集英社文庫のこのシリーズねえ…
荒木の「伊豆の踊子」あたりはギャップが凄過ぎて逆に感心したのだけど、全体に「表紙で期待して読んだらガッカリ」指数が多いのじゃないかと。
新潮・角川あたりにどうしても後れを取ってる感じのレーベルだから、独自色を出して頑張ろうとしてるのだろうけども。
それにしてもこの「地獄変」の表紙はちょっとあまりにも「ないわー」と思うのだけども…いくらなんでもかけ離れ過ぎでは?
だって「地獄変」に登場する吉秀は
あの時の事がございました時には、彼是もう五十の阪(さか)に、手がとゞいて居りましたらうか。見た所は唯、背の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の悪さうな老人でございました。それが大殿様の御邸へ参ります時には、よく丁字染(ちやうじぞめ)の狩衣(かりぎぬ)に揉烏帽子(もみゑぼし)をかけて居りましたが、人がらは至つて卑しい方で、何故か年よりらしくもなく、唇の目立つて赤いのが、その上に又気味の悪い、如何にも獣めいた心もちを起させたものでございます。中にはあれは画筆を舐(な)めるので紅がつくのだなどゝ申した人も居りましたが、どう云ふものでございませうか。尤もそれより口の悪い誰彼は、良秀の立居(たちゐ)振舞(ふるまひ)が猿のやうだとか申しまして、猿秀と云ふ諢名(あだな)までつけた事がございました。
ですよ??
その年老いた、貧相で卑しげな容貌の男が、クライマックスで狂気の業に身も心も任せつつ
何故か人間とは思はれない、夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳(おごそか)さ
を見せるからこの話はイイのであって、表紙の若いイケメンはどこのどなた様ですか?
それ以前に、一回でも本文読みました?という感じなんだけども…
(本文の引用は「青空文庫」のテキストより)
去年、このシリーズのカバーが間に合わなくって全種類×15冊のカバーを掛け替える作業をしたことを思い出しますよ。
「さあ、集○社文庫のカバーを掛け替える作業に戻るんだ」って感じ
でもシンプル無地な新潮文庫のほうが売れたような記憶が…
改版時、文庫化の時とか出版社の都合で、絵師が代わったり、あるいはそれまで挿絵のなかったシリーズに絵が入るようになったりすると、
「えー……●●はこんなんじゃない……」
とガッカリすることが往々にしてありますよねえ。とても…よく分かります。
ましてそのギャップが大きかったりすると…
基本的にはSFやミステリ系は特に、挿絵やキャラ絵はなくてもいい派です。
>>satoyocoさん
夏は課題図書あり、感想文を当て込んだ文庫フェアありで、本屋さんは大忙しですよね。
そうか、去年は掛け替えの突貫作業を余儀なくされたんですね。お疲れ様です…
>でもシンプル無地な新潮文庫のほうが売れたような記憶が…
特に自分から文学作品を読もうとするタイプの人は、「こういう表紙にしないと手に取らないタイプの人と一緒に思われたくない」という気持ちが働くのかもしれないですね。
イラストレーターや漫画家を使うにしても、雰囲気とかコンセプトとかマッチングが肝要だと思うのです。
山田風太郎+天野嘉孝のコラボは良かったなあ…
これの「地球の緑の丘」からたどり着いた先は、難波弘之でしたねえ。
そりゃ本も売れなきゃ困るけど、いっそカバーの表裏で絵柄が違うとかにすればええのに(^^;)
外は無地にしといて中は闇鍋状態で、どれが当たるかお楽しみ……にはならんか(爆)
ありましたねえ、松本零士イラストの表紙カバー…
石森章太郎のカバーに惹かれて「デューン」シリーズをジャケ買いし、その重い内容に驚いた小学生のころを思い出しました。
ランダムカバー…それはそれで楽しい&コレクターが複数買ってくれそうでもありますが、「これじゃヤだから交換して」みたいな困った客も出てきそうですねえ、このご時世。