永二とふたばへ。
今日は仕事があったので、ゆっくりと命日の準備ができませんでした。帰ってくる途中でりんどうの花と、仏壇に何かお菓子をお供えしようと思い、何にしようか迷った挙句、うちには色々とお盆とかでもらったお菓子が余り気味なこともあって、結局たべっこどうぶつにしました。単にお母さんの好物だという話もあるのですが、時節柄、傷むものもよろしくないだろうと思ったのでした。
私は生け花の心得がないので、りんどうを短く切り過ぎてしまいました。
今年から、パソコン講師のお仕事を再開しました。
7月と8月に集中していて、先日は山形でものべ10日間ほどやって、これが終わればしばらくはまたヒマなのですが、8月が終わるまでは自由な時間を確保するのがなかなかしんどそうです。
今日はExcelの講習で、本日の日付を関数や直接入力させる部分があったのですが、「8月20日」の文字を大写しにしながら、秘かに心が絞られるように辛いものを感じました。
仕事だけでなく、もう人前に出て誰かに会うなんてできそうもないと思いながら過ごす時間が長かったのですが、昨年オフ会に出席し、そして今年講師仕事ができるまでになれたのは、本当に、ネット等でお付き合いくださった皆さんのおかげだと、心から感謝しています。
今ではちょっと裏の方になるのですが、小説も書きはじめ、精神的にとても張りのある日々を送っています。
大きくなったあなたたちの姿が、想像できそうで想像できない。それは寂しいことだと思います。
元気になった分だけ、失ったもの、鈍したものがあるような気もするのですが、今はこうして、永らえた命の残高が、どのくらいあるかはわからないけれど、生きて行くしかないのだろうと思っています。
お母さんは何だか急に白髪が増えて、お父さんは日に日に保存食作りに楽しそうに凝っていて、でもお互いマイペースで、楽しくやっています。
どうかそちらでも、元気で楽しく暮らしてください。
もしも もう一度 あなたに会えるなら
たった一言 伝えたい
ありがとう
最近「銀河鉄道の夜」を読みなおしました。今、自分のいるこの世界から、愛されている人達やモノ達が遠ざかって行く、ビロードの座席に座って・・・もう、痛い事も辛い事もない、お腹が空くこともない、暑いことも寒いこともないんかな・・・機械の身体になったら、死ぬこともないもんな・・・999と混じってきました。自分が昭和の子であることが再認識されるのでした。
999の「機械の身体」については、「死にたくないから」より「死んでほしくないから」という願望が強く感じられたものです。当時は、零爺御大が妄執で騒ぐ、など想像していなかったですし。
愛ゆえに人は苦しむ、としても、愛は湧いてくるものですね。大道寺さんの豊かな愛は、銀河を伝わって、お子様方に届き続けることでしょう。
温かいお言葉ありがとうございます。心に沁みました。
この季節、ずいぶんといろいろほかの事をやれる心境にもなれましたが、やはり何を見てもあの子達のことや、あのときの自分を思い出します。
「銀河鉄道の夜」をはじめ、宮沢賢治の作品は本当に、年をとればとったでいろいろと違うものが、そしてより深い、若いときには気づかなかったものが発見できますね…
どうしても「死なない体」「苦痛のない肉体」についてついて思うとき、999の「機械の体」を思い出してしまいますよねー。やはり昭和後期世代の共通項なのかなと思います。
そうですね、大事な人に死んでほしくない、失いたくないという切ない願いがまず第一にあってのイメージが強い(冒頭に鉄郎の母が死ぬことがやはり大きいですよね)なあと、私も思います。
それゆえに、後から次々に明らかになる皮肉めいた機械化人の悲しみや辛さ、醜さが効いてくるというか。やはり名作ですね。
うん、2部は私の中では当然見なかったことに…
いろいろ、少しだけど読ませてもらいました。
零さんは前回会った時以降
たくさんのツライことがあったんだね。
私に起きたことなんてちっちゃかったかも。
読ませてもらって勉強になったこと沢山あった。
それに私とこれから付き合っていくと
ツライ思いしちゃう?
とか、考えたりもした。
どうしたらいい?
あと、伝えたい。
人生いろいろあるけれど
出会いを大切に
前を向いてお互い頑張ろうね。
きっと
いろんなことに意味はある。
と私は思ってる。
昔より少〜し大人になったでしょ?
私もちょっとはいろいろあったから…
崩れそうな時ほど両足踏ん張ることにしたの。
「永二」「ふたば」
素敵な名前。
零さん夫婦の思いが伝わる
思いのこもった名前だね。
コメントありがとう。そして名前も褒めてくださってありがとうございます。
mixiのほうでメッセージ送りましたが、色々気を使っていただいて申し訳ない。
人さまの幸せと自分を引き比べて切なくなったり妬ましくなったりすること、今でもゼロではないけれど、昨年のオフ会を契機に随分と浮上することができました。だからそのあたりは気にしないで、再会を機に、気軽に付き合ってくれたら本当に嬉しいです。
10年ぶりのブランクがありつつも、小説も書きはじめて、やはり自分には書くこと(そしてそれはやはりフィクションを含んで)が必要なんだろうなとしみじみ思っているところです。再び筆を取るきっかけをくれたのもまた、web二次創作の友人でして、本当に心から感謝してるのです。
ひらめさんも本当に色々苦労なさって、でもそれを糧にしてすごくしっかり立ってるのが心から凄いなと尊敬します。
「ちっちゃい」なんてことはあるはずないですよ。だって同じ状況であっても、ひらめさんを必要とするご家族がそれだけ多くていらっしゃるのですから、ね……
私の中でこの別れが、本当にそうなるべくしてなった意味のあるものなのかどうか、まだ割り切れてはいないのだけど、少なくともこの子たちとの出会いと、6か月だけだけどいっぱい受け取った幸せと、限りない悲しみがなかったら多分書けなかったであろう文とか、思いつかなかったであろうプロットとかがあるのは確かみたいです。
そういう意味では、ひらめさんと一緒に過ごした頃からほとんど進化してないなりに、何か変わった部分はあるんだろうなあ、と思ったり。