流産から4ヶ月、切開の傷跡も、保護テープを貼らなくても支障ないようになったし、秋には完全に普通の生活や家事に戻ることが出来た。
しかし12月になれば、「本当だったら今ごろは…」と暗い思いに捕らわれることが多くなり、「何か読んだり書いたりゲームしたりしていないと平静を保てない」状態へ揺り返された感じだった。
単純に「鬱」と表現するのも何か違う気がする。
もっと暗くて重くていたたまれないものが、少し気を抜くと何をしていても全身を支配するような感じだった。
私にとって2006年という年は、4ヶ月だけ最上の喜びをもらった年でもあり、人生最大の絶望の中に暮れた年でもあった。これ以上ない危機の淵を覗く経験もした。
「年の瀬の忙しくて寒い時に出産になるのかー」
「多胎は早産気味だというから、クリスマス前になるかも」
「年賀状はギリギリまで作るの待とうか」
そんな幸せな杞憂を味わえたのもつかの間で、全ては幻となった。
8月に双子を失った時、今年は私達夫婦は喪中にすることに決めていた(その割りに欠礼上が遅くて失礼いたしましたorz)。
流産死産で喪中というのも端から見れば相当イタい話と思われるのは承知の上で、特に誰が亡くなったとは書かずに喪中欠礼状を出そうと話し合った。
結局祖母が亡くなって、堂々と(というのも変だが)喪中になったわけだが。
年の瀬が近づくと、とにかくもうこれ以上身内や友人が怪我や病気、生命の危機に見舞われないように…と、それだけを思った。
色々な方からお見舞いや励ましの言葉をいただき、本当にありがたく、身に沁みた。
多くの方から「ご自愛ください」と言っていただき、実に嬉しく思いながらも、どうも今ひとつ「自分を愛」せそうな気が全然しない。
妊娠中にあれこれ気を配り、自己管理に頑張った反動か、秋くらいから自己管理がメチャクチャになってきつつある。昼夜逆転したり、夜中に物食ったり。いかんとは思うものの、「どーせ自己管理したって、来年の夏にならなきゃ治療も再開できない」という気持ちが拭い去れないのである。
待望の子供を宿しながら、生存可能な時期まで生かしてあげられなかった自分の体に価値を見出す事が、いまだ難しい。
行く年来る年、誰もがそれなりに去る年を総括し、来年に希望や目標を抱くこの時期にネガティブな事ばかり書くのも我ながら辟易するが、来年…というかこの先いいことがあるようにはとても思えない。
治療は時期を見て再開(ハラキリしたので、1年間は妊娠禁止なのである)しようとは思うが、もとより成功率の低いもの、2度続けて成功することはまずないだろう。また幸せ妊婦さんに混じって注射の日々が始まるかと思うと、それだけで落ち込んでくる。
年齢的にも、正直もうチャンスはないのだろうとうすうす感じている。
と同時に、お腹の中に子供がいた4ヶ月間ほどの幸せに匹敵する「良き事」自体もこの世に存在するまいと思う。
確かに私たちの間に、生きていないというだけで二人の子供がいるのは事実なのだから、そのことだけを慈しんでこの先を生きる事に、ようやく不満はないと思えるようになってきた。
そういう意味も含めて、ムーンライダーズの歌詞ではないが、「一生いいことないと思って生きて」いくことを、不思議なほど自然に受け止めつつある気がする。
実際には、「予定日」などさしたる意味がないのかもしれないが、何しろスカスカな母子手帳に書いてある数少ない日付のうちの一つである。
あの子達に関する日付はなんでも覚えておきたい、何か記しておきたいと思い、こんな文にしかなりようがないと分かっていながら書き散らした。
喪中の我が家には、恒例の元旦獅子舞は巡ってこない。
けれども義弟が帰省することでもあるし、結局神事関係のことはする(鏡餅も飾る)し、餅もつけば正月料理もほぼいつもの一式作ることになった。
私の気持ちとしては、徹底的に普通と同じように過ごして、クリスマスも正月も、晴れがましい事は何もしたくないというのもあるのだが、流石に家人にそこまで強制するわけにもいかず、明日から色々作ったり買い物にも行く。そうやって日常に自分を合わせていくことは、一つのリハビリなのかもしれないが。
正月価格で花は軒並みボッタクリ価格になっているが、ありきたりのアルストロメリアの小さい束を買って飾った。
「ご自愛」は、ご自分を楽にしてあげる事もありだと思います。
ちなみに、15年前に生まれた娘の出産予定日は12/28でした。「さそり座と牡牛座の夫婦に山羊座の子供かぁ、ヘヴィな家族になるかもなぁ」と考えたりしていましたが、結局12/15に誕生。いて座AB型という予想外の子供を持つ事になりました。
でも、予定日より早かった出産だったおかけで、クリスマスもお正月も実家で過ごせて、その時点で親孝行な子だと思いました(バカ)。
少しでも心安らかになれるなら、そうなれる何かを好きなだけやってほしいと思います。
また会いたくなりました。よかったら来年でも会いましょうね。
日常に自分をあわすのがリハビリ・・・そうかもしれないけど、そんなただ日常に溶け込むみたいな感じでなく、先に書いてあるように妊娠していた時の幸せに思えた日や、子供のために自己管理を頑張っていた日々のことを忘れずに、ただあわせているんじゃなくて幸せをかみしめて楽しく過ごせるように頑張ってください。
何を書いているのか、何が書きたいのか全くわからないですが、とにかく「零さん、頑張って」
と一言で閉めさせてもらいます・・・
もっと文章力つけて今度はもっとましなコメントかけるように俺も努力してみます。
へんてこなコメントすみませんでした;
色々と悩みのつきない日々とは思いますが、子供さんもむちんさんが頑張ってくれている事をわかってると思うし、将来本当に感謝する日が来ると思います。
うちの子もちゃんと生まれてたら、むちん娘さんと同じ誕生日になってたかもしれないのですね〜。
私もまた会いたくなりました。
一昨日あたりから塞いでしまって、仙台にも行かなくなってしまいましたけど、雪が融けたあたりにでもふらりと行こうかな。思いっきり歌ったりしましょう。
>>ほむさん
いつもお世話になってます。暖かいコメント有難うございます。沁みます。
>日常に自分をあわすのがリハビリ
コレはなんというか、夫の家に同居しているからこその状況かもしれないですね。二人暮しであればもっと悲しみに遠慮なく浸ってられますけど、同居だと否応なしに正月準備の役割を割り振られて動かざるを得ない。それが当たり前の生活と言えばそうですし、そうやって「普通」に戻っていくのでしょうが、「年の明け暮れに際してもうちょっと浸ってようよ」という気もしたり。
亡くなったばあちゃんの場合は、90年間の思い出話も出来るけど、死んだ子の場合はそれもできず、ほぼアンタッチャブルになってるのがいいのか悪いのか。
ともあれ、「応援してくださる方がいてくださる」ことは本当にありがたいことです。2007年もどうぞよろしく。
>>伊藤さん
毎日体調管理が大変なのにいつもいつも付き合わせてしまってすみませんです;そしてありがとうございます。
生死の境目とか、病との戦いがあると、本当に「親子の絆」というものを実感しますよね…そして今回の事で、親と子が生きて出会うのは本当に天文学的な確率の奇跡なのだということを痛感しました。
状況次第ではマジでこうして生きてネットを見る事もなかったかもしれないと思うと、家族や友人と「お互い生きて」年を越せたことに感謝したい気持ちで一杯です。
本年もどうぞよろしく。