その中にいくつか、当時の読者ページも収録されていて、中には「マガジンの漫画家先生の仕事場訪問インタビュー」という趣向のものもある。
「木乃美光(このみ・ひかる)」という学習漫画などを手掛けていた漫画家が聞き手になっている。この企画の水木しげるインタビューが、今読むとどうにも面白かった。
残念ながら初出は不明(こういうところがこの本の惜しいところだ)なので年代は分からないが、おそらくは「鬼太郎」を連載していた頃だろうか?だとすると1965〜8年あたりのこと(水木先生は40歳くらい)なのだが。
水木:
かわってるっていえば、小学三年生のころ、手相にこっててね。
木乃美:
ほうこりゃまたおどろきだ。
水木:
自分の手相の生命線が切れているのを発見してね、自分は二十一さいで死ぬと信じて、夕方になると手相を見てはびくびくしてましたよ。
木乃美:
でも、ちゃんと生きてるじゃないですか。
水木:
戦争から帰ってきたら生命線がつながってましたよ。これはいいぞ、八十さいまで生きると思いましたよ。ははははは。
実際そのとおりになるべくしてなっているわけで…
まあ、戦地での水木サンの苛烈な体験を思えば、手相の一つや二つ変わっても不思議はないというものだ。
インタビューの最後は、
先生、八十さいまで生きて、妖怪ものをうんとかいてね。
と締めくくられているのだが、まさか年を追うごとに妙に元気になって長生きし、存在言動ともに妖怪そのものの域に達してしまうとはこの時誰が想像しただろうか…
ちなみにおん年84歳。
また、同ページ片隅の囲みミニ記事では、
「水木先生のすき・きらいメモ」というタイトルで好物や趣味などを軽く箇条書きにしているのだが
<初公開 ないしょないしょ情報>
おならが一日に30発くらい。でも、うんちは2日に1回だけ。
と、赤裸々なシモ事情までも暴露されちゃっているのだった。
水木サンの生まれ年を確認するためにwikipediaに当たってみたら、「生い立ち」の項になんかすごいことが…
水木しげる - Wikipedia
幼少時代、「死」に興味を抱き、弟を海に突き落とそうとするが、近所の大人にみつかり断念。
み…水木…先生………
そして近所の大人さんGJ。