2007年02月18日

議論は誰のためにアニメ・動画

先日、車中で「誰がために(昭和カラー版「サイボーグ009」のOP曲。参考動画)」を聴いていたところ、相方のツッコミの虫がまた疼いたのだった。

彼は言った。

「この曲を君が大好きなのは知っている。名曲・神曲だと俺も思う。しかし一言だけツッコませてもらっていいだろうか?」



「曲の中盤で

だが我々は 愛のため
戦い忘れた 人のため


と歌っているわけだから、最後に

サイボーグ戦士 誰がために戦う


と言うのはおかしくないだろうか?


もしこれが現代文の問題で、

傍線部5「サイボーグ戦士 誰がために戦う」とあるが、その答えに当たる部分を文中から10字以内で抜き出せ

だったら、当然答えは

「戦い忘れた人のため」

だろ?

直前に答えを出しているのにまた「誰がために戦う」と尋ねるのは妙というか、むしろアルツハイマー入ってないだろうか?

た…確かに文脈から言えば全くその通りだ。

「いやしかしちょっと待ってほしい。
 『吹きすさぶ〜死の荒野』までがサイボーグ戦士側のモノローグ(しかも心中)で、
『サイボーグ戦士 誰がために戦う』が、第三者からの意見・感想
なんじゃないの?」
と反論してみる。

相方
「そういう見方もできるけれど、じゃあそれはそれで

009達 『私たちは戦い忘れた人のために戦っています』
第三者『あなたたちは誰のために戦っているんですか?』


という、あまりにも噛み合っていないトンチンカンな会話じゃないか?

しかしなんだな、涙で血の大河を渡ったり、夢見て荒野を走ったりしているのに、第三者はそれを見ていながらボーーーーっとだな、『あの人たちなんであんなことしてるんだろ?』って全然理解されてない、伝わってないってのもなんか悲惨だよな。せめて「僕たちのためにやってくれてるんだ」って位は伝えたいよなあ。


「知らないよ!作詞者の石ノ森先生に直接言いなさいよ!死んでるけども!

周りを走る車の中のカップルは、ちょっといい感じの音楽かけてラブラブだというのに全く私たちときたら。
というか私のポータブルプレーヤー(シャッフルモードにしているとやたらと「ゲームセンターあらし」の再生率が高い)の中に入っている曲ときたら。
posted by 大道寺零(管理人) at 02:47 | Comment(11) | TrackBack(0) | アニメ・動画
この記事へのコメント
Aメロ:お気楽な第三者の意見。
B&Cメロ:サイボーグたちの「俺達だって好きでこんな体になったんじゃないやい。できれば戦いたくないよ。でも愛するものを守りたいんだ!」という心情
サビ:ギルモア博士の心の問いかけ&みんな真っ直ぐ育ってくれたなぁ・・・・(つД`;)
だと思ってました。
Posted by クマ at 2007年02月18日 05:30
多分、零さん夫妻とは同世代w

リアルタイムに見てましたよ

この当時って『こおろぎ’73』が色々なアニメでメジャーでしたね

で、編曲にあの『すぎやまこういち』が絡んでいたのは意外というかw

まぁ何にしてもオープニングに『っほっほっ…っほっほっ』が昔から印象深いw

というか車内での零夫妻に萌えた!(ぇ

Posted by はるち at 2007年02月18日 08:38
はじめまして。
前から気になっていた歌詞がありまして、それがこの記事によく似たケースなので、ちょっとコメントさせてください。

気になっているのは初代ガンダムのEDの歌詞なのですが、
あの歌、冒頭で「アムロ、振り向かないで」と言ってるのにも関わらず、
その舌の根も乾かぬうち「覚えているかい? 少年の日のことを」と問いかけやがります。

言われたアムロはきっと困ります。どっちだよ、と。
カミーユなら切れて殴りかかりかねません。

振り向くべきか、振り向かざるべきか。実際どっちなんでしょうね。
Posted by ニコリリ at 2007年02月19日 02:08
アムロはどっちむきゃいいんだにも激しく同意。


ま。昔の歌だし。
サビは時系列(因果関係)を無視してドラマチックなフレーズをもってきていいらしいですし。


ところで、ホームセンターで
思わず、全く好きでもない
ガンダムシードのイントロをいいあてた私。
普通にテレビみたくてもダンナが
BGMが犬夜叉だサクラ大戦だポンポコだ
くまいさんはメルの声優だ・・って
うるさいです。
家内教育。
Posted by NAPORIN at 2007年02月19日 09:23
え〜と。私見ですが、これはタイトルが前提となって話が進んでいるのではないかと思います。

タイトル:主題を発表
Aメロ:客観的な状況説明
Bメロ:主観的な意見の主張
サビ:議論が長くなりましたので、そもそもなんでこんな話をしているのか、主題を改めて言及

確かにタイトルを抜かすと話が逆行してしまうので、こういう解釈かと。

アムロの方はわからんです。
Posted by 三日殿下 at 2007年02月19日 13:15
だが我々は愛のため 戦い忘れた人のため

血の大河を涙で渡って、死の荒野を夢見て走る
のではないでしょうか?

サイボーグ戦士 誰がために戦う
は己への問いかけだとオレは思いますな。


アムロはふるさとを振り向かずとも、少年の日々を思い出すくらいは別に構わんのでは?
っつーかまだ当時アムロは少年だがな。

あとインベーダーキャップは、燃えてなくなった初代のヤツがマジ欲しかったです。
Posted by eng at 2007年02月19日 17:48
皆さん、色々なご意見誠にありがとうございます!

>>クマさん

>サビ:ギルモア博士の心の問いかけ&みんな真っ直ぐ育ってくれたなぁ・・・・(つД`;)

私も議論の中で、「ギルモア博士説」も出してみたのですが、
「ギルモア博士こそ、誰よりちゃんと分かってるはずじゃないか?」
と返されました。
ああ言えばこう言われる毎日です。
ちょうど「♪サイボーグ戦士誰がために戦う」
の部分の絵がギルモア博士なんですよね〜。

>>はるちさん

はるちさんは私らよりちょい年下かと思ってたんですけど、この話題が通じるとは意外!(まあ地方によっては再放送もされてるでしょうしね…)

>すぎやまこういち

すぎやまこういちは、この番組の音楽全般を担当していまして、非常にいい仕事をしてますです。BGMで構成した「交響組曲サイボーグ009」は、アニメ好き以外にも好評を博し、私もレコードで持ってました。そして先日CDでも買ってしまいました。
このBGMで、非常に印象に残る哀愁を帯びたメロディーがあるのですが、なんと後年、「ドラクエ7」のエンディングBGMに、ほとんどそのまんま使われました。これにはびっくりたまげましたよ。
プロとしてどうかという気もしますが、それだけ気に入ったメロディーだったんでしょうね。

>オープニングに『っほっほっ…っほっほっ』が昔から印象深いw

これ、カラオケで歌うと、各社によって微妙に表記が違うんですよね。

JOYSOUNDだったかな?では「ウッウッ ウッウッ」となっていて、「『ウッ』は違わないか?」と軽い違和感がありました。
もっともこれ、人によって
「『ホッ』だろ?」
「『ハッ』じゃね??」
「俺は『フッ』だと思ってた!」
と、これまた議論の種になったりします。

>>ニコリリさん

はじめまして。面白い話題をありがとうございます。

>あの歌、冒頭で「アムロ、振り向かないで」と言ってるのにも関わらず、
その舌の根も乾かぬうち「覚えているかい? 少年の日のことを」と問いかけやがります。

言われてみれば確かに…
富野監督の作詞というのも実に独特で、例えば「Z・時をこえて」でも
『乾く唇 濡れているなら』
なんて(多分意図的な)形容矛盾を平気で使ってくるんですよね。

私は、「少年の日の甘美な記憶は思い出として昇華して、それにとらわれずに前を向いて成長して行け」というような意味なのかなと思っていました。
(もっとも設定(特に小説版)を見ると、あまりいい思い出も少なそうな印象があるんですけどね…)
また、シリーズ後半で宇宙に出ることを想定し、「故郷は足元や後ろ側にあるのではなく、見上げた空にある、だから振り返らずに上(未来)を見ていけ」というような意味も込めているのかと。

>>NAPORINさん

コメントを一見して、「ホームセンターあらし」というDIYマンガもいいかもしれないと思ってしまった私がおりました。

>普通にテレビみたくてもダンナが
BGMが犬夜叉だサクラ大戦だポンポコだ

テレビ番組のBGMって、特に許諾とらないで自由に使えるらしいですから、ほんとよく出てきますよね。(特に民放の報道バラエティ系)
「愛のエプロン」はビッグオーだし…
あと、「警察24時」とかの緊迫感シーンでの「ガンヘッド」の使用率は異常です。

>サビは時系列(因果関係)を無視してドラマチックなフレーズをもってきていいらしいですし。

私もそう思います。
特に、アニメのOPの場合、実際の「絵」を見ているという状況も大きいですよね。
実際このOPについては、石ノ森先生は絵コンテ素案も自作していましたので、やはり歌詞だけでなく実際の絵も込みで受け取るのが正しいのかなと思っております。

>>三日殿下さん

>これはタイトルが前提となって話が進んでいるのではないかと思います。

そうですね、多分石ノ森先生自身も「誰がために」というフレーズ自体が好きだったんだと思うんです(「幻魔大戦」でも、ジョン・ダンの「誰がために鐘は鳴る」の詩を引用したりしてますし)。
で、ものすごく「009」のテーマに即していますし。
多分、「誰のために戦うの?」というよりも、
「戦わずに人間として生活することもできるのに、誰のためにそこまでして戦うのか、君たちはそこまでする義務はないのに」というニュアンスなんだと思うんですよね。

>>engさん

>アムロはふるさとを振り向かずとも、少年の日々を思い出すくらいは別に構わんのでは?
っつーかまだ当時アムロは少年だがな。

確かにまだ16くらいでしたよね(そうは見えないけれどブライトさんも19だし…)。
アムロに限って言えば、少年の日のことを思い出すとかえって鬱になりそうな気がしないでもないです。お母ちゃん男作って(これが言及されているのは小説版だけですけど)逃げちゃうし…

>インベーダーキャップ

デザインが変わったのは著作権的な配慮だったそうですね…
当時コロコロで実物作ってプレゼントしてたような記憶があります。
Posted by 大道寺零 at 2007年02月19日 19:57
え〜、私の発議から思わぬ方向へ議論が進んでいるようですので、不肖、私相方の「『誰がために』解釈」を御披露申し上げます。

まず、この曲は「一貫して(非サイボーグ戦士たる)第三者(たる“私たち”)の視点で歌い上げられている」という事実に目を向けるべきであります。かような視点に立ったとき、すべては氷解するのでございます。

第1フレーズ「吹きすさぶ風が〜人のいう」は、次のように解釈されます。
「(あなた方サイボーグ戦士は)吹きすさぶ風がよく似合う、9人の戦鬼と世間の人々に言われておりますね(そのことは“私たち”はよく存じております)」
ここでいう“私たち”が、「(非サイボーグ戦士たる)第三者」を指すことは、以下の歌詞を読み解くとき、明白であります。

第2フレーズ「だが我々は〜死の荒野」は、“私たち”の状況を説明しています。
「(あなた方サイボーグ戦士のみなさんがそれほどまでに人々に畏怖されていることは重々承知しておりますが)“私たち”だって、愛のため、戦いを忘れた人々のために戦っているのです。涙で血の大河を渡るが如く、死の荒野を夢見て渡るが如く。」
そう、ここで“私たち”も人類の未来をかけて戦っている名もなき戦士であることが語られるのです。

そして、この曲を名曲たらしめる第3フレーズ「サイボーグ戦士、誰がために戦う?」です。
「(“私たち”に比して圧倒的な能力と戦力を持つあなたたち、そして、“私たち”とは違って本来自分がたどってきた運命に絶望してもおかしくないあなたたち)サイボーグ戦士のみなさん、あなたたちは一体誰のために戦っているのですか?」

どうでしょう、人類の敵ネオブラックゴーストに必死に立ち向かう名もなき戦士達の叫びと、(OP映像内で)それに呼応しようとするサイボーグ戦士達の勇敢な戦いぶりが、見事にオーバーラップする名曲になるではありませんか?
Posted by 相方 at 2007年02月19日 20:10
↑…と言い張ってやまない男と毎日一緒に暮らしております…

あの歌の「我々」を「009たち以外」と解釈する人間など、少なくとも山形県でこの人だけだと思いますわ。
Posted by 大道寺零 at 2007年02月21日 00:18
思いっきり時期外れなんですけど、検索で引っかかってあまりに突っ込みたかったんで。。

全然孤独な石ノ森世界が読めてないですよ。

この詩ではまず「9人の戦鬼」と蔑まれるサイボーグ戦士の現状が提示されます。
だが、ちょっと待ってくれ。
俺たちは戦いたくて戦ってるんじゃない。
それは愛の為だ、戦い忘れた人の為なんだ。
と、ここまではいいですね。

だけど、これは本心なのかは分からないわけです。
血の大河を渡り死の荒野を走る。それは愛の為であり、人の為でなくてはやりきれないではないか、と。
ですが、ここには具体的な「誰」というイメージが欠けています。
守るべき家族があるわけではないし、帰れる国もひょっとするとない(人間に戻れないサイボーグ戦士ですから)
我々が愛や人の為といっても、それすらも幻にすがっているのではないのか?
そうした苦悩が在るからこそ「サイボーグ戦士、誰がために戦う」と。

ちなみにアムロも似たような感覚ですね。忘れてはいけないけど、振り向いてもいけない。大事なものがあることを覚えていればそれでいい。戦うべきは具体的な何かの為ではなく、それを大切に思うお前の思いなのだ、と。

てなわけで、駄文失礼しました。
Posted by 通りすがりの人 at 2008年05月15日 04:59
>>通りすがりの人さん

当方のバカエントリにご高説ありがとうございます。
ちょっとご説明しますと、この手の「わざと無粋なツッコミをして思考実験的にボケ&ツッコミをする」というのはある意味うちの夫婦の芸風のようなものでして、時折こうしたアホ記事として垂れ流しております。
途中で主体が変わることについての直截的なツッコミというか、
「サイボーグ009という作品世界を全然知らない人が聞いたらこういう疑問を持つのではないか」
という視点から戯言を展開したまでなんですね。
うちの相方はこんな感じで、わかってることをあえてグリグリといじり倒して楽しむ人間なのであまり真に受けないでやってください。

とはいえ、検索除けをしていない以上、単独のエントリで評価を受けるのもまた必然でありまして、まあ玉石混交のネット世界の「石」なハズレの戯言を引いてしまったと思し召して、石ころらしくポイ捨てでもしていただければ幸いです。

あえて真面目にレスポンスするならば、歌詞の最中で主体や人称が変化する部分こそ、視聴者に広い解釈の幅を与える余地・含みであり、この歌詞の素晴らしいところだと考えています。
(例えば島本和彦先生は「我々=サイボーグ戦士+石森氏本人」と解釈していて、それはそれで面白い考え方だと思いました。)
ですから、「絶対の正解解釈」もまた存在しないのではないでしょうか。

この記事はおふざけエントリだったのであえて書きませんでしたが、他の方へのコメント内でも触れたように、「幻魔大戦」で引用したジョン・ダンの詩(ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」で引用されたことでも有名)が明確に石森氏の意識の中にあったと思います。

ゆえに問うなかれ、
誰がために鐘は鳴るやと、
そは汝(な)がために鳴るなれば

これは、後続の歌詞で「弔いの鐘がよく似合う」「闇振り払うときの鐘」と、"鐘"を意識していることでも察することができると思います。
この歌詞の中では「誰がために」というのがある意味反語として用いられ、言外に「汝がために」というニュアンスを含んでいるのではないかと個人的に解釈しております、その際に「汝」とは誰なのか?というのもまた深みのあるところではないかと。
(もしジョン・ダンの原詩に興味がおありでしたら、拙稿でご紹介しておりますのでよろしければご覧ください)
http://zerodama.seesaa.net/article/34160659.html
Posted by 大道寺零 at 2008年05月15日 16:40
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