2009年04月15日

70年代漫画をめぐる名言漫画

洋泉社がかつて発行していた「映画秘宝」別冊「まんが秘宝」シリーズは、今でも忘れた頃に読み返してしまう、私のバイブルのような本なんである。
奥付の前世紀末の日付を見ると、「これが出てからもう12年以上も経つのか…」と妙にしんみりしてしまう。
ウェイン町山氏やゴリオリバー岩佐氏(秘宝シリーズに思い入れが強い人間はついこっちの方で呼びたくなってしまう)の文章も、今見ると色々な意味で「お若くていらっしゃったなあ…」と思わずにはいられないのだが、どのページもとにかく熱くて濃い。
もともと濃い目の漫画は好きな方だったが、このシリーズを読んでからは、自分がそれまで「濃い」と思っていた漫画のほとんどが、まだまだ「しみったれて何度もお湯を注ぎ足した、水色あるかなきかのお茶」のようだと思い知り、自分にとって更なるディープな漫画世界への扉を開いてくれたシリーズだ。

シリーズ中の一冊・「つっぱりアナーキー王」は、その名の通り70年代のアナーキーでダークでパワフルな漫画をこれでもかと思い入れ溢れすぎる文章で紹介しまくったもの。
紹介記事のみならずインタビューもなかなか読みごたえがある。
尾瀬あきらの超毒舌トークはもはや定番化(このシリーズの尾瀬あきら関連記事を読んで以来、「夏子の酒」をはじめ、どんな作品を見ても「またまたー、尾瀬先生ったら善人ぶっちゃってクスクス」としか思わなくなったのはいいやら悪いやら)、巻末では根本敬が赤塚不二夫漫画を語り、たまげたのは小室孝太郎インタビューだった。「ワースト」の小室孝太郎。そのセレクトが渋すぎる。連載終了のいきさつなども赤裸々に語られていて超貴重。

同書では、「棄景」シリーズなどの廃墟・廃物写真で知られる写真家の丸田祥三氏も執筆メンバーに加わっており、手塚治虫の「MW」を2ページに渡って語っている。
何度読んでも唸らされるのが、その結びの文章だ。


さて、私は最近これら70年代の手塚漫画の話を団塊ジュニアにした。すると彼女は「でも今の『寄生獣』とかもハードだよ」とぬかしおる。殺すぞ!70年代漫画はハードだから面白いのではない。町山・切通両氏に共感して言わしてもらうが、手塚や同世代のサブカルチャー作家(敗戦の夏にガキだった、八月十五日の少年たち)は、原則として、全人類に狂おしいまでの哀惜の念を抱き、それを臆面もなく表現しまくり、また同時に全人類を憎みもしてグチャグチャと殺しまくり、さらにその両方ともがマジに本音だったから面白かったのだ。残酷だったからではない、その内なる孤独さが魅力だったのだ。

(「つっぱりアナーキー王」25Pより。太字表記は本文に即した。赤字部分は私の判断による強調です。)


この部分、何度読んでもホントに名文だなあと、そのたびに膝を打たされる思いになる。
と同時に、70年代漫画に限らず、手塚漫画(まあ70年代以降ということになりそうな気はする)全体にも言えることなのかもしれない…と、最近思うようになった。

NHK・BSで「週刊手塚治虫(BS20周年)」が始まったりと、今年も色々クローズアップされる手塚治虫…なのだが、特に「火の鳥」の話なんかになると、妙に神格化されるというか、「人類愛の人」みたいな感じに、人格まるっと美化されて取り扱われるのがどうも座りが悪い。
戦後ストーリー漫画史に於いて「漫画の神様」であったことは揺るぎのない事実だが、ともすると「人間的にも神様仏様だった」とされるのも違うだろうと。
それは「音楽の母」と呼ばれるからといってヘンデルを女だと言っちゃうくらいに安直じゃないかと。
「火の鳥は慈愛の象徴」「作品全体に人間を包み込むような愛情と暖かさを感じますー」とか、フワフワうっとりした顔で言う出演者を見ていると、「正気か?本当にちゃんと読んでそれ言ってるか??」と突っ込みたくなることしばしば。

1970年代のダークな作品群(「ザ・クレーター」とか「アラバスター」とか)については、「虫プロ倒産による憔悴や人間不信が原因」と語られることが多く、それも確かにあるのだろうけども、時に「経済的な危機による一時的な症状」のように言われるとなんだかなあ、と思う。
それ以前の作品においても、しっかりと「人間嫌い」というか、「処置なしレベルの人間の愚かさ」への視点はしっかりと描かれているからだ。
「火の鳥」においても、各編の主人公たちは人間の欺瞞や欲望に翻弄されて、たいがいロクな目に遭わない。
火の鳥は火の鳥で、各編突き合わせてその言動を比較すると、考えれば考えるほど「人類に結局何をさせたいのかわからん」と考察が袋小路に陥ることも珍しくない。要所要所でキャラクターに助け船を出すことがあっても、最終的な生死については深く関わらない(関われない)。時に死神のようですらあり、宗教学的な地母神(人類に対して時に酷な仕打ちも下し、必ずしも理性的とも限らない)に似ているのだろうか、と思えることもある。
はっきりしているのは、常に人類を「試している」ということだ。その試練によってかえって人間の醜さ愚かさが浮き彫りになり、結果に嘆息することはあっても、「よき方向に導く」ということはしない。あるいはできない。そういう存在。
そんな「火の鳥」を読んで、「すばらしい愛にあふれた人間賛歌です!」とか言えちゃう人間は信用できない。というか文盲なんじゃないかアンタと真剣に心配になるレベル。

手塚治虫は、物語の展開や起承転結のツールとして「人間の醜さ」を使っているだけではない。本気で人間が嫌いなんだな(そしてアンドロギュノス的なフリークスが大好きなんだな)、と、作品数を読んでいくうちに自然に思うようになっていた。絵やネームの底からビンビン伝わってくるのだからしかたがない。

ただ、確かに「それだけではない」と思った。
「人間が本気で嫌い」なのは確かなのだが、それ一本だけではやはりあの作品群は生まれない。
一方ではやはり、「人間には情愛や良心もあるのだ」と思っていなければ、人間に対して捨てきれない思いが残っていなければ、「ブラックジャック「や「火の鳥」、その他ほとんどの手塚作品は成立しない。

結局は「そんな風にグチャグチャしているから手塚作品が好きなんだ」というところに自分の手塚観が落ち着いたのだが、上手く言語化できないでいた。
そこで丸田氏の文章でストン、と腹に収まった。
そうだ、どっちも本気なんだ、だから手塚漫画なんだ、と。

「手塚治虫の根っこは人間嫌い」というフレーズは、80年代〜90年代にマンガ読みの間で結構浸透した感があり(石森章太郎も同様の発言をしている)、今はそれに反動するように、「手塚治虫は人間嫌いなんかじゃない、人間嫌いにこんな作品は作れない」という意見が再び目立つようになった感がある。
それはそれでなんだか浅いんじゃないかと私には思える。
繰り返すがやっぱり、
「本気で人間嫌い、でも人間に見捨てきれないものを見いだしているのも本気」
というのが私の手塚治虫観であり、これってけっこう手塚漫画を読む上で「(読み違わないという意味で)無難」な姿勢じゃないかとも感じたりしている。

いずれにしろ、色々なメディアでまな板に上がるのは結構なこと(貴重な映像や談話も聞けたりするし)なのだが、あまり神格化された先入観を植え付けないでほしい。あとNHKは何年か前に作ったダメアニメシリーズの「火の鳥」をこれ以上再放送しないでほしい(今ハイビジョンの方でやってるけど…)。あれを見て、原作を読んでない人に「ふーん、火の鳥ってこういう話なんだー」と思われるのは、はっきり言って風評被害レベル。

丸田氏は他にも、同書の中で切通理作氏と「ドーベルマン刑事」について対談しているのだが、これがまた面白いのなんの。ある意味本編より面白いかもしれない…

このエントリでは、私の思いが手塚方面に突き進んでしまったのだが、あくまで原文では「70年代の、しかもアナーキーな作品群に関して」述べた文章。なので、他にも色々な傑作について当てはめて考えてみると本当に興味深い。
勿論、作家・作品によっては「本気で、心の底から、てめーら死んじまえとしか考えてない」ものもあり、やっぱりだからこそ70年代漫画は面白い!んである。
posted by 大道寺零(管理人) at 16:24 | Comment(7) | TrackBack(0) | 漫画
この記事へのコメント
まんが秘宝シリーズは3冊で終わっちゃったのが実に惜しかった。

個人的に一番受けたのはギレン・ザビの演説を見てテレビを鉄拳粉砕するアムロ・レイでしたが。
Posted by SINOBU at 2009年04月16日 02:39
大道寺さんこんにちは。
正に痒い所に手が届いた!ような手塚評、ありがとうございます。私も、テレビなどでヒューマニスト、人間愛にあふれた…みたいなコメントばかりなのを聞くと、それだけじゃないぞ!あんたらちゃんと理解してる?つか本当に読んでる?とツッコミたくなります。「手塚漫画を読んで鬱になった、好きになれない」という人の方が、ちゃんと読んでるな、そういう面確かにあるなって気がします。
手塚先生の「人間嫌い」って、探すと随所に見られますよね。アトムも「もう人間がイヤになった!」とロボットだけの国をつくろうとするし。「人間は進みすぎた科学のせいで自らを滅ぼすのでは?」というのは「メトロポリス」でしたっけ?まだ経済成長只中の、誰もそんなニヒルなこと考えてなかった時代に、驚いたものです。
やっぱり、戦争という人と人が殺しあう、しかも人類の英知、科学を結集させて傷つけあうという地獄を見た人って、拭いがたい「人間への失望、諦め」があるのかもしれません。そういう人の主張って、趣味的、遊戯的にハードな内容にしてみましたっていう作品にはない説得力がありますよね。
ただ…70〜80年代頃の、規制の緩かった時代だからこそ表現可能だったという気もします。今の表現者さん達は、いろんな枠にはめられ枷をつけられ、ある意味可哀想と思うことも。
Posted by トミー at 2009年04月16日 16:59
>>SINOBUさん

>まんが秘宝シリーズは3冊で終わっちゃったのが実に惜しかった。

まったくです。予告にあった「トラウマ漫画大行進」の号がいつか出るものと、数年間本屋に行く度にチェックし続けたのは私だけではないはず。
まんが秘宝が出た後に、まさかあれだけの旧作が復刊されたのを見ると、十二分にその役目を果たしたとも言えそうですが…

>ギレン・ザビの演説を見てテレビを鉄拳粉砕するアムロ・レイ

後年出たコンビニ版にはあのシーンがなぜか入っておらずにガッカリでした。
作品の知名度(もっとも本放送時にはイマイチどころかさっぱりだったようですが)を考え合わせると、コミカライズ史上1・2を争う飛距離だったと思います。

>>トミーさん

>テレビなどでヒューマニスト、人間愛にあふれた…みたいなコメントばかりなのを聞くと、それだけじゃないぞ!あんたらちゃんと理解してる?つか本当に読んでる?とツッコミたくなります。「手塚漫画を読んで鬱になった、好きになれない」という人の方が、ちゃんと読んでるな

そうそう、まさにそれなんですよー!感覚が共有できる方がいらっしゃるのは本当に嬉しい。
さらに「実はけっこう変態」という人は、さらに「そうだよね!」とガッチリ握手したくなります。

おっしゃる通り、アトムやメトロポリス、その他の作品にもしっかりと「人間の救いようのない愚かさ」が描かれていますよね。
無力ゆえに純粋な子供時代に、同じ人間の手によって戦争という最大のジェノサイドが行われていたさまを目の当たりにした、それもなすすべもなく見ているだけしかできなかった経験というのは、やはり無視できないのだろうな、と思います。勿論それだけではないのでしょうけども。

>70〜80年代頃の、規制の緩かった時代だからこそ表現可能だったという気もします。今の表現者さん達は、いろんな枠にはめられ枷をつけられ、ある意味可哀想と思うことも。

70年代初頭の、「悪書追放運動」との戦いに疲れた結果が、80年代後半から始まった「自主規制」の波なのかと思うこともあります。
今が一番窮屈だというのは本当に思いますね。
BSの「週刊手塚治虫」で、先週と今週、白黒アトム(青騎士の巻)を放送するのですが、初期アニメのアトムやロボットたちはおおむね指が4本なんですよね。
これはディズニーが、ミッキーマウスなどのキャラクターの指を4本に描いたことにならったデザイン(絵を動かすと残像が生じるため、5本指を描くと6本指に見えてしまうので、1本減らして描いたというのが理由)だそうです。後期のアニメでは5本に変えています。
ロボットですから指を何本にしようと支障はないわけですが、現在のアニメ界では「4本指に描く」ことが大きなタブーとされています。
それどころか、指を一本かくして、数などを現すために4本示す動作や、角度によって(親指が当然見えないアングルなど)指を4本だけ描くのが妥当な場面でも、無理矢理5本指にさせられるというようなことが横行しています。ひどい時には、勝手に原稿に指を書き足されることすらあるとか。
これは同和問題に関わる「自主規制」という説が一般的のようです。
(よろしかったら
http://zerodama.seesaa.net/article/24771034.html
をご参照ください)
そんな「アトムの指の数」という事象を一つとっても、本当に表現的に窮屈なご時世だと思わざるを得ません。
Posted by 大道寺零 at 2009年04月17日 01:49
>後年出たコンビニ版にはあのシーンがなぜか入っておらずにガッカリでした。

ガンダム関係のムックで作者のインタビューが載ってたんですが、「あのままだとカッコ悪いから」と、自分から申し出て描き直したそうです。余計なことをしたもんだと思うんですが、クリエイターとしてはあのまま再版するのは我慢できなかったのでしょうな。

ちなみに、連載当時はテレビを持ってなかったので、実際の番組を見ないで少ない資料だけを渡されて描いてたそうな。

>手塚先生
どこの雑誌で見かけたのか覚えてないんですが、成人漫画が問題になったときに、どっかの新聞のコラムが「漫画の神様手塚治虫も墓の中で嘆いていることだろう」と書いて、「自分とこの新聞が手塚治虫を俗悪漫画家とパッシングしていたのを忘れたのか!」と激怒してる漫画評論家を見た覚えが……

Posted by SINOBU at 2009年04月17日 18:22
しつこくレスレス失礼します。
http://zerodama.seesaa.net/article/24771034.html
難しい言葉が多くて、いろいろ調べて勉強になりましたよ。まつろわぬ(服従しない)とか、散所とか…
しかし、何ですかこれ。ここまでいくとナンセンス!「四つ」という言葉に、一部差別的な意味があるからと言って、他の、差別とは無関係の意味で用いる時にも問題視するなんて…言葉尻をとらえて、意味内容を斟酌していないとしか思えません。こんなにまで先回りして自主規制してたら、成り立たない作品世界っていっぱいあるのでは。正に言葉狩りですよ。うっかり使うと、被差別部落の人が傷つくんでしょうか?それとも責任とらされちゃった893さん?ああわからない。
誰かを侮辱したり不快な思いをさせない為でなく、自己保身、君子危うきに近寄らずで自主規制かけるのは有害無益としか思えません。誰が得をするんですか、こんなこと。「表現の自由」はどこへ?
こんな重箱の隅つつきより、「生殖能力を失っても女が生きているのはムダ」という某都知事発言とか、「女は産む機械」発言とかそういうの厳しく取り締まってほしいなあ。女性のみならず、無精子症の男性とか、侮辱し傷つける明白な差別発言でしょうに。

>変態
手塚漫画の変態さんは、感情移入しやすいっていうか、こんな異常な成り行きと状況下では、変態さんになっちゃっても無理ないな〜と同情の余地がある(むしろ人間らしい)ので好きです。昨今の「理由なき変態」にはついていけません。今年公開の映画MWはホモセクシュアルの要素はないようでがっかりです。何の為の玉木宏、何の為の山田孝之?
Posted by トミー at 2009年04月18日 03:48
また、大道寺さんに教えていただきました!ありがとうございます。あの「ワースト」の作者にこんな運命が待っていたとは。才能ある作家に、まさにワーストな環境だったんですねぇ(怒)
 昭和30年代生まれの私は、1970年前後の、何とも濃厚なマンガ群をリアルタイムで読んで育ちました。今で言うところのトラウマになった作品も多いですが、手塚マンガは一際凄かったですわい。「火の鳥」は、残酷なヤツだと思います、今でも。たまに、主人公を助けてくれることもあるけど、たまにですから。
 人間に対する愛と憎悪が渦巻く作品群、「黒手塚」な作品群をNHKで語ってほしいところです。鳥人大系、とかね。この作品には「ローデシアより」という、単行本には入れられなかった回がありましたが(人種問題が出てくるからでしょう)私はたまたま雑誌で読んでいました。人類全部が鳥類に駆逐されちまうんだから、この回は「この作品の中の歴史」として入れといてほしいんですが、規制にあっているんですね。
 私は寡聞にして「まんが秘宝シリーズ」を読んでいません。惜しいことをしました。御教えに感謝です♪
Posted by ネコトシ at 2009年04月18日 18:15
>>SINOBUさん

>「あのままだとカッコ悪いから」と、自分から申し出て描き直したそうです。

えーーそんなぁぁ。
あのコンビニ版買った人の過半数は絶対、あの「テレビパンチシーン」を求めて買ったはずなのに…
アムロを見つめるブライトの頼もしそうな(絶対あり得ない)顔もなんともいえないページですよね。
当時はやはり、相当限られた資料しか渡されないままに描かざるを得ない状況もあったそうです。
そうかぁ、TVなかったかあ…そりゃまあ、見てたらああは描けないですよね…

>どっかの新聞のコラムが「漫画の神様手塚治虫も墓の中で嘆いていることだろう」と書いて、「自分とこの新聞が手塚治虫を俗悪漫画家とパッシングしていたのを忘れたのか!」と激怒してる漫画評論家を見た覚えが……

のど元過ぎればお前が言うな的なことを平気で言っちゃう、昔のことは都合よく忘れてしまう体質が既に見えてますよねえ。新聞としてはやはりお財布を握っている主婦・母親にはおもねっておきたかったところでしょうか。
悪書追放運動のやり玉には、当時の新聞紙上で使っていた風刺漫画家やファミリー4コマ漫画家(長谷川町子など)は入っておらず、「読んでも大丈夫な"いい漫画"」の部類でしたからね。

>>トミーさん

ご紹介したエントリは、その少し前に書いた「アシュラ」から繋がっているものなので、単独だと色々読みづらい部分や分かりづらい語句があったと思います。ごめんなさい。
「四本指タブー」は、諸説ありますが、私は四本足(動物の皮なめしや畜肉処理に関わっていた被差別部落への差別)説が一番根っこなのかなと思ってます。
ちなみに「屠殺」というような、畜肉処理を現す言葉のいくつかも、IMEなどで変換できないように細工されているのですよ。
調べてみると、それだけ「彼ら」がアンタッチャブルな存在であり、「弱者や差別の歴史を振りかざす圧力集団」であることが色々と分かってきます。

しかしながら、日本の表現規制はまだ実はぬるいほうで、アメリカでは、キャラクターが明らかに成人なのに「飲酒シーンや喫煙シーンはよろしくない」ということで、日本から輸出したアニメも、シーンがカットされたり、別のものに塗りつぶされたりしているのだそうです。これだけは流れ込んでほしくないものです。
またも自エントリ紹介で恐縮ですが、過去色々書いてみたものがあるのでよろしかったらご覧ください。
http://zerodama.seesaa.net/article/95009212.html

>>ネコトシさん

>ワーストの小室孝太郎

8Pに渡るロングインタビューで、なかなか読みごたえがあるものでした。
話によると、「ワースト」の後の作品「アウターレック」も人気があったのだけど、「マジンガーZ」とジャンルとして競合する・「SFは雑誌に2ついらない」と言われたり、読者人気がさほどではなかった「侍ジャイアンツ」に政治的に負けて、ページを減らすために切られた、その後専属制のことでもめてジャンプを出た(そのため単行本も増版されなかった)というようなことが書いてありました。
私は当時連続してジャンプを読んでいなかったので、作品の記憶はほとんどないのですが、ジャンプ編集部も惜しいことをしたもんだと思いますね。色々時の運とか縁みたいなものもあったのでしょうけど。

>たまに、主人公を助けてくれることもあるけど、たまにですから。

「火の鳥」の場合、その場で助けられたことで最終的により一層ひどい目にあうパターンも少なくないんですよねーw

手塚作品は、規制等に加えて、ご自身がとにかく原稿を惜しげもなく切った貼った&リテイクしまくってしまう方なので、「原型」をとどめる以前に底本の設定自体が難しかったりしますよねー。

まんが秘宝シリーズ、古本屋等で変なプレミアなしで出ていたら是非手に取ってみてください。ネコトシさんにはきっと、相当楽しい本だと思います。
Posted by 大道寺零 at 2009年04月18日 22:12
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