ミロのヴィーナスは知っての通り両腕を欠いた姿となっている。研究者の説では、リンゴや杓を持っていたなどの諸説があるのだが、今日讃えられる同像の美は、腕が欠損しているからこそ、そこに見るものがそれぞれに無限の想像を働かせうるからこそ、人種や時代を問わず普遍的たりえている。「彼女」に腕を復元するなどという案は、ヴィーナス像の芸術性・普遍性を奪い取る行為である。
というもの。
正直高校生にはなかなかピンと来ない文章らしく、けっこう骨の折れる単元ではあるのだが、あらためて本文を読みかえすとやはりなかなかの名文である。
彼女はその両腕を故郷であるギリシャの海か陸のどこか、いわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきたのであった。
いや、もっと的確に言うならば、彼女はその両腕を、自分の美しさのために、無意識的に隠してきたのであった。
よりよく国境を渡ってゆくために、そしてまた、よりよく時代を超えてゆくために。
(本文より)
「腕を付けようなんて思っちゃいけねえ」という論旨に賛同しながらも、やっぱりそれを妄想するのはこの上なく楽しくて面白いことなのだ。
というわけで生まれたこんなスレ。
【画像】ミロのビーナスに腕をつけてみた(ワラノート )
相変わらず"才能の無駄遣い"が炸裂しております。
確かに似てる…ダルビッシュに…