2006年11月23日

大なたを振るった話(文字通り)日記

タイの僧侶がペニス切断、医師による再接着を拒否 (ロイター)

 タイの僧侶(35)が自分の陰茎をなたで切り落とし、医師による再接着を拒否するという珍事があった。22日付の現地タブロイド紙(電子版)が報じた。

 この僧侶は、瞑想中に勃起したことが切断の理由とした上で、煩悩をすべて断ち切ったのだから再接着の必要はないと話したという。


ナタでですか。ナタで。
在家と出家、また大乗仏教と小乗仏教では色々考え方に違いがあるのかも知れず、実際性欲抑制の度合いについても求められるレベルが違うけども、仏教の根本的なところから考えると色々首を傾げざるをえない点がある。と思う。

第一に、仏教(というか釈尊の悟りのプロセス)は、「バラモン教やジャイナ教が行っていたような"苦行(自傷行為や断食を伴うもの)"の否定」に始まっている。
ものすごく簡単に言えば、
「苦行を行い、穢れから脱して精神的に清浄な状態に至った」と自己認識する時、同時に「苦行を行わない、完遂しない者に対して『清浄でない』と見下す心が生まれる。それは自己満足であって、快楽を徒に求める心と同じである」
ってことだったと記憶している(が、間違いがあったらコメントにて補足いただければ幸いです)。

また、「性器を切ってまで性欲から逃れたい」と思うのも、それ自体が「固執にとらわれている」ことのように感じるし、第一、

「性器を切って煩悩を全て断ち切った」

と断言しちゃってるあたりも気になるなあ。

ナニを切れば解脱できるとかそういう簡単なもんじゃないだろうし、すごく安直な気がするんだがなあ。
まあ命に別状無くてよかったね、としか言いようが…

瞑想中に勃起って、単に寝ちゃったんじゃあるまいな…


posted by 大道寺零(管理人) at 21:18 | Comment(8) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
どうも小乗ってのもバラモンと癒着して根が深いみたいです。

キリスト教も、土着ユダヤ教からみると、キリスト自体型破りだけど前から居た役職(洗礼者ペテロとかソロモンとか)である預言者の一人なのだ!と言い張ってますよね。

仏教も、土着バラモン教からみると、ブッダ自体型破りだけど前から居た役職である僧侶の一人だ!と言い張るような、そんな後世からみると逆転してるんだけど古さだけで考えるとわからなくもない何かがどうもあるようです。
認めたくないものだな、カリスマゆえの宗教革命は(土着にとっては)。
Posted by naporin at 2006年11月24日 00:28
性欲って大切だと思うのだけど、それは私が女だからかしら?
Posted by 力音 at 2006年11月24日 06:27
煩悩煩悩っつーけど・・・
そうやって煩悩を無理やり断ち切らないと得られない悟りってそんなに大事なんだろうか・・・?

煩悩の塊の私が言うとおかしいのかもしれないが、煩悩から得られる悟りってのもあるんじゃなかろーかとか思ってみたりしてみたり。

何も切らなくてもよかろうにねぇ・・・
Posted by 白 at 2006年11月24日 10:47
>naporinさん

タイにおいては、仏教はまた独特な入り込み方をしたようで(衰退するスコータイ朝を仏教で支えようという、ある意味聖武天皇のような発想によるもの)、一応、ヒンズーの神>仏という位置付けが不動のもののようですね。
一方、成人男子はほとんど一度は出家するというシステムのためか、最近ではその形骸化、僧のクオリティ低下が問題になってきているようです。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/asia/20060828/20060828_001.shtml
托鉢サボってサッカー見てたり、女性との交際を盗撮・晒されたりということが多発して問題になってるとか。
今回の事件は、そういう「破戒僧問題」への反動であったのかもしれません。

>力音さん

仏教でよく扱われる思想の一つに「ケガレである女性は成仏できない」というのがあって、それは経典や宗派によって、「男子に転生すればできる」だったり、「男性以上の功徳を積めばできる」だったりするわけです。またこの考え方自体も、宗派であったり、それぞれに窯変した各国仏教であったり、また大乗か小乗か、在家か出家かによっても違うわけです。
もともと仏教で煩悩として戒められる性欲とは、「性欲に支配され、節操のない行いに及ぶ」ことであって、性欲それ自体ではないとも言えます。ただこのレベルも、在家であれば「妻・夫以外と淫行に及ばないように」という程度で、出家はやっぱり「性欲に捕らわれないように」とレベルが上がるようです。
「しかし仏は、男も女も、在家も出家も、ありのままの姿として救うはず」という主張をし、自ら肉食妻帯を行ったのが親鸞なわけですな。
ただ、この思想は小乗仏教にはないものではあります。

>白さん

仰るとおり、「煩悩をあるがままにとらえ、そこから悟りを見出す」という考え(「煩悩即菩薩」というそうです)は、大乗仏教の思想の中で重要な意味を占めています。(ただしタイのような小乗の思想ではまた別の話ですが)
煩悩とは固執から生まれるものですが、この僧の場合、「煩悩から開放されるということに固執してしまった」のであり、本末転倒だと思います。

>何も切らなくてもよかろうにねぇ・・・

記事では「陰茎を切った」とあるんですが、本気で性欲を断ち切りたいなら、むしろ陰嚢を切るべきだったのではないでしょうか…
まあタイは世界有数のニューハーフ大国ですから、きっとお医者さんから上手に処置してもらった事と思います。
Posted by 大道寺零 at 2006年11月24日 20:07
>「ケガレである女性は成仏できない」

ダヴィンチ・コードじゃないけど、女性がケガレって誰が決めたのやら・・・?
むしろ子供を生むっていうのは男性じゃなくて女性であって、むしろ神聖視されていいんじゃなかろーか?
男尊女卑の考えとして捕らえられなくも無いってのが難点ですな。
むしろ男女ともに同列、どっちも同格って考えはできないんでしょうかね?
Posted by 白 at 2006年11月25日 04:24
ナニを切り落とす
痛そうな話だ
五欲を無くそうとしているのだろうか?
昔、柔道の漫画で「女子と寝技をする時、男子は金多摩を取り外して行うべし」というのを思い出した…

修行中に勃起って疲れマ〇じゃないのか?
Posted by 雨野 夜 at 2006年11月25日 08:54
>白さん

>女性がケガレって誰が決めたのやら・・・?

これは話すと非常に長くなるんですが、女性の「月経や出産(時の出血)」を「不浄」とみなす考え方は、世界各地、また各宗教、民俗的にもよく見られるものです。
仏教も、原初では必ずしもそうではなかったのですが、時代が下るにつれてさまざまな文献で「不浄である女性は成仏できない(または男子以上の功徳を積まないとダメ)」という文面がよく見られるようになり、「女性蔑視・女性否定の面が強い宗教」ととらえられる事も多々あるようです。
元来、女性差別を激しく行っていたのはバラモン教やヒンドゥー教の立場であり、それゆえにインドでカースト制度が根づいてしまったわけで、原初仏教はそうした差別を否定するものであったはずなのですが、いつしかそうした男性原理の中に逆戻りしてしまったのでしょうか、その辺は諸論あるようです。
また、「女性は不浄な存在だから、欲望の対象とする事自体が愚かである」というように、禁欲修行の方便にするためだったのかもしれません。
この辺の事情は各国によっても異なりますが、タイでも、システムとして女性は出家できないようになっているようです。
釈尊自身の認識については色々な説があります(女性性を否定するような言動も残っているが、一方で「女性だからと見下す」ことを戒めるエピソードもあったりするようで)が、少なくとも後世の教義的には、仏教の「(それこそ白さんのご指摘にあった)男尊女卑要素」は小さくないものがあるようです。もっともキリスト教でもそうなんですけどね…

日本ではどうかというと、これまた色んな説があるものの、古事記や日本書紀に見られる原初神道や、もっと前のシャーマニズム的社会であった時代においては、女性を積極的に不浄視する思想は薄かったのではと言われています。
ヤマトタケルが、2番めの妻・ミヤズヒメとの初夜において、彼女の衣の裾に月経の血が付いているのに気付き、次のような歌のやり取りをした後、それを特に不浄・タブーとせずに同衾するやりとりがあるなど、月経の扱いは比較的おおらかであったともいえます。

ヤマトタケル
「あなたと初夜を迎えようとこうして来たけれど、月が出ている(=生理が来ちゃった)のだね」
ミヤズヒメ
「年が過ぎれば、月もまた現れては去っていく。それだけ長い間貴方をお待ちしていた私のもとに月が来るのも当然のことではないの?」

女性を、その血をもって不浄であると認識する共同体においては、月経中の女性と同衾する事も不浄として禁じられるのがほとんどです。
一方、そうした不浄観がない・薄い集団では、「月経中の女性と交わると子供ができやすい」とされ、奨励される例が世界で散見されています。男性の白い精と女性の赤い血が交わって新しい生命ができると思われていて、当然肯定的な見方をされているわけです。(実際は月経中の性交は基本的には妊娠しないのですけど…)

男尊女卑の思想は、儒教または仏教の伝来とともにもたらされたのではないという説もありますが、まあご参考までに。

実際日本でも、少なくとも江戸時代あたりには、
「月経中、または産後間もない女性は神社の鳥居をまたげない」「月経中は家に篭り、外出してはいけない」などの禁忌が広く行われていた事が知られています。

しかしこうした「不浄観」は、白さんの仰るとおり「女性の神聖性への畏怖」と表裏一体であり、こうした禁忌が一方では「母体(または月経中の女性の体)の保護」であった事実もあります。
以前、県内某所の「産屋(うぶや)」についてフィールドワークを行っている先生にお付き合いする機会があり、一緒にお話を伺った事があります。
出産時には、時には命に関わるほどの出血を伴い、産後もしばらくは「悪露」という出血・分泌が見られるので、これも「不浄」とされる要素の一つです。
「産屋」とは、産婦の「不浄」を避けるために用意された小さな家で、地域の女性はそこに篭って出産します。産後数日間(これは地域によって異なります)はそこから出ることを許されません。産婆や、世話をするための一部の女性以外は産屋に入れません。
一見、出産という神聖な営みを行う女性を不浄視していてまことにけしからん話のようですが、実はこれによって、舅姑や子供らに気を使うことなく安心して出産ができ、さらに堂々と産後ゆっくりと体を休める事ができるというシステムでもあるのです。
当時、火事といえば飯一つ炊くのも重労働ですし、その上育児や畑仕事など、過程の女性の労働は非常に重いものでした。また嫁姑のヒエラルキーが厳しく、産後すぐに働かされて、産後の肥立ちが悪くて死に至る話も珍しくはありませんでした。
そういう労働や気苦労から妊産婦を解放するという意味があったと聞き、眼から鱗でした。
その産屋の女性の食事は、もち米のおにぎりとゼンマイの味噌汁と決められていて、一見質素ですが、これがまた驚くほど乳の出がよくなる献立なのだとか。

そのように考えると、「生理中の女性はアレしちゃダメ外に出ちゃダメ」というのも、一つの保護だった可能性も無きにしも非ずなのかもしれないです。

まあこれは日本での一例ですが、時には「女性は不浄」ということを文字通りにとらえきれない場合もあるってことで…

なんかとりとめもなく長くなってすいません。
Posted by 大道寺零 at 2006年11月26日 02:12
>夜さん

>昔、柔道の漫画で「女子と寝技をする時、男子は金多摩を取り外して行うべし」というのを思い出した…

うーん、確かに反応しちゃったら気まずいですよね…
技によってはかなりきわどい場所をつかまなきゃいけない場合もありますしね。
でもそう簡単に取り外せたら苦労しないわけで…;

>修行中に勃起って疲れマ〇じゃないのか?

私もそう思いました…
いや、実際ブツを持ってるわけじゃないんでわからんのですけど、全然そういう気分になったわけじゃないのにそうなっちゃうことはあるものなんだと聞いたことがあるので…
体力が限界に近づくと、脳内伝達物質の分泌が増えて血圧が上昇して、アレへの血流もよくなっちゃうらしいですな。
Posted by 大道寺零 at 2006年11月26日 02:19
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