物語1コマ目は、本編の主人公・高見武晴が村長の運転するマイクロバスに乗せられて、舞台の「かむろば村」にやってくるシーンから始まる。
彼は東京で4年間銀行に勤務していた青年なのだが、零細企業への融資業務等に関わっていいるうちに金への強迫観念が強まり「金アレルギー」になってしまう。貨幣に触れない・日常生活を送ることさえままならなくなり入院した先に待っていたのは当然リストラだった。
高見は、「何もない深い田舎で、田畑で自給自足して暮らせば、金と係わり合いのない暮らし・一円も使わない生活が可能なのでは」と考え、古い民家を土地込み100万で買い取り、田んぼも借りる話を付けて「かむろば村」に移住してきた。しかし「銭のいらない田舎」などあるはずもなく、その1日目から高見の幻想は打ち砕かれる。
自分の甘さとヘタレさ(特に酒が入ると性格が一変するタチの悪い酒乱癖がある)を誰よりも自覚しながら、それでも金の使わない生活を実現させようとし、また周囲の人間に甘えず、迷惑をかけまいとする気持ちはある高見だが、今のところは空回りに終わることが多い。
高見に呆れながらも面倒見のいい村長や、「やたらモノをくれる田舎人の習性」に助けられて、なんだかんだ言いつつも「金を使わない生活」を続けていられる高見。
さすがに「実質村長へタカって生きている毎日」をどうにかするために、村長の経営する小さなスーパーでアルバイトをさせてもらう(給料は金でなく食料などで現物支給)のだが、金アレルギー自体はどうも悪化していたらしく、レジの金に触ろうとすると嘔吐してしまう始末。
不思議な少年に振り回されたり、たちの悪い前科者にロックオンされたりと、平穏な暮らしにはまだまだ遠いようで…
帯には「大人のための、甘さ控えめのファンタジー」とあり、最初は「これのどこがファンタジーなんだろ?」と思わされるが、村の住人にはみなそれなりの謎があり、特にこの村に伝わる「かむろば様」「神様」の存在が、田舎の現実感あふれる物語世界に時折浮遊感を与えている。
<かむろば村の人々>
*天野ヨサブロ
かむろば村村長。とはいっても見たところ40前後の働き盛り。高見とのカラミが一番多い人物。
バスの通らないかむろば村民の移動・通学のために毎日マイクロバスを運転し、村で唯一の店である小さなスーパーを経営している。
率直な性格で歯に衣着せないが、面倒見はよく、「頼まれればなんでもする」の範囲が尋常ではない。その理由については「自分が嫌いで、自分を捨ててるから」と語るのみで、色々と深い事情がありそうな人。
実はゲイなのだが、なぜ美人の奥さんと結婚しているのかは不明。
*天野亜希子
村長の妻。誰が見ても村長とは釣り合いが取れないと思うほど若くて美人。ヨサブロ(そもそもゲイ)と結婚した経緯は謎。子供はなし。かむろば村の住人には珍しく、方言を使わず標準語で話す。
スーパーを実質的に切り盛りする、明るくて働き者の女性で、高見のひそかな憧れの対象。普段は温厚な笑顔を振りまくが、いざとなると村長を折檻したり、前科者の酔っ払いにタンカを切ったりと勇ましい一面もある。いつもは表に出さないが、田舎への不満やヨサブロと進の関係については奥底で鬱積するものがあるようだ。
*なかぬっさん
高見がかむろば村に来て出会った二人目の住人。いつもカメラを持って村のあちこちに出没する老人で、「写真好きな有閑爺さん」にしか見えないが、村民は彼を「神様」と呼ぶ。
村にある「おんごろ温泉」の所有者であり、生活には余裕がありそう。温泉の女将の息子である進は孫らしい。
ちょっと身には普通の爺さんなのだが、口に出していないのに高見の考えを読んだり、ところどころで「不思議な力」を発揮して物語を動かしているようで、1巻目ではその全容は謎に包まれているが、「神様」と呼ばれるだけのことはあるようだ。
ちなみに姓は「中西」ではなく「中主」らしい。
*進
なかぬっさんの孫にあたる男の子。おんごろ温泉の女将の息子…なのだが、誰が見てもすぐに真の父親が分かってしまうほど村長に激似。ほとんど喋らず、なかぬっさん以外にはなつかない少年なのだが、なぜか高見にはまとわりつく。
時折不思議な力を発揮するのは、「神様の孫」という血筋に関係があるのか。
*伊佐奈津
おんごろ温泉の女将。これまた美人。進の母親だが、なかぬっさんの娘なのか息子嫁なのかは今のところ不明。
進の「不思議な力」に関して、何かと気苦労の多い様子。
*みよんつあん
地元の農家。高見の田んぼ(高見が農作業になかなか出ないので)の面倒を見てくれている、世話好きの男性。60代だが、日々農作業で鍛えた体は逞しい。
*みんちゃん
見た目は「いかにもオタク風」の青年。祖母とともに住んでいる。料理の天才で、自宅の広間で毎日日替わりの料理を村人に振る舞っている。食べた村人は、野菜や酒・雑貨などをみんちゃんの家に置いていく。つまり「モグリの食堂」なのだ。というわけで、「銭を置いていくのはご法度」というわけ。
以前、村長とはいろいろあった仲らしい。メガネを取るとかわいい。
*鈴木若葉
かむろば村に住む女子高生。素朴でスレていない美少女だが、その分「自分」が薄いようで、父親に命じられるままに高見を誘惑して陥れようとする。
*鈴木茂一
若葉の父。服役経験があり、現在進行形のロクデナシ親父。高見の貯金通帳を狙って、娘を使って高見を陥れ、強請ろうと画策する。
*かむろば様
村に点在する神様(の石像)。一見「猫の顔がついた地蔵」に見えるが、「白い虎」らしい。その力については今のところほとんどわかっていないが、なかぬっさんと何らかの関係があるようだ。
この物語は、はっきり言って田舎在住者が読むと「重い」。
田舎の描写がところどころ変にリアルで、田舎・農村特有の「(有無を言わさずのしかかってくる)人付き合いの濃さ」「ヌルさ」「重さ」が随所からにじみ出てきている気がする。
だから、現在(転勤・結婚・家庭の事情などで)「自らの意思でなく田舎住まいしていて、正直あまり楽しくない」と思っている人にはけっこうキツい作品だと思う。特に、「越してきて日が浅く、カルチャーギャップに悩んでいる」段階の方は読まないほうがいいかもしれない、とさえ思う。
TV番組「人生の楽園」を見ていると、「あ〜この番組とか雑誌なんかに影響されて、『老後・脱サラ後は田舎でロハスでスローライフな人生を』とか幻想を持っちゃう人がまだ増えるんだろうなあ」と思ってしまう。
「素朴・人情・温かみ」「鍬一つあれば自給自足」「地球に優しい生活」「屈託なく受け入れてくれる住人」「自然の恵みで金があまりかからない日常生活」…そんなものは全て都会人がメディアに洗脳されて抱く幻想に過ぎない。
高見の「田舎なら金なしで暮らせるはず」というビジョンもその幻想の延長上にあるわけだが、それがしょっぱなから打ち砕かれるシーンは第1話から登場する。
村長に「携帯は?」と聞かれた高見は、
「捨てました」「もういらないので。」
と答えるが、それに対する村長の言葉は
「バガかおめえは」
「こんなどごで 携帯なすでは暮らせねえど」
まさにそうなのだ。住んでいる場所が田舎であればあるほど、「田舎であるというだけでかかる費用」はバカにならない。
バスがない・通っていても1〜2時間に1本というような状況では、「1人1台自家用車」がなければ足がないのと同じことなので、その購入費用や維持費がかかる。
同じ距離を公共機関で移動しようとすれば、都会のバスや地下鉄なら300円もかからないところが、田舎のバスだとあっという間に7・800円取られてしまう。
ちょっと付き合いで夜飲みに出れば、バスの終了時間も早いので、家に帰るにはタクシーか代行社を使うしかない。もしくは家人に迎えに来てもらうために携帯電話は何かと必須。
除草や除雪のための機械や用具購入、寒ければ暖房費。
農業をするならば各種農機、それらを共同使用するにしても、軽トラックの一台もなければ話にならない。
「田舎は都会よりもよっぽど金がいる場所」なのだ。
そうした都会人の「ロハス(笑)」な田舎幻想を一度粉々に砕いた上で、その上に「かむろば様」や「神様」と村人たちの織り成すファンタジーを構築する…という仕掛けはとても興味深い。
この1巻は、ほぼ「主要人物とかむろば村の舞台紹介」と、「神様たちの奇妙な能力」の片鱗を見せて次へつなぐ内容になっており、今後のいがらしみきおの手腕に素直に身を委ねてみたいところだ。
私自身、農村に暮らして色々辟易させられる部分も多い毎日なので、最初にこの作品を雑誌で読んだ時には「キッッいわ〜…」と感じたのだが、なんだかんだ言って期待しております、ハイ。
この物語を読んだ人の多くが、「ところで『かむろば村』のモデルはどこなんだろう?」という疑問を持つのではないだろうか。
・「ほでなす」という宮城の方言
・いがらしみきお自身が仙台在住
・出身は宮城県中新田
・「ホヤうどん」は宮城の郷土料理
ということと、方言のニュアンスからして、「宮城県の田舎のどこか」を想定しているのだろうな、と勝手に考えている。
もっとも「ほでなす」と似た言葉は周辺県に点在している(「ネイガー」で有名になった秋田の「ホジナシ」や、山形県でも「ほでなし」という言葉を使うところはある)し、特に限定せず、「トーホグのどこか」という位置付けで設定しているのかな、という気もする。
山形県最上地区に、「神室(かむろ)」という地域があるので、けっこう気になっちゃうんだよね。
それにしてもなかなか凝った作りの表紙カバーだなあ…