2008年10月26日

「モンテ・クリスト伯」感想(その6)ダングラール立志伝とロスチャイルド一般書籍

「モンテ・クリスト伯」3悪の一人、ダングラールが銀行家として成功してからの投資内容や成功の過程の一部が、ジェームス・ロスチャイルドといくつか共通しているように感じて、「ある程度モデルにしたのでは?」と思ったのでいろいろ調べてみた。

結論から先に言うと、やはりいくつかビジネス面で似通った部分もあるのだが、公債立てや売り買い・鉄道への投資といったものは、当時成功した投資家は誰もが手掛ける一般的な対象だったのでどっちともいえない…という煮え切らない感じのところなのだが…

[銀行家ダングラールができるまで]

エドモンが陥れられた過程を思えば、確かにダングラールは許すべからざる卑劣漢であり、物語を通じてそれは一貫している。
しかし一方で、彼はエドモン逮捕によって直接的な利益を得ていない。
フェルナンはメルセデスを手に入れ、ヴィルフォールは父がナポレオンに通じているという事実を隠匿し、大出世への足掛かりを得た。
しかるにダングラールが何の得をしたのかといえば、せいぜいエドモンがチラッと匂わせたセコい着服や経理操作がバレないうちにモレル商会からトンズラできたという程度で、彼の財産形成においてエドモンの厄介払いはなにも関与していない。この点において上記の二人とは大きく異なる点がある。
つまり、ことゼニカネについては、ダングラールはしがない船の会計士という裸一貫から、彼の才覚一つでフランス有数の銀行家にのし上がったというわけだ。

本編中の記述や、カドルッスの説明等によってまとめると、エドモン逮捕後のダングラールはこんな変遷をたどったことになる。

[前身:モレル商会所有ファラオン号の会計士]

*1815年:転職
(この年の2/28にエドモン逮捕)

・「年のころ二十五六」(生まれ年1790年前後と推定)
・ナポレオンパリ帰還後、(帰ってくるはずもないのだが)ダンテスの報復を恐れてモレル商会を辞し、モレル氏の紹介でスペインの商人に雇われる。
・「三月の終りに近く、すなわちナポレオンがテュイルリー宮殿に帰って十日乃至十二日の後」に、注文取りとしてその店に勤務する
(カドルッス談話によれば「スペインの銀行家に手代として住み込み」)

・マドリードに行った後消息不明

*1823年:財産の基礎を築く
・スペイン戦争のときにフランス軍の御用の一部を務め、一財産作り上げる
・フェルナンとともにスペイン戦争に出征し、兵站部のほうの仕事(アルベール談)

フェルナンが軍人として、ダングラールが商人としての成功の基礎を獲得した、この作品でいう「スペイン戦争」とは、時期や経過・トロカデロの戦いが言及されていることを考えて、スペイン立憲革命(スペイン第一内戦とも)と考えて差支えないだろう。
この内戦は、スペインの君主フェルディナンド7世に対する革命に対し、同じブルボン朝であるフランスが干渉し、1823年の出兵に至った。同年8月31日の「トロカデロの戦い」で最終的にフランス軍が革命軍を破り、立憲革命は失敗に終わった。

「それまで財産らしきものはなかった」とのことなので、公債を立てたわけではなく、物資や武器の調達に才を見せた(そしてピンハネしたり商人に顔を売った?)ということだろうか。

この後

・土地転がしなどで資産を大いに増やす
・銀行家の娘と結婚するが死別
・王の侍従セルヴィユー氏の娘であり、陸軍大佐ド・ナルゴンヌ氏の未亡人(エルミーヌ)と再婚する
・夫人との間に娘ユージェニーが生まれる

*1829年:爵位を得る

・「自由思想こそ抱いていますが、1829年シャルル十世のために六百万の国債を起こして成功し、王さまから、男爵の位をいただき、レジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエを授けられた」
(40章「午餐会」より)

何か具体的な目的の国債なのかどうかは文中からはわからない。
同時期に関連ありそうな事柄をいくつか挙げてみると

・ギリシャ独立戦争(この時期フランスは正式に介入済み)、アドリアノープル条約で独立が承認される
・翌年のアルジェリア侵略に向けての準備期間(契機となる事件は1827年に起こっている)。この侵略はシャルル10世に対する国内の不満をそらすためのものと言われている。ちなみにマクシミリアンの肩書「アルジェリア大尉」や、アルベールが従軍するのもこのアルジェリア侵略。
・中道であったマルティニャック子爵を首相から解任し、超王党派のポリニャック公(あのポリニャック伯夫人の子)を首相に任命し、専制政治がより先鋭化する。

もし戦争公債だとすれば前者2つのうちいずれかだろうか。どちらにしろ超財政難の時期だったので特に目的が特定されていないものだったのかもしれない。

*1838年:大銀行家

この頃にはフランス有数の銀行家としてブイブイ言わせまくっているのは読者ご存知の通り。

・妻の情夫である秘書官ドブレー経由の情報で、外国公債インサイダー取引で儲けまくり
・特に急成長部門である鉄道事業への投資に熱心
(「リヴールヌ・フィレンツェ間の鉄道計画」や「銀行家仲間と組んで新路線敷設」などの話が登場する)


[ジェームズ・ロスチャイルド](1792〜1868)

富豪ロスチャイルド家の祖として知られるマイヤー・アムシェルの5男。フランクフルトに生まれる。本来の名前は「ヤコブ」であったが後に「ジェームズ」に改名する。

1811年 パリに移住
1814年 パリで「ロスチャイルド兄弟社」を設立(22歳)

1815年 ワーテルローの戦いでナポレオン敗れる
 同 年 第二次パリ条約:フランスへの7億フランの賠償金と領土縮小が決定する
1817年 フランス・ロスチャイルド商会設立
1817〜1818年 フランスの巨額の賠償金の支払いを公債として用立てる。

その後、売却して得た金を投資家の貸し付けに流用しながら、年間50%の利息を稼いだ。(ヘッジファンドの元祖と言われる)
当時の推定資産額3700万フラン

1822年 神聖ローマ皇帝フランツ2世より男爵位を授けられる
1823年 レジオン・ドヌール勲章を授けられる
1824年 姪ベティーと結婚(32歳)
1825年 娘シャルロット生まれる

1845年 北部鉄道設立
パリ―サンジェルマン間、パリ―ヴェルサイユ間の鉄道を完成
結果的に8つの鉄道会社の12の重役となり、「鉄道王」の名をほしいままにする。

当時の急成長産業である鉄道経営に食指を動かしたのは当然ロスチャイルドばかりではなく、ほかの投資家・金融機関も同じことだった。
当時の鉄道投資のシステムやその競争については、↓の記事が詳しく、興味深い。
「ロスチャイルド物語」(第12回)2章 富の拡充 5(1) | (東洋経済オンライン)
(読み込みが遅いのが玉にきずだが、非常に読みやすく面白い記事で、ほかの項目もいろいろ参考にさせていただいた。また晩年については省略した。)

ロスチャイルド一族に関しては、陰謀論もそうでないものも含めていろいろ記事や本があるので詳しくはそちらにまかせることにする。

とりあえずパッと目につく共通点としては

・生年がだいたい同じ(1790年代初頭)
・爵位は男爵
・フランスの公債を立てて大出世、巨額の富を築く
・情報網を駆使して国際的な投機で儲けまくる
・鉄道事業に意欲的に参入
・芸術家肌の娘が一人いる(ジェームズの場合、ほかに4人の息子がいる)

というあたりか。


[シャルロットとユージェニー]

前述したように、ジェームズには4人の息子と1人の娘がいた。
その一人娘シャルロット(1825-1899)のことを調べてみると、(性格的にユージェニーほどのはねっ返りで発展かであったかどうかは別として)これまた芸術家肌の才女であることがわかる。

(左の肖像画はワインに関わったロスチャイルド一族のトリビュートワインのラベルのもの)

ジェームズ邸にはサロンがあり、バルザック・ハイネ・ショパンやドラクロワといった有能な芸術家が集い、経済的な援助を受けていた。そうした環境で育ったシャルロットは芸術的感性に恵まれて育つ。
1932年にパリの社交界にデビューしたショパンは、ベティーに乞われてシャルロットのピアノ教師となり、その音楽的才能を育てた。
奏者としての腕前については調べられなかったが、ピアノに関して単なるお稽古ごとのレベルでなかったのは確かだろう。


(パリのロスチャイルド家のサロンを描いたとされる絵)

シャルロットは1842年(17歳)にイギリスロスチャイルド家の従兄弟・ナサニエルと結婚(ロスチャイルド家はユダヤ系の血を保つために近親者同士で結婚するのがスタンダードだった)し、のちにパリに居を構え、父同様に芸術家たちを大いに庇護し、交友を深めた。
ショパンは彼女に対し、1843年に「バラード第4番 作品52」、1847年には、名曲「ワルツ第7番 嬰ハ短調 作品64-2」(ある程度クラシック好きの方は聞けばすぐ分かるはず)の2曲を献呈している。

特に絵画では、パトローネとして、コレクターとしてだけではなく、自らも絵筆を採って作品をものし、いくつかの作品が展示されたこともあったという。

彼女と交友があった芸術家としては、コロー・ルソー・マネ、音楽家では上掲のショパンのほか、ビゼーやサン・サーンスらがいる。

また、1853年に、今ではボルドー五大シャトーとして知られる「シャトー・ムートン・ロートシルト」を買い上げたのはシャルロットの夫・ナサニエルだった。(ロートシルトは「ロスチャイルド」のフランス語読み)

なお、彼女と同名のシャルロット・ド・ロスチャイルドは、ソプラノ歌手として現在活躍中。


とまあ、おぼろげに「ジェームズとその娘シャルロットのことがデュマの頭の片隅にあった」のなら調べた甲斐があるかなあ、という程度なのだが。

ちなみに、実在の人物や芸術家・事件の名前が多く用いられるこの作品中には、ロスチャイルド家の名前も何度か登場する。

例えば、モンテ・クリスト伯が初めてダングラール家を訪れて無制限貸付の話をつけるシーン(第46章「無制限貸出」)。
初対面の何やら奇妙な貴族に対し、彼の財産や信用を保証するいくつかの材料を示されながらも、その信用能力に大いにいぶかしいものを感じるダングラール。まして大金の用立てとなればなおのことだ。
そこで伯爵は強烈な一発を加える。

「いや、それならそれでかまいません。こういうこともあろうかと、取引にかけては門外漢のわたしですが、用心だけはしておきました。ここに、あなたのところにまいったのと同じ手紙が二通あります。一通は、ウィーンのアレスタイン・ウント・エスコレス商会からロスチャイルド男爵に宛てたもの。他の一通はロンドンのベアリング商会からラフィット氏に宛てたものです。ご承諾いただけるかどうか、一言おっしゃっていただきましょう。ご心配をかけないことにいたしますから。この二つの店のうち、どちらかへ行きさえすればいいのですから。」
勝負はきまった。ダングラールは、みごとにやられてしまっていた。彼は、目に見えて手をふるわせながら、伯爵が指の先につまみながら出して見せた、ウィーンとロンドンからの手紙の封を開け、細心な注意で署名の正否を確かめた。モンテ・クリスト伯にして、すでにダングラールが度を失っていることに気がつかないでいたとしたら、おそらく、侮辱されたとでも思ったろう。
「大したものでございます。この三つの署名は、じつに数百万フランの価値を持っております。」と、ダングラールは、いま自分の前にいる、黄金の威力の権化ともいうべき人を拝もうとするかのように立ちあがった。「銀行に無制限貸出が三つまでも!いや、伯爵、失礼いたしました。決してお疑い申してはおりません。ただ、あまりびっくりいたしましたので。」

つまり、大銀行と深い付き合いのあることを匂わせ、揺るがない信用と財産を持つ人間であることを示しつつ、「イヤならこっちと取引するからいいんだよ、有形無形の利益もそっちに行っちゃうけどね?」とほのめかす場面だ。

ここで登場する「ラフィット氏」も実在の人物で、当時のフランスを代表する銀行家でありブルジョアジーを代表する政治家(七月革命で活躍し、オルレアン公ルイ・フィリップの即位に尽力した。ちにフランス首相になる)の「ジャック・ラフィット」のこと。ちなみに1818年ころの推定総資産額は700万フランと言われている。現在競馬場で知られる「メゾン・ラフィット」の地名にその名を残している。
(注:同革命で活躍したラファイエットとは名前が似ているが別人。また「シャトー・ラフィット」とも関係がない)

posted by 大道寺零(管理人) at 17:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般書籍
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