2008年10月24日

「虎よ、虎よ!」アルフレッド・ベスター一般書籍

「モンテ・クリスト伯」にハマり、アニメ「巌窟王」がもともとこっちのアニメ化企画から諸般の事情で変更となったものと知ってずっと興味があった。結局イドさんから肩を押されて購入し、読んでみたが、さすが古典SFの名作と呼ばれるだけあって実に面白かった。
とにかくものすごいパワーと「熱」がある。
小説作品として見た場合、多少こなれていない部分や乱暴な部分もあるのだが、そんないくつかの難点を吹き飛ばして、とにかく先に先にと進んでいくごり押しの力が、ストーリーやキャラクターに溢れていて、安直な比喩だけど、音楽でいえば、そんじょそこらのパンクミュージックよりよっぽどパンクそのもので、しかもプログレでもあるという感じ。
その荒々しさは同時に「粗々しさ」でもあり、好みが分かれるところだろう。多分ダメな人はダメだとは思う。
この作品が生まれたのが1956年、実に今から50年以上前というのは本当に驚かされる。
同時期の日本の状況といえば、街頭テレビが大賑わい、東京タワーはまだできてなくて、電話も一家に一台なんて時代ではなかった。その時点で描いた「未来予想図」のテクノロジー像を楽しむのもまた一興だ。

「サイボーグ009」の「加速装置」の元ネタとしても知られているが、読んでいくと実に多くの後世の作品の中にモチーフとして使われていることに気づき、「あのアイデアがすでに1956年に出てたんだ!」と驚かされる。

(追記以降ネタバレありますので未読の方は注意)

[あらすじ]

24世紀に、とある偶然から生まれたテレポーテーション技術「ジョウント」。精神の働きをコントロールするだけで超長距離の移動が可能になるジョウントは、世界のあり方を大きく変えるイノベーションだった。しかしそれは便利さや行動範囲だけではなく、犯罪や差別、そして戦争の口火をももたらした。

進歩と荒廃が表裏一体になった25世紀の地球・そして宇宙がこの物語の舞台となる。
ジョウント能力が個人をレベリングするこの時代。訓練を受けてもなお能力が低い、あるいはジョウントできない人間は最底辺に扱われていた。

主人公、「ガリー」ことガリヴァー・フォイルもそんな一人だった。そのうえ貧民街出身で無教養で下品、向上心も社交性もないダメ人間。
彼は宇宙船「ノーマッド」の三等航海士としてボーッと雑用に従事していたのだが、船は火星と木星の間で爆撃を受けて漂流。今では彼一人だけが生き残り、余った物資を頼りになんとか170日間生き延びていた。
待ち望んでいた別の船がその空域に入り、喜び勇んで救助信号を連打するのだが、ノーマッド号の姿を明らかに認めながら、その宇宙船はノーマッドを見殺しにして立ち去っていく。
宇宙船の名は「ヴォーガ」。
自分を見捨てたヴォーガとその乗組員への復讐に燃えるガリー。その瞬間から凡庸だったガリーの頭脳と行動は冴えわたり、やがて報復する時まで生き延びるという明確な意思で見違えるほど見事にサバイバル生活を送るようになる。

その後ガリーは、サルガッソ小惑星地帯に住む奇妙な一族「科学人」に助けられる。彼らは前世紀の科学調査団の末裔で、高い技術力がありながら、独特に発展したどこか蛮族めいた風習の中に生きていた。
ガリーは一命を取り留めるが、手術の際に「顔全体に虎を思わせるような模様」「額に"N♂MAD"の文字」の奇妙な刺青を入れられ、科学人の女と結婚して子供を作りながら留まるように支持される。
彼は科学人のもとを逃亡して火星空域で救助され、船主の大富豪プレスタインをはじめ、「ヴォーガ」に関わり、ノーマッドを見捨てた人間に完全なる復讐を成し遂げるために新しい人生を歩む。

ガリーはプレスタインとヴォーガを襲撃しようと乗り込むがあえなく捕らえられ、表向きは病院だがその実は重犯罪者の収容施設である「グフル・マルテル」に入れられてしまう。脱出不可能とされた天然の刑務所だが、同じ収容者である女性ジスベラと協力し合って、命からがら脱出をやってのける。

一方、プレスタインたちがガリーをすぐに殺さず、あらゆる手段を使って尋問したのには理由があった。
ノーマッド号には、大量のプラチナ、そして謎の物質「パイア」が積載されていた。わずか20ポンドにして、戦争を支配する力があるというパイアを回収しようとしていたのだが、現在ノーマッド号の所在がつかめないため、唯一の生き残りであるガリーから記憶と情報を引き出す必要があったのだ。

グフル・マルテルを脱出した後、ガリーは外科手術によって顔の刺青を消そうと試みる。一応は成功したものの完全ではなく、感情が高ぶると刺青の跡が赤く浮き上がってしまう。こればかりはどうしようもなかった。

その後、戦闘の中でジスベラを犠牲にしつつも、ノーマッド号に戻ってその積荷を回収したガリー。
その数年後、世間では、奇妙なサーカス団を率いた派手な成金紳士・「セレスのフォーマイル」の噂でもちきりになる。
フォーマイル氏こそ、ノーマッド号のプラチナを元手に成り上がり、プレスタインたちのいる上流社会に乗り込んだガリーの変身後の姿だった。セレブのなりをする一方、自らの肉体を大胆に改造して、加速装置をはじめとするギミックを埋め込み、一人で軍隊を相手取れるほどの戦闘力、そしてジョウント能力を備えた超人となっていた。

物語が進むにつれて、パイアの謎・プレスタインたちの真意・ヴォーガに命令を出した張本人とその理由が、敵味方入り乱れる人間関係とともに解き明かされていく。
クライマックスの連続超ジョウント場面での、タイポグラフィを大胆に利用した「イメージの洪水」の描写はまさに圧巻。そして復讐に突き進んだ果てにガリーが到達した「結論」とは…


「モンテ・クリスト伯」をモチーフにしたことで知られている作品だが、そもそもが善良で有能な船乗りだったエドモン・ダンテスとはあまりに正反対、無気力・無能力で下品なガリーのキャラクターにいきなり出会い頭の一発を食らう。「モンテ・クリスト伯」のイメージを追いたくて本書を手に取った真面目でコアなファンの方には、強姦・恐喝何でもアリアリで基本的に頭が悪いガリーの行動(特に女性に対する扱い)は耐えられないかもしれない。何しろフォーマイルになって後ですら、生来の下品さや迂闊さはちょいちょい顔を出すので。
「どこにどの程度モチーフが生かされてるのか?」と探しながら物語を楽しむぐらいの姿勢がちょうどいいかと思う。

ガリーのみに限らず、出てくるキャラクターのほとんどが、己の感情や欲望、利害に忠実に行動するタイプなのも物語の勢いを加速させている。
特に印象的なのがジスベラ・マックイーン(通称ジズ)という女性。
グフル・マルテルに収監中、獄中ホットラインを通じてともに脱出するという、「モンテ・クリスト伯」で言えばファリア神父に相当する役割なのだが、彼女の言動がとにかくめまぐるしくて最初は戸惑ってしまう。
初登場時に「昂奮しやすい性質」と語られてはいるのだが、ガリーを罵ったかと思えば彼への愛を語ったりと、とにかく忙しく愛憎がコロコロ入れ替わる。ちょっと小池一夫マンガによく登場する
「最初は誰かの仇とかで主人公の命をつけ狙うのだが、最終的に惚れてしまって"あんたァー!愛してるのよォー!うわーーーッ!"コースの女性キャラ」
を想起したりもしたのだが、それよりもっと一貫していない。多分専門家が読んだら2つや3つ疾患名が挙げられそうなくらいに支離滅裂(特に脱走後)…というか、屈折しまくっているのだ。
まあこれには多分、「脱出成功後、盛り上がるままに闇夜の中でエッチして、朝顔を見たら醜い刺青男だったショック」もあるのだろうけど、説明しきれないくらい言うことが行ごとに変わるので付いていくのが大変だ。
最終的には彼の敵に回るのだが、ヴォーガがノーマッドにしたのと同じことをされたわけで、これはすんなり理解できる。


「サイボーグ009」の加速装置のギミックのネタ元(歯に仕込んで舌でスイッチをオンオフする点含めて)がこの作品であることはわりと知られている。
長年同作品を何度となく読んできた身には、ガリーが加速・減速を使いこなして戦うシーンが、つい「石森絵(つまり009の加速戦闘シーンの画面処理)」「石森コマワーク」で脳内展開されるのだった。
これが若い人や特撮好きの方なら多分、「仮面ライダーカブト」のクロックアップ戦闘シーン的な脳内映像になるのだろうと思う。
そんな勢いで読んでいくと、盲目ゆえに超感覚を持つアルビノの美女オリヴィアのビジュアルが、石森漫画によく出てくる「黒目美女(超銀河伝説のタマラとか、009のヘレナとか、竜神沼の少女とかのあのタイプ)」になってしまうのだった。盲目ということを入れると、「スカルマン」の摩耶が一番近いかもしれない。

その他にも、石森漫画では

・原作漫画版「仮面ライダー」で、本郷猛の、「感情が高ぶると顔に手術痕が浮きあがってくる」という設定(それを隠すためにマスクをかぶる)

についてもよく言及されるし、「リュウの道」「ジュン」ほか多くの作品で文字を散らしたりデザイン的に並べたりするタイポグラフィ表現が用いられている。(かつてFC会報に掲載された小説でも使用されていた)

実際「虎よ、虎よ!」を読んでみると、「石森先生、ほんっとーに好きだったんだな!」と実感せずにはいられない。まあこれはこの作品に限らず、同時期の海外SFからの流用ネタとか、作中の人物にしょっちゅう有名SF作家の名前が用いられたりと、傾倒ぶりは有名なのだけど。(手塚治虫から「石森君、海外SFからのイタダキはたいがいにしたほうがいいんじゃないか」と釘を刺されたことがあるとか)

その他フィクション作品で、インスパイアを明言されているもの、偶然の一致的なものを含めてもいろいろと挙げられる。

・「AKIRA」に登場する、「顔だけ老人の子供」(タカシ・マサル・キヨコ)
・「AKIRA」に登場する、「金田の前に現れるもう一人の金田」
・ロビンの能力、「外部に送信するだけのテレパス」→「サトラレ」の設定
・「コブラ」"ソード人の秘密"編の戦闘で、「聴覚と視覚が交換される」シーン
・「仮面ライダーカブト」 ジョウント空間やクロックアップ戦闘シーン(他にも、「ジョウント」という言葉は作中での一般語彙として登場する作品がいくつかある)


などなど。


ラスト、それまでの「野性の復讐者」から一気に「一皮も二皮もむけた」ガリーが、すべての真実を世界に知らせ、人間の「覚醒」を信じて促す演説シーンはちょっと唐突にも思えるが、その直前の「ロボットとの会話」からの流れで読むといろいろ深いものに感じる。
多分富野監督にはそんなつもりは微塵もないだろうけど、「ガンダム」から「逆襲のシャア」に至る、アムロとシャアのニュータイプ問答にも通じるようなものがあるような気がする。

ガリーから大衆への要求、というか期待は一見大きすぎるようにも思うのだが、よく考えてみれば、この作品世界に登場する人間は、「脳の働きをコントロールしてジョウントする、ということをすでに一般に使いこなしている人類」なのだ。
頭と心を駆使して、前時代には夢物語でしかなかったテレポーテーションを自在にやってのけることができるようになった人類なら、さらにより良い方向にステップアップできるはず…という考えは、この世界でなら決して突飛とは呼べないのではないだろうか。
ともあれ、「誰よりも野獣であった」男が「ブタから人間になれ、それは可能なんだ」と説く場面は圧巻。

最後の最後でガリーが戻る場所については意外で、正直まだよく呑み込めていない。「オデュッセイア」を意識したんだろうか?という気もするが関係ないかもしれない。単なる胎内回帰のイメージかも。


この作品に触れて、初めてワイドスクリーン・バロックという概念を知ったのだけど、一般的に定義とされる

時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深遠であると同時に軽薄  
( ブライアン・W・オールディス)

という表現は、まったくもってこの物語そのものだなと思う。

それにしても、一応敵役であるダーゲンハムとヨーヴィルは、決して悪役というわけではなく、それどころかクライマックスのあたりだと「普通にいい人だよな」と思えてくる。
特にダーゲンハムなんて、彼の設定だけでSF長編が1本書けそうなくらいに面白いのだが、そういうアイデアが惜しみもなく「単なる設定ギミックのひとつ」としてガスガスつぎ込まれているところがこの作品の魅力なんだろうなあ。


早川SF文庫新装版。
数年品切れ状態になってたそうで、新装版出してくれてありがとう!と言いたいのだが、そもそもこの作品を品切れにしちゃいかんじゃないのよ!という気もする。

新装版になると、たいてい活字が大きくなる(その分余白が少なくなったり、あるいは厚くなったり)。少数派かもしれないのだけど、どうも活字が大きいと逆に読みづらいと感じるのだった。岩波文庫なんかも、文字の小さい昔の仕様のほうがなんというか、落ち着くというか、とにかく読みやすいのだが…

posted by 大道寺零(管理人) at 16:21 | Comment(3) | TrackBack(1) | 一般書籍
この記事へのコメント
をを、読みましたか。すごいでしょ。
鴨は二十年前に旧版で読みましたが、当時のハヤカワSF文庫は小さくて読みづらい活字にがさがさの紙質、しかも終盤のタイポグラフィが何と手書き(!)という強烈なシロモノでした。が、そのチープさがまた物語世界に似合っていて、なかなか乙なもんでしたよ。

アルフレッド・ベスターは、短編も素晴らしいです。特にお勧めは、「20世紀SF 第2巻(1950年代)」(河出文庫)に収録されている「消失トリック」。「虎よ、虎よ!」に繋がる原風景的な作品でもあります。ぜひ機会があればご一読を。

ワイドスクリーン・バロックのぶっ飛んだ魅力に開眼したなら、次はハーラン・エリスンにも挑戦してみてね(-_☆
Posted by at 2008年10月25日 10:40
おお、ネタバレ満載!
>「AKIRA」に登場する、「金田の前に現れるもう一人の金田」
コレなんかは、本書を読んだあとヤンマガで連載時にボンと出ちゃったので「モトネタしってるよ〜」と一人ほくそ笑んでいました。
誰もわかってくれなかったけど...
>ダーゲンハムなんて、彼の設定だけでSF長編が1本書けそう
スペル星人が永久欠番の我が国では無理です。
あとベスターといえば、東京創元社から「分解された男」というのが名作ですが、廃版です...とほほ。チョット大きめの図書館などの書庫の奥でホコリにかぶっていそうですが。
テレパス物なのですが、ストーリーより...
「もっと引っ張る、いわくテンソル。緊張、懸念、不和が来た」
という歌が頭の中から離れません。
さてベスターはほかに「コンピューターコネクション」というのが懐かしのサンリオSF文庫にありました。コレはわけわかりませんでした。「ゴーレム100」なんかもそうですが、ベスターは強烈にウイリアム・バロウズをライバル視していたようですが、そのせいか、華々しいデビュー当初とはうってかわって、作品の方向が強烈に間違っていたような晩年だった気がしてなりません。
Posted by イド at 2008年10月25日 12:56
>>鴨さん

>当時のハヤカワSF文庫は小さくて読みづらい活字にがさがさの紙質

そうそう、あのころの文庫の紙はどこもそんなに良くなかったんだけど、ハヤカワは特にガサガサでなんか灰色で、しかも日焼けとか酸化しやすかったですよな。
でも私も、あの紙質でデューンシリーズ読んだのが今ではいい思い出じゃよ…

>しかも終盤のタイポグラフィが何と手書き(!)という強烈なシロモノでした。が、そのチープさがまた物語世界に似合っていて、なかなか乙なもんでしたよ。

あれが手書きだったの!それはまた雰囲気全然違ってそうですなー。

この作品、独特の猥雑な雰囲気がダメな人はダメだろうな〜とは思うんだけど、これ以上ペダンチックになれば重苦しいし、逆にこれよりパンキッシュに走ると引いちゃうし、読み終えてみえればすごく絶妙なバランスだな〜…と感じているところですよ。

お勧め本の紹介ありがとうございます!

>>イドさん

結局イドさんの押しが決め手で買っちゃいましたけど、ご推薦通り楽しめました。ありがとうございます。

>スペル星人が永久欠番の我が国では無理です。

ああ〜そうか、やかましい団体いるしなぁ…
ふと、ダーゲンハムの悲劇的な設定は石森好みのように思いました。

>「分解された男」

Amazonで見てみたら現在重版してて買えるようです。今月は特捜出費があったので折を見て買おうと思います。

それにしてもベスター作品って、訳者は大変だろな〜…と(1作読んだだけでエラソーですが…)つくづく思います。
Posted by 大道寺零 at 2008年10月27日 16:10
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