目を引くタイトルだが、内容的には(はてなブックマーク等で指摘されている通り)「パクリ厨」というより「パクリ認定厨」の方が妥当だろう。
そこそこ興味深く読める内容ではあるのだが、筆者の言う通り
「コンテンツの細部が他の作品と類似しているだけで『パクリ』と糾弾されることを恐れてプロデューサーがビビり、クリエイターを委縮させている」
という状況はいかにも起こっていそうではあるが、それだけに伝聞の形でもソースがないと単なる決めつけで終始し、論理的整合性が弱くなるように感じた。
(同じ文章でも、「筆者が何らかのコンテンツクリエイトの現場にいる人間である」というプロフィールなり一文があって、「日々の体験から実感している」文脈ならば説得力は大きいのだが)
というのは、
そういうこともあってか、プロダクションはこぞって古い作品のリメイクや原作もののコンテンツに走っているのだが、新しいコンテンツが作りづらい分、原作者の力が異常に強大になっているという現状がある。さらには原作者の力が強大になりすぎている結果、漫画を映画にする際も映像としてもっともおもしろいアレンジを加えることが出来なくなり、原作を1ミリのアレンジなしにそのまま映像化することをせまられ原作モノすらも面白くなくなっている。「映画20世紀少年がつまらん」という理由はそこにある。しかしパクリ厨にそれを批判する資格はない。
のくだりが現実に即しているとは感じられないからだ。
筆者の言う通り「原作をおいそれといじれない」ような状況かどうか、ここ2,3年の間に発表された作品を見渡すだけでも、相当の「原作の改悪(いわゆる「原作レイプ」のレベルに至る物も)」や「不評を買った改変」「作品の根幹を平気で引っこ抜く加工」がすぐにいくつも挙げられる事実からすると、映画「20世紀少年」が数少ない例外なのでは?としか思えない
・映画「MW」:主人公の同性愛要素や女装ギミックがオミット
・ドラマ「おせん」:キャラクターイメージとかけはなれたキャストや設定の改変、ドラマ化のいきさつ等のショックで作者が筆を折りかける
・リメイク漫画「リボンの騎士」:ストーリーの最大の魅力である「男装の麗人」どころかどこから見ても女の子にしか見えないキャラクターデザインや作画、お粗末なストーリーに大きな反発が起こり、当初予定されていたアニメ化が流れる
・映画「日本沈没」:沈没しない
・アニメ「火の鳥」太陽編:過去パートと未来パートが有機的に絡み合っていく話のはずが、未来パート丸ごとバッサリオミット。
・映画「隠し砦の三悪人」:千秋実と藤原釜足が演じたコミカルな百姓二人組のうち一人がジャニーズの松本潤に変更されて主人公化、姫とのラブストーリーに。名セリフの使われ方も無残に。
・アニメ「エリア88」:原作の人気キャラをオミットして意味不明のオリジナルキャラを無理矢理はめ込む、登場する戦闘機のギミックが無茶苦茶で明らかに認識不足、ストーリー改悪等の不評が集中した。
などなど。
やや古いところでは、ドラマ化された「漂流教室」あたりもまさに原作レイプの最右翼だろう。
改変で面白いものができる・アレンジしつつも根幹は崩していないならまだしも、ここに挙げたのはおおむね批判の声が高かったもので、これでもまだほんの一部。
とても「原作者に気兼ねしていじれない」状態には見えないのだが…
「原作ものが面白くない」のは、むしろ魅力の根幹に手を入れるような無残な改変、原作本来の尺やリズムに対して番組枠が明らかに短い場合のミスマッチによるシリーズ構成の失敗、安易なキャスティングによる原作イメージの毀損によるところが大きいように感じる。
そもそも「面白い面白くない」は個人の主観によるところ大なので、「原作をアレンジできないから面白くないのだ」と決めつけてしまうのもいかがなものかと思う。
こうした「そうは見えないけど?」という点があるのに対し、筆者は「プロデューサーがビビってるソースはあるのか」という問いに対し、次のエントリ
・「ソースを示せ」と言われても示す必要性がない。 - rebamakiの日記
において「ソースなんか示す気はない、あえて言えばソースは俺」と応えており、お粗末な印象が残った。
匿名だろうが実名だろうが、「感想や推論」と前置きせずかなり断定的な文脈で語る以上、それなりの根拠や自説を裏付ける材料は必要だろうし、そこが弱ければ突っ込まれることもあるのは仕方ないんじゃないかな。
一方で、主に若い世代に多いようなのだが、カバーやオマージュ・くすぐりの類にまで「パクリだトレスだ」と目くじら立てる人種は確かに存在していて、見ていてちょっと何だかなあ、と思うことは確かにある。
プロなのにほとんど明らかにトレスばかりの漫画家や、曲やジャケット・ポスター類がイタダキばかりのH崎A美なんかを見ていると、批判以前に「恥ずかしくならないですか?」と言いたくなるレベルの連中(それをさせる方も含めて)は論外だが、1冊の中のほんの数コマがこの場面のトレースだ反転だと騒ぐ手合いには、確かに「厨」の称号が似つかわしい場合もある…と思う。
まあ、キャラクター名すら違う(仮面ライダークウガが元番組だと五代雄介なのに、ディケイドだと小野寺ユウスケ)んだから、全くの別物として楽しめばそれでいいと思うんですが、「仮面ライダークウガは1991年放送なのに、クウガの世界でiフォンが出てくるのはおかしい」とか言い出す人になると、無理矢理難癖を付けようとしてるとしか思えんです。
すみません、思いっきりここで吹いてしまいました。看板に偽りありまくりですよね、これではw
アレどう考えても日テレの女Pと、その下の女Dがモデルに見えるんだけど、今後どういう展開になるのか見物ですねー。
オダギリジョーはじめ、主演や助演の俳優がもう売れちゃった為にオリジナルキャストでシリーズ通すのはもう無理なんでしょうねえ。単発の映画やスペシャルならまだしも、色々苦心してるのかと思います。
平成ライダーも早いものでもう切れ目なしに10年で、色々な考え方やこだわりをもつ層が色々あって、改変部分についてはやはり納得がいかない人とか荒れる人もいるのでしょうねえ。ある程度矛盾点に目をつぶらないとどうにもならんとは思います。
>>オポオポさん
73年版を何の予備知識もなく見て、本当に沈没しちゃうのに衝撃を受けた身からは「は?沈没しないの?」と話を聞いただけで目が点でした。
まあ、全然沈まないわけじゃないのですが…
>>engさん
「おせん」の今やってる話の展開について、ちょっと前にWebで少し話題になったんですよね。
編集部がそれで腰が引けて作者の描きたいことをセーブさせるような方向にはさせてほしくないと思います。
私自身は、途中から押しつと受け売りの多さが苦手になって「おせん」を読まなくなっていたんですけど、作者のこだわりようとかスタンスは大体分かっているつもりなので、「こりゃショックも受けるわ」と少し同情的になりました。ドラマ見てて「きくち正太がこの企画にOK出すとは?」といぶかしく感じたんですが、色々あったと聞いて納得でした。
この企画自体も、本当は別の原作でやるはずだったのが蒼井優のワガママで変更になったという噂もありましたしなあ。