2006年09月26日

「アシュラ」下 ジョージ秋山(2)漫画

<注:食人・暴力・殺人シーンの解説を含みます。グロテスク・残虐な描写が苦手な方、食事中の方は十分にご注意ください。
それに比べれば些細なことですが、物語の経過やラストについてもネタバレしているのでご注意ください。>


このレビューは、幻冬社文庫(上下巻)版を底本にしています。

アシュラと共に洞穴で暮らす法師。「両親を許してやれ」と説くが、アシュラは受け入れようとはしない。
またある時は、死体を見つめながら人間のはかなさを切々と語る。

仲睦まじい猿の親子を見て、親猿を鎌でメッタ切りにするアシュラ。母の死体にすがって泣く小猿の姿。アシュラもまた滂沱の涙を流す。
それは羨望・嫉妬であったかもしれないし、やり場のない苛立ちのはけ口だったかもしれない。
これは、「食べるため」でもなく「身を守るため」でもない、アシュラとしてはまったく新しいパターンの殺人(人じゃないけど)である。法師との生活の中で、人間性について段々自覚的になっていく中で「第三のパターンの殺し」が起こるのは皮肉というほかはない。

法師との問答は続く。

(紫色=法師、朱色=アシュラのセリフです)

「りっぱになることじゃ おまえが正しい道を歩くことが勝利だ」
「アシュラ 人間になれ 人間らしゅう生きろ」

「なんでおれが人間らしく生きなくちゃならないんだギャ なんでこんなめにあったおれが 人間らしく生きなくちゃならないんだギャァ」
「おれが生きていくのに 人間らしさがなんの役にたつんだギャ!」
「みんな敵だギャ 食うか食われるか 親と子の間だってそうだギャ」
「飢饉になれば 子どもだって食うやつがいるギャ おれの母親はそうだギャァ!」

「そうじゃ みんなそうじゃ 人間はみな獣じゃ 人間であるといううぬぼれは無用じゃ」
「そうダギャ みんな 獣だ!」
「そうじゃ 獣じゃ おまえも わしも…な」
「おまえの父親も母親も…獣の本性をさらけだすときがある これが人間のあわれさじゃ」
「うん 両親を許してやれ」
「希望をもって生きろ」

「なにに」
「なにに希望をもつんだギャァ この世に希望をもてというんか!」
「希望なんかないギャ 幻だギャ」
「希望を持つなんて…… ごまかしだギャ! むりに生きるためのごまかしだギャ」
「おれにひつようなのはこれ(注:斧)だギャ 獣はキバがひつようだギャァ!」

「人間は獣じゃがほかの獣とは違う 心がある」
「獣の道をあるけばあるくほど 心がくるしくなる

「おれはならんギャァ!」
「いいや なる!」
「ならんギャァ おれは」
「おれは獣だギャ」
「獣が生んだ獣だギャ」
「いままでにも人肉を食ってきたギャァ」
「おれは人肉を食っても なんとも思わんギャァ」
「獣に心はないギャ」
「だから なにをいってもむだだギャ」
「獣だギャ」

「いいや 人間じゃ もっとも人間らしい人間じゃ」
「だから心がくるしいんじゃろうが()」
「父の愛 やさしい母がほしいんじゃろうが」


(*注:このコマ、この版では「だからなにをいってもムダだギャ」とあるが、法師のセリフなのだから明らかに誤植。正しくは上に書いた通り「だから心がくるしいんじゃろうが」。こんな肝心なところで誤植って…)

水をぶっかけられたエフェクトを背に、ショックを受けるアシュラ。しかしそれでもアシュラは「ほしくない」「獣だギャ」と叫ぶ。
法師は「そうか、そんなに獣になりたいか」と言い、アシュラの斧を取り上げた。
そして、「喝!」と叫ぶと、斧を力いっぱい振るって己の左腕を切り落としてしまう。驚愕し、言葉を失うアシュラ。
asyura3.gif
「どうじゃ アシュラ これを食え これを食ってみろ!」
「わしのうでを 食ってみろ!」

「ほれっ なぜ食わん!」


切り落とした腕を突き出す法師に、アシュラは圧倒されて何も言えない。

食えないのか おまえは人間なんじゃよ だから食えないのじゃ
「だれだってそうじゃ 人肉なんぞ食いたくはない 理性がそうはさせない」
「だが 人間の本性は獣じゃ だれでも獣になってしまうことがある」
「獣になったひとをせめてもしかたがあるまい 人間のあわれと思うことじゃ」
「おまえの母の目を見たか あわれな かなしい目じゃ」
「アシュラ! 戦うんじゃ 獣と!」
「おまえの中にある獣と戦うんじゃ それが人間の道じゃ」
「ひとをにくむな おのれ自身をにくめ おのれの獣をにくめ!」

法師は、その腕をアシュラに投げてよこす。

「なぜ うでをきった!」
「おまえのためにな おまえが人間になったいわいじゃ」
「獣のおまえは 人肉を食って生きてきた! わしのそのうでは 人間のお前が食ったのだ!」


そして法師は、「いつでも来い」と言い残して去っていくのだった。

アシュラは再び散所のある荘園に戻る。法師の捨て身の説教に圧倒されたものの、そう簡単に「獣ではなく人間として」の生き方に変われるわけではない。法師の言葉が胸に去来しながらも、

「おれはなるギャ 獣になるギャ」
「どいつもこいつも獣なら おれだけ人間らしく生きたってそんだギャ」


と自分に言い聞かせる。

つつましくも幸せに生きる荘園の農夫家族を、たて続けにみな殺しにするアシュラ。これは先ほどの親子猿と同じく、「食うため」でも「防御のため」でもない、「第三の動機」による殺人である。アシュラの手に入らない「人間らしい」「家族の」生活に対する羨望と、やりきれない衝動、また、自分に「俺は獣だ」と言い聞かせたいがための犯行だったかもしれない。
一見この流れは、「法師の説教と行動は何の役にも立たないのか」と絶望させるものがあるように見えるが、「獣」と「人間」の狭間でアシュラが振り子のように揺れているから起こった殺人・悩みゆえの犯行だと思う。
それまでのアシュラは、本能に動かされる「獣」に近い生き方を強いられ、その行動が「揺らぐ」ことはなかった。法師とのやり取りの中で初めて、「獣と人間」という対立的かつ複合的な概念に触れ、その両方を内包する「人間」として「行動原理の揺らぎ」を知ったのだ。
「人間性」を自覚した故の行動が「無益(食うわけではないという意味でも)な殺人」ということはまったく皮肉というか悲惨だが、それでも、アシュラの中で起こりつつある「振り子運動」の産物と呼べるのではないだろうか。

追われるアシュラは、散所の子供たちによってかくまわれる。その場で若狭と七郎の睦み合う場面を見て七郎に逆上したりもするが、若狭も協力してアシュラを逃がしてやる。
逃亡中にまた一家族を殺してしまうアシュラ。地頭の指示によって、大々的な山狩りがかかってしまう。

<またも続きます;>

この法師とのくだりは、本作中屈指のエピソードと言えるだろう。
「自分の腕を切る」というのは、慧可が達磨に弟子入りする際に自分の腕を切り落として決意の固さを示したエピソードが有名だ。
また上巻で、太郎丸の父の腕を切ったシーンとも対応しているようにも思える。さらに、食人シーンの多くは、その腕にかじりついているパターンだった。
アシュラにとって、「生きるために他人を傷つける・食う」「他人から傷つけられる・食われそうになる」という体験は山ほどあったが、「アシュラのために、他人が自分(の一部)を犠牲にする」のは生まれてはじめてのことだった(しかもこんな強烈な形で)。
そう簡単に法師の体を張った教えがアシュラを変えるわけではないが、ショッキングなターニングポイントを示したことは疑いようがないだろう。それが皮肉な形で現れてしまうのが、「アシュラ」という作品の深いところではないかと思う。
posted by 大道寺零(管理人) at 16:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | 漫画
この記事へのコメント
毎週とはいきませんでしたが、連載で読んでいた時の驚きを思い出したじゃないですか!!ジョージ秋山氏の「銭ゲバ」「ばらの坂道」それに「アシュラ」70年安保前後の少年誌に、氏は凄い作品をどんどん描いていましたが、一番直球だったのが「アシュラ」ではないでしょうか。「デロリンマン」の残酷ギャグも忘れてはいけませんね・・・今風に言うと、トラウマ漫画。編集部はよくあれを通していたと思います。考えてみれば、当時の少年誌の作り手世代は、戦後の飢餓状態をいやというほど体験していたはずで、次世代に伝えたいものを漫画に託していたのかもしれません。
 秋山氏の後年の作「ゴンズイ」も狂女の息子が漁村で苦労しつつ、という話でしたが、あれは打ち切りになったんでしょうね。半端に終わっていましたし。
 「アシュラ」のラストがはっきり思い出せないのですが、今、この年齢で、イッキ読みする勇気が出てこなかったりして。
 数年前に「デロリンマン」は短期間復活していました。「オロカモノめ」も強烈でした。
Posted by ネコトシ at 2006年09月27日 00:39
>ネコトシさん

まったくもって、どの作品も「よく少年誌に連載したな」と驚きます。またどの作品も、多感な少年時期に読む意味と価値のあるものだと思います。
当時のガキんちょって、それこそ「赤ちゃんはどこから来るの?」レベルの子が多かったと思うんですが、いきなり妊娠出産シーン、しかもセックスについてもけっこう直球で扱ってますからね。すごいです。

>「ゴンズイ」
ジョージ秋山作品の中でも「妙に印象に残った」と挙げる方が多い作品ですね。
「シャカの息子」も、リアルタイムで読んでいましたが、何をやりたいのか全然わからないまま終わっちゃいました。このあたりの打ち切り作品は、筆者と編集部のミスマッチというか、「作家の扱いに戸惑っていた」節があるのかもしれません。

>「デロリンマン」
大学時代に部室で読んで衝撃を受けました。名言だらけで、どうしてもギャグマンガとして認識することができない、私にとってとても重要な作品ですね…
「力のない正義は無意味だ!」とカッコいいポーズで説くオロカ面はすごいキャラでした。筋肉少女帯のアルバム「断罪!断罪!また断罪!」のジャケットにもなっています。

>ラスト
一晩寝て、次のレビューで書く予定です。
いやー、こんなに長くするつもりはなかったんですけどね〜;
Posted by 大道寺零 at 2006年09月27日 01:34
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