というわけで、久々に常識的な判決を見た気が。
ベンチから転倒死「市に責任なし」 東京高裁が逆転判決 (asahi.com)
千葉市若葉区の市動物公園で05年4月、当時1歳7カ月の男児がベンチの内側に転倒し、枯れ枝が頭に突き刺さって死亡した事故で、両親が千葉市に約5160万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が14日、東京高裁であった。太田幸夫裁判長はベンチの安全性に問題はなかったと判断し、原告側請求の一部を認めて市に約1190万円の賠償支払いを命じた一審・千葉地裁判決を取り消す逆転判決を言い渡した。
太田裁判長は「一般利用者を対象とした施設では、危険回避の措置を取りうる程度の範囲に保護者がいることが本来の用法だ」と述べた。
一審判決はサークル状ベンチの内側に枯れ枝の混ざったツツジが植栽された点について「営造物の管理に瑕疵(かし)がある」とし、市に賠償を命じた。しかし、二審判決は「ベンチを本来の用法に従い使用する限り、ツツジの枝で負傷する危険性はない。枯れ枝で安全性を欠くこともない」と逆の判断をした。
ベンチに背もたれがなかった点について、太田裁判長は「背もたれは転落防止のためでなく、長時間の休憩を取るため必要とされる」と指摘。「身長が低い幼児にも展示物がよく見渡せるようにしたもので合理的理由がある」と述べ、「事故の原因」とする両親の主張を一審と同様に退けた。
亡くなったお子さんの事は大変痛ましいし、気持ちはわからんでもないが、これは「不幸な事故」であって、不可抗力だと思うがなあ。
(というか、もし植え込みがなかったら、頭を地面で強打してやっぱり不幸な結果になってたんじゃないかと思うんだが…)
子育ての経験がない身から見ても、「あんなにでっかい頭で二足歩行しちゃう生き物」であるところの幼児(しかも2歳以前)って、危なっかしくて仕方ないわけだが。
知人と喋って数分でも目を離した=保護責任を怠った上に、責任を全て市に押し付ける親の態度、しかも
「保護責任があるのは自分でもわかっている。『落ち度がありました』と一言でも謝って
もらえればそれでよい。命を返してもらえれば本当は一番良いんですけど」
(一審の際の父親のコメント)
と言いつつ5000万の損害賠償をふっかけるという対応は多くの人(子持ち子無しを問わず)を「ナンジャソラ」と呆れさせた。結果、訴訟に至らなければ「不幸な事故」で済んだものを、オンラインオフラインを問わず「むしろ親の責任だろ」という評価が目立っていた。
注:一審判決においても、「保護者が監護義務を怠った程度も小さくない」ということで、過失相殺の結果減額に至っており、市の責任100%と判断されたわけではない。
この事件をきっかけに、都市部を中心に数多くの公園や広場から、遊具やベンチが撤去されている。
しかし子供の発育には、適度な危険=冒険も必要だ。
これは、国民生活センターがまとめた文書内でも明確に触れられている。
専門家の意見
遊び場での遊具による多様な遊びを通してのヒヤッとした経験、あるいは意欲的な遊びによる失敗(けが)の経験は、子供が危険を理解し、予知し、避けるといったことを学習する機会となります。すなわち、遊び場は、遊びを通して危険への対処方法を学習する場といえます。
一方で、遊びが持っている冒険や挑戦とは関係のないところで事故を発生させるおそれのある危険性(ハザード)による致死事故や機能障害、運動障害などの後遺症を残すような重大な事故は、大人の責務で未然に防がなければなりません。
冒険や挑戦により重大な事故になりそうな場合は、禁止したり注意を促すことも必要ですが、小さな危険を伴う冒険や挑戦による失敗(けが)は、許容する姿勢もあわせて持つことが必要です。
このため、遊び場・遊具の安全対策は、子どもの成長にとっての遊びの重要性などを見極めた上で進めることが必要と思われます。
「屋外遊具による事故を防ぐ」より
さすが専門家。ものすごく納得できる。
遊具で遊ばせる場合の保護責任とは、側に付く、目を離さないということのほかに、遊具に破損や劣化・異常はないか、周囲に危険なものはないかというチェックも含まれる。
この親が
「枯れ枝や剪定跡が尖っていたから事故が起きた」と主張するのであれば、ベンチに座らせる前に
「ベンチの後ろの植え込み、枝の状態をチェックする」
「頭の大きい子供を背もたれのないベンチに座らせて大丈夫かどうか吟味する」
義務があったと言えるのではないだろうか。
ここから先はただの思い出話。
私が4年生まで通っていた小学校のグラウンドには、盛り土の山があり、それを利用した吊り橋(降りる時はポールで滑り降りる)があった。低学年には足がすくむ高さで、正直「なんちゅう危険なことやらすんだ」と最初は怖かったが、上の学年の生徒についてもらって遊ぶうちにどんどん面白くなってきた。
スチールの大きな枠に古タイヤを結びつけて、3m位の高さまで登れる遊具もあった。
山の頂上には大きなジャングルジムがあり、そのてっぺんからは大すべり台でグラウンドに降りてくる事が出来て、大人気だった(思い出すと今でもやりたくなる。しかしもはやケツが入るまい。)。
昼休みの一番人気を吊り橋と争ったのが、回旋塔である。
「3年生にならないと使っちゃダメ」というのが不文律だったか、先生に言い渡されたルールだったかはもう忘れたが、独特のスピード感、ふっとんで行きそうな遠心力が魅力の遊具である。
「手放しで降りちゃいかん」というのもきつく言われていたが、手放しで後ろにすっ飛ばされて着地するのがたまらんのである。てっぺんに近いほうを掴んで回り、華麗に手放し着地を決める男の子は学校のヒーローだった。
まあ当然、擦り傷とか鼻血などの怪我の原因ナンバーワンの遊具なのだが、人気は揺るがなかった。そもそも当時のガキは擦り傷なんぞ「水道で洗えば平気」、慎重派でもせいぜい「保健室でマキロン吹けば無問題」だったし、親も多少の擦り傷はスルーだった。
この遊具は、一度に遊べるのはせいぜい十数人程度なので、2回くらい回して遊んだら次の人に譲るという不文律があり、「順番で使う」「独占しない」ということを知らず知らずのうちに学んでいた。
また、回旋塔に限らず、低学年の子が一人で遊んでいる時にはそれとなく目をかけたり、手を貸してあげたりするということも、誰に言われるでもなく皆がグラウンドで学んだ気がする。
この回旋塔、過保護親の槍玉に上がる遊具としてもナンバーワンなので、今では公園や学校から撤去される事が多い。現在の流れでは、新規で設置される事はまず少ないのではないかと思われる。残念だ。あんなに面白いのに…
(地域・学校によっては、この円錐状のものではなく、回転する球形ジャングルジムを「回旋塔」と呼ぶこともあるようです。これも楽しいんだよね。)
子供の「冒険」の場所は決してゲームやアニメの中だけじゃないはずなのだが、公園で冒険できる遊具が次々と奪われつつあるのが気がかりだ。
個人的には転落現場にいたといわれている娘の存在の方が気になりますね。
もし事故に娘が関わっていたとしたら責任転嫁したくなる気持ちもわからないではないですけど。
昔は世の中がもっと大らかで、遊具で怪我をしても不可抗力ではなく自己責任。
親も見守るだけでしたよね。
回転系の遊具で遊び、遠心力で吹っ飛ぶのも保育所時代に学びました。
ブランコの鉄のチェーン(今はロープとかに代替してるんでしょうか)の隙間に手の肉を挟まれても自分の掴み方握り方がダメだったんだと学習して誰も他人を責めてはいなかったです。
今は子供を保護する立場の親も自分自身を甘やかしすぎですよね。
そう言えば、回旋塔に立って回って ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ となった思い出があります。
なんつーチャレンジをしてしまったのかと回っている最中に激しく後悔しました。
イギリスの切り裂きジャック事件とかも危機管理能力が無さ過ぎて自業自得としかいいようがないです。
0歳児から連れて平気で買い物連れて行ったりする親も多すぎ。
本当に子供が可愛かったら、歩くのもままならないうちに手と眼を離すなんてできないって。
ウチの子は3歳になってからやっと外食に連れて行った。余所にかける迷惑とか考えたら、そんくらい慎重でも構わんのだよ。
連休とか夏休みの後に、ワイドショーなんかで迷子の特集をよくするけど、迷子になった我が子に対して怒鳴る親のなんと多いこと。最初に子供にテメェが謝れよ!
「言うこと聞かないからでしょ!」っつう前に、小さい最供はカンタンに言う事を聞かない覚えないモノっつう前提は持っとけ!
自分の欲望を優先する親が多いんだろうし、さらに子育ての環境が整ってないことを自覚して無いんだろうなぁ。
>ホント常識的な判決でて良かったと思っています。
ですねー。というか一審の判決があまりにイカレポンチだったのですよね;
>個人的には転落現場にいたといわれている娘の存在の方が気になりますね。
私もです。この娘さん、亡くなった子のお姉さんだったそうです。
事件状況について、目撃した公園係員は
「男の子と姉がベンチに座っていて母親が姉の名前を 呼び立ち上がった時に男の子が後ろに落ちた」
と語り、母親は
「男の子がベンチに登ろうとして誤って落ちた(それはそれでやっぱり親が制御してなきゃダメですよね)」と証言しているとか。
親が自分の責任を(言葉だけでなく)認めず、他者に転化しつづけていると、その娘さんのほうが「私がちゃんと見てなかったせいだ」と自分を責めるしかなくなるのではないでしょうか。そうでなくとも現場至近距離に居合わせたというだけでも(記憶があれば)充分すぎるトラウマなわけですし。
「母親が目を離してしまったのが原因」と認めることが、娘さんの心の救済になると思うんですけどね。
>ブランコの鉄のチェーン
私もよく手の肉を挟みました。
遊び倒した後に手がなんか鉄臭くなって、でもなんか「遊んだな〜」って感じで、好きだったなあ。
>engさん
>傍目から見ても最近の親の多くは、小さい子から手と眼を離しすぎ。
買い物とかに出かけると、年々それ感じますわ…
スーパーで子供が全速力で鬼ごっことかしてても、すげーどうでもよさそうに声かけるだけで止めもしない親とか。
親同士で井戸端してる間、魚やら肉のパックに触りまくって、指でラップに穴あけまくる小さい子(どう見ても乳児)とか。まだ言って分かる年じゃないんだからちゃんと見てろと。ベビーカーとか乗せろと。
>ウチの子は3歳になってからやっと外食に連れて行った。余所にかける迷惑とか考えたら、そんくらい慎重でも構わんのだよ。
世の中の親がみんなengさんみたいだったらいいのにな…
別に小さい子連れてきてもいいけど、狭くて混雑が分かりきってるラーメン屋とかに1歳ぐらいの子供を連れてきてる親子連れとか見ると、子供が可哀想になってくるんですよねー。「待つ」とかまだ辛抱できる年齢でもないからグズったり泣きまくる(無理ない)しね。
あと、店外にまで行列なってる狭い店の中で、フーフーしながら1時間近く席を占める度胸は私にはない…
最近じゃ食い物屋の店内でオムツを換える連中までいるらしいですわ…
>自分の欲望を優先する親が多い
これ、給食費不払いとかにも共通することですね。
進路指導の場においても、ちょっと前のように「自分達の生活費を削ってでも子供の希望をかなえる進路を実現したい」と考える親が減ってきてるといいます。
子供ができるということは、「食う人間」が一人増えるという事、パイの1切れが小さくなるのは当たり前の事なんですが、ドリームやら成り行きやらで、そこを分かってないというか。
子育てのために自分の時間が減る、趣味や生活にかけるお金が減ることは、「自分のライフスタイルが犠牲になる」という感覚でしかないんですな。で、「犠牲にはしたくない」というわけなんでしょう。結婚についても同様の感覚を持つ人も増えてるようですが。
ブランコなんて加速しまくって、靴をどこまで飛ばせるか?なんて遊びまでやってたくらいやし
「今時の親」に子供の管理をちゃんとしろ!と言うのは、それ自体が無謀なんじゃないでしょうか?
何しろ「親」自体が自身の安全に無頓着なんですから…(自転車の片手運転やら無灯火やら信号無視やら)
自動車の運転しててそういうのを見ると「世も末よのぉ〜」と思うのは私だけ?
>確かに小学生の頃は今では有り得ないような遊具が満載で、引きこもりがちな自分も楽しんで遊んでた覚えがありますよ
私もインドア嗜好&運動能力の低い子供だったので、母親はいつもなんとか外で活動的に遊ばせようとしてました。多少の擦り傷作って帰ってくると、むしろ「今日はちゃんと外で遊んだのね!」と喜んでました。…まあ特殊な例だと思いますけど…
>「今時の親」に子供の管理をちゃんとしろ!と言うのは、それ自体が無謀なんじゃないでしょうか?
何しろ「親」自体が自身の安全に無頓着なんですから…(自転車の片手運転やら無灯火やら信号無視やら)
ああ〜確かにそうも言えますねー。
危険であるばかりでなく、人の迷惑を顧みない行動を自らするような親が子供に躾や安全管理できるはずがないというのはしごくごもっともです。