ここ数年は旬のイカをトロ箱で送ったりしていたのだが、今回はレンブラントの水彩画筆を送ることにした。
さすがにウィンザー&ニュートンなんて気張ることはできなかったのだが、まあ「自分じゃちょっと買わないな」という程度の値段の物を選んだ。
父は中高時代美術部で絵を描いていて、就職後は特に続けていたわけではなかったが、私が小さい頃はチラシの裏に、TVを見ながら手遊びで好きな海外俳優の顔とか描いてるのをよく見たことがある。
以前描いたという油絵の風景画を長らく家に飾っていたこともあった。
漫画にはあまり興味がない人で、そっちのご薫陶を受けたことはさほどではなかった。私が小学校に上がる頃からは仕事が忙しくなって、泊まり出張や夜も付き合いの酒で遅いことが多く、いつの間にか一緒にお絵描きする場面もなくなっていったのだが、略画とか、休みの宿題の水彩画などは忙しいなりに見てくれた。
夏休み、画板を持って蔵王に絵を描きに行ったこともあった。
作品を描かないようになってからも、年賀状だけは自分でレタリング含めデザインして、「印刷所で用意された既成のデザイン」を使うことはなかったと記憶している。
定年退職後の「第二の職場」での勤めを終えた数年前から、再び水彩画を始めて、仲間内で写生会に行ったり、地元の展覧会に出品したりと、それなりに楽しそうにやっている。
水彩画を始めてからは、毎年の年賀状はいつも「その年に描き上げた絵」を印刷したものになった。
数年前、誕生日に水彩画用紙のスケッチブック(紙はミューズだったかワッフルだったかもう忘れたが)を送ったら喜んでくれたので、今回は筆にしてみよう、と決めたのだった。
Amazonから発送したら、案の定、筆一本なのにやたらデカい段ボールで届き、「大きいけど中身は空気みたいで、何だろう?」と不思議に思ったらしい。
とりあえず喜んでもらえてホッとしている。
身内から贔屓目に見ても、父の絵は「素人芸」のレベルではあるのだが、年を取って思うように手が動かないこともあるのだろうに、再び「絵を描く」ことを楽しんでいる姿は、純粋に見ていて嬉しいと思う。
父が小さいうちに亡くなってしまったという私の祖父(なので当然イメージすらない)は和裁の職人で、その跡は父とは年の離れた長兄が継いだのだが、ある程度手先が器用な血筋なのかもしれない。
私が父から受け継いだものと言えば、身長の低さ、手足の短さ、ふてぶてしい感じの顔と、全くロクなもんではないのだが、「絵を描くのが楽しいと思える心」だけは唯一素直にありがたく思える継承オプションかも、と先日ふと気付いた。
ついでにもっとセンスとか先天的な技量・器用さも付けてくれればよかったのだが、さすがに元が父だけにこれが精一杯なのかもしれない。
私の描きたい絵がどうやら漫画的な物らしい、と分化した頃には、さほど口出し手出しをするではなかったが、それでも画材の基本的な使い方とか、顔や人体の描き方の基本を教えてもらったのは大きかったのかもしれない。
描き方、といっても子供の頃だから大したことではない。
よく子供の絵で人の上半身を描くと「腕・脇・胴体・脇・腕」という感じの描き方になるのだけど、「腕を上げなければ胴体とは隙間を置かずにくっついていて、遠い方の腕より胸の線が前に来る」と教えてくれたり、その程度のことだ。
漫画を読んだり、描きはじめる時期が早かったため、小学生の時は「絵が上手い」部類だと言ってもらえて、本人もそのつもりで有頂天になって、小中学校では色々と描いたり本を作ったり(ほとんど黒歴史)したのだが、それは単に「スタートが早かったからそう見えていた」だけで、後には「絵柄のどうしようもない古さ」、そして「技量が未熟なうちに変にいびつなところで固まってしまった絵柄」「かと言って矯正もできない不器用さ」に悩むようになった。
ある程度自分の絵柄が固まるというのは、「どうにかしたい」と思うことはあっても、「基本的にそれが嫌いじゃないからそうなった(ただし脳内のイメージに実像が追い付かない)」というのもあって、余計に悩んだり、後から描きはじめた人に華麗に追い越されまくったり、そうこうしているうちに実家に帰ったり就職して忙しくなったりで、自分の描きやすいキャラを描きやすい角度で手遊びする程度で、ちゃんと絵を描かなくなってしまった。
サイトを始めた頃、デジ絵で頑張ろうと思ってペンタブを買ったのはいいけれども、「タブレットさえ買えば自由自在にデジ絵を描ける」というありがちな幻想は当然砕かれて、引っ越しのどさくさで箱の中にしまって以来取り出すこともなく、もう積極的に絵を描くこともないだろうと思っていた。
カゼさんとの出会いから、ゲッター2次サイトの皆さんの絵や漫画を多数拝見するようになって、心からスッキリと「これだけ世の中には素晴らしい絵師さんやネタ師さんがいるのだから、これからは心おきなく見る側に徹しよう」と思えるようになった。
つい出来心でペンタブを引っ張り出したのは、定期的にあちこちで開催されている「お絵描きチャット」があまりに楽しそうだったから。
勇気を出して参加した初回は、光学式マウスでおそるおそるキャンバスに参加したものの、やっぱり難し過ぎた。
その後10年前の、接続がUSBですらない取り回しのめんどくさいペンタブを再接続して、あちこちの絵チャで変な絵ばかり恥ずかしげもなく描くようになった。
その後やはりカゼさんのネタがきっかけで二次創作小説と絵描きを再開するようになり、「作品を脳から引っ張り出す楽しさ」を思い出させてもらって、今は作業をしている時は最高に楽しい。
絵の古さはもうどうしようもないものとして割り切って、「少しでもマシな線を描けるようになりたい」とワクワクしている自分がいる。勿論元が元だし、年も年なのでそう簡単に上手くなるものではないのだが、ありがたいことに色々とアドバイスやお勧めのトレーニングサイト等を教えてくださる方もいらっしゃる。
この快楽を享受できるのも、幼いころに「裏の白い紙」で一緒に落書きして遊んでくれた父のおかげかもしれない、と思ったのだった。
小さいころから「お母さんっ子」だった私は、父への対応はクールというか、よくてニュートラルという感じだったんだけど、一つ歳を取って私もちょっと変わって来たということか。
単に「昔を懐かしむ」という「年寄り属性」が一つ増えただけかもしれないが。
プレゼントに筆を選んでポチッと発想した時には、全然ここまでのことは考えていなかったんだけど…
そして第一、こんなことこっ恥ずかしくて口にはできそうにもないんだけど、伝えたら喜んでくれるだろうなとは思う。
今度の父の誕生日の時に手紙にでもしてみようか。まずはそれまで何事もなく元気でいてもらわないと。
70歳を過ぎた人間が数か月健康を維持するっていうことがいかに大変か、少しずつ周りを見て分かるようになってきた。
あちこちに写生とか撮影旅行に飛びまわれるうちが花だと思うので、他県だろうが海外だろうが、足の達者なうちにどんどん遊びに行くといいと思うんだ、ほんとに。