2007年07月05日

レフトアンドライト〜番外編〜WEBサイト

前エントリーで引用した上野寛氏の論文「右利き社会と左利きについて」には、以下のような文がある。

われわれ日本人に馴染み深い箸使いだが、実は長い間左手に箸を持つのはご法度とされてきた。
それには日本の道徳的な基盤である「儒教」が関係してくる。儒教には、「礼は飲食から始まる」という教えがある。そして「箸使いを見ればその子の親がわかる」と言われてきたように、われわれの食卓には箸が欠かせないものとなっている。儒教のそういった食生活でのマナーにおいて左手で箸を持つな、というのはどこからきたのであろうか。

儒教のマナー

儒教における「礼」というものがある。それの意味は国家から家族にいたる、もっとも重要な道徳的観念である。礼の歴史をたどると、それは古代中国で編纂された『礼記』にまでさかのぼることができる。儒教圏での札儀作法に関する事柄は、この『礼記』に凝縮されている。
その中の一節には、食事作法にまつわる文がある。
<子能食食 数以右手>
意味は、「子供が自分で食事をすることができるようになったら、右手を使って食べるように教えなさい」というものである。
儒教とともに箸が日本に渡ってきた、と考えられるならば、その後千数百年にわたりその教えは守られてきたということになる。


「儒教とともに箸が日本に渡ってきた」とする部分、また儒教はなかなか日本にはなじまず、江戸時代になりようやく根付いた(しかも仏教や神道とズブズブ混ざって「魔改造」な状態になって、なのだが…)事実を考え合わせるとかなり踏み込みの足りない文ではあるものの、「礼記」にこの記述があるのは事実である。


「礼記」12「内則」(原文

子能食食,教以右手。
能言,男唯女兪俞。男鞶革,女鞶絲。
六年教之數與方名。七年男女不同席,不共食。


子供がものを食べられるようになったら、右手を使うように教えること。
ものが言えるようになったら、男子には「唯(い)」、女子には「俞兪(ゆ)」と言わせるようにする。男子ははきはきと歯切れよく、女子はおっとりとした話し方をさせる。
六歳になったら数や方角の名前を教える。
七歳になったら同じ席に着かせたり、一緒に食事をさせてはいけない。(「不同席」を、「一緒の寝床に寝かせない」と解釈する説もある)


有名な「男女七つにして席を同じゅうせず」の大元がここだったりする。
「内則(だいそく)」は、家庭内の教育や生活について述べた部分で、当時の教育理念、女性観、家庭生活についてかなり細かく述べられており、けっこう今読むと面白い。
(特に食生活についての記述が詳細で興味をそそられる)
ジェンダーフリーな人が読むと血管によろしくないかもしれないが…
一応、礼記に限らずこの手の儒学の書物は、基本的に「士大夫層(貴族・官吏や教養人)」に向けて周代の貴族の儀礼や道徳を説いたものであり、基本的には庶民の末端までを対象にしていない。また、当時において孔子の主張や儒学者の言論が復古主義的、懐古的(「荒廃した戦国の今だからこそ、失われつつある周の道徳や礼を見直すべき」というのが主眼である)であることも付け加えておく。

まあとにかく、礼記に「ものを食べるようになったら右で食べるように躾けなさい」と書いてあるのは事実なのだった。
「食事の上でメインにすべきは右」という理念が書物に現れるのは多分コレが現時点で確認できる最初のものかと思われる。(孔子が提唱したのは周の儀礼なので、周においても右をスタンダードとする習いがあったのかもしれない)

ちょっと考えてみると、わざわざ「右で食べるように」と記すというかげには、「食事の折に食べ物を左手で扱う人間も割といた」という事情があった可能性もある。
右利き左利きの割合が今も昔もさほど変わらないとすれば、「利き手が左だから左で食べるよ」という人も当然一定割合いたわけで、特にそれをタブーとしない風潮が一般的だったのかもしれない。
「みんな右持ちにしなければ!」という矯正意識があったのならば、特にこんな風に書く必要はあまりないのだから。
もしかして周末あたりは、右への矯正があまりやかましく言われていなかったのかもしれない。

次に、「右で食べるようにさせよ」と教えているのはいいとして、「じゃあこの時代は箸で食べていたのか?」という疑問が湧いてくる。
これについても、同じ「礼記」内で記されたあるマナーがヒントになってくれた。

まず主食としての「飯」(米や穀物)と、副菜や汁に分けて考えてみると、

「礼記」一「曲禮 上」

共飯不澤手。毋摶飯,毋放飯。


(人と一緒に飯を食べる時は、手をすり合せないこと。飯を丸めるな。飯を元の器に戻すな)


とあり、青木正児先生は「華国風味」において、この記述および注疏を根拠に、「当時飯は箸や匙ではなく手づかみで食べていた」と類推している。

注疏によると、古の礼では飯は箸を用いずして手で食べたので、人と食事をする時、手を合わせたりすると汗でも出ているかと思って人が穢(きたな)がるし、手で飯を丸めると沢山取れるから欲張って見えるし、手に余った飯を元の器に入れると人が穢がるからだと解してある。今註釈を離れて考えても、「飯を丸める」という動作の如きは、箸や匙では出来にくい、やはり手づかみでやったに相違なかろう。
(「華国風味」岩波文庫版 「用匙喫飯考」P102)


で、汁物については既に箸を用いていた。
「礼記」一「曲禮 上」

羹之有菜者用梜[木+夾],其無菜者不用梜[木+夾]。


汁物のうち、実のあるものには箸を使い、実がないものには箸を使わない(直接器に口をつけて吸う)。


ところがこのような当然と思われる事をわざわざ教えてあるのには理由がある。それは汁の実をつまんで食うような不行儀な連中があったためらしい。その典拠には、『管子』弟子職篇に「飯必奉攬、 羹不以手。」(飯は必ずかかえてつまめ、吸い物は手で食べないこと。)と言ってあり、唐の房玄齢は「箸を以てすべきである」と註してある。かくの如く、飯は片手で容器をかかえて片手でつまんで食べるのが作法だと教えているのは、その反面に置いたままつまんで食うような無作法が行われていたことを物語っており、汁の実は手でつまむなと戒めているのは、右の曲礼にいうところのごとく箸ではさむ方法を礼だとする考が含まれているであろう。
(「華国風味」P107)


では菜(おかず)についてはどうかといえば、少なくとも孔子は箸の普及に一役買ったようだ。
というよりは、食卓からテーブルナイフを追放することで結果的にそうなったらしい。

その後孔子が、「君子厨房に近寄らず」(君子遠庖廚)の格言に基づき、厨房やと畜場でしか使わない刃物の、食卓上での使用に反対した。そして料理はあらかじめ厨房でひと口大に、箸にとりやすい大きさに切りそろえられ、食卓に出されるようになったので、箸が普及していったと言われる。
wikipedia「箸」より)


「華国風味」ではさらに、文献の飲食に関する記述を引用しつつ、

・少なくとも唐代には、「菜や汁は箸、米飯は匙で食べる」という習慣が定着していた

ことが書かれている。

また、ここで日本人がイメージする「米飯」と、当時の中国人のそれは粘性が異なっていることに着目している。

日本人からしてみると、「米を手づかみで食べる」というのは、手に米粒が付きまくって食べにくそうに思うのだが、それは日本の米飯が粘っており、またその粘り気が好まれているからだ。
一方中国人(特に北部)は、サラサラ・パラパラした米を好むため、米の種類も炊き方も違うという。引用されている古来よりの文章の数々が、「粘らない米飯を至上のもの」とし、匙や箸にくっつくような粘る米は「貧乏臭く美味しくないもの」と考えられていた事実を語っている。そういう米飯であれば、手づかみで食べるのに支障は少ない。
一方、上海・楚州以南の地域では、日本で好まれるような粘性の強い米が作られ、人々にもそれが好まれているという。

因て想うに、飯を食うに箸を以てすることは、あるいは南方の粘り気のある米の飯を食うことから起こった風習ではなかろうか。明朝に至って南人の天下となり、南人が南北に勢力を張るに及び、飯を食うに箸を以てする風が北方に波及し、ついに南北箸の天下となったのではなかろうか。
(「華国風味」 P113)


匙⇒箸の移行がいつごろ始まったか調べてみると面白そうな話だ。
南北の米の質や好みの違いなどを考えると、宋代に至って漢人のエリアが南へ縮小されていき、好むと好まざるとに関わらず南方の米を食べることになったことも関係しているのかもしれない。

ともあれ、中国人も現在は菜も飯も主に箸を用いて食べている。

現代においては、
なお、中国や朝鮮など日本以外の東アジアの国々では、お椀を直接口に運んで汁を飲む習慣がなく、匙と箸を使って食事する。箸だけで食事をするのは乞食の所作、とこれらの国々では考えられているようだ。
wikipedia「スプーン」より)


ということらしい。


「礼記」には、食事のほかにもさまざまな作法について右や左の規定が沢山ある。性差によって左を用いたり右を用いたりすることも多い。
これは、世界のあらゆる要素を「陰」と「陽」に分類する理念とも深くリンクしている。
例えば
太陽=陽、月=陰
男性=陽、女性=陰
奇数=陽、偶数=陰
天=陽、地=陰
で、左右で言えば
左=陽、右=陰
とされている。

陰陽の観念で言えば、「陽の手である左手で食べよ」となってもおかしくないとも考えられる。そこはまあやはり「右にならう儀礼」としたのかもしれないが、この辺の関わりも、深く調べてみると面白そうだ。
(なお、左右どちらを尊ぶかということは時代によって変化しているためまたややこしい。

大雑把に言うと中国では

・周      左上位
・戦国・秦・漢 右上位
・唐以降    左上位

となっており、日本では官位の序列(右大臣と左大臣など)において唐以降に倣っている。雛人形の内裏雛の置く位置も、明治以前までは内裏雛が向かって右(当人から見て左)だった。
また、死に装束を「向かって左=当人から見て右」が前になるように着せるのも、死者が陰であるからという理由である。)

この「陰陽において左が陽」という理念は、横澤氏の様な「左手はケツを拭く手だろ」という馬鹿馬鹿しい手合いに対して、「それはヒンドゥーやイスラム文化圏の話ですよね?陰陽で言えば左が陽なんですよ?」と返す際には有効かもしれない。



では日本での箸の使用及び箸以前の食事方法はどうなっていたかというと、

お箸の話

 我が国で発見された箸の考古学的遺物といては、七世紀後半の飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)および藤原宮跡から出土した桧の箸がもっとも古い。
 また、平城京跡から多量に発見された奈良時代初期と中期の桧、杉などの木製の箸、島田遺跡から出土したピンセット型の竹の折箸、それに奈良正倉院御物の二本一組の銀箸と鉗(かん)と呼ぶピンセット型挟弧(きょうす)などがある。
 いずれも七、八世紀の遺物である。六世紀以前の遺物が発見されていないのは木や竹の植物性の箸は残りにくく、また一般に使われていなかった為と考えられる。

 一方、文献資料として、日本の三世紀の模様を伝える『魏志倭人伝』や七世紀初頭の様子を記した『随書倭国伝』などの中国側の史書は、いずれも日本人の食生活を手づかみで食べる手食様式であることを伝えている。
 ところが、八世紀初頭に成立した日本側の史書『古事記』や『日本書記』は、神代の昔から日本に箸が存在したことを強調し両者の記述には大きな相違点がみられる。
 この記述の相違は、弥生時代に中国大陸から伝来した箸が、当初、主に祭祀・儀式用の祭器として使われ、民衆の日常の食器ではなかったことによる。


「折箸(ピンセット型のもの)」は、現在でも大嘗祭などで使われる祭祀用具であり、宗教用の用途のほかとしては、天皇しか使うことを許されなかったという。
一般の食事は手づかみ、もしくは木の匙(これも遺跡などから発掘されている)を使っていたらしい。

折箸、または祭祀用具としてではなく、一般の食生活に持ち込んだ立役者は聖徳太子だと言われている。


箸の歴史


聖徳太子は中国(随)に使節を送りました。そこで使節団は王朝の人々に歓迎を受けたのですが、王朝の人たちが箸を使って食事をしているのを見て大変驚いたそうです。
日本に戻った使節からこの報告を受けた聖徳太子も驚きました。
そして、今度中国の使節を日本に招待する時のために、大急ぎで箸を使った食事の作法を朝廷の人に習わせたということです。
ここから、日本で食事に箸を使う風習が始まったのです。


7世紀頃から、朝廷の貴族や聖徳太子が庇護した仏教寺院を中心に、中国文化・仏教の伝播とともに箸が食事に使われるようになり、8世紀頃には定着したとされている。

・中国からの使節を迎えるときに粗相がないように
・というか「箸も使えない蛮族」とナメられないように

という同様の動機から、周辺の国(ベトナム・韓国など)にも箸が伝わっていったと言われている。

ところで「日本に箸が伝わったのは弥生時代」という推定が正しく、また食事の習慣に持ち込んだのが聖徳太子であれば、「儒教とともに箸が伝わった」という記述はちょっとどうかな、という気もしてくる。
むしろ聖徳太子の嗜好を考えると、仏教や当時の中国文化とともに伝来し、普及したと考えるのが適当なのかもしれない。
また、儒教が日本に伝来したのは5世紀頃とされるが、その後はどうもパッとせず、色々と変容しながら独自の形に解釈されたものが江戸時代に定着し(寺子屋での講読などが行われた影響も大きい)、実は一番儒教的倫理観が強調されたのが明治以降だったりもするわけで、「礼記」の記述が和食の食事マナー形成とどのくらい関係があったかは判断しづらい。
とはいえ、「礼記にも右で食べるように躾けろと書いてある!」というのは、矯正の際の理論武装用の根拠にはなったのだろう。

日本に伝わったのは比較的遅かったのに、「汁も菜も飯も箸一つでオールマイティに食べる」という箸の活用範囲が拡大していく速度がすこぶる早かったであろう事はなかなか面白い。
これは青木先生が指摘した、「日本の粘る米を食べるには箸が最適だった」ということも関係しているだろう。
また、現代中国で見る箸はあまり先端がすぼまっておらずほぼ太さが一定なのに対して、日本では箸の先がだんだん細くなり、さまざまなものをつまむのに便利であったことも大きいと思われる。

この「匙を添えず、箸一つで食事を完結する」という独自様式に発展したことが、日本人の器用さを高めるとともに、箸のルールを排他的にしてしまったのかもしれない。


posted by 大道寺零(管理人) at 21:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | WEBサイト
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