「皇帝の字の記録は、残っている方が珍しい」らしい。
特に生まれながらの皇帝、直系の血筋である場合は特に。
確かに物心ついた頃には「太子」「殿下」とか、あるいは立太子していなくても早々に「●王」に封じられるのでそちらで呼ばれるだろうし、即位すれば勿論「陛下」とかになるわけだしなあ。
光宗の父親、前帝である孝宗については、本紀にちゃんと「元永」と字の記述があり、確かにこれは珍しい方。
というのも、孝宗の前帝である高宗の子ではなく、別系統(北宋太祖の系譜)から養子に入り皇帝になった(=高宗に嫡子がいれば皇帝になれなかった)人物なので、そうした記述がわりと充実している(名も何度か変わってるし)んだろうなと思う。
中国関係の独り言にコメントいただけて嬉しいです!
色々な列伝等、必ず「字は●●…」がつきものですので、まさか皇帝本紀に記述がないとは驚きでした。年端も行かぬうちに既に「●王」になりますもんね…
小説の中では兄弟間の会話がけっこうあるので、どうしても字が欲しいのですが…うーん。まあ適当に付けるしか。
あと、「宋史」は巻数のわりにやっつけで、史料的な信頼度が低いと言われておりますので、そういったこともあるんじゃないかと思ってたりするのでした。
まあ誰もそこまでこだわらないと思うんですけど、私が納得いくまで下調べできないと、思う存分に「嘘」を作れないんですよね…
元好問の漢詩が好きだったので、時代的に楽しみにしています。
南宋メインだと陸遊でしょうけど………。
しかし、南宋の皇帝は光宗、度宗、理宗、端宗と、
あまり他の王朝では使われない廟号が多いのは、
なにか理由があるのでしょうか?
個人的にはそれが昔から気になっています。
理宗は朱子学から、と陳舜臣の中国の歴史にありましたが。
これまた話題に反応していただきましてありがとうございます!あまり一般の方に反応していただける時代ではない(水滸伝好きですとその周辺には興味を示していただけたりしますが、ズレてますし…)ので、とても嬉しいです。
下調べ等に少なくとも2,3カ月かかりそうなので本文に書かれるのはいつになるやらですが、もし機会があればご覧になっていただけたら光栄です。
>あまり他の王朝では使われない廟号
そうですねー、ほんとに宋(北南問わず)の特徴だと思います。征服王朝ならまだしも…って感じですよね。
おっしゃる通り理宗の廟号は朱子学からと言われてますね。廟号ではないのですが、元号に儒学・朱子学等からの引用はいくつかあったようです。
そして日本語読みにした場合、高宗・孝宗・光宗いずれも「こうそう」なので、さらに口頭で話をする時に紛らわしいという…(通常「ヒカリ宗」みたいな呼び方をするわけですが)。