2009年09月03日

東郷青児の包装紙記憶

先日酒田市美術館に行った折、ミュージアムショップで物色した結果、つい「らんぷの本 東郷青児」を買ってしまった。
…ま、普通の書籍なのでここじゃなくても買えるんだけどもね…

なぜこの本が置いてあったかというと、「パリを愛した画家たち」の一人として、東郷青児の「手術室」という作品が一点展示されていた、その繋がりなんだと思う。
(手術台の上に、黒ストッキングのみの女性が座り、寄り添うように看護婦が立っているという…なんかちょっと怖い感じの絵でした)

私けっこう東郷青児の独特のエレガントなフォルムとか、綺麗にぼかした色遣い、そして目ん玉くりぬかれたような微妙な怖さのある絵が大好きなもんで。こういう形でミュージアムショップに置いてあると、いつでも買えると思いつつなんだか買ってしまうんだよなあ。というわけで購入。

広告アートを中心に、装丁の仕事、ゆかりの店(バーや喫茶店)の話、意外なほど達者な文章の抄録など、無難に楽しめる内容だった。

中学生の頃、毎日の生活時間の内訳とか簡単な日記を書いて担任に提出し、担任がそれをチェックしてまた生徒に返すという冊子(たしか「あゆみ」という名前だったと記憶している)があった。
今思うと、忙しい毎日の中学校の業務の上に、クラス全員分を毎日チェックして赤コメント入れるのって、担任も相当大変だっただろうなーと思うのだがそれはそれとして。
この冊子は1年で1冊使い切る体裁になっていた。
1年間、毎日毎日日直が集めて、先生がチェックして、また日直が配り返して、冊子も生徒のカバンの中で揺らされて、時には雨や雪に濡れて…で、数ヶ月もすると相当痛んでしまうのだった。
そんなわけで、透明ブックカバーをかけたり、あるいは綺麗な包装紙で自作カバーを付けるということが、女子を中心に日常的に行われていた。
まあ今は、「包装紙を使い回す」という文化自体、オカンアートな世界以外では絶滅してしまった習慣なのだが…
その何代目かのカバーに選んだのが、いただきもの、あるいは出張の多かった父のお土産かでうちにやってきた「洋菓子フランセ」の、東郷青児の包装紙だった。

tougou.jpg

この人の絵は多分、別の広告アート(資生堂とか)でも目にしていたんだけど、父親に教えてもらってはじめて名前と作風が一致したのだった。

カバーをかけて数カ月位で、また表面が破れたり傷んだりして取り替えたのだと思うけども、毎日共に過ごしたおかげでものすごく印象に残っている。

で、「今でもこの包装紙は使われているのだろうか?」と思い検索してみたら、横浜フランセではすでに別の包装紙、渋谷フランセは残念ながら昨年末に閉店してしまったらしい。
ただ、横浜フランセでは現在でも一部商品の缶などにまだ東郷パッケージが生き残っている模様。

熟成ブランデーケーキ | 洋菓子のフランセ
(これものすごく美味しそうで、思わずポチりたくなってしまった……こういう洋酒バッチリ系の熟成ケーキが大好きなんだ…)

まあ、実際にはフランセ以外にも、今でも東郷青児デザイン包装紙を使い続けているお店は色々あるのだが、やっぱりあのフランセ包装紙にもう一度逢いたい!
でももう、幻ってことなんだろうなー。

検索してみたら、オークションに2500円超えの価格で出ていてびっくりしました…

機会があれば、損保ジャパン美術館とか、東郷青児がデザインプロデュースした京都の喫茶店とかにも行ってみたいもんです。


posted by 大道寺零(管理人) at 20:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶
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