2007年04月19日

報道ステーションの弁明(4/18)日記

長崎市長銃撃事件報道において、自社に届いた犯人からの郵送物を「犯行声明」と表現したことについての自己弁護の弁が冒頭にあった。

(音声テキスト起し)

今日この番組では、なぜ犯人はあのような凶行に至ったのか、その背景を探ります。
しかし、その前に皆様方にご説明申し上げます。
後ろに写っております、昨日、この番組宛に犯人から手紙が届きましたが、その件に関してです。

番組の中で、昨日一部ですね「犯人からの犯行声明があった」というような表現がありました。
であるならばですね、これは当然警察に事前に届け出るなり、
あるいはまた市長サイドに一報を入れるなりすれば、事件を未然に防げることができたではないかという、
そういった多くの抗議、ご指摘をいただいております。
そうであるならば、当然のことでありますが、ここで説明をさせてください。


この手紙の中にはですね、犯行予告のようなことは一切ありませんでした。
しかしですね、昨日の夜になりますが、事件の一報が入ってきた際に、
この番組に実は本人から手紙が届いているということで「すわ、犯行声明ではないか」と、
我々短絡的に一時考えを変えてしまったのは事実です。

しかし何回も我々、読み返すうちに、これは本人の個人的な抗議が盛られた、
連ねられた抗議文である、手紙であるという判断に立ち返りまして
放送は手紙ということから始めさせていただきました。

しかしながらですね、やはり、一部に「犯行声明があった」という表現が残ってしまいました。
その一点においてはやはり、我々テレビのですね、"早とちり体質"というものが滲んだという点があります。
この点は本当に皆様方に誤解を与えたこと、深く、そして重ねてお詫びを申し上げます。

しかし、今申し上げましたように、これは我々の判断として、そして私の判断も含めて
警察当局に知らせるに至るものではないと、はっきり判断した
ことも事実であります。
その辺りはぜひご理解いただきたいというふうに思います。
その上で、我々、事実を伝えていく報道であるという、その立場に立ち返って、初心に立ち返って毎日ニュースを伝えて行きたいというふうに思っております。
(⇒VTR・中継へ転換)


キー局っていいですなあ。
何をやってもお咎めなしで、「再発防止に努めます」とか言っておけばいいんだもんなあ。
同じ文書やテープの届いた先が自治体や個人だったら、絶対に「怠慢」「知っていて見殺しに」と騒ぎ立てるだろうに。


この弁明で気になった点

・結局、「いつ届いていつ開封したか」齟齬のある情報について明らかにせず、むしろぼかしている

 昨日の「夜届いて開けた」説で言い張るなら、
「何回も我々、読み返すうちに」「犯行声明→抗議文と判断を変えた」という作業は相当時間的にきついのではないだろうか?

・「すわ、犯行声明ではないか」
…と一時的にでも判断したのならば、事後であっても通報するなり警察に証拠品として提出、捜査協力するべきでは?

・「手紙の中に犯行を匂わせるものはなかった、我々に落ち度はない」としつこく強調するのならば、その全文を公開すべきではないか。一部が画面上に拡大されるに留まっているのだが…隠蔽の疑いを否定するならば、全文を公開しなければあまりにも一方的ではないか

「我々テレビの"早とちり体質"」と、テレビ業界全体の問題に一般化している点

テレビ業界が本当にロクでもなさそうだというのは、連日のTBSの失態でよーく分かっているけれども、この一件に関しては、「テレビ朝日」の、「報道ステーション製作チーム」の問題であり、一般化するのは責任の所在を自覚せずに拡散させ、「自分達は悪くない」と刷り込む意図を感じてしまう。いかにもいやらしい言い方で、最も気になった。
 その上、仮にも「バラエティ」という文言を冠につけない報道番組が、言うに事欠いて「早とちり」などという粗忽で、しかも「悪意のなさ・素朴さ」を強く匂わせる言葉を使うのはいかにも情けないと感じた。

「怪文書だと思って取り合わなかった」という可能性は現実的にあるだろうが、それにしても、その後の欺瞞の匂いがプンプンで自己弁護に溢れた言い訳と対応には呆れるばかりだ。

久々にこの番組を見た(冒頭のこの言い訳を聞いて気分が悪くなったので即座にチャンネルを換えたが)のだが、古館伊知郎の気色悪さも相変わらずだし、やっぱりしばらくは見ることもないだろう。
個人的に報道ステーション、番組改編を乗り切ったことが不思議なんだけど…
posted by 大道寺零(管理人) at 10:34 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
長崎市長「襲撃事件」のテレビ朝日の報道についてご指摘の通り弁解がすぎます。暴力団組員から選挙期間に報道関係宛てに、長崎市に対する抗議文及びテープ等が送られてきたことの意図を理解せず、関係機関に通報を怠ったことは弁解の余地は無く深く反省をしていただきたい。
 関係者の中に、選挙後トクダネ「ネタ」としたい下心があったのでは・・・・下衆の勘繰りかな?
 暴力では何も解決出来ないことは誰もが知っていることなのに
 今度のことは犯人が悪いことは百も承知ですが、長崎市の対応も反省しなければならないと思う、犯人との数十回に及ぶ交渉の中で最初から暴力団の横暴と決め付けての交渉のように私は、ニュースを見てかんじた。対等な人間として市役所の職員が対応したとはおもわれない発言が職員の言葉に表れているように思う
、職員の対応のまずさがこの事件を誘発したのではないでしょうか。          龍 山
Posted by 羽前龍山 at 2007年04月19日 18:15
>>龍山さま

「わが局のスクープ!」という気持ちはあったでしょうね。そうでなければ、「犯行声明」という表現は用いなかったと思います。

>職員の対応のまずさがこの事件を誘発したのではないでしょうか。

まだ確定できる情報が揃っていない状況ですが、最近は暴力団の収入源は、かつてのみかじめ料から、行政や企業相手のクレーム稼業だったり、実態を隠しての事業で公共事業に食い込んだりというのがウェイトを増しており、私個人としては、そういうあり方で収入を得ていた暴力団幹部ではないかと思っています。
行政や公僕が暴力に屈してはいけないのは大原則ではありますが、その一方で、一般の人に開かれた窓口(役所など)では、訪れた人は原則として「悪意なき市民」として扱わなければならず、悪質なクレーマーやゴロ巻きに来た相手であっても、とりあえず「通して話を聞く」ことをしなければならず、非常に無防備な状況を強いられているともいえます。
今回はたまたま選挙活動先で起こったことですが、市庁舎や公共の施設が舞台になっていてもおかしくない事件だったと思っています。
報道番組やニュースサイトから得られる情報しか知りませんが、この容疑者の得心行く結果は結局、「横暴な市民である容疑者の理不尽な要求が全て受け入れられる」ものでしかなく、それはやはり不可能だったと思うのです。
池田小事件以来、学校も「フリーパス」ではなくなってきておりますが、やはり「見るからに不審とは言えない人が話しに来たら入れなければならない」職場に勤める公僕を家族に持つ人間としては、今回の事件でそういう方向に考えが及んでしまいます。

話がずれましたが、情報の未確定部分を埋めるために重要な書類・テープであろうことは誰の目から見ても明らかなのに、テレビ朝日は警察への任意提出を拒否したそうです。
ヘタクソな弁明といい、この対応といい、自ら腹の中を黒く見せているようにしか思えないのですが…
Posted by 大道寺零 at 2007年04月19日 21:35
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:[基本的に空欄を推奨します。詳細はこちらをご覧ください。]

ホームページアドレス:

(コメント投稿後、表示に反映されるまで時間がかかる場合がございますのでご了承の上、重複投稿にご注意ください。)
コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。