2009年02月16日

「源氏物語千年紀 Genji」 1話アニメ

1カ月ちょい?遅れで山形でもノイタミナ枠で放送開始(まずは枠の存続を祝いたい)。
「あさきゆめみし」アニメ化というふれこみで始まったこの企画、かなり日程的にも押し迫ってから「あさき」をオミット、出崎独自作品として急遽路線変更…ということで話題と不安を一部に散布したのだが、とりあえずどんなもんかと録画視聴。

「あさき」を蹴ってまで出崎監督が何を描きたかったのか、1話だけではもちろん見えるはずもないのだが、とりあえずは考証のメチャクチャさにちょっと引いてしまった。

アニメ「源氏物語千年紀 Genji」公式サイト

*アバンタイトルからいきなりマッパでセクロスで股間に光るボカシをかけて直立する光源氏にちょっと意表を突かれた
OPの歌と絵(というか作品)がマッチしてないにも程がある。EDはまずまず無難なんだけど。
*スクリーンショットを見て「なんか白くてのっぺりしててキモい」と思った光源氏が、案の定表情の乏しいサン・ジュスト君みたいだった

*桐壺帝が光る君を親王として皇位継承権を与えず、臣下の源姓を賜った理由が、「誰よりも可愛いがゆえに政治闘争に巻き込まれるのを忍びなく思った」とだけあっさり語られているが、高麗人の人相見のお告げはオミットですか…
のちの夢占いとか、明石一家との因縁の伏線になる大事な要素だと思うんだけど…
*藤壺女御と光源氏が一緒に見る絵巻物の中身が鳥獣戯画。どう好意的に見ても1世紀以上早いオーパーツ。なぜわざわざ。
*元服後の光源氏の髪の結い方があまりにも珍妙。江戸時代の茶筅髷みたいなんだが…
*「あさき」に登場した「(光る君が)藤壺に見せるために梅の咲くのを待ちわびる」エピソードが流用され、「早く咲いた枝を取るために無茶して木に登り冷たい池に落ちる」と、なぜかスリル度がアップ。ちなみにどちらも原典にはない話(大和和紀の創作かな?)。「別の物語を作る」というのなら、なぜ「梅の花」という共通した小道具で似たような話にする必要があったんだろう?
*全体的に衣服の色がビビッドすぎて風情に欠ける感じ。かさねの色合わせとか、ちゃんとキャラデザインのスタッフが勉強しているのかちょっとならず不安。

「時代考証や有職故実が厳密でないとダメ」というわけではない(それを言い出せば、「あさき」にしたって「眉剃ってない」だの「なんで頭中将の前髪が天パっぽいのだ」といことになってしまう)のだが、あまりにも時代がかけ離れ過ぎているともうその時点で「あー、ちゃんと時代ものや古典やる気ないのね…」と冷めてしまって物語に入れなくなる。
その変更に必然性やポリシー、ドラマの中で生きる要素があれば別なんだが、源氏物語の時代設定に鳥獣戯画が入る作劇上のメリットっていったいなんだろうか。監督が「実は鳥獣戯画は11世紀に成立していたんだよ説の提唱者」とかいうならまだ無理矢理分からんでもないのだけど。
考証無視は「天地人」の髪型だけでお腹いっぱいだよ!

今後ツッコミ用にとりあえず最後まで見る予定。途中で耐えられなくならなければ。
しかし既にあちこちに出ている感想やレビューをチラ読みすると、2話以降も凄まじいみたいなんだ。

経緯はどうあれ、中途半端に「あさき」の名前やデザインでこれをやられるよりは、スッパリ名前を降ろして(大和和紀サイドやファンには)結果的に良かったのだろう。

話数の関係上当然全編のフォローは無理だろうと思っていたが、やはり「明石」あたりまでということだった。
「源氏物語」の妙は、光源氏が女三宮を柏木に寝取られ、かつて自分が犯した罪の、鏡のような報いを受けるというあたりの展開にあると思うので期待していたのだが、どうしたって11話じゃ無理無理カタツムリだから仕方ないだろうなあ。
この番組等で「源氏物語」に興味を持たれた方は、ダイジェストでもなんでもいいので、読みやすい媒体で「源氏、あるいは少なくとも紫の上が死ぬまで」あたりのところまで眺めてみて欲しい。


「人間を甘く見ている」巨匠・出崎統が"萌え"を斬る!(前編) : 日刊サイゾー

のインタビュー記事の中で、かなり漠然とではあるが、「あさき」の名を降ろした経緯についての談話がある。


【出崎】あれオレがイヤって言ったのでも、なんでもないんだよ。いろいろ意見の相違があって、一度は「じゃあオレ辞めます」って言ったんだから。時間はどんどんなくなっていくし、作業として大変なことになることはわかっていた。2カ月か3カ月関係者で調整してたみたいで、きっと制作ペースが週1(1 週間で1本を作る)になるぞと思っていたら、実際いま週1になっている。週1で絵コンテ描くのはけっこう大変で。

──その時点でもう制作は始まっていたんですよね?

【出崎】もちろん。シナリオは6、7話まで進んでいた。原作の『あさきゆめみし』のいいところを選りすぐって作っているわけだから。いまはあらためて、まったく別個の『源氏物語』として作り直しています。内容がそのままで看板を架け替えたのではなく。

──何が問題だったのでしょうか。

【出崎】要するに、OKをもらっていた脚本とオレの絵コンテの内容がちがっていたんですよ。最終的な映像を作るために、シナリオはある種のロケハンだと、思っているんです。文字で書いてみる。映像にするためには、あらゆる可能性を考えて、7稿も8稿も書く。ホンがそこへの道しるべをある程度つけてくれている。でもシナリオで一所懸命論理を追ってもらって、その論理を越えたところに何かがあるぞとぼくは思ってるから、絵コンテを書くときに結局はシナリオを使わないかたちになってしまう。

──テキストをアニメーションというメディアに変換するときに、変わらずにはいられない。原作を移植するだけなら、それはもう、ただの作業でしかない、ということですね。

【出崎】そう。原作から映像に変わっていくときに「ええ、こんなものができるの?」という驚きがあるのは、すごくいいことだと思うんですよね。それは原作が持っているキャパシティ、すごさだと思うし。深みへ入っていくこと、広げていくこと、それがぼくらの仕事だと思うから。ぼくはそれをマジメにやっただけなんだけど、マジメすぎたのかなぁ。原作がこうだからアニメ的な面白さを捨てて原作通りにします、とは言いたくなかった。

──そこに目を瞑る不誠実はできなかった。

【出崎】できないですよね。そういう作り方は、少なくともぼくはできないから。


出崎監督が言うところの「アニメ的な面白さ」がどう表現されるのか、視聴者に伝わるものになるのか。1話を見た限りでは不安の方がはるかにデカいのだが、まあもうちょっと見てみるつもりでいる。
それにしてもこの談話を見ると、監督に出崎氏を選んだ時点で、結局こうなるべくしてなったんだろうと思わざるを得ない。

肝心の監督の「源氏論」については、なんだか世代論とか、若いモン批判に終始してるような感もあり、こんなに浅くて大丈夫かね?という不安も湧いてくる。
それは後半でも同様なのだが、ただ一点

──いま、違和感をおぼえることはありますか。

【出崎】『CLANNAD』をやっているときに、この子(ヒロイン)なんで死ぬの? って訊いたんです。そうしたら「ゲーム上死なないとね、泣けないんですよ」って答えられた。一見シリアスなんだけどさ、オレから見るとちゃんとした根っこがないんだよね。現象としてそういうのをやれば客は泣く、それがわかっているだけで。だから映画にするときは、どうして死ぬのか、少なくとも心の流れだけはきちんと作っていこう、と。で、その死に対して、ちゃんとそれを感じる人間を登場させようとした。それは当たり前。当たり前のドラマを作っただけなんです。「ここで死なないとゲームとしてマズイんですよね」。それは、視聴率だけよければいいや、というのと似ている。「とりあえず殺せば泣くんだよね」というのは、人間を甘く見ている。甘く見ているし、でもそれで通用する部分があるっていう世の中はなんかヘンだよね。とってもヘンだよね。


この「違和感」に関するくだりだけは大いに共感できる。
よくリメイクものでヒシヒシと感じる、「これやっとけばファンは喜ぶんだろ」的な安易な作劇や演出に、いつも小バカにされているように感じることがある。その源は結局そういう「ナメたスタンス」とか、「パターン」「系」に当てはめるだけで創作物を深めようとする意欲の欠如とかにあるのだろうと、とてもしっくり来るものがあるからだ。
posted by 大道寺零(管理人) at 02:20 | Comment(2) | TrackBack(2) | アニメ
この記事へのコメント
Genjiなかなか見る機会がなくって(寝てしまうのですよ)それでも夕顔の回を一回見たんですが
…あれはあさきゆめみしの世界と違いますねえ。なんか怖いです。
でもうちの職場の書店ではあさきゆめみしのコミック文庫版が絶賛平積み中です。
そのあと流れで(どんな流れだ)CLANNADも見てしまいまして、
なんかその回は妊娠中のヒロインがい雪がひどいから自宅(1Kのアパート)で出産→そのままお亡くなりになるって話でして、数十年前の話ならわかるけど現代なら雪がひどくてもそういうことになれば病院にいくでしょうって思ってなんか納得いかずその後の寝つきが悪かったんです。
まあその話を職場の学生バイトちゃんに話したら「うーんそれがCLANNADなんで…仕方ないですよ」と教えていただきました。
一応そういうもんなのかあって納得しておきましたけど、やっぱりそんなんでいいのかなあっておもっていたんですけど、作ってる人もそう思ってるんですねえ。
Posted by satoyoco at 2009年02月17日 10:33
>>satoyocoさん

「なんか怖い」というのは確かにありますね。1話を見る限り、「あさき」のタイトルが使われなくて結果的にはよかった…というか、マッチするはずがないなこりゃ、と実感しました。

CLANNADは、有名なので名前と「泣きゲージャンルの代表作」と言うことぐらいは知ってますが詳細はよく知らず…
ただ出崎監督の話にあった「泣きゲーなんだからそれなりの主要キャラ殺さないと」という安易な姿勢は(この作品に限らず業界全体に)あるのだろうと思えました。逆に言えば、「誰も殺さずに感涙シナリオを仕立てる」ことができるライターは凄腕と言えるのでしょうね。

ちょっと調べてみると、やはり作品としてそのヒロインは子供に命を譲って死ぬ必然性のようなものはあるみたいですね。
でも確かに、現代日本でその死に方はちょっとどうなのかな…と思ってしまうのは、女の目で見るからなのでしょうか;
Posted by 大道寺零 at 2009年02月17日 17:27
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Excerpt: いやー今日のお昼にTVをつけてみたら「笑っていいとも」にリーダー?? いやリーダーそっくりさんことトルシエ監督さんでした。(笑) なんだか年を重ねても似ているもんですね。
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Tracked: 2009-03-11 16:11

森さん音楽情報【PICASSO】
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