多分内容からして、スクウェアがファミコン版「ファイナルファンタジー(バージョンは不明)」を世に放った時のインタビュー漫画の一部だと思われる。
「今後 スーパーファミコンが発売されると グラフィックの美しい 映画的なゲームが どんどん出てくると思うんですが…」
「映画的なおもしろさは 本物の映画には絶対に勝てません」
「ゲームならではの面白さを追求していきたいと思っています」
多くのシリーズを経て、今や批判される場合には
・ストーリーが完全に一本道なだけでなく、プレイヤーに主導権が与えられている気がしない演出。
・ストーリーをなぞらされている・やらされている感じが強い。
・グラフィックに凝りすぎ、召還時の長いエフェクトをスキップできないなど、シリーズを重ねるごとに1戦闘に要する時間が増え、なかなか話が進まない。ストレスさえ感じる。
・ストーリーの要所要所で挿入されるオートムービーが長く、冗長である。「たいして見たくもないのに見せられている」という意識が、「やらされている感」を助長している。
・グラフィックやムービーに注ぐ開発能力に比べ、ストーリーの練りこみや難易度調整(簡単すぎる)がおろそかにされているように感じる
というフレーズがもれなく付いて来るようになってしまったFFだが、当初はこんな志があったということらしい。なんだか随分遠くに来てしまったもんだ。
「映画的な面白さは実際の映画には絶対に勝てません」。
現在の開発スタッフにも見てもらいたい1コマだ。
まあスクウェアはかつて実際に映画そのものを目指し、作品も映画を目指してしまったわけなんだけれども。
個人的には「8」あたりからこの傾向が強くなったように思う。(「9」で少し盛り返したように感じたのだけど…もっとも「8」は演出以前に、キャラクターの半分が電波気味だったり、ストーリーそのものが破綻しまくっていた上に、ヒロインがお花畑すぎてお話にならなかったのだが…)
パソゲー時代のスクウェアは「固定絵がアニメをする」ってのに感動しましたです。今でこそ当然の、目パチ・口パクなんてなかった時代だったもんで、死ぬほど感動したのを思い出します・・・。
個人的にFFは「1」がマイベストなんですが、1のときと今とじゃ、制作費にどれだけの差があるんでしょうねえ・・・(恐)
システムとしては、ポリゴン表現が導入された「7」が大きなターニングポイントだったと思います。「8」以降をプレイした後で見直すとけっこう粗い表現でしたが、マテリアシステムも含めて私はわりと「まだ大丈夫」でした。ただ、大きく引いた画面だと、道の分かれ目や部屋・ダンジョンの入り口が分かりづらかったりして、「2Dでいいんだがなあ」という感覚はありましたね。あと、当時のPSゲームはどれもそうでしたが、ロードが長いな〜という記憶があります。
私はゲームを始めたのが比較的遅く、初めてプレイしたFFは4でした。確かにドット絵をちょこっと動かすだけなのに、「キャラクターの芝居」が凄い!と感じましたね〜。
印象に残っているのはFF3のラストダンジョンの長さ(中でセーブできない)です。だからこそクリア時は嬉しかったな〜。
>1のときと今とじゃ、制作費にどれだけの差があるんでしょうねえ・・・(恐)
「ファイナルファンタジー」の「ファイナル」の真の意味は、「これでコケたら会社終わり」という排水の陣の状況と、乾坤一擲の心意気を示したものという話を聞いたことがあります。
まさかこの一作をきっかけに、「ハードの売れ行きを左右する(最近ではそこまでの神通力はないのでしょうかね?)」シリーズになるとはまさか誰も思ってなかったんでしょうね。