2009年05月25日

吉野弘のものすごさ一般書籍

数週間前、某所で引用しようと思い、久しぶりに吉野弘詩集を読んでいた。
私たちの結婚式の時、相方の母方の親戚の方たちが、有名な「祝婚歌」を朗読してくれたのが心に残っているなぁ…と思いつつ反芻していたところ、その中の一人だった伯父君の急な訃報が飛びこんできて、二重の意味で驚いた。

「祝婚歌」は、「多くの人に愛謡してもらい、民謡のような詩になってほしい」という吉野氏の懐の深い意図から著作権が放棄され、引用もフリーということなので、超有名でご存知の方も多いことだろうけども、せっかくなので以下に引用してみる。



『祝婚歌』 吉野弘


二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい


この詩は、姪の結婚式に贈る形で作られた(吉野氏自身は所用のため出席できないので、せめてものお祝いにと詩を書いたらしい)という。
「祝婚歌」の凄いところは、結婚を迎えるカップルだけでなく、付き合いの長い夫婦、未来を信じて疑わない恋人、家族、友人と、あらゆる人間の深く、それでいて決して仰々しくない心のつながりについて互換性を持つ内容だということではないだろうか。
それは「今そうである」場合だけでなく、「かつてそうであった」人へまでも想いを馳せさせる力を持っている。
だから結婚式とかその他のきっかけでこの詩を聞いた・読んだ時に、老若男女を問わず、少なからず胸をギュッと掴まれ、その後でじんわりとこみあげてくるものがあるのかもしれない。

吉野弘氏の詩としては、よく中学校の教科書で取り上げられる「I was born」や「夕焼け」が有名で、そこで名前を知る人が圧倒的に多いだろう。
まとまった詩集を読んだのは中学生の時だったが、その時は「読みやすくてまあまあじんわりする詩を書く人」という程度の印象だった。成人してから文庫版の詩集を買い、そのとんでもない良さに、数年ごとに思い出したように読み返すごとに、ようやく気付くようになった。
今はただ、凄いと思う。
一見別に凄みを感じさせないところが凄い。
この人の詩は、小学生高学年にもなれば苦も無く読めてしまうだろう。
とにかく言葉が平易、およそ「詩人ですから」と構えたところ(たとえば、あまり難解な言葉を用いない谷川俊太郎の世界には通底して存在するような)が全然ない。

それでいて、言葉や文字をネタにすれば誰も発想しないような作品をバシバシ繰り出してくる。

例:「漢字喜憂曲」の一部

母は
舟の一族だろうか。
こころもち傾いているのは
どんな荷物を
積みすぎているせいか。

幸いの中の人知れぬ辛さ
そして時に
辛さを忘れてもいる幸い。
何が満たされて幸いになり
何が足らなくて辛いのか。


誰よりも言葉の一つ一つに関してコンシャスなのだろうと思う。
誰でも使うような日常的な言葉ばかりで構成された詩が、切り込んでくるような鋭さを表には見せずに、気がつけば胸の中に音もなく、深くまで入り込んでいるあの感覚。これは本当に凄い。

…と思ってあとがきを読んでいたら、清水哲男氏が私の考えていることズバリを書いてくれていた。

読者の中で、詩を書きはじめてまだ日の浅い人は、さほど吉野さんの詩に関しない人もいるだろう。きっと、いるはずである。その理由は、平易な言葉使いや誰でもが経験のある(あるいは経験可能な)普通の体験から書かれているからであって、大抵の初心者が、詩はもっと現実離れを目指したジャンルだと思っているところから来ている誤解から、そう思いがちなのである。
「こういう詩だったら、私にもすぐに書けそうだ」
そんな感想を読者に抱かせる詩人こそが、実はまことにもってどうにも動かしようもない完璧な詩人である
ことを、そういう人たちには早く分かってほしいと思う。吉野さんの詩の良さがわかるかどうかは、自らの作品の書き方や言葉の使いぶりや、あるいはまた人生観や社会観がどうであれ、その人のいわば、「詩人度」を計測する物差しだと言っても過言ではない。私は、いつもそう考えてきた。


なかなかこんなに全面的に賛同できるあとがきもそうそうない、と思った。

吉野弘氏の代表的な詩は、以下のサイトで本人許可のもと公開されているようだ。
http://smile222.cool.ne.jp/f-sub1-7.html
posted by 大道寺零(管理人) at 00:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般書籍
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