2008年10月17日

「モンテ・クリスト伯」感想(その4) エデの母ヴァジリキ その他エデの周辺日記

前稿では、エデの父アリ・パシャの実在と、その生涯について軽くまとめてみた。
では母として登場する「ヴァジリキ」も実在したか、それとも架空なのか。
1次史料的なものを探せなかったので何とも言えないのだが、

・パシャが最も愛した夫人である
・その美しさから絵画の題材にもなり、現在のヨアニナ湖にある博物館(アリ・パシャが暗殺された場所でもあり、その後は修道院となった)にもその絵姿がいくつか展示されている
・デュマの「アリ・パシャ」内にそこそこ詳細な記述がある

のは確かなようだ。
もし実在していなかったとしても、そのモデルになった寵姫はいたのだろう。
(邦訳の存在が不明なので、そもそもデュマの「アリ・パシャ」がどの程度ノンフィクションドキュメントに徹している作品なのか、多少の脚色や創作が混じっているのかどうかが良く分からないのでなんとも判断できない部分もある)。

デュマの「アリ・パシャ」については、前稿に引き続き、プロジェクト・グーテンベルグで公開されている英訳をもとにした。

とりあえず、「モンテ・クリスト伯」の作中から、エデの生い立ちちや生家の状況についてざっとまとめ直してみることにする。

・母ヴァジリキはギリシャ人でキリスト教徒(アリ・パシャは彼女とエデに洗礼、つまりキリスト教徒として生きることを許可した)。
(とすればエデはギリシャ人とアルバニア人のハーフ、またアリの母がギリシャ人という説に立てば3/4クォーターと推定される)

・「ヴァジリキ」は"王家のもの"という意味を持つ

・アリ、フランス士官(階級は大佐)フェルナン・モンデゴを練兵教官として招聘し、次第に全幅の信頼を置く。

・(推定1821年)自領の半独立状態を保持するべく、オスマントルコに反旗を翻す

・(推定1822年)トルコ軍、司令官クールシッドを派遣してジャニナを包囲。アリ・パシャは抵抗を断念して、フェルナン・モンデゴを使者に立ててトルコ皇帝マームード(マフムト2世)に対し、降伏と助命嘆願の意を伝え、許されなければ逃亡、それもかなわぬならば財宝とともに自決する準備を整えて処分を待った。
・モンデゴはトルコ軍のクールシッドに密かに通じており、アリ・パシャ一家を売った。
「アリ・パシャを赦す」という偽の勅書を携えて帰り、アリとその側近を油断させ、引き入れておいたトルコ軍にアリを惨殺させ、財宝を掠奪する。この時エデ4歳。

・モンデゴはトルコ軍から報酬として、ヴァジリキとエデ母子を手中におさめ、アルメニアの奴隷商人エル・コビールに一千ブールス(十万フラン)で売り渡す。(これがのちに彼の財産の基盤となる)

・ヴァジリキ母子は奴隷商人に連れられて半死半生でコンスタンティノープルにたどり着くのだが、王城の門前に晒されたアリ・パシャの生首を目の当たりにしたヴァジリキは、ショックのあまり死んでしまう。
・その後エデは裕福なアルメニア人に買われて教育を受け、13歳(作中この辺りが"11歳"だったりとちょっと統一されていない)になるとマームード王(=マフムト2世:在位1808年 - 1839年))の後宮に転売される。
・回教年1247年(西暦でいうと1831〜1832年に当たる)、モンテ・クリスト伯爵が奴隷商人エル・コビールを通じてマームード王からエデを買い取る。代価は「ハシシの丸薬入れ」と同じ大きさのエメラルドで、価値は二千ブールス(20万フラン)と推定された。
この売買証書には、エデの年齢は「11歳」とあり、作中の不一致が生じている。



vasiliki1.jpg

↑はドイツの画家 Paul Emil Jacobs(1802-1866)が1842年頃描いた油絵に登場するヴァジリキの姿である。
この絵のタイトル(英訳)は「The Pasha's Favourite (Ali Pasha and Kira Vassiliki) 」とある。
この「Kira」が名前のようなものか、はたまた女性に対する何らかの称号なのかは調べても良く分からなかった。
この画家に関しては、ドイツのWikipediaに項目があるのみで、生没年以外はよく分からなかったのだが、とりあえず他にもハレムの女性や、「ギリシャ独立軍兵士とアリ・パシャ」のポートレートを描いており、この時期のバルカン半島を舞台にした作品をいくつか製作したことは間違いなさそうだ。


最初に書いたとおり、デュマの「アリ・パシャ」内の記述をどの程度歴史的事実として考えていいのかはよく分からないのだが、いずれにしろこの作品の中にしばしばヴァジリキは登場し、いくつかの印象的な場面も描写されている。

(注:今参照できるテキストが英訳版しかないので、多くの地名や人名は英訳版内の記述をそのまま用いることにする。実際の発音や現地地名・人名とかなり違ったものが多いが、まあ致し方なしということで…)

「モンテ・クリスト伯」の文中にて、ヴァジリキは、「アリ・テブランの妻」と表現されているのだが、何しろアリは大きな後宮を持ち、またそもそもトルコ社会が一夫多妻制のもとになっているので、いわゆる「正式な妻・夫人」だったのか、「愛妾」だったのかはよく分からなかった(もっとも16世紀ころから、王侯レベルの人間は正式な結婚をしないことが一般的だった)。
ただ、アリ・パシャの一番の寵姫であったことだけは間違いないようだ。
また、「あの美しいヴァジリキの娘」というセリフなどもあり、当時ヨーロッパではそこそこ知られた存在だったことがうかがえる。

アリは1768年に、デルヴィナ(アルバニア地名)のパシャの娘Eminahと結婚するのだが、その後死別する。その後水面下の跡目争いや病気などで、何人かの子供や愛妾を亡くすこともあった。
ヴァジリキとはその後結婚し、大いに心を慰められ、安らぎを与えられたという。
いつも神経を張り詰めさせた、非常な暴君であるところのアリ・パシャが安らげることは少なかったが、ヴァジリキの居室で二人きりになり、彼女の膝枕の上でだけは心の底からくつろぎ、眠ることができたというエピソードが描かれている。
ヨアニナ湖の博物館の中には、まさにその場面の絵が飾られているらしく、その画像を拾ってみた。

vasiliki2.jpg
優しく見守るヴァジリキと、普段は鬼のようなのに子供のようなあどけなさで眠るアリの姿がこれでもかと甘く描かれており、うっかりするとこの爺様に萌えてしまいそうになるから怖い。
いずれにしろ、ヴァジリキが単に美女というだけでなく、アリ・パシャにとって唯一無二の癒しを与えてくれる特別な女性だったことが十分にうかがえる一枚ではある。

デュマの「アリ・パシャ」第4章では、この二人の出会いがドラマチックに語られている。
(英訳中では、ヴァジリキの名前は「Basilessa」「Basilissa」となっているのだが、以下はこれまでの呼称に統一して「ヴァジリキ」と書くことにする。なおものすごい意訳で、誤りも相当含まれていると思うので、きっちり読みたい方はぜひ原文に当たってみて下さい。)

前述のように、家庭内の不幸が続いたアリ・パシャはいささか疲れ、心身を癒してくれるような美しい女性を新しい伴侶に迎えたいと思っていた時期だった。
アリはトルコ政府からとある勅令を受ける。
それはアリの統治する領内に贋金作りを行う一味がおり、彼らの住処を探し出して処罰せよ、というものだった。
久々の荒事に燃え立つアリは二つ返事で快諾し、早速間者を調査に放って、彼らが住む集落を発見させると、護衛部隊を率いてその村に出発した。
その村は「Plikivitza」という名で呼ばれていた。
夕刻に到着したアリは、夜のうちに村人や一味が逃げだせないように囲みを手配し、明くる早朝に全軍で急襲を仕掛けた。
贋金作りの一味はそのかどで捕らえらた。
アリは即座に尊重をその家の戸に吊るして殺し、村人も皆殺しにするよう命令をくだしたのだった。

その阿鼻叫喚と騒乱の中をかきわけ、目を見張るほど可憐な美少女が走りだしてきて、アリの足元に逃れた。
アリは驚き、少女に誰何した。
無垢と恐怖がないまぜになった風情の少女は、彼の手をとって接吻しつつ、その甲を涙で濡らし、こう言った。

「ああ、閣下!どうか、あの残忍で恐ろしいアリ・パシャに、私の母や兄弟をお助けくださるようお執り成し下さいませ!父は小屋で首をくくられて殺されてしまいました!ですが私たちは、恐ろしいご領主様のお怒りに触れるようなことは何もしていないのです。母は無辜の貧しい女です、そして他の家族と言えばもう、私たち無力な子供ばかりでございます。どうか私たちを、領主アリ・パシャからお助け下さい!」

その訴えに我知らず心打たれたアリは、その少女を自分の腕の中に引きよせ、優しい微笑みを浮かべながら言った。

「おまえは訴える相手を間違えているぞ。私がその"恐ろしい領主"本人なのだよ」
「いいえ、いいえ!そんなことはございますまい、あなた様はとても立派なお方。どうか私たちのよき主人となってくださることでしょう」
「あいわかった、安心するがよい、わが娘よ。そしてお前の母上や兄弟たちに会わせておくれ。家族はみな助けてあげよう。そしてこれからも一緒に暮らすがよい。」

すると彼女は喜びもあらわにアリの足下にひざまずいた。彼は少女を抱き上げて名前を尋ねた。
「ヴァジリキと申します」と、少女は答えた。
「ヴァジリキ、つまり"女王様"か!これはなんとも幸先の良い名前だな!ヴァジリキよ、おまえはこれから私と一緒に住まなければならない。これは命令だぞ。」

そしてアリはヴァジリキの家族を呼び集め、彼女とともにジャニナに送り住まわせるように手配を済ませた。ヴァジリキは彼の慈悲に対し、一生変わらぬ愛と献身を以て応えたのだった。


ヘボヘボな訳で申し訳ないが大体流れとしてはこんな感じ。
凄惨な場面の中、泣く子も黙る猛将といたいけな美少女の運命の出会いがいかにもドラマチックに描かれており、英訳されていてもなお、「デュマ先生ノリノリなのでは」という勢いが伝わってくる場面である。

「モンテ・クリスト伯」にもあるように、「ヴァジリキ」というのは英語の「ROYAL」に相当する意味の言葉らしく、「王の」「王族の」というニュアンスを持つという(ここでは、英訳で「QUEEN」と書いてあるのでそのまま訳してみた)。
現代日本で言えば、娘の名前の中に「姫」とか「妃」、あるいは「貴」というような、王侯貴族を思わせる字を入れるような感覚なのだろうか?
この名前はギリシャでは一般に人気のある女性の名前らしく、現代でも「バシリキさん」は沢山いらっしゃるようだ。

ヴァジリキがアリの歓心を買った理由には、外見の美しさはもちろんのこと、この名前も大きく関わっているように思われる。
いかに半独立状態を実現し、実質的には「アリ・パシャの国」と呼べる状況であっても、しょせん彼はトルコ官僚システムの一員である「パシャ」であり、自ら「王(スルタン)」になることはできない。その「実に名が伴わない」現状を、「王(族)の」という意味を持つ女性を妻にすることで補完し、あるいは近い未来の野心を育んだのかもしれない。

そうして彼の寵愛を集めたヴァジリキだったが、アリ・パシャがクールシッドの軍勢に殺されたのちは、やはり「モンテ・クリスト伯」で語られたのと同様、トルコ軍に捕まってしまう。

トルコ軍に蜂の巣にされたアリ・パシャは、いまわの際に側近たちにこう言い残すのである。

「急げ!急いで逃げろ!そして可哀想なヴァジリキを絞め殺してやってくれ!トルコ人どもの餌食になって辱めを受けぬように…!!」

イスラム世界において、女性捕虜は功のあった戦士に対して戦利品として分配・下賜され、与えられた者はその捕虜を強姦する権利を付与されていた。
自分の愛した誇り高い女性がトルコ軍の兵士や指揮官の慰み者になったり奴隷として売られるのは忍びなく、その前にパシャの妻としての名誉を保って死なせてやってくれという最後の叫びである。

「モンテ・クリスト伯」本編中の、捕えられたあとのヴァジリキのセリフ

『わたくしをお殺しください。』と母が申しました。『しかし、アリの妻という名誉だけはお助け下さい』


というのも要するにそういう意味だ。

再び「アリ・パシャ」本編から。

パシャは討たれ、生きながらにして鋸刃の刀で打ち首にされた。
彼の家族や部下たちはトルコ軍に身柄を拘束されてしまう。

「辱めを受ける前に誰かが殺してくれ」とパシャが哀願したヴァジリキは結局、不運にも、というべきか、命ばかりは永らえた。
Seraskier(「the」が付いているのでトルコの官名か?)の足元に引きずり出された彼女は、上記同様、「私の命ではなく名誉をお救いください」と懇願する。しかし彼は「あなたの生命はトルコのスルタンが保証します」と慰めた。
アリの秘書や会計係・従者たちが鉄の足かせを嵌められてひっ立てられるのを目にすると、ヴァジリキは堰を切ったように号泣した。
トルコ軍は莫大と言われたアリの財産を家探ししたが、発見できたのは6万個の金袋(およそ2500万ピアストル)だけだった。
他の隠し場所を白状させるために、アリの従者たちが拷問にかけられていた。
ヴァジリキ(彼女はアリが死ぬ前に、財産とダイヤモンドを託されていた)は、彼らと同じ運命になると思うと恐怖で気を失い、10社の腕の中に倒れてしまった。結局ヴァジリキは、トルコ政府が彼女の身の振り方を決定するまでの間、Bouila(コートジボアールの地名)の農場(?:英訳文では「farm」。ハレムに送られる前の女性がすまわされたような場所でもあったのだろうか?よく分からない。そのまま「農場」なのかもしれない)に身柄を移された。


他の夫人や寵姫たち・子供たちが即奴隷として売られたり、あるいは殺されたりしたのに比べればかなり穏当な処置ではある。その後ヴァジリキがどうなったのかという記述は登場せずに「アリ・パシャ」派終わるのだった。


ところで、「アリ・パシャ」本文中でちらりと、アリが重要な宝物の一つであろうダイヤモンドをヴァジリキに託すシーンが出てくる。

そのものズバリなのかは分からず、そして豪奢な宝石によくまとわりついている「ホントかどうかよく分からないがとにかくソレっぽい伝説」として、以下のような物語があるという。

14の有名ダイヤモンド|宝石の知識|中央宝石研究所
ピゴット・ ダイヤモンド
Pigot Diamond

重さ47ctから85.80ctまでいろいろな説があるダイヤモンドです。インドのマドラスの二代目総督であったジョージ・ピゴット男爵が所有していた為、彼の名前がつけられました。その後何度も人手に渡り、一時はナポレオンの母のマダム・ボナパルトが持っていたともいわれます。最後は1818年にアルバニアの統治者アリ・パシャが15万ドルで購入しました。彼が80歳の時の1822年トルコ皇帝が彼の都市を包囲した際、このダイヤの引き渡しを要求しました。宮廷で格闘になり、アリ・パシャは致命傷を負いました。瀕死の床で部下の将軍にピゴット・ダイヤモンドを手渡し、目の前で打ち砕くよう命じました。破壊されたという証拠はありませんが、以後現在までこのダイヤモンドの痕跡は見当りません。前もってイギリスで造られた模型が残っているだけです。


そう簡単にダイヤが砕けるものとも思えないのだが…というツッコミは置いといて、まあとにかくそういう伝説がある(現物は存在しない)のだそうな。
「部下に砕かせた」という場面は、デュマの「アリ・パシャ」には存在せず、ヴァジリキに託されたのがこのピゴット・ダイヤモンドということになっているようだ。
[参考:真贋のはざま
レプリカダイヤモンドの写真が掲載されている。]


「エデですって!なんというすばらしい名前でしょう!では、バイロン卿の詩のほかに、どこかにほんとうにエデという名の人がいるのですか?」
「いますとも。エデという名は、フランスでこそめったに聞かない名前ですが、アルバニヤやエピールでは、かなりありふれた名前です。たとえば、貞節とか、純潔とか、無垢とかいった意味なのでしてね。つまりパリの方がたが、洗礼名[ノン・ド・バテーム]とかおっしゃるようなものなんですよ。」

(5巻251ページ)
*エピール=ギリシャ・イピロス地方。ジャニナもこの地方に属している。


この中でアルベールの言う「バイロン卿の詩」とは、長編物語詩「ドン・ジュアン」を示している。
またしてもバイロン、という感じである。心底好きなんだなあ。

「ドン・ジュアン」は1819〜1824に執筆された代表作であり、死の直前まで書かれ続けた未完の作品(17巻まで執筆)である。
プレイボーイの代名詞であるドン・ジュアンを題材にした作品で、同様の作品としては、日本ではモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」や、モリエールの「ドン・ファン」のほうが有名な感もある。代表作の割に、これまたあまり手軽な翻訳が出回っていないのだった…そして私も実際に読んだことはないのだった。

「ドン・ジュアン」といえば、モテモテイケメンな主人公が各国の美女と恋愛遍歴を重ねていく物語として知られている。(バイロンのそれはずいぶんと一般の「ドン・ファン」とはいささか違って、バイロン特有のシニカルなイメージの漂う作品らしいが…全訳を読んだことないので偉そうなことは言えないのだった。)
で、この中に登場する「エデ」もまた、ドン・ジュアンと恋に落ち、次の恋のために退場してしまう女性の一人である。ただ、作中ではかなり「理想的な女性」「わりと重要なヒロイン」として高みにおいて描かれているという。

ede.jpg1870-1871年には、フランスの画家コローが、彼女を題材にした作品を描いている。(左図)
[Haydée(ルーヴル美術館所収作品解説データベース:フランス語)]

フランス語の表記ではHaydée、英語(原文)の表記ではHaidéeとなっている。これって、「ハイジ」と同系統の名前なんだろうか…(と思ったけど、考えてみればアルプスの方のハイジは「アーデルハイド」の略称だった;)

また、安部知二訳「バイロン詩集」に収められた「ドン・ジュアン」第二章の一部では「エデ」ではなく、「ヘイデ」と表記されている。(「ドン・ジュアンとヘイデ」等)

「ドン・ジュアン」での彼女は第2章から登場する。
ドン・ジュアンからカディスから船旅に出るのだが、嵐に遭って難破してしまう。
エーゲ海キクラデス諸島(現在ギリシャ領)に住む17歳の美女エデは、女召使ゾーイとともに、岸打ち上げられたドン・ジュアンを助け、出会った瞬間、お互いの言葉が通じないのをものともせず恋に落ち、結婚の誓いを交わす。
しかし彼女の父親・ラムブロは、難破した船から荷をかすめ、生き残りは捕えて奴隷として売り飛ばして利を得る、名の聞こえた当地の海賊だった。

第4章では、怒ったラムブロが海賊を従えてドン・ジュアンに攻めかかり、捕えて奴隷市場に売り飛ばす。その時エデは身ごもっていたのだが、絶望のあまり食事を拒否するようになり、12日目にお腹の中の子とともに死んでしまう。

なんかそんな話らしい。可哀想なのね…

ede3.jpg
こちらは、エデが難破漂流したジュアンを見つけて助け出すシーンを描いたもの。
作者はフォード・マドックス・ブラウン(1878年:「The Finding of Don Juan by Haidee」)。
真ん中の女性がエデ、左の女性がメイドのゾーイと思われる。

全裸のジュアンの風貌とあいまって、「オデュッセイア」に登場する「難破したオデュッセイアを助けるスケリア島の王女ナウシカ」の名場面を想起させるものがある。
この場面やキャラクター自体、オデュッセイアとナウシカをイメージしたものではないかとも言われている。


「なるほど、御説明をうかがえばべつにふしぎはないわけですが、それにしても、あなたは…おや、なにか聞こえるようですが?」
そう言いながら、アルベールは、戸口のほうへ身をかしげた。
そこからは、まさにギターを思わせるような音色が聞こえていた。
「いや子爵、今夜という今夜、あなたは音楽ぜめというわけですな。やっとユージェニーさんのピヤノから逃げだせたと思うと、今度はエデのグズラにおつかまりになったのですから。」

(5巻251ページ)


エデが登場する多くの場面で携え、奏でている「一弦琴」が、ここでは「グズラ」と呼ばれている。

これは、バルカン半島〜東欧の擦弦楽器(ギターのような指やピックではじく「撥弦楽器」に対し、ヴァイオリンやチェロ・胡弓のように弓を用いて弦をこするタイプの楽器を指す)・「グスラ」のことのようだ。

gusla.jpg

楽器収蔵庫-05

コソボ自治州ではラフータ(Lahuta)と呼ばれている一弦楽器だが、一般的に知れれている名はグスラ。棹の先には羊の彫り物があり、フレットはなく、胴はマンドリンのように丸く、表面は羊の皮が張ってある。その上に駒をおき太めの羊腸弦がその上にある。弓は馬の尻尾を使ってあった。木のヤニをぬって音がよく響くようにするのだそうだ。旧ユーゴスラビアの南部に位置するセルビア、モンテネグロ、山岳地帯のツルナゴーラ、マケドニアなどでグスラールと呼ばれる歌と語りの芸人が使った楽器だ。東欧に残ったただ一つの一弦楽器といわれている。物語り歌の内容は14世紀ころのトルコと戦う英雄物語り、兵士の恋人の話、トルコに対するレジスタンスなどが題材になっているそうだ。物語りを歌うグスラールは盲人が多かったといわれている。


日本語所蔵楽器目録
グスレ

奏者は腰かけ,楽器を膝の上に立てて,あるいは膝の間に挟んで弓奏する. 弦は人差指と中指のみでポジションを移動させることなく押さえる. 音域は奏者の声域に合わせる


先端の飾り物は羊だけでなく、馬だったり鳥だったりもするようだ。
また一弦に限らず二弦のタイプもあるという。
同地方ではいわゆる「吟遊詩人」の楽器として知られていた。
グスラを用いる吟遊詩人を「グスラール」といい、さまざまな物語を歌い、王侯貴族だけでなく文字の読めない庶民にも親しまれたという点、時に権力者の庇護を受けた点、多く盲人が従事した点など、日本の琵琶法師によく似ているように思う。

参考動画:
YouTube - Mile Krajina gusla na Rivi

「ギターを思わせる音色」とあるところをみると、もしかしたら弓を使わずに指でつま弾いていたのかもしれない。

エキゾチックな楽器はさまざまあるが、あえて吟遊詩人の楽器を選んだのは、エデの役割の一つがアリ・パシャの悲劇=フェルナンの悪事の生き証人であり、「語り部」であることを暗示しているのかも…とまで考えたらさすがにうがち過ぎというものなのだろう。

ede2.jpg
ちなみにアニメ「巌窟王」のエデは、一弦琴ではなく小型のハープを奏でている。(参考:OP映像
ケルティック・ハープに近いかな?


エデの日常の世話は、彼女のために雇った女召使が主にやっているのだが、モンテ・クリスト伯の忠実な奴僕・ヌビア人のアリも献身的に仕えている。
ところでトルコのハレムでは、女性たちの世話をするために宦官がおり、その多くは黒人だった。白人の男性奴隷もいっぱいいたわけで、何も人種差別というわけではなかったらしい。
その理由は非常にシンプルで、どういうわけか有色人種・黒人の方が、宦官になるべくナニの切除を行った後の予後が良く、生存率・または障害に至らない率が段違いに高かったのだとか。(ちなみに手術後の男性たちは、術後の炎症等が収まるまで砂に首まで埋められながら耐えたらしい…)
アリは唖ではあるが、去勢されてまではいないようなのだが、エデとアリの関係は、なんとなく超小規模の・「一人だけのハレム」を想起させるものがないでもない。(そもそもハレムの原義は、婦女子を家の奥深くに隔離して保護することにあったし)
posted by 大道寺零(管理人) at 01:41 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
「岩窟王」トリビア、ありがとうございます!!私より、むしろ父が「モンテ・クリスト伯」の大ファンなのですが、「アリ・パシャとワジリキは実在したんやて」「へぇ!」と二人暮らしの家庭で盛り上がっております♪
 父はすでに後期高齢者にしっかり入っておりますが、「奴隷商人エル・コッピールの手から金貨が一枚、また一枚と」とか「あの男の手の傷を忘れるでない」とか「彼が恋にも似た心持で呼んだ名は“エデ”だった」とか詳細に覚えているのです。私はもうそこまでは・・・ミスタースポックの父はサレク、とかだったら一生忘れないかも・・・
 デュマは虚実取り混ぜて、大活劇を織り上げたのですね。あめーじんぐ!!
 名作を楽しむ方法が沢山あって嬉しいです。大道寺さんには家族で感謝しておりますよ♪
Posted by ネコトシ at 2008年10月18日 02:24
>>ネコトシさん

レスポンスいただけただけでとても嬉しいのに、些少でもお父様のお役に立てたのでしたら本当に光栄です。
それにしても、そこまで細部をしっかり覚えてらっしゃるお父様の矍鑠ぶりに超脱帽でございます。

調べれば調べるほど、当時実在した事件や人物やアイテムがこれでもかと盛り込まれていることに驚かされっぱなしです。デュマは本当に、「同時代の物語」として、同時代の人に向けてモンテ・クリスト伯を描いたんだなあと実感しています。
現代を舞台にした小説で、いちいち「携帯電話とは」「プーチンとは」なんて説明が長々載っていたらおかしいですもんねえ。
Posted by 大道寺零 at 2008年10月20日 00:41
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:[基本的に空欄を推奨します。詳細はこちらをご覧ください。]

ホームページアドレス:

(コメント投稿後、表示に反映されるまで時間がかかる場合がございますのでご了承の上、重複投稿にご注意ください。)
コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。