2007年08月14日

新盆流産とその後

例年13日の墓参を済ませました。
一般にお盆というと「長男家の嫁は接待や準備で大変」なお家が多いと思いますが、うちは長男家とはいえ、義父の兄弟が少ないこともあり、毎年さほど客が来るわけでもなくきわめて簡素な盆なのです。
が、昨年は祖母が大往生して新盆ということもあり、例年になく来客の多い日で、さすが新盆と実感しました。

もちろん祖母だけでなく、我が子永ニとふたばの新盆でもあります(1週間経てば命日です)。
毎年菩提寺の和尚さんが来て仏壇でお経を上げてくださるのですが、その件について、義母のほうから事前に「少しお布施をいつもより多くして、子供たちの分もお経を上げていただくことにしようか?」と提案してくれたのがとても嬉しく思われました。
やはり私と相方以外の人が、折に触れて「私たちの息子と娘」と認めてくれて、それを言葉にしてくれるということは単純に嬉しく、心に沁みることで、とても有り難いことです。

朝イチで出かける用事+買い物があったのですが、読経に間に合うように帰宅して同席することが出来てよかったです。

新盆ということもあり、お供え物をいつもより少し華やかにし、子供用のお菓子も添えました。
その後夕方に墓参。今年は暑くてしんどいだろうなと思いつつお水をかけて手を合わせました。

去年の今頃は不安の中で入院生活を送っており、それでもまさか二人を一気に失うことなど夢にも思っていませんでした。色々と切ないことばかりで、これからもずっと8月は避けられない悲しみの月なのだろうと思います。

入院中に見舞いの家族と盛り上がって見ていた高校野球。前年大活躍した日大山形はあっさり敗退してしまい残念。
そういえば、入院中に放火事件のあった某議員の事務所はわりと病院に近くて、翌朝のニュースで見て驚いたり。
様々な事を思い出しながら、あの時不安の毎日の中にももっとお腹に二人がいる喜びを噛み締め、心の中でもっと彼らに語りかけていればよかったと後悔するばかりなのです。


posted by 大道寺零(管理人) at 00:41 | Comment(4) | TrackBack(0) | 流産とその後
この記事へのコメント
ご両親だけではなくもっと多くの人が、大道寺さんと相方さんには永ニ君とふたばちゃんというかわいいお子さんがいたという事を憶えていると思います。

“残された人の記憶から消えた時が本当の死”とよく言われるように、人は“人に認知された時が最初の誕生”なのではないでしょうか?

少なくとも私にとっては、大道寺さんからお子さんができたというご報告をうけた時が永ニ君とふたばちゃん(当時はお名前がまだありませんでしたが)の最初の誕生でした。

なのでお盆が近づいた時も「永ニ君とふたばちゃんの新盆だなあ」と思いましたし、そういう方は私以外にも本当に多いと思います。

何年たっても癒える事はないと思いますが、永ニ君とふたばちゃんが大道寺さんのご親戚以外の人からも思われている事がほんの少しの慰めになれば幸いです。
Posted by 文月奈緒子 at 2007年08月14日 23:20
>>文月さん

ありがとうございます。本当に嬉しく涙が出そうです。

今日も、仏壇にお酒をあげるときに、義父が
「永ニとふたばにもジュースをあげよう。小さいグラスを取ってくれ。」
と言ってくれてじんわり来ました。
なんというか、「声に出して名前を呼んでもらう」「文字にして名前を書いてもらう」ということがとてもありがたく、「うちの子と認めてくれてありがとう」と暖かいものがこみ上げてきます。
名前というのはこれほどまでに力のあるものだと、初めて知った気がします。
21週でこの世を去ったはかない命でしたが、命の火を失ってもなおこれほど沢山のものを私と相方に与えてくれているのですね。

>“残された人の記憶から消えた時が本当の死”とよく言われるように、人は“人に認知された時が最初の誕生”なのではないでしょうか?
>少なくとも私にとっては、大道寺さんからお子さんができたというご報告をうけた時が永ニ君とふたばちゃん(当時はお名前がまだありませんでしたが)の最初の誕生でした。

プリントアウトして常時携帯したいほどありがたいお言葉です。心に沁みまする(ダダ泣)。
今となっては、読みかえすと皆さんからいただいたコメントの暖かさの分だけ悲しくなり、妊娠の報告を書かないほうがよかったのだろうかと思うこともしばしばありました。でも意味があったんだと初めて思えました。ありがとうございます。
Posted by 大道寺零 at 2007年08月15日 01:31
私ごとで、すみませんが、昨日、父のお墓に妹とふたりでいきました。父が好物だったお酒に、枝豆・・・・そなえてきました。最後のほう、病院の先生のはからいで、父に大好きだったお酒をこっそりと飲ませてあげたのですが、味覚がもうかわっていて、おいしくないといっていました。そして、ひとことぼそり、酒がうまくなくなったら、もう最後かなと・・・

でも、もうお酒おいしいよねと、たっぷり墓石にかけてあげました。
父の好きだった食べ物とかみるたびに、父にたべさせてあげたかったと思うよねと、妹と話しました。永二君とふたばちゃんのことは、大道寺さんのご家族の心の中、私たちの心の中で、いつまでも、生き続けています。私も大道寺さんのお子さん方のこと、忘れません。
Posted by okapi at 2007年08月15日 07:11
>>okapiさん

子供たちに暖かいコメントありがとうございます。
okapiさんのお父様がお亡くなりになったのもついこの間のことのように思われます。きっと娘さんからお酌されたお酒を美味しく召し上がっているに違いありません。

「●●を食べさせてあげたかった」と思いますよね…
私もお菓子売り場や、偶然ドラッグストアでベビー関係の売り場を通りかかると「無事に生まれていれば今頃こういうものを食べられるようになっていたのかな…」と思い切なくなります。

そうでなくても自分一人で美味しいものを食べた時に、「家族や相方にも食べさせてあげたい」とか「今度一緒に食べる機会を作ろう」って思ってしまいますよね。大事な人がいるってそういうものなのかなと思います。
それがもう二度と叶わないと思うとやはり胸を締め付けるものがありますよね…
Posted by 大道寺零 at 2007年08月17日 00:21
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