2005年07月14日

まんが日本昔ばなし:きっつい話記憶

まだまだトラウマ話が続いてしまうっす。

まんが日本昔ばなしの怖かった話、トラウマになった話を色々調べていて、初めて知った話もたくさんあった。
今日は、「人形山」の動画を見てみた。

越後の村に、父を早くに無くした娘二人が母と細々と暮らしていた。その母も病気になってしまう。
幼い身で一生懸命に働きながら、信心深い母親に倣って、権現様への信仰を欠かすことのない感心な娘たちだった。母が元気になりますように、と一心に祈る姉妹の心に感心した権現様は、夢に現れて、病気を癒す温泉の場所を告げる。
夜中に同時に目を覚ました姉妹は、同じ夢を見たことを話し、権現様のお告げと確信する。山を越えてその場所に行ってみると、果たして夢で見たのと同じ温泉が湧いていた。
次の日から姉妹は、雨の日も風の日も毎日、母親を担いで温泉に足を運び、湯に浸からせたところ、病状は次第に快方に向かっていった。
母もすっかり元気に戻った秋の日、畑に実った作物をお供えに持ち、権現様へお礼参りをしようと思い、山へ向かった。
しかし権現様の山は女人禁制、上り口にその旨を示す石柱があったが、二人には読めず、どんどんと先に進み、お参りを終えて帰途に着くと、にわかに天が掻き曇り、まだ秋なのに吹雪が襲い、凍えて力尽きる姉妹。
家では心配しながら二人を待つ母。しかし日が過ぎて、冬を越して新しい春がきても、二人が帰ってくることはなかった…母親がふと向こうを見やると、権現様のお山の中腹に、二人の子供が手を繋いでいるような形の残雪が見えた。
そう、まるであの姉妹のような…
その残雪の形から、いつしか人はこの山を「人形山」と呼ぶようになったそうな…



って。
「なったそうな」じゃねえ〜〜〜〜!!
権現様ひどすぎるだろコレ〜〜〜!!
なるほどこれは「救われない話ランキング」の上位に上がるわけだわなあ。
山に残る雪が、地形の関係で決まった形に溶け残る(「雪形」)のは、割とどこでもエピソードとかジンクスとかがついていて、まあこれも一つの起源エピソードってことなんだろうけども。
例えば「形や見え方によって豊作を占う」富士山の鳥とか、最近知ったのだけど鳥海山の種まきじいさん(これは一回知るとけっこう見事な形をしている。「じいさんがくっきり見えるようになったら田植えのタイミング」と言われているらしい。形と時期がベストマッチしている例だろう)とかの類。しかしだからってこんな話にしなくても!
「『いいことをしたら報われる』というソーシャルな因果応報よりも、神とか自然の掟が優位にある」という精神風土をシビアに確認させる民話の、もっともやりきれなさMAXなエピソードの一つだろう。
この姉妹は、知らずに禁を破ってしまったという事以外は何も悪いことをしていない、感心な娘たちなのにこの結末がツラい。日本昔ばなしでも1,2を争う可愛い絵柄なのもまたツラさを誘う。

さらにもう一つ。「キジも鳴かずば」に似ているようで、着地点が全然違うパターンの物語。
「赤いまんま」
貧乏な家族と金持ちの家族が、隣り合わせて住んでいた。ある日、金持ちの家から少しばかりではあるが小豆が盗まれた。
日頃から貧乏な家を見下し、よく思っていなかった金持ちは、「隣の貧乏人が盗んだに違いない」と思い込み、決め付ける。
貧乏人の家の子供に、昨夜何を食べたか聞いてみると、「赤いまんまを食べたよ」と答える。わが意を得たりとばかりに、貧乏一家の父親を捕まえて、公衆の面前に引き出して尋問する。身に覚えがないことを必死に訴えるが、誰も耳を貸さない。
「お前のところの子供が、貧乏なのに『赤いまんまを食べた』と言ったのが動かぬ証拠。盗んでいないというなら証拠を出してみよ」と勝ち誇る金持ち。
潔白を証明する方法は一つしかなかった。
貧乏父さんはやにわに手元にあったを持ち、子供の腹につき立て、さらにそのまま切り裂いた。子供の胃袋に手を突っ込んで何かを取り出して掲げる。
それは、米でも小豆でもない、小さな赤蛙だった。
一同は言葉を失う。
本当に貧しいこの一家は、川で捕まえた蛙くらいしか食べるものがなかった。それを子供が「赤まんま」と呼んでいただけなのだ…


がーーーーーー!
フォローー不可能ーーー!
理不尽さにおいては「キジも鳴かずば」を軽々と越えちゃっている。子供のころにこれ見ちゃったらそらショックだわ。
こんな話を観た後に、何食わぬ顔で
「いいないいな、にんげんっていいな」
と歌われてもだ。

よかねーーーよ!

と薄ら寒いばかりだよ全く。

「キジも鳴かずば」では、父親は微量ではあるが「盗みという罪を犯した」という事実はある(だからって生き埋めにされるような罪では全然ないのだが)。
この話の貧乏父さんに至っては、何も悪いことをしていないのだ。この差は大きい。
何がトラウマって、いきなり子供の腹を裂いちゃう展開(しかも鎌ってのが…)で、「そこまでやるか」感がこみ上げるが、昔の日本でこれだけの貧富の差があったということは身分の差もあったと考えるのが普通で、この状況では白でも黒にされてしまう。口で「盗んでいない」といくら主張しても通らないだろう。証拠を示せなければ即死刑(or人柱)になることは誰よりも貧乏父さんが分かっていたのだ。
水呑百姓の悲惨な現実、それにもまして、貧窮している人が身近にいながら、見下すだけで助けもせず、偏見で追い詰めるだけの金持ちの心の貧しさ、汚さが、読後感をより重苦しいものにしている。

これはあくまで一人合点だが、スタッフリストを眺めていて、監修に川内康範の名前を見つけたとき、この番組が上記のようなネガティブなストーリーをあえて子供に真正面からぶつけている理由がなんとなく飲み込めたような気がした。
「月光仮面」「レインボーマン」「コンドールマン」などを手がけた巨魁である。
これらの作品の中で、同氏は徹底して「人の心の中にある悪・汚いもの」と、「それを背負いつつも正義を追及するヒーロー」を描いた。「コンドールマン」に至っては、悪のモンスター軍団について

どこの どこの どこの誰から頼まれた
いのちを賭ける甲斐もない それほど汚れたニッポンの
人の心が生み出した


と断言してしまっているほどだ(しかもOPで)。

金持ちの狭量さ・残酷さは、別に金を持っているからではないだろう。
自作農は小作農に、小作農は乞食に、容姿に恵まれた者はそうでない者に…相対する時に、無意識のうちに金持ちと同じような心になってしまう。また、自分よりも何かで劣った者を探し出して安心しようとする。それは現状から受けるストレスを緩和しようとする、自然で悲しい人の心の性でもある(そして「いじめ」や「ハラスメント」の根源でもある)。
「こういうものが誰の中にもある」
とまでは、昔ばなしは示していない。しかし、今は「単なるひでえ話」でかまわないから、「そういう心」の存在を見せるだけでも意味がある。心の片隅のどこかに残って、時折こっそりワクチンみたいな仕事をしてくれたなら最高…そんな意図があってくれたならいいな、と思う。少なくともこの話を見たり聞いたりした人は、20年以上もずっと心の中に常駐していて、アンインストールも出来ないのだから。
(ま、単に「怖がらせたろ」ってだけなのかもしれんが)

「赤いまんま」の民話を検索してみると、地方によって、「赤蛙」オチ以外にも、「赤い川エビ」「赤タデ」などのバリエーションがある模様。
posted by 大道寺零(管理人) at 22:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶
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