2007年07月05日

レフトアンドライト(3)〜小笠原流礼法の考え方〜WEBサイト

右利き左利き問題について調べるうちに、東北公益大学・三原研究室で公開しているゼミ生の卒論に当たった。
上野寛氏「右利き社会と左利きについて」(PDF)
同HTML版

この中で引用されている小笠原流礼法の家元のインタビューが非常に興味深かった。
いわずと知れた、室町時代に始まる日本の礼儀作法の総本山なのだが、意外にもフレキシブルな理念があり、現宗家もサイトの中のページで以下のように語っている。

 小笠原流礼法の伝書の中には、細かな作法が述べられておりますが、文末に「いづれも時宜によるべし」と書かれていることが多くございます。これを現代語に訳しますと、 「TPOに添って行動しなさい」という意味が含まれております。
 つまり、礼法といっても決して決められた作法一辺倒のものではなく、相手や周りの環境などにより、TPOに合わせて、その場に応じた適格な判断をすることの必要性が六百年以上も前から日本の文化の中で育まれてきたのでございます。
http://www.ogasawararyu-reihou.com/contents1/profile.html


以下は、上野氏の論文中よりの引用。




―礼儀作法とはどういうものですか?

「礼儀作法とは、自分を飾るためのものではありません。相手に不快感を与えない動作を身に付けることです。
よく、たったひとつの作法で、あらゆる相手と対処しようとする人がいます。本人は正しいことを習って完璧だと思っているでしょうが、実は礼儀知らずにすぎません。それこそ、他人に対して自分をよく見せかけているだけなのです。一度覚えた作法に固執するのは、不精者のすることです。
その時々の常識に沿った礼儀作法を取り入れるよう、心がけてください」

―左手に箸を持つことは礼儀作法に反するのですか?

「箸使いにつきましても、左利きであれば左手をお使いになればよろしいのです。現代の常識からしてみれば、左利きを無理に矯正するなんて、むしろ非常識です。左利きは悪いことではありませんから、年長者はとがめないように。左利きの人にも、あるがままに生活してほしいと思います」

―食卓で、左利きの人へのもてなしはどうあるべきですか?
「食事をもてなす時、左利きの人の顔に“左手で箸を持ちます”などとは書いてありません。ですが、左手で箸を持つ人だとわかっているのであれば、左手で持ちやすいように箸を添えてあげます。これも、相手に対する礼儀なのです」

―礼儀作法を身につける秘訣とは何ですか?
あなたが生きる時代の常識を知らずして、礼儀作法を知ることはできません


『見えざる左手』(大路直哉著、1999年、三五館)117〜118貢より引用

(聞き手:著者の大路氏
 インタビューを受けている宗家は、刊行当時の32代宗家・小笠原忠統氏。現在は小笠原敬承斎氏が宗家に就任している)


実際、小笠原流だけが作法ではない(茶道一つを取ってみても、千家の裏と表でも考え方や作法・道具が違う。裏千家のほうが型やルールには厳格である)が、スタンダードのメインストリームであることは誰もが認めるところである。その小笠原流がこういった柔軟な理念を持ち、左利きへの理解を明言していることは実に大きな意味があるといえる。
実際、「右利きが作法だから!」と固執する横澤氏のような手合いに反論するには、作法の大家である小笠原流宗家のこうした意見を引用するだけで十分であろう。

左利きを無作法とし、また矯正を強いる大きな根拠である「作法」という理念的な牙城は、実はとっくの昔に崩れていたと言ってもいい。

とはいえ実際に、親や祖父母からの教え、または地域の風習が人間のルール・マナー観を強く支配するのもよくあることだ(個人の中で伝統と因習を明確に切り離すことは難しい)。

上野氏は同論文の中で、「かつて、左利きの女性は婚姻等においても不利を被り、時には左利きであることを隠さなければならぬこともあった」という因習について述べている。

「かつて日本では、(中略)左利きの娘は嫁の貰い手がなく、結婚したあとで左利きと分かれば夫の意思で離婚することができた」(ブリスとモレラ、『左利きの本』)

かつて日本の農村部に住む左利きの女性は、見合いの時右利きのふりをした」(ガードナー、1992年)

とある。いずれも、話の出所は明らかにされていないながらも、日本の女性は左利きだと結婚ができないという点において共通している。
この本の話は、本人の口から語られることはまずなく、活字としてはっきり残されてはいないのだが、小児科医であり、評論家でもある松田道雄も、
「ことに女の子は、左利きでも右手でお箸を持ち、右手で字を書くようにしつけないと、母親の怠惰のように思われた時代がありました。お見合いの時、若い娘が左利きであることを分からせる動作を見せたら、破綻になるこが少なくありませんでした

と述べているように、非常に信憑性の高い話である。実際、そういった迷信は、左利きが今よりも不遇だった数十年前までは存在感が大きかったのである。

左利きの女性差別問題として、このような話もある。
「男女雇用機会均等法」がスタートした1986年に、会社訪問で左利きゆえに差別を受けてきた女子学生がいる。
それによると、担当の面接官が、
「君は左ギッチョなの?社は客商売だし、器具の扱いも不便になるから採用はちょっと難しいね」
と言われたという。


左利きの嫁であれば左利きの子を生む確率が高まり、その場合も左利きの母親はうまく矯正教育を行えない、ということで忌避されたのだろう。

しかしほんの5〜60年前には、ここまで左利きがタブー視され、「右に直せないのは親の責任」とされていたのが日本社会だったのだから、横澤氏の年代があそこまで凝り固まってしまうのもある意味仕方ないかもしれない(「ケツを拭く手」などという暴言を書くという行為はもちろん別問題としてだが)。

さて、上野氏は論文の中で、「箸は右で持つべし」という躾の起源を、儒学の基本文献である「礼記」の記述に求めている。
次のエントリーでは、その記述と、箸の歴史について書いてみたい。
posted by 大道寺零(管理人) at 16:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | WEBサイト
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