で、現在その議論は、シュリンクの主な対象であった単行本から、雑誌へのシュリンクに関するものにも波及しているという。
鳥酋長さん(鹿児島「ひょうたん書店」勤務)の「濃霧-gNnorm-」における文章が非常に興味深いので引用させていただく。
鳥酋長さんは、コミック雑誌にシュリンクするメリットとして
・傷みやすいコミック誌をキレイな状態に保つとともに、月刊誌などで最近増えた付録類をバラけさせない効果がある
・シュリンクすることによって、近年なかなか売れないコミック雑誌の売り上げが好転した
と書かれ、その理由を次のように考察している。
・マンガ雑誌をシュリンクしちゃう効果−収集物としてのマンガ雑誌へ(濃霧-gNorm- ひょうたん書店 準公式サイト)
しかし、ここ10年でマンガ雑誌は軒並み売れなくなってきています。
まず雑誌ありきというマンガの読み方ではなくなってきているために、雑誌を買うという行為の持つ意味合いも変わってきているのでしょうな。
そのため、マンガ雑誌にシュリンクしても売り上げが落ちないどころか、むしろよく売れるようになるという減少が起こるのかもしれません。
雑誌単位、出版社のレーベル単位で作品をチェックする買い方ではなく、掲載紙と無関係に作品そのものを読むようになってきているわけで。
そうなると、順序としては個別の作品単位で単行本から読むようになった人のうち、その一部が「この作品が載っている雑誌はどれなのだろう?」と雑誌をチェックするようになる。という流れが仮定できます。
(中略)
つまり
「単行本で読んだこのマンガが面白かった」→「作品が好きになったので関連グッズを買うようになった」→「だからこの作品が載っている雑誌も集めるようになった」
という流れ。
非常によく分かる話だと思う。
これまでも、
1:単行本を作家買い
2:巻末広告などで他の作家や作品にも興味を持つ
3:掲載誌を購入するようになる
という流れは存在していたのだけれど、それはどちらかといえば「ややディープなマンガ読みの性向」であり、対象となる雑誌も「マンガ読みを対象とした雑誌」「作家性の強い漫画家を多く擁した雑誌」という印象が強い。
例えば、話が古くなるけれども、「リュウ」や「デュオ」「キャプテン」、「アフタヌーン」、また女性向けでは「花とゆめ」「LALA」「プチフラワー」「ASUKA」あたりがそんな感じ。
最近では、「シグルイ」等の人気作から「チャンピオンRED」を読むようになったという向きも結構いるのではないだろうか。
入り口の「1」が単行本にとどまらず、アニメやゲーム(のコミカライズ)というバリエーションも80年代以降は増えてきている。
また、「2´」の段階として、「限定グッズ的な付録の入手」「プレゼントキャンペーンの関連で限定的に本誌購入(最近よくある、単行本に付属の券と本誌付属の券が両方ないと応募できないシステムなど)」というのもあるだろう。
なぜコミック雑誌のセールスが振るわなくなったのか、という理由はいくつか考えられる。
マンガ購入者の純減というのもあるだろうけれども、主な要因は「単行本買い(単行本になってから買う)がコミック購入行動のメインになった」ことだろう。
ここでは、「なぜ単行本買いが増えたか?」という理由について、単純に考え付くことを列挙してみたい。
(というよりもむしろ、「かつてはなぜ、単行本も後で買うけど雑誌も購入していたか」と表現したほうが適切かも。また、以下の内容はかなり当時の消費者としての体感に基づいており、必ずしも流通事実と一致しない可能性も多分にあることをご承知おきください。)
今よりはるかにコミック雑誌が売れていた昔…例えば20〜25年前と現在を比較してみると、色々な事情が様変わりしている。
1.たいていの連載作品は単行本化されるようになった
中堅〜メジャーコミック誌に連載されるマンガは、基本的に単行本に収録されて発売されるようになった。
人気がなくて10週程度で終了した作品についても、たいていは1巻にちょうど収まる長さであり、他の短編やら書き下ろしページをちょいちょいと足して刊行されるのがほとんどである。(この傾向は80年代中盤以降に一気に広まった)
しかし以前は、「単行本になるのは人気作品」であり、単行本になること自体が作品のステータスという位置づけだった。有名作家の作品でも、「連載時人気がイマイチ」「その他大人の事情がある」というような場合には連載元の出版社から単行本化されないこともしばしばだったし、されても重版がかかるということはなく、刷りきりの売り切りが基本だった。(詳しくは文末補注を参照のこと)
つまり、「自分が気に入った連載作品が、後から単行本になるとは限らない」という前提があったため、「単行本になるまではとりあえず雑誌をキープする(当然購入する)必要があった」のが昔のマンガ読みの普通の行動だったのだ。
(さらに昔、1960年代中盤までに至っては、秋田書店や朝日ソノラマが「連載作品を単行本化する」という事業を始めるまでは、「雑誌は雑誌、単行本は単行本」とほぼ別物であった。)
「雑誌から好きな作品だけを切り取って、後から自分で綴じ・背表紙を作って合本する」というような作業もよく行われており、それが単行本未収録だったりした日には、現在では高値で取引されていることもあるのだ。
そんなわけで、「雑誌を買っておかないともう読めない」という事情、非常に限定的な意味で「○○先生のこの作品が読めるのは**(の本誌)だけ!」という状況があったというわけ。
また、かなり時代が下るまで、「○○作品集」というような単行本はレアな存在であり、長期連載ではない読みきりや短期の連載の場合は単行本に収録されずじまいになってしまうこともあった。
そのため、「短編・中編中心の作家の作品をアンソロジー的に楽しむ/保存する」という意味での雑誌購入理由も存在していた。
2・連載→単行本化の間のタイムラグが短縮された
70年代後半になると、マンガ単行本というのが商売としてかなり鉄板となったためか、「メジャー誌である程度の期間連載した作品はたいていその会社のレーベルで単行本になる」というパターンが定着する。
しかし、その間のラグは「マガジン」「ジャンプ」などのメジャー誌のメジャーレーベルにあっても3〜4ヶ月は軽くあった。(「サンデー」は比較的短いような体感があったかな?)
例えば、
「単行本に『1〜6月号』の連載内容が収録されたとして、それが単行本になって発売されるのは11月以降」
というのがザラで、年を隔ててしまうことすら珍しくなかった。
要するに、「待たなければならない」わけで、人気作品であればあるほど「待ってられない」というのも、雑誌購入のメイン理由の一つだったのである。
単行本一冊分の区切りが掲載後、早ければ2ヶ月もおかずに単行本化されることも珍しくない現在ではちょっと考えられない話かもしれない。
このタイムラグは、前述の「連載されたからといって単行本になるとは限らない」要因と合わせて、「雑誌買って取っておかないともう二度と読めないかもしれない」と読者に思わせたのだった。
3・趣味の多様化による、マンガ購入層のコア化
要するに、時代が下って趣味が多様化するにつれ、低年齢層ほど「別にマンガ読まなくてもいいや」という人口が増えた。
「漫画を買って読む」という時点で、「すでにある程度のマンガ読み要素を持つ」のが現在の状況かもしれないと思うほどだ。
ゆえに、「コア度があればあるほど、雑誌買いよりも単行本買い」の傾向は強まる。
また、それによってマンガ読みのメイン年齢層が上にシフトし、社会人・家庭人がメインストリームになると、時間的(これは通勤形態にもよるが)・収納スペース的に雑誌より単行本買いへのシフトも起こるのではないだろうか。
前述したような「雑誌じゃないと読めないかも」「単行本収録まで時間がかかる」というような不便な要因はほとんど取り除かれているので、「待つ」こともさして苦ではなくなった。連載終了後3ヶ月も待てばすぐに単行本になる世の中なのだから。
それと同時に、マンガ喫茶やネットカフェなど、自前で購入する意外にもマンガが読める機会が増えたことも雑誌の売り上げ低下に拍車をかけているだろう。
こうした傾向に歯止めをかけ、読み手を取り戻す上で、「付録としてしか手に入らないグッズ(CD・DVD含む)」「懸賞・全員プレゼント応募券掲載」「限定ステッカーやトレーディングカード・プレイデータカードなどの封入」などが現在功を奏しているようだ。
その付録類が散逸したり傷まないように、またモラルの低い客が付録や応募券だけを切り取ったり抜き取る「付録万引き」を防ぐためにもシュリンクは非常に有効と思われる。(こうした「応募券類だけガメる」セコくて非常識な輩は、コンビニ商品やパンのポイントシール、ジュースやビールなどの応募シールについても、売り場にしばしば現れて店員を大いに悩ませている)
付録が欠けている、応募券が破られている本は、もう売り物にならないし、手に取った客も悲しい思いをすることになるのだから、付録つき雑誌へのシュリンクは客側からしてもあらまほしきことではないだろうか。
鳥酋長さんはさらに、「キレイなほうが売れる」要因として、以前は基本的に「捨てるモノ」だったコミック雑誌が「蒐集・保存の対象に変わりつつある」可能性を指摘している。
となると、マンガ雑誌というのはすでに「雑誌」として読み捨てるものではなく、集めて揃えておくものになりつつあるのではないでしょうかね。
だからキレイなほうがいい、キレイな状態にしてあるお店に通うようになる。結果、マンガ雑誌もシュリンクすると売り上げが上がる、ということになるんではないかと。
そーいえばこないだ創刊されたジャンプSQの第2号には、特典としてジャンプSQが3冊入る収納ケースがついてました。こういった動きも、マンガ雑誌は読み捨てるものではなく集めて保管しておくもの、という流れを象徴しているのかもしれないですな。
この論考も面白い。
週刊コミック雑誌を久々に手に取ると、インクで手指が汚れやすいのは相変わらずだが、表紙や本誌の紙・カラー印刷は格段に良くなっているし、一部の月刊誌・増刊においてはコートされた厚みのある紙を使い、長期保存に耐える仕様になっている。表紙もまた一枚のイラストとして十分に価値を発揮していることが増えた。
蒐集・キープの目的として、「コミック雑誌にも資産価値が付く」という事実を多くのユーザーが知ったことが関係しているのではないかと思う。
昔、日焼けしたり手垢の付いてくたびれた何の変哲もない少年漫画週刊誌が、30年後に何千円・何万円で取引される時代が来るなど、予想できた人間はおそらく誰もいなかった。
マンガ雑誌は読み捨てるもので、ある程度の年数キープするにしても、弟妹やら近所や親戚のガキんちょが読みつぶしたら、あとは廃品回収に出すだけの存在だった。かなりのマンガ読みであっても、お目当ての作品の単行本を買ったり、必要な部分を切り抜いたら捨てるのが当たり前のことだったのだ。
その「マガジン」や「ジャンプ」が、現在ではマンガ古書専門店やネットオークションなどで、驚くほどの高値で取引されている。何しろ現存数自体が少ないのだ。
これが「マンガ少年」やら「リリカ」「ガロ」「COM」のような伝説的存在になると、相当状況が悪くても、もう物凄い値段になる。
購入者の動機はいくつかあるが、メインとしては
・特定の作者・作品のファンであり、掲載誌という形でのコレクションやテキストクリティークの貴重な材料として
はっきりいってかなり「冥府魔道」の領域のコアなマニアだが、経済的・住環境的な状況が許せばここまで行っちゃいたいファンも少なくないはず。
そしてこういう人がいて研究成果を発表してくれるおかげでライト〜ミドルファンは大いに助かっているのである。
特に昔のマンガ雑誌では、マンガ本編中に宣伝・予告(他作品含む)や「おたよりを送ろう!」というようなものを、大ゴマ級の場所を取って差し挟んできたり、表紙ページではなく本編中にタイトルロゴを入れ込んでくることが日常茶飯事だったので、単行本収録時に大幅に書き直しをしたり、扉部分が収録されなかったり、ひどいときにはページ割付が変更されることもよくあった。
また諸事情でせりふや場面が差し替えられもしたし、ことに手塚治虫のような「描き直しの鬼」のような人にかかっては原型をとどめないことすらある。(「火の鳥」望郷編や「ジャングル大帝」などの改変ぶりはかなりすごいことになっている)
そういう部分を単行本と比較して研究したり、時にはそのコレクションを出版社が借りる形でレアな作品の復刻が行われるというケースも最近はよく見られる。
そんなわけで、「雑誌収録時の状況」はとても貴重で、連載時にはジャマだった宣伝カットにしても、「今ではお宝」に変じていることもままあるのだ。
・作品・作家よりもその雑誌が好き
とにかくマガジンを蒐集する!キングをコンプリートする!というような方向のコレクターも少なくない。ことに「少年アクション」のようなマイナーなものは茨の道だが、それゆえに燃える人は燃える。
この場合「まとまっているほどありがたく、価値がある」ので、長期保存の動機にはなりやすいかと。
・いわゆる懐古趣味(昭和レトロなど)/特定の時期の風俗資料として
まあ「単に好き」というのも含めて。
この場合、連載されている作品だけでなく、巻末などについていた広告やグッズ通信販売などのページ、懸賞商品一覧などもお宝と化す。
ブックオフなどの新古書店では、原則的にコミック雑誌は買い取らない(作りのしっかりした増刊類は除く)ようだが、「まんだらけ」のような専門書や、昔ながらの価値の分かる古本屋ではそれなりのプレミアムをつけて引き取ってくれるし、ネットオークションなどで個人の裁量でさばくこともできる。
保存の際に「将来の資産価値を見込む」人・または「あとで転売するときのことを頭の隅に置く」人も一定数いるのではないだろうか。
[補注]
話は変わるが、そうした状況で単行本化されずに埋もれていたかもしれない佳作・当時の新人の作品などの版権をピックアップして刊行していったのが「秋田書店のサンデーコミックス」や「朝日ソノラマのサンコミックス」のシリーズである。というかそもそもこれらの創刊時(ともに66年開始)には、マガジンやサンデーは自前のコミックスレーベルを持っていなかったのだ。70年代当時読んでいた子供は「なんでマガジンとかサンデーで連載されてたマンガが秋田やソノラマから出てるの?」と不思議に思った経験があることと思うが、そういう背景がある。
一つ例を挙げると、石森章太郎の超代表作「サイボーグ009」は、一番最初に少年画報社の「少年キング」に連載されたものの、連載中の人気が振るわず、さらに当時の編集長からの評価も芳しくなかったこともあって唐突に打ち切りを命じられ、「ミュートス編」でかなり消化不良な形で終わってしまった。
その後劇場アニメ化企画が固まったのと同じタイミングで「少年マガジン」での連載(ヨミ編)が決まり、その連載開始と同じ66年に秋田書店から「009」の単行本化が始まる。これはアニメタイアップ効果を狙ったというのは勿論だが、キング時代の担当であり、009の打ち切りに関して大いに無念であった桑村氏が、少年画報社の前にいた秋田書店から単行本化の話をもちかけられて橋渡しを努めたということが大きい。
このレーベルが「秋田書店サンデーコミックス」シリーズで、秋田書店側の企画立ち上げとタイミングが上手い具合に始まったわけだが、事実上「009を口開けとして始まったレーベル」といってよいだろう。初刊行作品は「009」の1巻で、次に2・3巻と続く。
ちなみにレーベルの通し番号である「SCナンバー(付与されていない作品もいくつかある)」の「1」「2」「3」は「サイボーグ009」の1・2・3巻に割り振られ、「4〜9」についても、その後発行された4〜9巻のためにキープされて(実際にはその間、他の作品がたくさん出ている)割り振られていた。これだけでも、「009」が同レーベルにとっていかに特別な存在であったかが伺えるだろう。
(参考:びざーる渡辺氏による秋田書店サンデーコミックスリスト)
キングの連載開始は64年だったので、実に2年以上もこの作品は単行本化されず、あやうく存在自体がお蔵入りしてもおかしくないところだったのである。
ちなみに「009」のサンデーコミックスは売れに売れ、真偽のほどは不明だが、「009の売り上げて秋田書店のビルが建った」と業界で言われるほどだったという。
(「キング」の少年画報社・「マガジン」の講談社が009を単行本化しなかったのには、当時両社ともにまだ自前の単行本レーベルを立ち上げていなかったという事情も単純に関わっているだろう。
少年画報社のキングコミックスは67年、ヒットコミックスは69年・講談社の講談社コミックス(KC)は67年に立ち上げられている。
それ以前、「連載作品が単行本化」というのはよほどのヒット作に限られており、「単行本=貸本or書き下ろし」という認識だった。いわば、雑誌と単行本はほぼ完全に住み分けていた状態と言えるだろう。)