今週の囲碁の話題として、女流アマの都市対抗戦の録画レポートが紹介されていたのだが、そのイベントサブタイトルにちょっと目を引かれた。

「女流アマ囲碁都市対抗戦 友情の温床 岡山大会」
う、うーん…なんだか微妙な……
「温床」という言葉単体はそもそも農業・園芸界のもので、妙なものでも何でもないのだけど、「〜〜の温床」というように、前に「の」が付いた瞬間にロクでもない印象に変わってしまうからなあ。
(例:悪の〜、非行の〜、不正の〜)
だからこの言葉の組み合わせ自体はおかしくないはずなのだけど、慣れと言うのは怖いものだ。
また、「友情」というのは、放っておいても自分たちで勝手に盛り上がって温まるイメージなのだが、「温床」と言ってしまうと、「ハイハイ場をあっためておきましたよ〜、ここで友情を作ってくださいねえ〜」という過保護っぽい生ぬるさをちょっと感じてしまうのは事実かもしれない。
披露されていた会場の様子は、8歳の幼女から、椅子の上に正座しちゃう85歳のおばあちゃんまで、実に楽しそうだった。
「囲碁・将棋ジャーナル」は、メインキャスター一名のほかに、プロの棋士2名で解説、女流棋士2名(囲碁・将棋各1名)が聞き手という構成で進行する、生放送の番組。
棋士たちのトークがまったく素人な上に、ムダに生放送なものでその緊張がさらに彼らのトークと表情をぎこちなくするという、そのこなれてなさがマニアにはたまらない魅力なのだろうか。
今日は聞き手の女流棋士が、オフカメの間に髪を触って整えていたのだが、うっかりいじったままで数秒オンカメになってキョドっていたり、そのあたりも他の番組にはない醍醐味なのかもしれない。
また、セットの背景にさりげなく置いている小道具も、
・御殿まり
・ミニチュア唐傘
・千代紙張りの茶筒や小箱
と、「昭和のじいちゃんばあちゃんの部屋」感満載で、21世紀のTV番組としてかなり貴重だ。
よく食べ物屋を形容する言葉で「店主こだわりの」の拘るも余り良い意味で使われなかったような気がしますよ。
確かに「こだわり」を強調する店は、本当に美味しいか、その言葉を盾に店主が色々押し付けがましくしてくる(食べ方とか調味料の付け方とか)かどちらかという感じですね。
私の経験では、危険度の低いほうから
店主こだわりの〜
↓
こだわり店主の〜
↓
頑固店主の〜
↓
頑固おやじの〜
かな?という感じです。
上2つは本当に凝った料理も出るけれど、店によって「ちょっと勘違い店主」「勘違い料理」という地雷が潜む感じですが、下2つになると、食べ方どころか一挙手一投足まで口出ししてきて客が萎縮しなきゃならん危険性がかなり高まると思います。
一昔前のTVでは、客の年齢・性別・外見で入店拒否する店主とかたまに出てましたね(たいてい取材拒否とセット)。
今まで「こだわり」を謳う店でゲンナリしたのは↓の記事のラーメン屋ですかね…
http://zerodama.seesaa.net/article/40006161.html
今はそのシステムをやめてますけど、いまだに二度と行く気がしませんね。