2007年07月06日

レフトアンドライト〜番外編2〜日記

(注:漢文及び中国語文字のうち、ブラウザで正常に表示されないものについては文字を分解して表示しています。実際の文字はリンク先でご確認ください。)
前稿の拾遺。

中国の食事マナーにおいても、日本同様に「箸は右で持つのが正しいマナー」という考えは依然根強いようだ。

「瀛舟網 吃喝玩樂 - Enmages.com Entertopia Page」より"複雜多樣的飲食方式禁忌"←中国における食事マナーのタブーを列挙しているページ(中国語です)。

筷[竹+快]子一般用右手拿,《禮記内則》云:「子能食食,教以右手。」左手拿筷[竹+快]子,民間以為反常,俗稱”左撇[扌手へん+敞]子”。


箸は一般的に右手で持つ。
「礼記・内則」にも「子供がものを食べられるようになったら、右手を使うように教えるべし」とある。
左手で箸を持つことは、世間では尋常なマナーとはされず、俗に「左撇[扌手へん+敞]子」と呼ばれる。


「左撇[扌手へん+敞]子」は、中国語における「左利き」の総称だが、この文の場合は若干「ぎっちょ」のような揶揄的なニュアンスがあるものと思われる。

以下の文は、左利きの方が中国に行った時の話で、
・都市部では左利きは左利きのままに道具を使うし箸も使う人が増えている
・地方では「左利きは無作法であり矯正するのが当たり前」という考えがまだ強いようだ

と書かれており興味深い。

中国の左利き事情

■ということで興味を持って、それから毎日、学生食堂に行く度に左利きがいないかと1週間観察した。驚くことに、毎日一人か二人の左利きさんを、まわりに発見できた。厨房のおばさんの中に左手でしゃもじをつかっている人もいた。結構、左利きが多いなという感じ。中国人が左利きについて、どう感じているか興味がある。だから、誰かが、私の左利きについて話題にしてくれれば、これをきっかけに聞いて見るのだが、誰もが気付いているのに、それを話題にすることはない。このことからも中国では、左利きであることを、さして話題にすべき程のことではないということが推察される。
 ちなみに、仕事で会ったのは20人ぐらいだったが、その中に左利きの方が一人だけいた。その方は意匠デザイナーであった。

■ところで二度目の出張では、北京から1200kmほど離れた地方都市に滞在した。ここでは、最初に会った責任者が、食事中、私の左利きを珍しいもののように見咎めた。そこで、すかさず中国の左利きの子供は右手に直すのかと質問。当然「直させます」と即答。この体験と北京での体験を比較すると、まだまだ地方では左利きに対する偏見が残っていると考えられる。


中国にも、「左撇[扌手へん+敞]子世界」などのレフティーサイトが数々あるところを見ると、「右手矯正習慣からの解放」「左利きはあるがままに左手を使おう」という大きな流れが存在しているようだ。
また、日本同様、左利き用グッズも流通している。(同サイトより、紹介ページ
このサイトによれば、「中国の総人口13億のうち左利きは1億人」らしいので、割合がさほどでなくても絶対数が多いことを考えれば、左利き市場もそれなりに大きく、商売になりそうにも思える。
居住地域や生活レベルにもよるのだろうが、中国の左利き許容度は上昇していると考えてよいかもしれない。

とはいえ、「中国でたった一人の左利き看護婦」の記事などを参考にすると、まだまだ左利きに敷居の高い現場は多いようだ。



<現代の中国料理の箸に関するマナー>

・箸のセッティングは、食べる人から見て右側に、縦に置く。(箸の先と箸置きは奥、端の頭は手前に来るように奥)これは韓国やベトナムなどでも同じ。

・レンゲを併用する場合は、右手に箸、左手にレンゲを持つ。器や取り皿は手に持たない。

・白飯は箸、チャーハンや粥・雑炊はレンゲで食べる。


太田昌子氏の著書『箸の源流を探る―中国古代における箸使用習慣の成立―』(汲古書院、2001年9月)では、「食指(=右手人差し指)が動く」という言葉の元になった「春秋左氏伝」のエピソードに注目し、「中国の戦国時代には、手づかみ食がメインだったのでは」と推察している。
詳しくは
太田秀夫のブログ〜中国文化と日本 第6回目」内の引用を参照あれ。

なかなか面白い本のようだ。


中国よりも儒教文化の支配が強い韓国ではどうかというと、日本よりも「左手は矯正すべし」という考え方が根強いようだ。

・オーマイニュース「【くらしの話】「申し訳ございません。私は左利きです

 先日、在学中の学校と姉妹校である日本の学校から来たある生徒が、わが家にホームステイをした。家に連れてきて一緒に食事を始めた途端、彼の食事をする姿に得体の知れない仲間意識が感じられ、頭をもたげた。食事をするとき、テーブルを挟んで向かい合っている相手を見ると、私は常に鏡を見ているかのような気持ちだった。しかし、彼の姿は鏡ではなかった。彼は私と同じ手で食事をしていた。

 嬉しいはずなのに、何となくけしからんと思った。韓国人は初めて出会う人が左手で食事をすると、皆がけしからんというような表情で皮肉る。私も間違いなく、韓国人であるらしい。とんでもない日本語と韓国語を交え、最大限皮肉った。

 「日本のレフトハンド、パクパク、大丈夫ですか?」

 「あ〜〜〜」

 彼は日本人独特の感嘆詞を発して、私の質問に淡々と答えた。私はきちんと皮肉ることができなかったようだ。
 
 「イルポネソヌン(日本では)レフトハンド、大丈夫ですね」(少々韓国語ができる)

 大丈夫だと。余計なことをしてしまった。だが彼が大丈夫と答えると、私も嬉しくなった。左利きを認める社会があるとは。しかも隣の日本で。嬉しい気持ちで、とんでもない日本語で質問を続けた。左利きがどれほどいるかと聞くと、およそ30%が左利きだという。
(略)

 今でももちろん左利きの人生は苦しい。数日前、彼女の両親と食事をした。改まった場なので、ひたすら右手を使ってさじだけで食事をした。それに、焼肉屋は相変わらず左利き用のはさみを備えておらず、焼肉を食べる際には人に肉を切ってもらうしかない。

 私が望むことはただ一つ。それは、「左利きか」という言葉を聞かないことだ。カナダ、日本では左利きはそれほど変わった人種ではない。ただ左手を使った方が楽な人だ。左利きであるため、自分が不便な点はあっても、左利きだから他人に迷惑をかけることはない。皆で食事をする場合、言われなくても左端の席に座る。長い間左利きとして生きると、こうしたセンスが自然に身につく。

 しかし、世の中がひっくり返るとか、私のような一握りの子が世の中を荒らすとか、皆が同じ手を上げるべきだとか、そういう目で非難しないでほしい。私は何も台無しにすることのない、ただの左利きだ。むしろ左手を抑圧し右手の使用を押しつける韓国社会こそが、多様性を認めないこの風潮こそが、より社会を荒らし、台無しにするのではないか。


この筆者が褒めてくれるほどには日本人がみんな左利きに寛容ではないのだけれど、初等教育の現場で暴力を伴った厳しい共生が行われていること、目上の相手と席を共にする場合には無理してでも右手を使わないと失礼にあたる、という習慣がかなり根強いことが見て取れる。
ことに韓国の場合、兵役義務があることも大きいのかもしれない。

一方、ドラマや映画に登場する俳優達が左で字を書いたり食事をしたりするシーンは増えてきているようだ。
韓国の社会も変化しつつあるのだろうか。

参考:「chim chim〜韓国俳優DB〜」より、左利きリスト

面白いことに、韓国において「左利き」には「頑固な人」「押しが強い人」というパーソナリティ記号が付与されるらしく、本来右利きの役者が、役作りやキャラクターにインパクトを与えたり、「頑固さ」「強引さ」を表現するためにあえて左で箸やペンを持つことがあるらしい。

(ドラマ「火の鳥」において、イ・ソジンが「演じるときにその人を表すような特有の“クセ”が欲しいと思って左利きにしてみてはどうかと提案しました。韓国で左利きというのは“頑固な性格”という意味があるので、チャン・セフン自身も頑固な性格の設定なのでそういう提案をしました。」と語っている。)


「日本に箸を伝来したのは空海」という記述をいくつかのページで見かけたのだが、箸の定着した時期やソースが見当たらないところから考えると個人的にはあまり信憑性を感じないところなのだが、空海と箸の関わりが深いことは事実のようだ。

徳島に、その名も「箸蔵寺」という真言宗のお寺がある。この寺の縁起によれば

箸蔵寺の縁起
 箸蔵寺は天長五年(828)に、弘法大師が開創されたと伝えられる、真言宗の古刹です。

 この地を訪ねられたお大師様は箸蔵の山頂に漂う不思議な瑞気に導かれ、ここに登られたということです。

 お大師様はここで金毘羅大権現にめぐり合われ、「済世利民」のご神託(おつげ)を授けられたと伝えられています。このご神託は、「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん」という言葉で表されています。箸を挙ぐる者、というのは国民の全てということです。つまり、全ての人々を救済するという誓いが、当時、全ての人々が使っていた箸というものにたとえてたてられたのです。これが箸蔵寺の名前の由来です。"


同様の記述としては、その言葉の前に

「誰か喫うに
箸を以てせざらん」
と、日本人に箸生活が行き渡り一般化したことを喝破し、
http://www3.wind.ne.jp/n_kankoukyoukai/hashi/hashi.htm


という前置きがあったらしい。

9世紀には、「食事の折には箸を使う」という習慣が相当一般化していたことをうかがわせる貴重な内容といえる。
(同時に、空海が箸を持ち込んだのであれば、それほど短期間に普及することは難しく、その点においても空海輸入説は厳しいと思うのだが…)

また、「空海が道端で食事を取り、使った杉の箸を地面に突き立てたものが杉の巨木になった」という伝説を持つ「弘法杉」もある。
…もっとも樹齢は400〜500年くらいと測定されているらしいが…
まあこの手の、日本全国至る所にある「弘法井戸」「弘法温泉」については突っ込まないでおいてやるのが日本人の優しさというものだろうから…

日本の箸の歴史について考えてみると、

・仏教の庇護者である聖徳太子が普及させ、寺院を中心に根付いた
・箸に関する空海の伝説がある
・日本の箸のタブーの多くが葬式に関わるもの

(・盛った飯に箸を突き立てる=死んだ人へのご飯
 ・箸から箸へ直接食べ物を受け渡す=火葬場でのお骨拾い)

など、儒教よりもむしろ仏教文化との関わりが深いように思える。
そもそも寺院では食事も大事な修行の一つであったし、精進料理が本膳料理の成立に大きく関わっていることを考えればむしろ当然なのかもしれない。
posted by 大道寺零(管理人) at 17:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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