以前のレビューは↓です。
(内容は多く成人向け表現を含みますので、18歳未満の方や、アダルトジャンルを好まない方は、追記以降の閲覧についてご注意ください。身内の方はうっかり読んでしまったとしても、私のブログの前で泣かないでください。)
講への潜入がバレてしまった吾朗に対し、講中全員が妖しい経を唱える。強烈な「蓮華」の幻視にとらわれた吾朗はその場に倒れ、引き続き信者が集団でSEXを行う「二根交会」と呼ばれる儀式が始まった。
先ほどの麗子そっくりの女信者が吾朗の相手となり、彼ら自身も儀式の一部と化す。
妙蓮香への耐性がいくらかついている吾朗は、意識を失ったふりをしながら、儀式の一部始終を見、また謎の信者が麗子かどうかを見極めようとする。
うやうやしく捧げられた「黒いドクロ」の上に、一組の男女が絶頂に達したあと、女性がまたがり、男女の体液が混じり合ったもの、つまりかつて火処美の「培養液」となったのと同じ液体を注ぎ、塗る。この液体は田中講では「和合水」と呼ばれ、男女の組の数だけ和合水が塗られることになる。
「男女が120度儀式を行い、和合水を塗れば、黒いドクロに魂がこもって生身のご本尊が生まれる」「そしてこれが119度目の儀式だから、次の例会でご本尊が誕生する」と大僧正が言う。
吾朗はすきを見て、女信者を連れてその場を脱出する。
体が覚えていた通り、信者はやはり麗子だった。「陣痛」の際に麻酔を打たれ、田中講に連れてこられていたのだ。秘密を知りすぎたため、死か、一生講の信者として生きるかの選択を迫られ、後者を選択しながら、講の内情を探っていたのだという。
ひとまず麗子と別れ、信者をまいてアパートへ帰る。
しかし吾朗が見たのは、冷たく横たわる火処美の死体だった。

この「肌にトーンを貼ることで死体を表現する」のもつのだ先生の漫画によく登場する手法で、のちに榎本俊二氏もえらく多用するものですな。
普通の火葬手続きはできないので、花と共に火処美を段ボール箱に入れて埋めようとする吾朗の元に、謎の運転手が現れ、彼を富士の樹海に案内する。
そこに現れたのは黒影霊子だった。彼女はこの場に漂う霊魂を呼び戻し、火処美を生き返らせる条件に、今後自分に従うように要求する。
霊子の言う復活の儀式とは、先日寺で目撃した「二根交会」と同じものだった。既に119回儀式を行ったドクロに、吾朗と霊子の性交で得た和合水を塗り、120回目に達することで復活を遂げさせるという。
護摩を焚き、例の黒いドクロの中に春画を入れてから霊子と交わる。黒影霊子も田中講の人間と知り、儀式についても半信半疑だが、このチャンスにかけるしかないと割り切る吾朗。
「開き直って考えれば、人気女優の黒影霊子に一発お願いでき…その上火処美が生き返るなら文句のあろうはずがないっ!」
あんたって人は……
儀式は成功し、火処美が蘇る。しかも、一気に12,3歳まで成長していた。
復活後の「食事」として女性信徒の生気を「食べる」のだが、それまで何度も火処美に生気を提供していた信者は死んでしまう。
黒影霊子の正体は、田中講の大幹部だった。しばらく霊子のマンションで火処美と暮らすことになる吾朗。火処美は、今まで何度も吾朗の脳内に浮かんだ春画、春信・湖竜斎・清長について、「彼らの春画のモデルは自分だ」と言い、吾朗を驚かせる。
体が成長した火処美に対してやる気まんまんの吾朗に対し、「吾朗は火処美の父親であり、SEXすることは近親相姦」と告げて釘を刺し、これまで性知識以外何も教育してこなかったことを非難する。
「それより…サカリのついた犬みたいに火処美の尻ばかり追ってないで 少しは男らしく仕事をしたらどうなのっ!?」
ごもっとも!ごもっともです、霊子さん!!
霊子たちは、吾朗を火処美から引き離し、手なずけるために、裏から手を回し、吾朗を大河ドラマのメインライターに大抜擢させる。
こう書いてみると、目論見はどうあれ、「いいから仕事しろよ」と諭したり、ビッグな仕事を与えてくれる敵方なんてそうそういない。けっこうなサービスぶりだ。
吾朗は妙蓮寺に立ち寄り、一人掃除をしている麗子と手持ちの情報を話し合う。
浮世絵春画はそもそも呪術的な側面も持ち、この講の儀式でもドクロの中に入れるなど利用され、関わりが深い。そして江戸時代、多数の男女が睦みあう講の儀式は格好の春画のイメージソースであり、多数の絵師が寺に出入りしていたという。そして彼らは「ご本尊様」と呼ばれる美しい女性を好んでモデルにして描いた。その「生き本尊」の名前こそが「火処美」だという。火処美は江戸時代に生きており、そして転生を繰り返したのではないか、吾朗の性欲をかきたてるために火処美をモデルにした春画のイメージを用いたのではないかと推理する麗子。
そしてさらに、本来なら殺されていたはずの二人が生かされているのは、「例大祭」において重要な役割を与えられているかららしい、と話すのだった。
一方で、火処美に対する吾朗の欲望はおさまるところを知らず、霊子の目を盗んで行為に及ぼうとするのだが、なぜか挿入することができない。
例大祭を前にして火処美は連れ去られ、吾朗は再び火処美に会うために、霊子が促すままに例大祭に参加する。
静岡で行われる「例大祭」こそ、ドクロの儀式をコンプリートし、火処美が「生き本尊」として復活する儀式だった。火処美の「仮親」として紹介される吾朗と麗子。
生き本尊にふさわしい美女を誕生させるため、火処美によく似た麗子を仮の母に選び、卵子を瞬間移動させて吾朗の精子と結合、そこに火処美の霊魂が宿ったのだと説明する大僧正。(つまり吾朗もそれなりにイケメンということなのだろう。また、上巻の話の流れだけを見ると、最初に吾朗が精を放った相手は「例のババア」なので、「火処美の母親はババアなのでは?」とも考えられるのだが、そうではないことがここで明らかになる)
例大祭で仮親が「二根交会」を行ってエクスタシーに達すれば大願は成就し、火処美は肉体的に本当の「女」となり、完全な生き本尊と化すと言う。
そしてこの儀式が終われば用済み、むしろ火処美への執着心から危険な存在でしかない吾朗の運命は、そして彼を慕う火処美との愛の行方はどうなるのか?
これまた衝撃のラストは、ぜひ皆さんご自身で確かめてください。
つのだじろう先生のオカルト・浮世絵への造形とイマジネーションが結実したこの作品。絵の面だけで見ても、めまぐるしく成長する火処美の、特に少女以降の美しさはつのだ漫画でも屈指であり、年に応じた体のラインの描き分けなどもなかなか見事です。
80年代、90年代を経て、たとえば一連のオウム事件やその実態、統一教会、摂理などのカルト教団の知識や情報を得ている私たちですが、それにずっと先駆けてこうしたセックス・カルト集団のビジュアルが強烈に描かれていたということは驚きを隠せません。
また、劇中でインパクトある小物として登場する「立川流の黒いドクロ」ですが、実際の立川流の儀式でも用いられるものとして知られています。
立川流が漫画や小説に登場するのは「蓮華伝説」が最初ではありませんが、このくらい大きな役割とインパクトを持ち、テーマの柱として登場した作品はなかなか例を見ないのではないでしょうか。
この作品では、立川流は主に吾朗の目線からの判断になるので、どうしても「邪悪なセックス教団」という一面的な印象で終わってしまいがちですが、興味のある方はいろいろ調べてみられると面白いでしょう。
京極夏彦の某作品にも立川流が登場し、その中では「淫祠邪教」として見なされがちな立川流に対し、少し弁護的な立場から記述されています。
つまり、現存している史料の多くが、立川流を邪教と断じた側のものであり、本来の立川流側の文献類は焚書処分を受けている。残存資料だけで邪教・淫猥と判断するのは公平性を欠くということです。これは確かに、原史料に近づけば近づくほど、「その資料を残したのはどういう立場のものか」を考えておかなければならない問題です。
また、立川流を隆盛に導いた僧・文観は後醍醐天皇に重用されたのですが、南北朝の抗争の中で最終的に「負け組側」となったため、北朝の正当性の主張の上で批判のダシにされた面も大きいものがあります。
立川流は、決して教祖が都合のいいように教義を考え出したものではなく、れっきとした真言密教の経典のひとつ「理趣経」に根ざしています。
真言密教においては、基本的に「人間は穢れた存在ではない」と肯定する立場に立つのですが、その教義を支えると言われるのが「理趣経」で、特に「十七清浄句」の前半部分は、男女の性愛を肯定するものとして知られています。
1. 妙適
淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
2. 慾箭
淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
3. 觸
淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
4. 愛縛
淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
5. 一切自在主
淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
6. 見
淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
7. 適。
淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
8. 愛
淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
9. 慢
淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
10. 莊嚴
淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
11. 意滋澤
淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
12. 光明
淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
13. 身樂
淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
14. 色
淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
15. 聲
淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
16. 香
淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
17. 味
淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である
また、「女性は往生できない」という立場の宗派があったり、女性が参加できない仏事があったりするのに対し、立川流は男女和合を全肯定し、「女性がいなければ成り立たない」わけですから、女性性を肯定したという側面も見逃せません。
また、立川流で崇拝の対象となる荼枳尼天も、「信仰する人間の性別や階層を選ばず受け入れる」とされたことから、立川流の要素を除外しても、一般女性のみならず、遊女や博徒といった層の人間からも広く信仰されるに至りました。
このように、オカルティックな謎と魅力に溢れつつ、調べれば調べるほど面白い立川流とその教義に取り組み、分かりやすく紹介しつつテーマとしても昇華したこの作品は、背景となったものを知れば知るほどまた面白く読むことができるでしょう。
あの内容を仔細に文章のみで表現するとなると、相当の気力・体力を消耗されたと思います。
本当にお疲れ様でした。シュトーレンはこの労い前渡しと言うことで(笑
いつも借りっぱで本当にすま略。略すあたりに本気が感じられなかったら本当にすまないと思っている…のです(汗);
こんな超名作を読ませていただいた上に美味しいお菓子をいただいて…私は本当に青さんに色々いただきすぎのタカりすぎですよ…
ゴルァされないように、というのももちろんありましたが、やはり全部書いてしまっては面白さが半減してしまうのでできるだけ簡潔にと心掛けましたが、コンパクトにまとめきれない自分の弱点がまたも露呈した感じで恐縮(何に)してます。
しかし本当に吾朗はダメ人間、というか、定期的に繰り出す「人としてどうなんだそれは」という感じのセリフが光りますよなあ。