思いのほか映ってたなあヒゲ。
けっこうスーツ姿の製作陣が多かったのに、めっちゃ平服なのがさすがヒゲだと思った。
「テレビ(マスコミ)不信が広がっていると思う」に製作サイドで一人だけ「×」と答えたり、けっこうカメラが向いていた気がする。単に見た目のインパクトに目が止まるだけかもしれないが。
もっとも時間がかけられたのが中盤の「現代のTV離れ・マスメディアへの不信感」に関する論議で、これを取り上げる気概は流石NHKといったところだが、視聴者・製作者両サイドから出た談話はともかく、司会進行側の方に気になる部分多数。
番組中では、「携帯やPCが完全に取って代わっているので、TVを見ていない(持っていない)」若い世代の例が映像つきで紹介されたが、全体に「PCや携帯だけに向き合って、コミュニケーションがない歪んだ生活」
のようなムードを過度に演出している画面で、「TVを見ない奴は暗くてコミュ力不全」的なネガティブイメージを植え付けているようなのが、毎度のことながら気になった。
また、「貴方の生活にとって不可欠なのは?」というアンケート結果も発表され、「TV・新聞・ネット」の集票割合が示された。
トータルでは「TV→新聞→ネット」だったが、当然ながら年齢層でだいぶ異なり、30代以下では「ネット→TV→(大差)→新聞」という結果だった。
その結果を説明する時、他の世代は普通に生活したのに、竹内アナは
「このように、若い世代の方たちは、『ネットや携帯がないと死んじゃうー!』という意見が目立って多いのですね」
と言った。
そのアンケートは「自分にとって必要なのは」という題目であって、「これがないと死んだも同じ」というタイトルではないだろう?
何故そんな風に余計なリードを付けてしまうのか。
勝手に「死んじゃうー!」とか付け加えるんじゃないって。そこが嫌われる理由だってことが全然分かってないんだなあ。
そもそも人間関係でも、
「私のどこが嫌いなの?」
「俺の何が悪いんだ!」
と質問してくる輩に返す答えは
「まさにそこが嫌いでダメなところなんだよ!」
しかないと思うのだが、見ていてまさにそんな感じだった。
「TVはこんなに役に立って頑張ってて生活に欠かせない存在なのに、どうして最近は離れたり、嫌ったりする人がいるのかな?かな?」
問題提起する側がこの態度ではちょっとなあ。
そもそも自分を「特別な、不可欠なもの」「なくなったら大変だよ?」「テレビがない家なんて」というように特別視するのがおかしいと思う。
身近な例でラジオと比較して考えてみれば分かりやすいのではないか。
戦前や終戦直後は、ラジオこそが情報と娯楽の花形で、まさに現在におけるテレビのような存在だったけれど、今の日本で
「全然聞かないからラジオ持ってない」
「コンポにラジオ必要ない」
「1週間に1度もラジオ聞いていない」
という人は珍しくないし、そういった話を聞いたところで「ゆゆしきこと」と思う人はまずいないだろう。
けれどもラジオはなくなってはいないし、一定の需要もある。根強いファンも、ハガキやFAX・メール等で番組に参加するリスナーもまだまだ世代を問わず存在する。
コミュニティFMのような新しい形も生まれた。
TVがラジオのお株をある程度奪って台頭していく時期に、現在TVがネットを目の敵にして展開しているような「離れる受信者に対して必死のあがき」をラジオが行ったかどうかは流石に体験していないので知らない。
だが、現在たまに聴く限りは、ラジオのスタンスは完全に「得意分野で棲み分け」に納得し、その上で変わらぬクオリティを送り続けるという穏やかさの上にあり、TVやネットに"対抗"・"敵視"はしていないし、むしろネットとのMIXコンテンツについてはずっと早くから協調路線でやっているように思える(放送内容を一定期間ネットで聞けるようにしたり、収録風景の動画をストリーミング公開したり)。
「音声のみ」というのはネット・PC作業をしながらの「ながら視聴」には相性がいいので、別に対抗する理由もないというのもあるだろう。
また、TVとかぶりながらも、野球・相撲・駅伝の中継などは、画面が見えないという圧倒的なハンデを抱えつつ、アナウンサーのスキルでTVにはない味わいや緊張感を提供してくれる。
加えて、3カ月スパンでバンバン切り替わるTVに対し、びっくりするほど長寿な番組が多く、「この曜日のこの時間には昔と変わらずこの人の声」という言いようのない安心感もある。
とにかく「押しつけがましくなく、でもがんばってるし、支持もされている」ラジオの姿は、「どうして私のことが嫌いなの!」「嫌わないで!TVはなくなっちゃダメなの!」と、自分を過大評価しながら醜くすがってくるテレビと比べると、つつましくも誇り高く、また好感度がある。
後者のような態度は、ともすると
「ん?あーー、よく考えると別にオマエっていなくてもいいわ。バイバイ」
と気付かれて、関係が切られてしまう可能性も高い。
永遠にトップに居続けられるメディアもモノも、多分存在しない。
もっと便利なもの、あるいは同等に有用なものが出てくれば、シェアは奪われるし、取って代わられもするのが当然。
TVにはTVの良さがあるのだから、いいものを作っている自負があるならある程度超然としていればいいじゃないかと思うよ。なくなりはしないでしょ。
さまざまな意見が出されたが、一番コトリと腑に落ちたのは糸井重里の
「今までの日本人があまりにTVにベッタリ依存状態で来すぎた。ようやくそこから"普通""健康体"の状態に移行し始めただけ。」
というコメントだった。
このシンプルにしてズバッと来る言葉選び、流石だなあと思う。
また、コメント主は誰だか忘れてしまったが
「ネットとTVを対立項・敵のようにとらえているのがそもそもおかしい」
という意見にも視聴者側から拍手が沸き起こっていた。これは私もTVの前で思わず拍手した。
一部を除き、製作者サイドにおおむね「まだまだ危機感がないんだな」と思わせる態度が印象に残った。
人気番組のディレクターやプロデューサーだけじゃなく、実際に丸投げや買い叩きで苦しい中で番組を作っている製作プロの人の意見とかも聞きたかったなあ。
とはいえ、これだけ民放スタッフを連れ出して、実際の民放番組名も出しながらこういう企画をやったNHKの姿勢はまあまあ評価されてもいいのかな(ネット連動関連の意見については、オンデマンド事業のアピールの意味合いも大いにあったのだろうけど)。
個人的には、NHKには変に迎合して変わるより、今まで通り少数ニーズを切り捨てないコアな番組(教育番組や舞台芸術・クラシック等の中継)、上質な番組(特にドキュメンタリーやドラマ)を提供し続けてほしい。特に膨大なアーカイブを生かして、過去の名番組をもっと積極的に再放送してほしい。その一方で、「サラリーマンNEO」のような鬼子的な番組と、それを作れるスタッフを大事にしてもらいたい…と願う。
これは元docomoの夏野さんだったかと。
ttp://blog.nicovideo.jp/nicolumn2/2009/03/nhk.html
途中から見てましたけど、やっぱりなんというか業界と視聴者間の温度差はまだまだでかいなーと感じました。まあしばらくはこの差は縮まらないでしょうね…
だって、8年前、現住所へ越してきた時お金無かったから(爆)
冷蔵庫と洗濯乾燥機で手一杯だったんだもーん(^^;)
支払い終わるまで全然不便ぢゃなかったから「あ、テレビって要らないんだ」って、さっさと Mac の方買い換えちゃったもんね(爆)
ラジオは職場でクロス FM がかけっぱなしになってます。
テレビがあるといいかも、って思ったのは「福岡西方沖地震」の時だけだったなぁ
もっとも、テレビだからというよりも、災害時の情報源は多角的な方がいいって事なんですけどね。
そうでしたそうでした、現ニコニコ顧問の夏野さんでした。
彼は相当映ってましたし、興味深い意見も多く発言していたと思います。
>業界と視聴者間の温度差はまだまだでかいなー
一部を除いて、ほんとそうでしたね。
「まあそう言わずに見守って楽しんでくださいよ」みたいなヌルい表情の人(特に今はもうエラくなった人)が目立って、「あーやっぱり伝わってないなあ」「危機感ないな」と思う場面が多かったです。
>>bergkatzeさん
番組でも何人か「引越しを機にテレビを捨てた・見なくなった」という声がありました。引越しや新生活は一つのターニングポイントみたいですね。
テレビに限らず、「これってなくても別に平気なんだ」と気づくきっかけとして最も大きいものなのかも。
私がラジオを聴くのは移動中の車中ですが、災害の時にはやはりテレビと両方使ったりしますね。
野球中継の延長がなかった昔は、TV中継が終わると即ラジオをつけて…というようなこともありました。