2008年10月29日

「モンテ・クリスト伯」感想(その8)麝香葡萄の謎一般書籍

71章「パンと塩」では、温室で伯爵とふたりきりになったメルセデスが、そこになっている麝香葡萄を彼に勧め、伯爵が固辞するシーンがある。

夫人は、モンテ・クリスト伯の腕をはなすと、葡萄の蔓のとこへいって、じゃこう葡萄の一房をつみとった。
「ごらんください。」と、夫人は、まぶたに涙が浮かんででもいるような、悲しそうな微笑を見せながら言った。「ごらんください、フランスの葡萄は、もちろんシチリヤやキプロスの葡萄のようにはまいりません。でも、それはフランスの北の太陽のよわさのためと許していただけると思います。」
伯爵は会釈した。そして、一足あとへ引きさがった。
「お受けくださいません?」と、夫人はふるえ声で言った。
「奥さま、」と伯爵は答えた。「失礼はおゆるしねがいます。わたしは、じゃこう葡萄を絶対いただかないことにしていますので。」

(この後、同様に桃をすすめるがやはり固辞される)

「伯爵、」と、夫人はやっとのことで、さも訴えるような眼ざしで伯爵を見つめながら言った。
「アラビヤには、おなじ屋根の下でパンと塩を分け合ったものは永遠の友だちになる、といううれしい習慣がございますわね。」
「それは私も存じております。」と、伯爵が答えた。「でも、ここはフランスで、アラビヤではありません。フランスでは、塩とパンを分けあいもしなければ、永遠の友だちもあり得ません。」

(その後、伯爵=エドモンとすでに悟っているメルセデスと、伯爵の過去話。露骨にメルセデスを暗示する「マルタの女」と別れたいきさつ、その後。)

「そして、あなたは、自分を苦しめたその女(=つまりメルセデスのこと)の方をおゆるしになっておあげでした?」
「女はゆるしてやりました。」
「でも、それは女の方だけ。あなたからその方を引きはなした人たちのことは、いつも憎んでいらっしゃいます?」
夫人は、伯爵の前に立っていた。手には、まだじゃこう葡萄の房の残りを持っていた。
「どうぞ。」と、夫人は言った。
わたしは絶対じゃこう葡萄をたべませんので。」と、モンテ・クリスト伯が言った。まるで二人のあいだに、そんなことは何の問題でもなかったというように。
夫人は、絶望の身ぶりで、葡萄を近くのしげみのなかへほうりこんだ。
「情ごわの方!」と、つぶやくように夫人が言った。
伯爵は、そうした非難が、自分に言われたのではなかったとでもいったように、少しも顔色を変えなかった。

この場面では、もう一度麝香葡萄を断ることが、メルセデスの質問への答えとなっている点が興味深い。
伯爵がメルセデスに対して「お前のことは憎んでいないし許している。しかしフェルナンやダングラールのことは決して許さず、復讐を成し遂げる、昔のエドモンにはもう戻れない」と宣言する内容である以上、この麝香葡萄にはなんらかの「許し」の意味が含まれているように読める。


また、このシーンに限らず、「伯爵が非常に小食である」ことは作中何度も言及されている。
伯爵に漂う「吸血鬼」的イメージの強化でもあろうし、一方で「14年にわたる過酷な獄中生活が彼の胃袋を変えてしまった(しかも何度か餓死を試みてもいる)」とも読める。
中盤に出てきた「一つ屋根の下でパンと塩を食べたら友達に」に絡めて、単に勧められた食物に「過去の遺恨を水に流して友好を結ぶ」意味を込めて固辞していると読むのが自然だとは思う。のだが、「じゃこう葡萄」がわざわざ2度も出てくるところが気になり、「"麝香葡萄"という果物、あるいはそれを食べるという行為に何かメタファーや由来があるのだろうか?」と調べてみたくなった。

「麝香葡萄」とは、これまたなんとも官能的な名前で、よっぽど特別なブドウなのだろうと思いきや、その実態はマスカットである。
果実の香り高さから「麝香=ムスク」になぞらえて名づけられたというのは、「マスクメロン」と同様。

ただし、マスカットには様々な改良種があり、日本で一般的に「マスカット」といえば、黄緑色の大粒葡萄を想起するわけだが、これは正式には「マスカット・オブ・アレキサンドリア」という改良種の一つにすぎない。
で、本来フランスで「マスカット(仏語では「ミュスカ」という発音になるらしい。ワイン好きの方には見慣れた単語だろう)」と呼ばれていた「麝香葡萄」の皮の色はもっと黒に近い青紫で、「麝香」の名の通り芳香がとても強い種類だという。こちらは日本では「ヨーロッパブドウ」と呼ばれているのだとか。

マスカット

↑wikipedia「マスカット」に掲載されていた写真


「マスカット」に関わるメタファー等は特に探せなかった。
で、「麝香葡萄」について考えた場合、「葡萄」にポイントがあるのか「麝香」のほうに意味があるのか、二通りの考え方ができる。

まずは、「葡萄」について。

ベタなところで花言葉を調べてみたのだが、花言葉というのも典拠によってやたらと種類が多く、あまりにバラけすぎていて結局イメージが絞れないのだった。いわく

「陶酔」「好意」「信頼」「思いやり」「親切」「慈善」「酔いと狂気」「人間愛」
とか、一方では
「忘却」


というものもあり、それぞれについて「もう人を信じることはない」とか「恨みは絶対に忘れない」とか、都合のいい解釈は色々できそうなのだけども、いま一つ終息しない。

もう一つは、葡萄のイメージは「葡萄酒」と直結するわけで、キリスト教でポピュラーな「パンと葡萄酒」=「肉と血」に代表される「血」の象徴でもある。

また、スタインベックの「怒りの葡萄」、あるいはイザヤ書第5章に登場するような「神の(恩義を無にする者への)怒り」のメタファーとしての役割もある。
(ただし、伯爵はワインに関しては普通にたしなむのだが…)

もしも葡萄が「神の怒り」「流れる血」の意味合いであれば、「復讐者」である伯爵が葡萄を断るのはむしろ逆のようにも思える。
しかし、キリスト教的な感性の中では、「神の怒り」と「人の怒り」は全く主体の違うものとして扱われる。

例えば、佐木隆三の小説のタイトルで有名になった「復讐するは我にあり」という言葉も、聖書に登場するもので、その言葉を言う主体は人間ではなくあくまで"神"である。

愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。
録(しる)して『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』

(新約聖書:ローマ人への手紙12章-19)

ここでは、「悪をなしたものに対して悪をもって復讐する」ことを否定し、「悪い奴は必ず神が復讐して裁いてくれるのだから神を信じ、人の子はむしろ、悪を成した者にも善をもって征服せよ」として説いている。
これを拒否する=「神に任せずにあくまで自分が裁く」という宣言でもあるように見える。

また興味深いのは、この部分のさらなる引用元である旧約聖書の「申命書」にある表現だ。(なお、この部分の「わたし」=「神」である)

deu32:32 ああ、彼らのぶどうの木は、ソドムのぶどうの木から、ゴモラのぶどう畑からのもの。彼らのぶどうは毒ぶどう、そのふさは苦みがある。

deu32:33 そのぶどう酒は蛇の毒、コブラの恐ろしい毒である。

deu32:34 「これはわたしのもとにたくわえてあり、わたしの倉に閉じ込められているではないか。

deu32:35 復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ。」

引用元:http://homepage3.nifty.com/IUCC/bible/o0532.html

邸と温室の主人であるモルセール伯爵(フェルナン)の悪徳を、今いる場所をソドムやゴモラに、そして麝香葡萄を毒葡萄になぞらえることで揶揄し、またそれに与したり容赦することを毅然と拒否しているようにも読める。


「麝香=ムスク」については、現在でも香水等に類似の香りが用いられており、また今日にあっても「性的魅力を強調し、異性を落とす力がある」という効能とともに語られ続けている(そのせいか、非常に好き嫌いが分かれる香りでもある)通り、常に官能的な文脈で扱われ続けてきた香りである。

アラビアン・ナイトでもよく登場するし、当地の富裕層の婦人は、体臭を消し良い香りを漂わせるために好んで麝香を使った。麝香を詰めた小袋を膣内に挿入することも行われていたという。ストロングスタイルだ…

性的魅力の象徴として、「メルセデスの魅力や嘆願に免じて復讐をやめることはない」とも考えられるだろうか。無理があるかもなあ。

てなわけで、「結局よくわかりませんでした」という話になってしまった。
なんとなく、デュマのことだから何かまた色々典故がありそうかな〜とは思ったのだが…

ともあれこの場面、花や果実の官能的な香りでむせかえる温室の空気や色彩を想像しながら、伯爵とメルセデスのスリリングな会話を楽しめばそれで十分…ではある。

posted by 大道寺零(管理人) at 16:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 一般書籍
この記事へのコメント
亀レスですが・・・

 友人と街中を歩いていた時のことです。赤信号の横断歩道を渡ろうとしたので「危ない」と止めると、彼の返答は「ボストンでは、歩行者は赤信号で渡っても大丈夫なのだ」(この人は留学でボストンに居たことがある)というもの。私は「ここはボストンではないし、私たちはアメリカ人ではありません」と言ったのですが、分かってもらえたかな?暮らしの中の「モンテ・クリスト伯」

 私はムスクを使う度胸のないまま、更年期にいたりましたねぇ。体臭の薄い日本人には向かないんじゃないかとも思っています。メルセデスが別格で。
Posted by ネコトシ at 2008年11月03日 05:46
>>ネコトシさん

A「●●だと**が普通」
B「ここは●●ではないし、私たちは●●人でもない」

という言い回しは互換性高いですね。
「赤信号でも平気で渡る」というと、私には大阪の(一部の)風習というイメージが強かったりするのですが…

>ムスク

私は制汗剤のムスクは一時期好きでしたが、やはり無香に落ち着きました。
本来香水やコロンは、体臭の強い西洋人の元来の体臭とブレンドされた香りを楽しむと聞いたことがあります。たいていの日本人だと「香水の匂いだけ」になってしまいますよねー。
Posted by 大道寺零 at 2008年11月03日 12:31
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