mixiで何が面白いって、人が加入しているコミュニティ(テーマ別のグループ。2chでいえば「板」のより小規模なものといえば近いか。テーマ内でさらに話題別にスレッドを立てて交流する。)がどんなのか覗き見するのが好きなのだが、きたかZさんのをピーピングしていて、「パンを踏んだ娘」コミュニティの存在を知ってピンポイントにHIT。そのまま加入した。
mixiのコミュニティはとにかく細部に渡って色々あるのだが、本当に何でもあるのだな〜。久々にツボった。
「パンを踏んだ娘」は、アンデルセン原作とされる物語。
とある性格の悪い少女が、ぬかるみで靴や服が汚れるのイヤさに、届け物を言い付かったパンを地面に捨て、それを踏んで水溜りをやり過ごそうとした瞬間、神様のバチが当って地獄に落ちる…という、要は「食べ物を大事にしなさい」という教訓を授けるだけなのに行き過ぎたシチュエーションの寓話である。
内容だけでもけっこうトラウマものではあるが、多くの当時子供の心に暗くこびりついているのは、教育テレビの人形劇で放映されたからである。
当時、道徳や理科社会・音楽の時間はテレビ番組を見ての学習が盛んに取り入れられていて、幼稚園や小学校でもこの人形劇枠はよく見せられた。
確か、いつものパペット劇ではなく、影絵で構成されていた。まずこの時点でちょっと怖い。
問題は歌である。
パンを・踏んだ・娘(3音ずつ小気味よく切れるのがまたなんか怖い)
パンを 踏んだ 娘
パンを 踏んだ 罪で
地獄に〜 おーちーたー
神様に 背いた インゲル
神様に 背いた インゲル
地獄に〜おーちーたー
単純なのでイヤに覚えやすく、忘れたくても脳裏から消えない、短調のテーマソング。
これが、パンを踏んで沼の底にまっさかさまに落とされる(昔のアニメでよくあった、止め絵をグルグル回転させる手法)場面に被さっていたと記憶している。
Bメロの歌詞、私は「神様に背いた人間」だと思っていたのだが、調べてみると「神様に背いたインゲル(主人公の名前)」のようだ。
ストーリーの詳細は、検索して見るとこんな全容だったらしい。
放送された内容は、きょういくてれびのたまてばこBlogによればこんな感じ。
どちらを参照しても、地獄に落ちて鳥に変えられたインゲルは、最後まで人間には戻れない。
なぜか私は、「最後には戻れた」と記憶の混乱を起こしていたようだ。同じ人形劇枠でやってた「杜子春」と混同したのかもしれない。
そう、多分、子供は今まで読んできた話で「改心したら元に戻ったり、何か救いが来る筈だ」と予定調和を学んでいてそれを期待していた。しかし救いのない結末に「エエエエエ〜〜人間に戻れないの?」と大ショックを受け、それがトラウマになるわけだ。
この作品の記憶は鮮明なつもりだったのに、脳が勝手にトラウマを薄めようとしていたのだろうか。不覚。
この救えなさは、指摘する人も多いが、「キリスト教において『パン=キリストの肉体』という不動の共通認識があるから」という点に大いに関係しているとは思う。
この話、私が子供だった時の放送を見た人としか共有できない記憶だろうと思っていたら、その後何度も再放送され、トラウマを振りまいているらしい。
しかもコミュニティの情報によると、10月にも再放送するらしい。
その映像が、果たしてあの恐怖影絵劇場なのかどうかはわからないが、とりあえずチェックはしてみよう。
日本でもよく「お米には八十八の手間が」とか「七人の神様がいるのよ」なんて言い方をして、食物の貴重さを諭すわけだが、諭すとかバチとか以前に、問答無用で地獄行き(しかも転生不可)というストロングスタイルっぷりに、ものすごく「西洋」を感じるなあ。
この記事へのトラックバック
よくまあ40人も集まったもんです(苦笑)
まさか「パンを踏んだ娘」の話題が出るとは!!
NHKの影絵のシーンはいまだに覚えてますよ。
アレが自分とってのホラーの原点のひとつなんです。
自分が勝手に命名している『引きずりこまれ』系ホラーの芽生えでしたね。
きたかさんが書くと、「パン娘」と「パンツ娘」に見間違えそうになってしまいました。
すばらしいコミュニティを教えていただいて感謝です。
>1031さん
おお、1031さんの世代もアレ見てたんですね。
ってことは、相当コンスタントに再放送しとるな、NHK教育…
>引きずり込まれ系
いやもうホントに、文字通り引きずり込まれるんですよねえ、アレ。
興味ある方是非ご覧ください
なんか自分ははじめてみた感じなんだけど、あの曲はなんか久々に聴いた気がするので多分小さいときに見たことがあるのかもしれないです
僕もこのトラウマから抜けられない一人かもしれない・・・・
子供のときにみたら怖いだけの話かもしれないが、大人になってからみるとなかなか興味深い話だと思います。
さて、結末について救いを与えなかったという解釈もありますが、私は少し違うような気がします。鳥に姿を変えられたとはいえ、神様は自分の力で償いをさせる機会を与えたのではないかと思うのです。また、人形劇では明言されていませんが、原作では明確に点に召されるという設定になっているので、ある意味でハッピーエンドになっているとも思います。
前世で悪いことをした人が地獄に落ちるという展開は『蜘蛛の糸』と似ていると思います。但し、芥川は主人公に「自力で罪を償う機会」を与えることなく、ある意味で運任せに近い「蜘蛛の糸」で救おうとしたのです(結果は失敗に終わりますが)。ちなみに、芥川はキリスト教徒から見れば異端ともいえる「自殺」と言う方法で命を絶つわけですが、この様なことからも芥川はキリスト教の「救い」に対して懐疑的だったのではないかと思うのです(但し、仏教の矛盾を突いた側面もあるとは思うのですが)。
なお、私自身は浄土真宗徒です。