例のインスパイヤ発言に対するもので、
そもそも「インスパイア」という言葉は盗作を肯定するために
引用されるものではありません。
「特定の作品をリスペクトして生まれたものだ」
という創作者の意思表示に使用される言葉であるべきです。
勿論、作品が類似していては意味を持ちません。
(中略…しましたが、この間にも実に毅然とし、筋の通った主張を熱く書かれてらっしゃいます。是非原文を当たってみてください)
私にとってのavexとは愛するべき会社です。
まだスタッフが十数人の頃から御付き合いさせていただいております。
自分の足で自分が愛するレコードを手に、
ラジオ局やDJなどに頭を下げ、
日本中を駆け巡ったMAX松浦氏は
音楽業界が身をてらすべき鏡です。
そうして産まれたavexだからこそ、
私はavexを愛し、そして苦言を述べております。
昨夜22:00、avexから電話を受けました。
「avexの中で木村ブーイングが起きていて
M.O.V.Eのプロモーションに悪影響が予想される。」
と圧力かけられました。
しかし私はavexに関わる人間だとしても
"明確な黒"を白とはいえません。
avexを愛していますがavexや誰かを信仰している訳ではありません。
そしてavex全てを批難している訳でもありません。
作品を生み出し、人々に伝える、という責任感を持った
本来のavexに戻って欲しいと心から願っているのです。
そして胸を張って自分達の作品(商品)だと言える会社に。
今日の私の投稿はボタンを押すに時間を要しました。
心中を察して頂ければ幸いです。
木村氏について、関連スレッドでも数回指摘されていたのだが、昨年avexがCCCDからの撤退を表明した際に、CCCDを採用した事について、ファンに対して謝罪をした事でも知られているとのこと。
残念ながら当時の文章ファイルはキャッシュ・アーカイブ含めて発見できず、それを紹介した「音楽配信ファイル」についても過去ログ整理中ということで読めなかったので、できるだけ詳しく引用していたBlogを探し、ここにリンクさせていただく。
日々適当なblog:moveの木村貴志が公式サイトの日記でCCCDを導入したことについてファンに謝罪
内容については記事を参考のこと。謝罪とともに、CCCDに対する「誤算」がどのような点だったかについても、今回と替わらない真摯な文章で述べてあるようだ。
注目すべきは以下の部分かと思う。
音質の話からはそれますが、
自分の意見、価値観を公に唱えることはリスクでもあります。
しかし、リスクを恐れて決定的な状況下で意見の述べないことは
"それ"以上の問題だと感じます。
これこそが、今回の発言と根本を同じくする、「木村氏の信念」なのだと強く感じた。
今回のBlogエントリーについては、当初「旗色を見ての売名では」「結局は不買しないでといいたいだけなのでは」という意見もあったのだが、少なくとも、木村氏のこのスタンスは今日昨日に急あつらえしたものではなく、「ホントにこの人は、こういう信念を持ち行動する人なのだ」ということは、昨年秋に書かれたこの文章からも十分に見て取れる。
ゆえに、「avexの中にも否定的な意見の持ち主はいる」という記述についても信じようと思う。
それにしても、この木村氏にしても、DJ KOO氏にしても、「avexという会社を古くから知り、愛すればこそ」こうした発言につながっていることの意味をを、第三者ではなく、他ならぬavexの内部の人間こそが噛み締めなければならない筈なのに、それに「圧力」でしか答えられない風景というのは、怒りよりも、端から見ていても哀しさの方が強く感じられるものだ。
音楽もキャラクターグッズも、つまるところ嗜好品だ。それがないからといって、危険も不便も感じない。生理や実益ではなく、ただ一つだけ、「消費者の心情を動かす」ことがその商品価値であり、それを創作し、提供する側は、「心に訴える」のが仕事といっていいだろう。
さらに青臭い言い方で恐縮だが、「消費者は一人一人心情を持っていて、その心が財布の紐を動かす」のならば、先にあげたお二人は、「商品の先には心を持った人間がいる」ということをちゃんとわかっていて、「心を持った人間として語りかけている」のだろう。だからこそ、その言葉が人の胸に迫る力を持っている。
(このエントリを書き終えた時点で、同エントリーには実に1398のコメント、367のトラックバックが記録されている。私はかつてこんなコメント数を見たことがない。)
対して、avexの一連の対応であからさまなのは、「商品の先にあるのは、『心』を持った人間というよりは、『購買ターゲット』というオブジェクト」「PCの前に座って色々騒いでいるのは、『ターゲット』とはあまり重なっていないであろう、やかましくてキモいオブジェクト」という態度だ。でなければあんなにお粗末な見解や対応ができるわけはない。
そして、「マイヤヒー」やグッズに関わっているわけでもなんでもない、声を挙げればそこにはただリスクしかない所属アーティストの二人が恐れずにコメントを出しているのに、当事者であるあのFlash作者は、MUZOに代弁してもらうだけで、陰に隠れて自分の言葉で一言も対応しようとしないのだ。こういうことを追記すると、なんか「ダイヤモンド」とか「プレジデント」のようでおっさん臭いかもしれないが…「諫言」というとこんなことを思い出す。
「貞観政要」は、唐の太宗が時の執政トップらと政治について語り合った内容をまとめたもととされ、今でも漢文の古典として、また帝王学や上司・部下のあり方のテキストとして、ビジネスマンにも親しまれている。
その中のわりと有名な1節に、太宗が部下の房玄齢らに発した言葉がある。
「公等も須らく諫語を受くべし。もし諫を受くる能わずんば、いずくんぞよく人を諫めんや。」
(勿論あなたたちも人(同僚や部下)からの諫言を受けるようにしなくてはならない。
もし諫言を受入れることができないというなら、そのような人間が、どうして人(同僚や上司、ひいては王)を諫めることができるのか。)
太宗は、唐王朝の二代皇帝で、父が武力を持って興した王朝をいかに維持するかに心を砕き、権力を持つが故に一方的な情報や表面的な報告しか流れてこない事に強い危機感を抱き続け、政治家の中でも「諫臣(重臣の一人で、皇帝に対して諫言できる権限を持つ官職の総称)」と意見交換することを好んだといわれている。そしてその治世は、歴代王朝の中でも屈指のよきものとされ、「貞観の治」と呼ばれたということは、世界史などでも扱われるとおり。
会社や組織内にとどまらず、さまざまな人間関係の中で共通した真理ではないだろうか。
松浦氏はすでに大企業という国の主だが、果たして太宗になることができるだろうか。まだその機会は十分に残されているのだが…