているのかな、と思う。
ナポレオン支援組織のリーダーとして暗躍し、殺人の現場を目撃されているとほのめかされても、
「ふーん、それが何か?まあ見られちゃしかたない」
と、平然と息子の目の前で変装を始めてしまうあたり、実にふてぶてしい。親子の情というよりも、ヴィルフォールが自らの保身のために、親を逮捕するなどできっこないと把握しているからこその言動なのだ。
そんな不敵なおっさんも、エドモン脱獄後、モンテ・クリスト伯として登場する頃にはすっかり様子が変わっている。中風(今で言えば脳溢血や脳卒中などで倒れた後に、後遺症で運動・言語機能が損傷された状態の総称)を起こして運動機能と言語を失い、わずかに瞼と目を動かして簡単な意思を伝えることしかできなくなっている。
しかしこの、ほとんど植物状態の爺さまが、文字通りの「目配せ一つ」で、物語の各種キーポイントにしばしば登場して、時には場面に伯爵が不在のままに、何度も孫娘の危機を救い、シーンを支配するのだった。この面白さは白眉。
それにしても、フランツの父親を殺したと告白するシーンでは、ヴァランティーヌは大いに助かったわけだが、フランツが気の毒でならん。

ずっと「いつ死んでもおかしくないくたばりぞこない」と言われている割には、毒物に体を慣らしていることもあって最後まで見事に生き残る。まるで月影先生を思わせる不死身さである。

[フェルナン(モルセール伯爵)]

ギリシアでの悪行を、生き証人であるエデに暴露されて失脚。同時に新しい人生を切り拓くべく妻と息子にも家を出られてしまい、失意のうちに自殺する。
フェルナンにとっては、そういう形で地位を失ったことも当然打撃だろうけども、元が一介の漁師なので最初に戻っただけとも言える。
それよりも妻子に去られたことが彼の中では致命傷だったのではないかと感じた。

[ダングラール]

「その1」でも書いたとおり、そのENDには「えっ殺さないの?」とちょっと驚かされた。しかしまあ、金が命の、文字通り「銭ゲバ」なダングラールを完膚なきまでに破産させ一文無しにしたのは何よりの報復ということか。ダングラールの場合、娘に逃げられても痛くも痒くもなさそうだし、妻は自分の方から捨ててきたわけだし、家族との離散はダメージのうちには入らないだろう。
最後、山賊ヴァンパに拉致された牢の中で、とんでもない値段で食事を買わされ、餓えには勝てずにほどなく全財産を使い切らされてしまう。
考えようによっては、餓死というもっとも苦しい死に方をさせられたエドモンの父の分の報復もこめられているのかもしれない…というのは流石に深読みのしすぎか。

アルジェリア侵略のちょっと前に公債を起こして転がして大儲けするあたり、同時代に活躍した大富豪、ジェームス・ロスチャイルドをモデルにしたのだろうか。
作中でしきりにダングラールは新しい鉄道路線の事業にご執心なのだが、ジェームスもまた鉄道敷設で当ててさらに資産を増やしている。

[ヴィルフォール]

エドモンを直接牢に叩き込んだ張本人。もっとも憎むべき男なのだが、さすがに最後の方になるとものすごくほんのちょっとだけ可哀想にも思えてきてしまった。
オヤジもああだし、なんかこう、家の中で孤独なんだなあという感じがヒシヒシとする。ヴァランティーヌに疎外感を与えていなければもっといい親子関係を築けたのかもしれないが。

フランス一厳正と言われた法の番人でありながら、他でもない法廷で過去の不倫と嬰児遺棄の罪を暴かれて破滅し、また家庭内の毒殺魔を野放しにした挙句目の前で怨みがましく死なれてしまい、法曹人としての全てを失って発狂する。
伯爵の復讐は、たぶんヴィルフォールに対して最も(単純に殺すよりもずっと)効果的に行われたと思う。そして本人も「流石にやりすぎたかも」と心境の変化に至る一つの鍵になるわけだが。

同情の余地のないキャラクターではあるが、ヴァランティーヌまで殺された中でなお法廷で1大裁判をやり遂げようと出て行く胆力は彼一流のもののように思えた。

[カドルッス]

被告団の一員とはいえ、本来死ななくても済んだはずの男。良くも悪くもちっちゃい奴。
ブゾーニ司祭(エドモン)から周辺の人々の近況を聞き出された時にダイヤモンドを貰い、そこでおとなしくしておけば一生まあまあ裕福に暮らせたはずなのに、嫁にそそのかされて買い取りに来た宝石商を殺してしまいその後転落人生。
こういう「大した悪人とは言えないがいらんことする人間」「そこでやめときゃいいのにいらんことする人間」というのはリアルというか、もっとも身近な存在だとは思う。
ヴィルフォールやダングラールになるにはそれなりの才覚や胆力が必要でもあろうが、カドルッスにだったら誰でも明日からなれてしまうというか。いや別になりたかないのだが。


[メルセデス]

この作品は何度となく映画・ドラマ・舞台化されているのだが、作品によっては最後にメルセデスがエドモンとよりを戻す展開のものもいくつかあるのだとか。私はやっぱり原作のままメルセデスは伯爵を頼るのではなく、貧しくても基本的に一人で生きていく選択でよかったと思う。そうじゃないとまるで最後の最後でビッチになってしまうようで……
「女」ではなく、「母親」という別の生き物の立場から呼びかけたからこそ、伯爵の心も色々な意味で動かされたのだろうと思うし。

[アルベール]

フェルナンとメルセデスの息子。超マザコン。
登場後しばらくは、単細胞アホ+いかにもブルジョアな風情が鼻につくアホボンぶりが続く。伯爵を恩人と信じ込んでまんまとパリ、そして自分の家に引き入れてしまうなど、世の中が分かったつもりでいて警戒スキルがゼロなのだ。
しかし、この人を疑うことを知らず、敵と気付かずにいてしまう部分こそ、投獄前のエドモンの性格や行動とリンクしているものだと考えると、とたんに興味深くなってくる。
フェルナンの悪事が暴露されて失脚、すべてモンテ・クリスト伯が糸を引いていたことにようやく気付いて決闘を申し込むのだが、直前にメルセデスからすべての真実を聞かされて決闘を撤回、伯爵と和解して後は急速な人間的成長を見せる。

[ユージェニー]

ダングラールの娘。
おそらくアニメと最も印象の違うキャラクターの一人だろう。
アニメでは最初はただの幼馴染としてしか見ていなかったアルベールと次第に恋心をはぐくむようになるちょいツンデレ娘で、金髪・短髪でちょっとボーイッシュな印象だが華奢な美少女といったところ。
原作では独立心旺盛な「鉄の女」という風情で、長い黒髪・はっきりした顔立ちの美女と描写されながらも、それ以上に誰からも「変わり者・強情・傲慢・女らしくなくてとにかく可愛げがない」と評されている。優しいマクシミリアンも「綺麗だけどどうも怖くて苦手」、聖女のようなバレンティーヌでさえ「女の目から見てもなんか引く」と、もうとにかく言われたい放題である。
芸術家気質で、特に音楽で身を立てたいと真剣に思っており、地位や財産のための政略結婚のコマにされるのを嫌うことから、結婚や恋愛に対して全く興味を持たない。アルベールやアンドレアに対しても終始鼻もひっかけないという態度だった。
ちなみに文中で彼女が例えられているルーヴル美術館の彫像「ディアーヌ・シャスレッス(猟するディアナ)」は、ウードンのコレのことだろうか。

ダングラール嬢は美しかった。だが、それはアルベールが言ったように、いささか硬い感じのする美しさだった。髪は、漆のように黒かった。だが、自然に波うたせているらしいにもかかわらず、そのどこかに、思いどおりにさせようとするのに逆らっているらしいところが見受けられた。目は、髪と同じように黒く、そして、ときどきしかめてみせるのが玉に瑕と思われる美しい眉に囲まれていて、そこには、とりわけ婦人の目としては珍しい、しっかりした表情が目立っていた。鼻には、おそらく彫刻家がジュノンの鼻に与えるだろうと思われる、端正な釣合がしめされていた。口だけは大きすぎた。だが、そこには美しい歯並が見えていて、それは、顔の色艶の悪いのに比べ、いかにも鮮やか過ぎる赤い唇の色によって、さらに目立って見えていた。最後に、口の端にほくろが1つ、それは、自然の気まぐれといったような普通のものにくらべてずっと大きく、全体の顔立にきつい感じを与えているのが、アルベールをいささか辟易させていたのだった。

(中略)

一ぽう彼女のうけた教育の点から言って、もし彼女に非難すべきものがあるとすれば、それは彼女の顔立ちの或る点がそうであるように、いくらか男性に近いという点だった。まさに彼女は、二三カ国語の言葉をあやつり、画も巧みに描き、詩も作れば音楽もできた。とりわけ、音楽にかけてはとても熱心だった。

(4巻P87より)


現代的な視線からみるとなかなかどうして魅力的に見えるのだが、この時代のフランス上流階級的には、今見れば「語学にたけた才女」のありようも、「男性に近く、非難すべきもの」だったらしいということがよく読み取れる。(婦人のたしなみとしてのダンスとか手芸とか、絵や音楽にしてもせいぜいかじる程度にしておくのが当時の貴婦人とやらいうものなのだろう。)

そんな風に、各登場人物からも地の文でさえもミソクソ言われまくりのユージェニー嬢。そして時代感覚の違いを抜いても。確かにその言動はしばし「うん、可愛くねぇ」と納得せざるを得ない場面も少なくない。
ユージェニーはしばしば、内向的すぎるきらいはあるが、優しくたおやかで信心深く、外見も柳のようにたおやかなヴァランティーヌとしばしば比較され、時に彼女の引き立て役のように引き合いに出されることもある。
しかし、よくよく読んでみると、ヴァランティーヌに対する表現の分量が多くなく、時に類型にとどまっているのに対し、ユージェニーの表情や行動の形容表現に費す文章は非常に多く、また決して定型的でなく、「次はどんな言葉でこの手ごわいお嬢を表現するのか」と予測がつかない面もあって非常に面白い。
デュマ先生がユージェニーのようなタイプの女性を、リアルで好んだか嫌いだったかは知らないのだが、彼女が登場すると妙に筆が走っているのは間違いなく、ともあれ「力が入っているなあ」「貶すにしろ褒めるにしろ、ユージェニーを描くの楽しそうですね先生」と感じる。

復讐対象者の子供たちは、大なり小なりダメージを受けている(死人も一人出るし)のだが、ユージェニーは例外的にほぼノーダメージで物語を走り抜けていく。(結局ダングラール家から死者が出なかったというのも大きいのだが)
伯爵の復讐の煽りを受けて、彼女の婚約は続けざまに二度もポシャってしまう。
最初はアルベールとの婚約。これはどちらかというとダングラールから持ちかけた破談ではあるのだが、モルセール将軍の過去が暴かれて失脚・自殺というミソはついた。
2回目はアンドレアとの婚約。婚約披露の場で彼がニセ貴族の極悪人ということが暴露されてしまってお流れに。
こう考えてみると、「婚約披露宴最中に逮捕劇が挟まって結婚中止になる」というシチュエーションは、かつてエドモンが襲われたものとよく似ているのだが、決定的に違うのは「これで結婚しなくてすんでラッキー」とばかりに、誰もが「流石にあのお嬢も凹んでるだろ」とそっとして置いてくれるその夜のうちに颯爽と家出してしまう。
彼女はミュージシャンとしてのパートナー兼家庭教師のルイーズ嬢といつもベッタリ暮らしているのだが、もちろんその彼女も一緒に旅に出る。明確にそれと書かれてはいないものの、この二人の関係がまた、十二分に百合の匂いがするあたりがまた何ともいえない。ユージェニーも「いよいよもう男なんかいらないってことがはっきりしたわ」とか言っちゃてるしなあ。
用意した偽装旅券が男性のものだということもあり、家を出るにあたってユージェニーは、未練もなく緑の黒髪をバッサリ切ってしまう。この辺りの場面はなかなかスピード感があっていい。
結局逃亡先でアンドレアと鉢合わせして一度は連れ戻されてしまうのだけど、その時にしっかり「一つのベッドの中の娘二人は」みたいな描写があるのだった。

[エロイーズ]

ヴィルフォールの若き後妻。我が子エドゥアールにヴィルフォール家と前妻の家の遺産を継がせるために毒殺魔となる。
毒の製造使用について精通するのはバカンス先のイタリアで伯爵(医師に変装)に会って薬物談議をしたのがきっかけということにはなっているが、この女なら遅かれ早かれこういう道に足を踏み入れていたんじゃないだろうか…と思えるのだが。

[エドゥアール]

ヴィルフォールと後妻エロイーズの間の息子。
見た目は天使のような可愛らしさとあるのだが、これがもういっそ気持ちいいぐらいのクソガキっぷりを垂れ流している。
そしてそれを「元気すぎて」「利発過ぎて」と止めようともしない親バカ過保護母親。
休日ともなれば日本じゅう至る所で繰り広げられている光景で、リアルだなーと思う。
結局母親がバカなせいで死んでしまうのは流石に可哀想だが、ヴィルフォールとあの母親の血を引いているだけに、このまま成長していたらベネディット2号になったかもしれないと思わせるものがないでもない。

[ヴァランティーヌ]

ヴィルフォールと前妻の子。
アニメでは最初マクシミリアンのアタックに対して「何この男」という感じだったが、原作では最初から清く美しい恋仲。マクシミリアンと身分が合わないため賛同を得られそうにもなく、かといって駆け落ちする勇気もないし、祖父のノワルティエのことも気にかかるし…ということでなかなか思い切った行動に出られない。
柳のような華奢な美女だがちょっと暗くて地味。
しばしばユージェニーとの比較で、その優雅な「たおやめ」ぶりを強調される。ヴィルフォールの血が入っているとは思えない純真なセミヒロインなのだが、何しろ強烈な女性陣の揃ったこの作品の中では時々キャラ的に埋没しかかることもある。
最後毒殺されたかと思いきや、実は伯爵の計略で仮死状態になったに過ぎず、ラストシーンで生きてマクシミリアンと再会し、結ばれる。この辺のギミックは、「ロミオとジュリエット」で主人公たちが飲んだロレンス神父の秘薬を想起させる。

[エルミーヌ(ダングラール夫人)]

ダングラールと結婚する前(その前に一度結婚しており当時は未亡人)にヴィルフォールと不倫関係にあり、妊娠するが死産。息があったとは知らぬままに庭に埋めてしまう。その子供がベネディット。
ベネディットとユージェニーの婚約話は直前で消えるのだが、もし成立していたならば異父兄妹同士の近親婚となっていたわけで、一度結婚した後に事実を暴かれたらなお一層のダメージにもなっていたのかもしれない。

裁判の場面では名指しされることはなかったが、どっちにしても卒倒してしまったためバレバレではある。

posted by 大道寺零(管理人) at 18:06 | Comment(8) | TrackBack(0) | 一般書籍
この記事へのコメント
世代、性別、民族?を問わず、人々を魅了し続ける「モンテクリスト伯」 優れた新聞小説というのは、山場が満載ですね♪私も山賊に捕らえられた銀行屋がケツのケバまで抜かれる所で大喜びしたり、血湧き肉踊る作品だと。
 私の父にとって、「美女といえば、真っ先に思い浮かぶのは、トルコの姫、エデ」だそうです。どんなイメージを抱いているのでしょう・・・
 豆知識。ノアルティエ老人の状態は「ロックト・イン・シンドローム」を活写したしたものとして、医学部の教科書に引用されていました。デュマは、確かな筆力で脳梗塞のある状態を描ききったのですね。
Posted by ネコトシ at 2008年10月11日 00:25
>>ネコトシさん

お父様のチョイスの渋さにうなるばかりです!この作品に登場する女性は美女だらけですが、フランスの美人もさることながら、やはりエデやメルセデスといった異国の香り漂うエキゾチックな女性の魅力が際立っていますよねー。

ギリシャ風のドレスを着て、ゆったりと水キセルをたずさえ、可愛い生足の先でサンダルを弄んでいる…というシーンなど、雰囲気たっぷりの中にもどこか茶目っ気も感じられてたまりませんよねえ。

>私も山賊に捕らえられた銀行屋がケツのケバまで抜かれる所で大喜びしたり、血湧き肉踊る作品だと。

色々な感想を読んでいると、「伯爵、もう十分じゃないですか」という心優しい方がいる一方で、私のように「もうボロ切れになって原子に還るまでやったれやったれ」とエキサイトする人間もいたりして、自分の嗜虐性や攻撃性をあぶり出されている気がします。怖いなあこの作品。

>ノアルティエ老人の状態は「ロックト・イン・シンドローム」を活写したしたものとして、医学部の教科書に引用されていました。

おおーなんと、そうなのですか!教科書に引用されているとは知りませんでした。ありがとうございます。実際に同じような境遇の人と出会ったことがあって観察したのでしょうかね。それにしてもシュアな観察力と表現力がないとできないことですよね。

作中、伯爵はテレグラフの信号管理人を買収してニセ情報を流すのですが、「これが文学史上最古のハッキング(クラッキング)」とする説もあるのだとか。
Posted by 大道寺零 at 2008年10月11日 21:05
そう、エデっすよエデ。男の夢を最高に具現化した存在のエデ。彼女の存在なくしてこの物語は語れません!!

多分私はネコトシさんのお父さんと同世代かもしれないです。

ああ、私もひょっとして人生やり直せるかもしれない....(←おいおい)
Posted by ido at 2008年10月11日 21:12
>>idoさん

やっぱりエデの男性人気は高いですなあ〜。無理もないですが。あの一途な献身ぶり、モルセール弾劾のシーンの毅然とした高貴さ、どこをとってもたまりませんなあ。

>ああ、私もひょっとして人生やり直せるかもしれない....

エデの年齢は20歳くらいでしたよね。
娘さんのお年がそこを越えないうちに…頑張ってみるんだ…!しかし最大の問題は3次元でエデを見つける可能性ですが…
Posted by 大道寺零 at 2008年10月11日 21:36
過去記事に失礼します。

>最後毒殺されたかと思いきや、実は伯爵の計略で仮死状態になったに過ぎず、ラストシーンで生きてマクシミリアンと再会し、結ばれる。この辺のギミックは、「ロミオとジュリエット」で主人公たちが飲んだロレンス神父の秘薬を想起させる。

ここで自分は 神父≒サンタクロース≒モンテクリスト伯
というイメージを見てしまいました。

ちょっと説明するために長くなりますが、原作では父と子という関係を特に強く打ち出しているように思えないでしょうか。
具体的にはエドモンと病床の父。ヴィルフォールとノワルティエ老人。アルベールとフェルナンという組み合わせがそれです。
そして父と子に類似した関係もそこかしこに見られますよね。
ファリア神父とエドモン。伯とマクシミリアン…これについてはアニメでは伯とアルベールとなっていますが。
この神「父」という部分がかなり自分には興味深く、どこかで読んだことがあるのですがサンタクロースというのはどこかの教会に勤めていた聖職者がモデルでヨーロッパの一部ではいい子供にはプレゼントを、悪い子にはお仕置きを与える存在らしいんですね。
・プレゼントを沢山分け与えられるということはお金に不自由はしてないということです。
・お仕置きするというのは正義の執行であり、報復装置に近いものがあるとも思います。
で、乱暴に言ってしまえばモンテクリスト伯がやっていることはサンタクロースと同じなんじゃないかと思えるんです。
つまりモンテクリスト伯というのはキリスト教的父親像なのではないでしょうか。
(もっとも私は無神論者ですが)

しばしばラストのオチのつけ方が都合がよすぎるとの意見を目にすることもあるのですが、私はそんなことはありませんでした。と、言うのはこの作品は復習劇であるにもかかわらず、全編を通して優しさと厳しさが同居しているように感じられるからです。そして獄中にあるにもかかわらずファリア神父がダンテスに対して持ち続けた愛情がその鍵を担っているのかも知れません。
ラストシーン付近。アルベールに対してささやかな贈り物しかしなかったモンテクリスト伯ですが、仇敵の息子でありながらおそらく彼はアルベールを愛していたのでしょう。彼の与える試練はアルベールに対しては最高のプレゼントなんじゃないかなーとか。


そう考えてみると、アニメ版で伯が助からなかった理由は設定上ファリア神父という存在を欠き、且つ又彼自身が原作で描かれていた「赦し」をアニメで実行できなかったからではないかとも思うのです。ということで、やはりファリア神父は偉大だということが解かりましたね(笑

(因みに自分も初読の時にダングラールの件で「甘い!」とか思ってたクチです)
(今思えばそうでなければあのラストはありえないと理解はしていますが、甘いことは甘いよねw)

それでは長文、過去レス失礼いたしました。
しかしこんなに面白い記事を読ませてもらったのに
ノーリアクションというの失礼な気がしたもので(笑
Posted by TomF at 2009年10月13日 17:39
少ショウねたばれしても 小さい小さい 私は四回も読みました でもこれを五十回も読んだと言っていたツワモノモいました。
Posted by 石尾 at 2009年10月30日 20:17
>>TomFさん

コメントありがとうございます。返信遅くなりまして申し訳ありません。
とても興味深く拝読させていただきました。
父と子、師弟(に近い)関係がキーポイントというのは確かにそうですね、作中にいくつもの「父と子」が登場し、物語のダイナミズムを産み出しており、重要な存在だと思います。
そして

>ニメ版で伯が助からなかった理由は設定上ファリア神父という存在を欠き、且つ又彼自身が原作で描かれていた「赦し」をアニメで実行できなかったからではないかとも思うのです。

というご意見、全面的に同意です。
原作にある神学的、というかキリスト教的倫理観の有無が大きく影響しているんですよね。
そしてアニメ版はそれをとっ払った世界観がまた魅力だったわけで、それぞれの美味しさを再確認したような気がします。

>>石尾さん

読めば一気の面白さ、とはいえ四回はなかなかすごいですね。
しかし50回とは……まさにツワモノとしか言いようがありません;
Posted by 大道寺零 at 2009年11月15日 04:15
初コメです。
『モンテ・クリスト伯』
は宝塚で舞台化される作品という事もあり,興味深いですし何しろ小さい頃から都市伝説や復讐劇が大好きなもので(笑)

『モンテ-』の結末はどうなるんですか?
Posted by 美麗 at 2012年11月09日 17:59
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