一方で、「デムパさんに一方的に(デムパさんというのは概して一方的なことしか書かぬものだが)『キモい』『治安上不安』と言われたのは許せん!」と憤る方もおいでのことだろう。
日頃からオタクや「自分の理解できない趣味や信条の異なる人間」を排除することしか考えていない彼のような人間にみすみす中傷の材料を与えないためには、やはり「誤解されない行動」を心がけることも重要となるだろう。
<重要な追記>
鷲宮神社や関係各所(鷲宮及び周辺地域の役所・学校・教育委員会など)に、「実際に言われるような被害や迷惑行為の事実・通報があったのか」を問い合わせて事実確認をされた方がおられます。
参考サイト:
「らき☆すた 巡礼騒動(まとめサイトではありません・電話確認のみです)」(管理人:JUN-SOU氏)
その方のご報告によれば、
結論からいえば
この3ヶ月、
・境内にゴミ(パン、単行本)を置いていくファンは見受けられない。
・境内で騒ぐファンと見られる方々はいない。
・目立つような異様と感じてしまうような徒党は見受けられない。
・該当する不審者通報・苦情はなかった。
とのこと。
同ブログより「 初めに・・・・:騒動について」
という問い合わせ結果が得られたとのこと。
同ブログからは実際の電話音声も聞けるようなので、興味がおありの方は確認してみられてはいかがでしょう。
以上のご報告(管理人のJIN-SOUさん、及びカーナッツフォーズさんからのコメントにより知りました。ありがとうございます)を受けて、以下の内容に若干の追記を加えております。
もっとも、取りざたされた行為の実際の有無に関わらず、神社参拝や作品登場地などの訪問に関して留意すべき点と考えている内容自体は変わっていないので、大きく手を加えてはおりません。
とはいえ、何も難しいことはない。
「巡礼」という行動を後押ししたといわれる「月刊ニュータイプ」の記事の中にもしっかりと「注意事項」が記載されている。
これは別にアニメファンとかにとどまらず、ドラマや小説の舞台や史跡・旧所などを訪れる際にも当てはまる、誰もが当然守らなければならない常識であることは言うまでもない。
この「注意事項」からはみ出さない行動を守っている限り堂々としていればいいし、服装や持ち物をとやかく言う輩がいても受け流せばよいだけの話だ(風呂に入らず悪臭がするなどはそれ以前のレベルだが…)。
今回話題になっているのは神社を訪問する時のことなので、上記の事項に加え、「正しい参拝作法」をこの際にマスターして実行してはどうかと提案したい。
(とはいえどマイナーな一ブログでこのような文章を書いても人の目に触れることはほとんどないと分かっているが、何かの検索エンジンの気まぐれで訪れた方に何かお役に立つことがあれば幸いである)
一部神社によって大きく参拝ルールが異なるところもあるが、大抵の基本作法は日本全国共通なので、一度覚えておけば将来に渡って役に立つだろう。
ルールとマナーを守った参拝を行えば、所作はおのずから迷いなく、キビキビとして美しく見える。偏見を持つ人間がどう言おうと、同じ場にいた参拝者や散歩中の人は、「ああ、ちゃんと参拝しに来た人なのだな」と分かってくれるはずだと思う。
意外に年配の人でも手水場でまごまごしたり、中にはお寺で拍手を打つような常識のない人もいるものだ。スマートに行こう。
(なお、けっこう細かいことまで書いているのでこれらを全部完璧に行わなければならないというわけではない。基本的に、自社参拝に慣れている人やマナーある年配の人から見て「これだけやれば『わきまえているな』という印象を与えるのではないか」と思われるレベルを想定しているつもり。)
神社への訪問の動機がどういうものであれ、鳥居をくぐる以上はその神様や、神様を大事に祀ってきた地元の方達に十分に畏敬の念を持ち、きちんと参拝しよう。
「●●神社に行って写真さえ撮影できればいい」「絵馬を残せれば満足」として、手水場での清めや参拝を行わない、また1円もお賽銭を入れないというようなことはあまりに本末転倒なので絶対にやめること。
●鳥居
鳥居は、「ここから神様のエリア」ということを知らせる一種の結界のようなもの。
大きな神社ではいくつも大鳥居があってその下を道路が走っていたり、現代では駐車場に行くために車で鳥居をくぐらざるを得ないこともあるのだが、原義的には「鳥居から先は下馬・下車する」のが基本。
少なくともみんな徒歩で入る参道入り口の鳥居から先には車を乗り入れないように。自転車やバイクの人は特に注意したいものだ。
鳥居をくぐる際には軽く会釈をする(神様に挨拶する)のが正しい作法とされている。神様に対し「ごめんください」と告げる意味がある。
また、特にタブーとされている服装はないけれど、鳥居の前では服装のゆるみ、たるみなどを軽く直そう。暑いからと行って上半身裸など肌を出しすぎるのもいただけない。
ここから先は、基本的に勝手な飲食禁止・禁煙なので、ガムや飴、タバコなどが口にあったらきちんと始末してから行こう。(年配者は特にガムを嫌いますよ)
●服装
正式参拝や、昇殿して玉串ご祈祷・お祓いを受けるならいざ知らず、一般の参拝なのだから、基本的に平服・軽装でかまわない(近所の人はジャージでも来るし)。が、神様に失礼のないように清潔は保ちたい。
ただし暑いからと言ってタンクトップやベアトップのみのような露出の多い格好・上半身裸など短パン・素足にサンダルなども格式ある神社や年配の人からは嫌われがちと覚えておくと無難(当然、それがどんな高級ブランドでも同じこと!)。ジーパン類の着用は特に問題ない。
よく年配の人は、平服でも、フォーマル度は「襟のある服(ポロシャツ・カッターシャツや襟付きカットソーなど)>襟のない服(Tシャツなど)」とおっしゃいますな。そのへんを参考にするのもいいかもしれない。
女性の場合、かかとの高いパンプスなどは、石畳や敷石を傷めたり、逆にかかとも傷む、カツカツやかましい、土の部分を凹ませてしまうので避けて、ヒールの低いものが無難。第一ヒールの細い靴・高い靴は寺社においては歩きにくいと思う。
帽子をかぶっている場合は、鳥居をくぐる前に(少なくとも手水の前には)脱帽しよう。
また、次のものを持参していると便利。
・ハンカチやハンドタオル(手水舎で手を拭く)
・小さいペットボトルに入れた水(小さな神社の場合、手水舎の水がなかったり清潔な状態でない場合もあるので、これで手や口をすすぐ。大きな神社であれば多分必要ないかな。)
・油性ペン(絵馬を奉納したい場合。大抵は社務所で貸してくれるが、自分で用意した方がスマートかも。)
・お賽銭用の小銭(ほとんどないとは思うが、万札しかなくて社務所に両替を頼む…というような間抜けなことにならないように考え、適当にお金を崩しておけば十分。)
●参道
最近ではあまり言われないことが多いが、本来「真ん中は神様が通るためのゾーン」なので、極端に端を歩く必要もないが、ど真ん中は避けて、やや端よりに歩けば完璧。
間違っても横一列に並んで闊歩したりしないように。
●手水舎
神様に対面する前に、両手と口を清めるための場所。
「左から先に」と覚えておけばまごつかない。
「体だけでなく心も清めて神様と向かい合う」ための準備ということを念頭に置いて行おう。
・ハンカチやハンドタオルをすぐ使えるように出しておくとスマート。
・右手でひしゃくを持って左手に水をかけて清める
・ひしゃくを左に持ち替えて右手に水をかけて清める
・ひしゃくを再度右に持ち替え、左掌をくぼませて水を受ける
・その水で口をすすぐ
ひしゃくを口につけたり、水を飲み込んでしまうのはNG。
神社によっては、オフシーズンは綺麗な水を出していなかったり、水の出口が汚れていることもある。小さな神社ではただ雨水がたまっているだけという状態のときも…
衛生的に不安を感じた場合は、あらかじめペットボトルの水を持参して手にとって口をすすぐという次善の策もある。
また、水が綺麗であっても、水飲み場と勘違いしてがぶ飲みするようなことはしてはいけない。
・再度ひしゃくで水を汲み、左手を洗い流す
(口をつけた部分を清めなおす意味)
・この際水を少し残すか、新たに水を汲みなおし、ひしゃくの柄を両手で持って立て、柄に水を流して清める。
・ひしゃくを元の場所に戻し、ハンカチなどで手を拭く
以上が一連の基本動作。
これ以外の手水作法がある神社なら、その旨が看板などで示してあると思うのでそれに従う。
●二拝二拍手一拝
神道の基本の拝み方(神棚なども同じ)なのでおさらいしておこう。
一連の動作は、せせこましくせずにゆったりとした気持ちで堂々と、心を込めてゆっくりと。
・ハンドバッグ・セカンドバッグなど手に持っている荷物は足元に置く。
・鈴を鳴らす。
・お賽銭を入れる。(賽銭と鈴は逆の場合もある)
・二拝(深いお辞儀を2回)
・二拍手
この時右手を少し下にずらした位置で叩くのが正式らしい。
二拍手が終わると同時に指先をあわせ、胸の位置で手を合わせたままキープしてお祈りをする。
近年、細木和子が「女性は拍手を打たないのがマナー」とTVで語っていたがこれは大きな誤り(神式葬儀、または昔の皇族女性の作法と言われている)なので信じてしまった方はご注意!一般の参拝方法に男女差はありません。
・一拝(深めに)
お参りが終わってすぐに踵を返すと神様にお尻を向けることになるので、2、3歩ゆっくりとそのまま後ろに下がるとなおよい。階段など足元には気をつけよう。
(これは最大公約数的な参拝方法だが、出雲大社や弥彦神社、伊勢神宮など、必ずしも「二拝二拍手…」ではない神社もあるので、「郷に入りては郷に従え」ということでそれぞれの方法にならってください。そうした神社ではたいていその旨が表示されていたり、参拝のしおりなどに記載されています。)
●お賽銭
基本的には「お供え物をお金という形で奉る」という意味のもの。「いくら以上でなければ失礼」ということはなく、あくまで参拝者の気持ちが大事。
10円〜100円硬貨がもっとも一般的と思われるが、「ご縁」にかけた5円玉もよく用いられる(これは単なる語呂合わせでユーモアの一つ。他にも「45円=始終・ご縁」などがある)。
神様はお賽銭の多少によって参拝者を差別するようなことはないが、よく初詣などでは大願成就のためにお札を張り込む参拝者の姿も見られる。
逆に考えれば、「気持ちを込めて参拝すればお賽銭がなくても神様は見ていてくださる」とも言えなくはない。
しかし、そもそもお供え物という意味を持つこと、また有名な神社であってもお寺のように拝観料を取らないところがほとんどであることを考えると、やはりファンにとって大事な意味を持つ場所である神社の維持費・振興のために微力ながら役に立ててもらうという意味でもお賽銭を入れてすっきりした気分で参拝しよう。
お賽銭を入れる際、「箱に思い切り投げつけるのが威勢良い」・または「神様に気付いてもらうチャイム代わりなので音を立てないとダメ」と誤解している人もいるが、飛び散らせたりしないためにもできるだけ静かに入れたい(勢い良く投げ入れる習慣が根付いている神社があればこの限りではないが)もの。
また、お金をむき出しではなく、ポチ袋に入れたり紙に包むべきという意見もあるようだが、それは好き好きでよいように思う。
なぜか日本人は水場にお賽銭を入れるのが好きなようで、ただの噴水や池にも小銭が入っているのを良く見る。
八重垣神社の「鏡池」のように、神社側が推奨している(または許可している)場合は別だが、池や水場にみだりに小銭を入れるのはあまり感心できない。
お金を回収したり、その後洗う手間をかけさせてしまうし、魚や亀がいる場合は水質への影響も気になるところ。あくまで「お賽銭は賽銭箱に」が基本。
小さな神社では、お祭り以外では拝殿の戸を閉ざし、特に賽銭入れを置いていないこともままある。覗き窓や空気穴があればそこから小銭を入れることも出来るが、どこにも隙間がなければ諦めて、気持ちだけを込めて参拝するしかない。特に雪の多い地方では冬季にお社自体をムシロなどで囲うこともあるので、囲いを勝手にほどいたりしてはいけない。
●お供え(神饌)
ファンの「巡礼報告」の中には、「作中に登場する"チョココロネ"や単行本などをお供えとして置いてきた」というものもあったのだが、こういうことは即刻やめてほしい。
<<追記>>
神社に直接問い合わせた方のご報告によれば、現在のところ食べ物や単行本を境内に置いていったファンの姿やその物自体は見受けられなかったとのこと。そのような行為がなかったのであれば何よりだ。
これからこの作品に限らず同様の目的(作品や人物のゆかりの地として)寺社を訪れる方々も、どうかそのような行為は禁忌として慎んでいただければと思う。理由は以下のとおり。
そもそもお賽銭は、元々お米や豆などを紙に包んで神様にお供えしていたものが、時代が下るに従ってお金を差し上げる形に変わったもの。つまりそれ自体が「お供え」の意味を成しているのだから、自分勝手なお供えものを置いてくるくらいなら、その購入費の分お賽銭の額を増やし、気持ちを込めておあげした方がずっと神社のためになる。
大体、この暑いさなかに菓子パンなどを放置されては半日も持たずに腐ってしまい、他の参拝者や片付ける神社の方々の迷惑になってしまう。「巡礼者」には特別な意味のあるお供えだとしても、他の人にとってははた迷惑なゴミでしかなくなるということを考えてほしい。
最近はお盆やお彼岸の時期の墓地やお地蔵さんですら、「お花はあげたらお持ち帰りください、食べ物のお供えも残さないでください」としているお寺もあるほど(腐って臭いを発したり、カラスの害などがあるため)。
基本的に食べ物のお供えは、決められた祭事の折りに、地元の氏子さんや総代の方が行うものと心得るべし。お供えする品目もその神社によって異なる。また、神様それぞれに好き嫌いがある(例えば有名な「お稲荷さんの油揚げ」や「水神様=蛇=卵が好き」、「山の神さまにオコゼ」など)のだから、好みや神事作法に合わないものを置いてくるなどは失礼千万な行為なのだ。
どうしてもグッズや食べ物を供えないと気がすまないというのであれば、(あまり勧めたくないが…)邪魔にならないところに供えて二拝二拍一拝し、その後きちんと持ち帰るようにすれば、少なくとも神社の方への迷惑にはならないと思うが…。
●おみくじや絵馬・その他の奉納
大きな神社以外では、いつも社務所に人がいたり、お守りなどを販売しているとは限らないのだが、鷲宮神社では絵馬奉納などをしているので、ここでは社務所常駐の神社を対象に書いてみる。
お守りやお札、おみくじなどは良い記念品になるだろうから購入すれば神社の経営を助けるだろう。
ご朱印(後述)をいただくのも記念になる。
また絵馬も、以前書いた理由から、絵を添えたりするのは個人的にはあまり問題には思わない。しかし一般の参拝客が引かない程度の文言にするのがより賢明だろう。神様はネット上の独特の言い回しをご存じないかもしれないし。
絵馬にはお礼参りや祈願達成のお礼なども書いてよいのだから、巡礼自体が希望だったのであれば、「参拝記念」「この神社に参拝できてよかった」というような内容も無難でよい。
絵馬を奉納(所定の場所に下げる)する場合は、奥にあるものをひっくり返して中身を見たり(他に同じ趣旨の巡礼絵馬やイラスト絵馬がないかを漁ったり)、他の方の絵馬の配置を変えたりしてはいけない。
もし、神社で改修のための寄進協力を呼びかけている場合、それに応えるのもよい。寄進簿に住所や名前が記載されれば、絵馬よりずっと長く保存してもらえるし、寺社にもよるが「瓦寄進」に協力すると後からお礼状が来たりして、これまたよい記念品になる。(当然、いつでもどこでも寄進を募っているわけではないですよ)
おみくじは購入後「こうしなければならない」というルールは特にない。記念に持ち帰ってもいいし、枝などに結び付けてもどちらでもよいが、おみくじ用の木が決められている場合にはそれを守り、関係のない木や建物などに勝手に結ばないようにすること。特に木や花は枝が傷むので注意。
「木におみくじを結ばないで」と注意書きがあったなら当然守るべし。
●ご朱印
B6くらいの大きさの和紙に、
・寺社の印
・寺社の名前
・日付
等を入れていただくもの。(お寺だと仏典の中の言葉が添えられることも)
(他の販売物と同じく、参拝者が欲しい場合にだけ申し込む。義務ではない。)
もともとはお寺で、信徒がお寺に経文を納めた証明や仏縁を示すために寺側が交付するものだった。時代が下るに従って、必ずしも納経せず、読経祈祷を受けた印や霊場巡礼の証としていただけるようになった。
明治の頃になると神社も参拝の証明として頒布するところが増え、現在では寺社ともに、昇殿や個別祈祷などを行わなくとも分けていただけるものとなった。
とはいえ単なるスタンプラリーのようなものでなく、あくまで「奉納や参拝のオフィシャルな証明書」という性格を持ったものであるということは忘れないでおきたい。
どこの神社でもいただけるというわけではなく、特に小さい神社で社務所に人がいないような時にはムリ。
また、東本願寺のように、ポリシーを持ってご朱印を発行しないところもあるので注意したい。
(参考:東本願寺公式サイトより「ご朱印をしない理由」)
ご朱印は、ご朱印帳を持参して書いていただくのが基本。
大きな神社では、オリジナルのご朱印帳を販売しているところもあるので、それを買うのもまたよし。
あらかじめ購入したい場合は、大きめの文具店や画材店(書道用品を扱っているところがおすすめ)、仏具店などで探してみよう。
厚めの和紙がジャバラ状に綴られており、和紙や布をあしらった丈夫な表紙が付いている。大体1000〜1500円くらいのものが多い。
普通のノートやスケッチブックは、墨を弾いたり逆ににじみすぎたり、朱肉がのりにくい、乾きにくいなどで適しておらず、寺社の方に不便な思いをさせてしまうし、第一せっかくいただいたのに見映えが悪くなってしまう。何より失礼だ。(メモ帳やスタンプ帳を拒否するところもある)
ここはやはり和紙が一番。大きすぎるのも小さすぎるのもよろしくない。
ご朱印帳を持っていない場合はその旨を告げれば、和紙にご朱印を書いたものを分けていただけるので、他にも寺社を回ってご朱印をいただく予定がないのであればそのほうが無難。
「ご朱印帳を持参していないのですがよろしいでしょうか?」と告げれば対応していただけるだろう。
ご朱印をお願いした時にけっこう困ってしまうのがご朱印代。
「●●●円頂戴いたします」と定額を言ってくださる寺社では気楽なのだが、「お志/お気持ち(=あなたが妥当だと思う金額をご自由に、の意)で…」と言われることが意外に多い。これは慣れていないと「いくらだと失礼にならないのか?」と悩んでしまうものだ。
一般によく使われる平均的な金額が300円、500円出せばまず失礼はないとされているようなので困った時は参考に。
また、ご朱印帳についても「お気持ちで…」と言われることがある。この時は1000〜1500円くらいが無難のようだ。
寺社の大きな印を押し、その上に色々書いていただくので、少し時間がかかる。ゆっくりお待ちしよう。逆に言えば時間に余裕がないときはムリにいただかないほうがよいかもしれない。
京都や奈良、または参拝者の多い有名寺社では、受付から受け取りまでけっこう待たなければならないことも珍しくない。寺社によっては、参拝前にご朱印を受け付け、参拝や拝観が終わったところで渡していただくシステムのところもある。
一つのご朱印帳にお寺と神社のご朱印が混在するのを快く思わないところもあれば、「構いません」と言ってくださるところもあり、定説はないようだ。
寺社とりまぜて今後も回る予定があり、気になるのであれば神社用・お寺用に分けて二冊用意すれば万全だが、そのへんの判断は各自で。
ご朱印集めは、寺社や歴史・旧跡ファンにとってはメジャーな趣味なので、ちょっと検索すれば「自分がこれまでいただいたご朱印の画像を披露する」サイトがけっこうヒットする。アップロードしたい場合はご朱印をいただいたときに許可していただけるかどうか聞いてみるのが無難だろう(判断に困らせてしまうかもしれないけれど…)。
●写真撮影
これは寺社によって対応が異なる。
「撮影禁止」と表示があったら指示に従い、カメラをしまおう。代わりに参拝のしおりや絵葉書(販売されていれば)を購入する手もある。
また、撮影を特に禁止していなくとも、拝殿の中のご神体や奉納物、拝殿正面(つまり信仰の対象となるもの)を撮影するのは基本的に非推奨であることを覚えておこう。これはお寺でも同じ。
もし社務所や近くに神社の方がいたら、直接許可を伺うのが一番よい。ダメといわれたら諦めよう。
また、他の人の書いた絵馬をついつい読んでしまうのはありがちなことだが、それを撮影したり、ネットにアップロードする行為は個人的には推奨しがたいところだ。
自分たち以外の参拝者・社務所の方はできるだけファインダーに入れないよう、また写ってしまった場合はアップロードする際にトリミングや加工を施すなど、肖像権の取り扱いに注意しよう。神主さんや巫女さんを被写体にしたい時にはきちんと申し入れをし、無許可撮影や掲載などはしないように。
●その他
当たり前のことだが、建物や灯篭などに「参拝記念」「●●参上」のような落書きや掘り込みを入れたり、草木を折る、土や石を持ち帰るというような行為は絶対にしないこと。昔から有名寺社には名前を印刷したシール「千社札」が貼られていたりするが、基本的に寺社側は貼付を禁じているか、禁止しないまでも歓迎していないことが多いので真似しないように。ましてキャラクターのシール・プリクラ・ステッカーを貼ったりするのは言語道断。
定められた場所以外に駐車・駐輪をしたり、逆に路駐で近所の方に迷惑をかけないこと。
ペットを連れ込むのも原則的に歓迎されない。
参拝中に他の参拝者や、散歩・ジョギングなどをしている近所の人方、神社の方に会ったら軽くお辞儀をしたり、「こんにちは」と一声挨拶を交わすのがいいかも。少なくとも変にキョドるよりは。
参拝や奉納物購入などが終わったらあまり長居せずに帰ること。(ベンチ・休憩所などがあれば適当に休憩するのはよい)その場でシートを広げて飲食や宴会を始めたり、いつまでも居座って奇妙なポーズで写真撮影会に突入したり、歌ったり踊ったり騒ぐのは言うまでもなく迷惑行為。朝や夜ならば尚更のこと。あくまで「参拝しに来ている」ということを忘れないでほしい。
<<神社参拝以外>>
●写真撮影
モデルとなった町並みや民家、学校などもしばしば「巡礼」コースに組み込まれることがあるが、街中の風景はともかくとして個人の家や学校は無許可撮影していれば通報されても文句は言えないところ。
通行人がいる場合は撮影を控える、人が写りこまないように注意してあくまで「風景」として最低限の撮影を終えたら、いらぬ疑いを招かないようにカメラはすぐにしまったほうが安全だろう。
ニュータイプ記事内にもあったように、児童や学生の登下校の時間帯は避けるのがお互いのためだと思う。
<追記>
神社よりも、柊家のモデルと思しき民家の方が無断撮影に困っているという話もあった。「自分の生活空間を勝手に撮影される」ことの戸惑いや不安を、自分の身に置き換えて考えるべきではないだろうか。
●誤解の目
以上の撮影ルールや一般的なマナーを守っているのに、「この辺で見ない人」というだけで不審者まがいの目で見られることは残念ながら少なくない。
実際にお子さんを持つ方とコメントを交わしながら実感したことだが、現代の子供達やその親には「知らない人を見たら(あるいは面識のある人でも)不審者と思って警戒する」という悲しい習慣がもはや定着してしまっている。
その際、「警戒の基準は、性別や身なりや容姿などに関係なく、とにかく知らない人には近づかない」というもののようだ。
実際にそのような目で見られて腹立たしかったり情けなく思った経験がおありかもしれないが、必ずしも「差別」と関係がない場合も多い。(見た目での判断を逆に利用すれば、身なりをお堅くしていれば子供を連れ去りやすいということになってしまうし)
私個人の考えだが、この件に関しては「キャッチセールスの電話」のようなものと思うようにしている。
悪徳商法が電話キャッチを駆使したため(例えば羽毛ブトン売りつけとか、無料クリーニングと見せかけて掃除機やカーペットを売るとか)、今ではキャッチの電話が来るたびに、その業者が悪徳なのか善良なのかに関わらず、とりあえずは「また悪徳か?」と警戒した姿勢で応対し、基本的には取り合わずに切ることが多い。中には良心的な業者も混じっているだろうが、消費者は自衛のためにとりあえず警戒せざるを得ない。
児童や保護者が「知らん人はとりあえず不審者と疑う」心理はこれに似ていると思えば、多少は心の慰めになるというものだ。
児童や学生にファインダーを向けたり、指差して話したり、進路を塞いだりジロジロ見たり…というようなことを何もしていないのに通報されたり、不審者と決め付けるような言葉を投げかけられた場合にはそのときに断固として抗議すればよい。必要とあればデジカメの中身を見せて無実を証明しよう。
不安な場合は、知人や親戚で育児中の人・またはその子供さんに、「誤解されてもしかたない行動」「不審者認定基準」を具体的に聞いて参考にすればいいかも。
まあなんというか世知辛い話ではあるが、ファンの「ゆかりの地巡礼」というものは、一人マナーが悪ければ全員そういうクオリティと見なされるもの、そしてまたマナーのいい人が多ければ常識のある人は「変な人じゃない」と分かってくれるもの(だと信じたい)なので、ファン全体に迷惑や妙な偏見が向かないように個人個人で意識すべきことだと思う。
http://junreisoudou.blog114.fc2.com/
電話で確認してみた
http://junreisoudou.blog114.fc2.com/blog-entry-4.html
http://junreisoudou.blog114.fc2.com/blog-entry-6.html
鷲宮神社の電話でファンの方がチョココロネやラらき☆すたの単行本を境内に置いてないという発言がありました。
こんにちは。コメントありがとうございます。
実際に現地に確認を取られた方がいたという動きを、カーナッツフォーズさんのコメントで始めて知りました。大変参考になりました。ありがとうございます。
パンや単行本を置いていったファンがいなかったのであれば何よりです。
私は「らき☆すた」についてあれこれ個別の点で論じるほど詳しくも、また好きというわけでもないので、あくまでも一人の神社参拝常習者(狛犬観察がメイン目的ですが)、作品にゆかりのある地を訪問するのが好きな人間としてこれらの文章を書きました。地元の小さい神社を回ることが多いのですが、それでもやはり「今日はお祭りでもないのに見慣れない人がカメラを持って何しているんだろう?」という目で見られることが(まして子供さんがいる場だと)よくあり、普段考えていることや経験上学んだことなどを織り込んだつもりです。結果として随分説教臭くなってしまったのですが…
御朱印は神社にもありますよ。
初穂料、お布施は300円が一般的です。
また参拝の仕方も四拍手のところもありますね。
基本的には心を込めていればおっけぇというのがこの国の神様ですけれどね。
はじめまして、コメント&ご指摘ありがとうございます。
いつも小さい神社(普段は人いない)ばかり回っているもので、「あまり詳しく書くと、ご神職の方が不在の時にご朱印を頼む人が出てしまうかな?」と思い神社には触れなかったのですが、誤解を招くかのうせいもありましたので、「ご朱印」についての記述を追加しました。やや煩雑になってしまったかもしれませんが大体説明できたかな?と思っております。
>参拝の仕方
ですね。出雲や弥彦などが四拍手ですね。たいてい拝殿のところに「うちでは●拍手ですよ」という旨が示してあるので、要は「神社に入れば神社に従う」ということですね。
>基本的には心を込めていればおっけぇというのがこの国の神様ですけれどね。
そうですね。とりあえずこのエントリーでは、「他の方から見て、外側に『神社の常識を守って心を込めています』というのが伝わる」ことを願って細かいことまで説明しました。段々加筆が増えて煩雑になりつつあるのですが、「関連地巡礼がきっかけで手水の使い方を知った」なんていうのも悪くないんじゃないかな?と思っているのです。
↑
これは神社の作法にはありません。
明らかな誤りです。