2009年02月24日

天国と地獄(1963年)映画

黒澤明の「現代もの」の中では最も一般的な評価が高い作品。
エド・マクベインの「87分署シリーズ」のひとつ、「キングの身代金」を原作にし、大幅なアレンジを加えている。

最初から最後までピンと意図の張りつめたサスペンス仕立てで、期待通り面白かった。

(以下、いつものようにネタバレを含むレビューですが、この作品の場合、ストーリーを知ってしまうと面白さは半減どころか激減…してしまうと思われるので、これから見る予定の方はご注意ください。)



権藤金吾(三船敏郎)は、大手靴メーカー「ナショナル・シューズ」の重役。美しい妻(香川京子)・一人息子の純(江木俊夫)と共に丘の上に豪邸を構える羽振りの良さと剛腕経営で知られているが、実は少年職工から叩き上げで出世した今でも、「美しく丈夫な靴を作りたい」と理想に燃える男でもある。
同社重役は保守的すぎる現社長を退陣させるため、権藤を仲間に引き入れようとするのだが、粗雑な靴を売らんかな主義で乱造する重役たちのやり方を批判する権藤。
腐りかけている同社を、いい靴を作る良心的な企業に生まれ変わらせるには、自分が大株主になって実権を握るしかない。そう考えた権藤は、家屋敷を抵当に入れて作った5000万円で大阪の株主に交渉し、株を買う算段を付けていた。
(注:この頃は今とはかなり貨幣価値が違うので、今のお金で言えば10倍くらいに換算して考えればいいかな?と思う)
人生最大の賭けの勝機が見えたその時に、「息子を誘拐した」と電話が入る。要求された金額は3000万円。しかも実際に誘拐されたのは権藤の息子・純ではなく、運転手の青木の息子・進一だった。
この手違いは、かえって犯人には好都合となる。
要求を無視することはたやすいが、罪のない使用人の子供を見殺しにしたとなれば、世論は権藤を無慈悲な男と攻撃し、その信用と名声は地に堕ちる。
要求どおりに3000万円を差し出せば、人命は救われるが、権藤は文字通り、仕事も家も、全てを失ってしまう。
これ以上効果的に権藤を苦しめるジレンマはない。

最初、権藤は冷酷に株取引を優先させようとするが、土壇場では逡巡してしまう。
権藤に責任を感じて言葉を押し殺しながらも、ついに助命を嘆願する青木、「人命には変えられない」と無条件にヒューマニズムを優先する妻。
迷った挙句、権藤は3000万円を投げ出す決意を固める。

警察からやってきた特別チームを率いるのは、仲代達矢演じる戸倉警部。捜査や対応を指揮しつつ、犯人が侮れない知能犯であることを感じ取り、手掛かりを集めるための策を巡らせていく。

犯人が指定してきた身代金受け渡し場所は、新幹線こだまの車中。
札の金種を分散させ、ナンバーも非連続のものを指定する念の入れようで、「7cm以下の厚さのカバンで2つになるように入れろ」と細かい内容の支持が入る。
刑事たちが徹夜で紙幣のナンバーを控え、革の鞄には「濡れると悪臭を放つ薬」「燃やすと狼煙のように派手な色の煙を出す薬」を仕込もうとする(当時、盗聴器やGPSといった類のものはまだ存在しなかったし、少なくとも薄いカバンに仕込めるような大きさの発信機もなかったと思われる)。細かい作業だから専門のスタッフを呼ばなければ…と話しているそばから、権藤が道具箱を持ってこさせ、見事な手つきでサッサと仕込み作業をしてしまう。
「昔の靴屋は、カバンも作らされたものでね…小僧時代の修業がこんな形で役に立つとはな!くそっ…本当に最初からやりなおしだな!」
毒づくように言いながらも、その腹をくくった様子に、正直それまで「心の狭いイヤな成金」と見ていた刑事たちの権藤に対する目も変わっていく。

変装をして指定されたこだまに乗り込み、緊張してそれぞれの職務にあたる捜査陣。
乗客の中に子供はおらず、権藤への指示は、外部からこだま内設置の電話室に電話をかける形で行われた。
特急の窓は開かないのだが、洗面所の窓のみ、7cmまで開く。カバンの指定はこのためだった。
命令された場所で進一の姿を確認させ、カバンを洗面所の窓から投げ落とさせる犯人。
3000万円は奪われ、無事進一は解放された。

ここまでが前半で、後半は捜査チームが犯人を突き止めていく展開になる。
戸倉警部の
「これからは手加減はいらん、まっすぐに犯人(ホシ)を追え。あの人のためにも、それこそ犬になっても犯人を追うんだ」
というセリフが前半部をキリッと締めくくる。

前半は「声だけ」の登場だった犯人が、ここでようやく姿を現す。画面から匂いがしてきそうなドブ川、雑然とした街の安そうなアパートに住む青年(山崎努)。特にセリフや説明もないが、事件が掲載された新聞を買いこんだりして、犯人であることは明らかに示される。
捜査本部では、当時できる限りの最高水準であろう科学的な捜査が行われる。電話の逆探知や録音テープの雑音一つ逃さない検証、新幹線から撮影した8ミリと写真を利用した証言集め、車の特定やプロファイリング。当時の科学捜査のレベルや内容がうかがい知れて面白い。
刑事たちもこれでもかと足を使って懸命に捜査に走り回る。一方、責任を感じた青木も必死に進一の記憶を呼び戻させ、絵を書かせたり、可能性のある場所を車で走って風景を見せたりと奔走。
その努力が実って、ついに進一が拉致されていた場所を特定することができた。しかしそこでは、共犯者の夫婦が既に死体となって横たわっていた。高純度のヘロインによる中毒死で、おそらく主犯格の人間が口封じのために殺したものと推察され、部屋にあった身代金の一部は回収された。
唯一残されていたメモの痕跡から、主犯が共犯者に麻薬を提供し、かつ身代金に手を付けるなと釘をさしていたことだけが分かった。

せっかく実を結んだ手がかりも元の木阿弥となり、捜査はふり出しに戻ってしまった…と思われたのだが、倉木はマスコミを利用して主犯に揺さぶりをかける。
共犯者が消されたという事実を明かした上で伏せさせ、代わりに「身代金に用いられた紙幣が流通し、某所で発見された」「カバンが発見された」というウソの記事を書いてくれるように要請した。要は、「共犯者がまだ生きており、金に手を付け始めた」と思わせ、再度共犯者を消しにやってきたところを捕まえるという作戦だった。
世論が圧倒的に権藤氏に同情的なこともあり、マスコミも快諾して、ついでに権藤を追放したナショナルシューズへの叩きも含めて派手に書きたてた。

戸倉の狙いは的中し、犯人はカバンを始末にかかる。
そしてある施設の煙突からは、マゼンダ色の煙が上がる。それこそは、あの時権藤自身がカバンに仕込んだ薬が燃やされた証、犯人を特定するための最大の手掛かり。そして刑事たちが反撃に転じるための「狼煙」そのものだった。

煙の源は、ある病院のゴミ焼却炉だった。進一が思い出して描いた絵のおかげで、容疑者は同病院の研修医・竹内銀次郎と特定できた。この時点で引っ張ることも不可能ではないのだが、戸倉は「ここで逮捕して白状させても、罪状的にはせいぜい15年ぐらいの刑にしかならない。それよりも泳がせて、麻薬の再入手や、共犯者を再度殺しに向かわせてパクり、死刑にまで持っていかなければ」と判断する。(注:当時と現在では誘拐に関する刑法の規定や罪刑が異なります)

ヘロインを再び入手するために動き出す竹内を尾行する刑事たち。このシークエンスで竹内がうろつく怪しげなゴーゴーバーや、ポン中の女たちがたむろするドヤ街の風景が、いかにも「魔窟」という感じで妙な魅力を放っている。
踊りながら麻薬を受け取り、重度のヤク中の女をドヤに連れ込む。高純度ヘロインをその女に注射し、殺傷力を検証するためと気づいたのが一歩遅く、竹内が立ち去った時にはすでに女は中毒死していた。
その後車を拾って共犯者の家に向かったところであえなく御用となる竹内。
身代金は一部が麻薬の買い取りに使われたのみでほとんど手つかずに権藤の元に戻った。しかしその報告に行った時には既に遅く、権藤邸は債権者の手に渡り、差押えの札が貼られている最中だった。飾り時計のチャイムが鳴る。その時計にもまた、差押え札が貼られていた。

数年後、刑務所に赴く戸倉と権藤。
死刑執行を前にした竹内が、教誨師などいらないから最後に権藤にだけ会いたいと言っているのだ。
ナショナルシューズを追われた権藤だが、今はその腕を評価して買ってくれた小さな靴メーカーで意欲的に働く日々だった。
ガラスを隔てて対面する二人。竹内は不敵に微笑み、初めて犯行の動機が語られる。
研修医とはいえ、貧しい暮らしを余儀なくされていた竹内。彼の住む下町からはいつも丘の上の権藤邸が見えた。
「夏は暑くて寝られない、冬は寒くて寝られない…そんな部屋で暮らしているとあんたの家は天国に見えた。そこからなんだか見降ろされているようで、段々憎らしくなったんだ」
「あんたは、俺が死刑を前にして怯えて後悔していると思っているだろう。そうじゃないってことを見せるためにあんたを呼んだんだよ!」
竹内はさんざん権藤を挑発するが、権藤は動じず、恨みごと一つ言おうとはしない。
「君は…そんなに不幸だったのかね。」
一度全てを失ってなお、誇りを失っていない権藤のまっすぐな視線は、悪びれた様子の竹内から次第に余裕を奪っていく。
さまざまな感情が溢れ、死への恐怖と相まって、我知らずガタガタと震え出す竹内。
「あなたは私が、殺されるのが怖くて震えていると思うのでしょう?でも違うんだな!独房に長いこと入っていると誰だってこうなるんだ。これはただの生理現象、生理現象なんだ!」
と必死に自分に言い聞かせながらも平常心を失い、しまいには金網を揺すって奇声をあげて叫び狂う様子に、監吏に連れ出され、二人の間には鉄のシャッターが降ろされる。そして終幕。


見終わった直後は、正直なところ、竹内の犯行動機について「え、それだけ?」と多少肩すかしに感じた。
もっと明確な(それでいて権藤自身は気づいていない)怨恨があるか、もしくは「怪奇大作戦」の「かまいたち」のように、"徹底して理由のない犯行"の方がインパクトと説得力があるような気がしたからだ。
観客には、「権藤が貧乏な裸一貫から叩き上げた苦労人」で、単なるブルジョアでないことは語られているから分かっているのだが、竹内にはそんなことは知る由もない。
彼の動機は、「理屈に合わない逆恨みを、自分で勝手に増幅させていった」だけのもので、まったく権藤とその関係者には災難以外の何物でもないが、しかし考えてみれば「逆恨み」は結局そんなもので、現実に「その程度の理由」でいくつも犯罪が起こっているのだ。

タイトルの「天国と地獄」が、単に「富裕と貧困」「加害者の得意と被害者の苦しみ」というだけでなく、多層的な意味合いを持っているのかもしれない、と徐々に気づかされる。作中でもさまざまな2項について当てはまりそうで、深みのある題名だ。
当時の世代隔壁のようなものも背景にあるのかもしれない、とも思う。
竹内は年齢からすると「戦争を知らない子供たち」とまでは言えないけれど、ともかくも若い。生まれたのは終戦前で、終戦後の混乱や貧困も知らないわけではないだろうがまだ子供であり、その時代を自覚的に生き抜いた権藤とは確実に1世代違う。
当時の戦中派、「本当に苦労を舐めた自覚のある世代」から見ると、終戦前後に生まれた若者たちに対して、「本当の苦労を知らないくせに、やたらと頭でっかちに深刻ぶる連中」というような批判的な見方があって、それが竹内のキャラクター造型の中に加味されているのかな、とも感じた。
竹内の置かれている環境は確かに貧しい。苦学生だったのだろうし、病院でのわずかなシーンでも、彼が医局の中で恵まれた立ち位置ではなく、出世コースには乗れない身であることが覗える。
それでも、とにもかくにも、医大という最高レベルの高等教育を受けることができている。職人の元で小僧から働いてきた若い日の権藤から見れば、竹内のほうがよっぽど「天国」に見えたのではないだろうか。
「君はそれほど不幸だったのか」というのは、権藤の偽らざる気持ちなのだろう。

この映画では、主役は三船敏郎と仲代達矢の二人と言って差し支えないと思うのだけど、とにかく当時の若手が若くて若くて、今の「大御所」となった姿と比べると、言われないと分からないほど。
仲代達矢もそうだが、山崎努がとにかく今とはずいぶんイメージが違っていて、最初から「犯人役は山崎努だよ」と言われないと気付かないレベル。
特に若い方は、「この人がドコモのCMに出てるじいちゃんと同一人物」と言われても信じられないかもしれない。
その若き日の山崎努が、大胆不敵さと、孤独な貧乏に耐えながら勝手にねじくれた微妙な精神状態を併せ持つ複雑な心理の若者を好演している。

戸倉警部役の仲代達矢も文句なしにカッコよく、クールで切れ者な中にも人情と正義感が燃え、時に危険な駆け引きさえやってのける役柄をバッチリとこなしている。これでまだ31歳なのだから本当に底知れない人だ。
「パトレイバー」の後藤隊長のモデルが(この年代の)仲代達矢という説もあるのだが、それはとても頷ける。戸倉警部の活躍を見ていると、後藤さんが「カミソリ」と呼ばれていた頃はこんな警察官だったのでは、とナチュラルに実感できたからだ。
「しかるべき刑を与えるためにあえて泳がせる」という戸倉の決断は非人道的であり(結果的にそのために一人の女が殺されているし)、見る側としては少なからず「引く」ものではあるが、その辺も含めて実に後藤さんな気がする。

戸倉警部の下では、木村功ら「おなじみのメンバー」が捜査員として頑張っているのだが、もっとも印象に残っているのが「ボースン」こと田口刑事部長(石山健二郎)。横浜港がシマであることと、そのいかつい風貌から「ボースン(水夫長)」と呼ばれているのだが、彼がまた、外見と反して人情家で涙もろかったりするのがすごくイイ。演技はあまり上手い方にも思えない(実際NGが多かったとか…)のだが、独特の朴訥とした雰囲気が、張りつめたドラマの中での癒しポイントだったりする。なんかこう、可愛いのですよ。
私はどうも黒澤映画の中で、こういう「いなくても話的には何も支障がないけど、いるだけでドラマが締まったりホッとさせたりする」キャラクターが大好きでたまらないみたいだ(「醜聞」のすみえとか)。
他には、ゴミ焼き場のオッサン役の藤原釜足も、1シーンのみの出番なのだが、「さすが釜足さん!」とうなる存在感だった。

権藤の妻・伶子(香川京子)も印象的だった。
資産家のお嬢様で、苦労を知らずに育った。ゆえに最初から「金よりも人命」と一貫した主張をするのだが、それが「本当の金の重さを知らない」世間知らずから来る甘ったるいヒューマニズムなのは明らかで、貧乏に耐えられるわけがないと言われて「わたし、贅沢なんかちっとも好きじゃありません!」とシレッと言ってしまうあたりに、「根っからのブルジョア」なのがよく分かり、権藤との対比が際立っている。
終盤、いよいよ本当に全財産を失った場面での彼女の表情がもっともインパクトがあった。
腹をくくりきった権藤と対照的に、「財産なんかなくなったって」と豪語はしたけれど、いざ直面してみると絶望に打ちひしがれて一言も喋れない虚脱状態になってしまう伶子。その姿は「ブルジョア育ちの人間が本当に無一文状態に放り出されればこうもなろう」と思わせてこの上なくリアルだと感じた。

また、他の黒澤作品と合わせて見てみると、一つのことが作品によってさまざまな角度から描かれていることに気づく。
例えば、「醜聞」では蛇蝎のごとくいやらしく描いたマスコミは、本作では使いようによってはこの上なく効果的なメディアとして描かれている。
一方「赤ひげ」や「静かなる決闘」で肯定的に描かれた"医師"という職業は、豊富な医学知識と優れた頭脳、薬品の入手が容易な環境から、犯罪を企む側に回るとこの上なく恐ろしいという具合に、全く違った切り口で扱っているのがまた面白い。

列車内のシーンは、JRの運行に割り込む形で「こだま」を実際に1本貸し切って撮影された。内部の様子も色々映っているので、レトロ系の鉄道ファンにはそれだけで見る価値がある映画だろう。
撮り直しは効かず、「万一NGを出したら2000万円が吹っ飛ぶ」という状況の中での撮影だったという。役者陣の張り詰めた空気は、シナリオがそうなっているから、というだけではなく、ロケ自体の緊張感によるものも大きいだろう。
話の上では「権藤の命を賭けた3000万円」をやり取りするのだが、実際にも「それぞれの演技に2000万」がかかっていたのだから…
「洗面所の窓が7cmだけ開く」というのは、実際に調べに調べ抜いてたどりついた糸口だったという。
また、カバンに仕込んだ「濡れると悪臭を放つ薬」「焼くと有色の煙が出る薬」も、大学に何度も問い合わせ・質問をして実在を知ったらしい。

しょっちゅう放送される2時間ドラマのせいで、
「サスペンス」=「どこかに出かけて誰かが死ぬドラマ」
というような安直なイメージが根付いてしまった今日だからこそ、「こういう物語、こういう緊迫感こそが"サスペンス"なんだぜ!」と問いただすにはこれ以上最適な作品はないだろう。







これは本当に完全に余談なのだけど、以前カゼさんのところで「ゲッターチームを実写化するなら俳優は誰がいいか」見たいな話をしたことがあるのだが、若い時の仲代達矢は、20代以降の隼人のイメージに合うかも…と思ったのだった。
posted by 大道寺零(管理人) at 18:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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