庄内でも桐の木を見ないわけではないけれど、内陸のほうが公園や庭などに植えられている率が高いように思う。
桐の花はちょうど今頃(春〜初夏)、実は秋について落ちるわけだが、
「そういえば花札で桐が12月なのは何故なんだっけ」
と気になりだした。
調べてみると、定説としては
「花札では12月は4枚セットの最終」
↓
「これっ"きり"・"切り"・"(「ピンキリ」の)キリ"と"桐"の音をひっかけた」
というものが有力のようだ。
よく知られている話だが一度まとめてみると、花札のルーツは
・ポルトガルから伝来したトランプ(ドラゴンカード)=「カルタ」[12枚*4組]
↓
・天正カルタ[12枚*4組]
↓
・花札[4枚*12組]
とされている。
現在ポピュラーなトランプは、
A〜10+J・Q・K
の13枚*4種(スペード・クラブ・ハート・ダイヤ)にジョーカーを足したものだが、この時期伝来したポルトガルのトランプは
1〜9+従者・騎士・王
の12枚*4種(棍棒・剣・聖杯・貨幣)という形式だったと推測されている。
(1の数札にドラゴンが描かれていたために、ドラゴンエース・ドラゴンカードとも呼ばれる)
「カルタ」は英語の「カード」、ドイツ語の「カルテ」と同義のポルトガル語で、その後「かるた」の語源となった。
このドラゴンカードを基にして作られたのが、12枚*4種の「天正カルタ」(詳しい説明や札の説明はこちらが分かりやすい)。
4種類の紋票の名称は
・ハウ(棍棒)
・イス(剣)
・コップ(聖杯)
・オウル(貨幣)
また、
・1=ピン(ポルトガル語で「点・しみ」をあらわす「pinta」からといわれている)
・女従者=ソータ
・騎士=ウマ
・王=キリ
と呼ばれ、これが現在の「ピンからキリまで」や「ピンハネ(そもそも「1割を横領する」の意らしい)」の語源とされている。
騎士の「ウマ」は、騎馬状態の絵柄なので一目瞭然なのだが、「ソータ」の語源は、ネット辞書で調べた限りではよく分からなかった(スペイン語では「Boss」の意味らしいが)。
「王」はポルトガル語では「REI(うんすんカルタではそのまま「レイ」と呼ばれていたこともあるらしい)」であり、多分ポルトガル語の「王」に直結しているわけではない。
・「十字架をあらわすクルス(cruz)→10」の転訛という説
これに関しては、株札の存在を考慮に入れたこちらの説が面白い。
「takayanの雑記帳: ピンキリ再考」より
カブの専用札ができる以前は天正カルタの11札と12札を取り除いた10枚で遊んでいたらしい。そのゲームでの最高位のカードが仮説3の考え方により「キリ」と呼ばれたのならば、12札から言葉を借用してカブでの10札をキリと呼んでいたことはないだろうか。カブで遊ぶ人たちにとっては11札と12札を使うことはなく、10札が最高位のカードとなる。そして廃れてしまった天正カルタやうんすんカルタの情報をほとんど知らない後代の人が、現存していた株札を眺めて、後付けで仮説1や仮説2を作ったのではないだろうか。
逆に10ランクが最後となる株札(数を落とした天正カルタの転用でもいい)において、仮説1か仮説2の理由でキリという言葉が使われるようになり、それがあとから「最高位の札」という意味でも使われるようになって、本来の12ランクの天正カルタでも最後の武将の札(REI/KING)に対して転用されていったのかもしれない。
・最後の札なので「切り」→「キリ」という説
の2つが有力とされている。
これらの江戸時代のカルタについては研究家や愛好家が多く、さまざまな論考がweb上でも行われているので、細かい考察は専門知識のある方にお任せしたいと思う。
(「ピン」の語源だけにしても諸説がある)
いずれにしろ、天正系カルタで最後のカードが「キリ」とよばれ、それに「桐」を呼応させたと考えてよいようだ。
だから、本来は季節外れであるはずの12月に突如として「桐」が現れるということらしい。
桐の札は、カスが3枚+鳳凰の20点札が1枚で構成されている。
鳳凰が登場するのは、古代中国の
「鳳凰は聖王の出現を待って現れ、梧桐にのみ棲み、竹の実しか食べない」
という伝説に基づく吉祥紋からの連想とされている。
もっとも本来の伝説上で述べられる「梧桐」は「アオギリ」のことで、日本で一般的な桐とは科からして違う植物である。花は白または黄色。
この導入・混同はすでに平安時代には一般的になっていたようで、清少納言も「枕草子」の中で
(三十四段 木の花は)
桐の木の花 紫に咲きたるはなほをかしきに 葉のひろごりざまぞ うたてこちたけれど こと木どもとひとしういうべきにもあらず 唐土にことごとしき名つきたる鳥の えりてこれにのみゐる覧 いみじう心こと也
木に咲く花は、桐の花もいい。
紫に咲いているのはいっそう趣き深く、葉がやたらに広がった様子はなんとも鬱陶しいけれど、それでも、ほかの木と同列に論じていい木ではない。
中国の大げさな名前がついた例の鳥(=鳳凰)は桐だけを選んで止まり、棲むという話からしても、やはり格別のものと思われる。
と、思い切り同一視している。
王権を示す図案で、古くから権力者に好まれ、「五七の桐」は皇室の紋様でもある。(豊臣家の家紋の桐は「五三の桐」)
また、桐の花の色である紫が最高貴の色とされた点も皇室とマッチしたとも言われている。
「桐竹鳳凰」の文様の袍は、天皇だけに許された柄だった。(鎌倉時代以降、さらに麒麟を加えて「桐竹鳳麟」という文様も生まれた)
このように天皇家と桐のかかわり(中国の王権シンボルのまんまイタダキではあるが)は深い。
調べながら思いついた妄想に過ぎないので聞き流して欲しいのだが、
・桐=五七=5+7=12(月)
とか
・日本の王(一応)である天皇のシンボルの一つである「桐」を配することによって「王」の札との関連を持たせた
なんて発想は…やっぱりトンデモですよな。わかってますわかってます;
花札の謎というと、「キリ=桐」の線がはっきりしている12月より、むしろ11月の「アメ=柳」のほうが愛好家を悩ませる大きなミステリーとされている。
柳といえば思いっきり春の風物だし、小野東風の20点札に出てくるツバメも蛙も春〜夏のもの。旧暦で11月と言えばまるっきり冬なので、何も接点が見当たらないのだ。
で、季語を調べてみると、一般に「春の季語」のイメージが強い柳だが、実際には四季にコンパチな植物だということがわかる。
確かに単品で「柳」と出した場合は春の季語なのだが、
・柳の芽・雪柳=春
・葉柳=夏
・柳散る=秋
・枯柳=冬
となっており、特に「柳散る」は11月の季語とされている。
PLANT A TREE PLANT LOVE - 二十四節気
柳散る・散る柳(ちるやなぎ)・柳黄ばむ(やなぎきばむ)
柳の葉が散り始めて、しみじみと秋を感じるというのが、この季語の働きです。その点では「一葉落ちて天下の秋を知る」桐と同じことですが、古木は桐も柳も、散ることが秋を知らせる現象でした。宗祇の『連歌心附之事』でも、一葉散るが桐と柳に限定されていましたが、後に桐だけに使われるようになります。
まあ札の柳は青々としていて「散る柳」や「黄色の柳」のイメージからはおよそ遠いのだが、一応11月と柳の縁はある。
また、雨の季語では「時雨」が11月の季語となっている。
雨の10点札にいる鳥は、赤と黄色のカラーリングで長年よく分からなかったのだが、燕ということになっている(小野東風の札と比べるとあまりツバメ感がない)。
燕というのもまた春を告げる鳥として知られており、季語としても春のものというイメージが強いが、調べるとやはり秋・冬の季語もあった。
これは、秋になると燕が南へ渡るために去っていくこと、一部の燕は渡らずに屋内などで冬を過ごす習性関係している。
秋の季語:
燕帰る 帰燕 秋燕(あきつばめ・しゅうえん)
去ぬ燕、帰る燕、巣を去る燕、残る燕
冬の季語:
通し燕、越冬燕、越年燕、残り燕
また、つばくらめ=「玄鳥」と表記することもあり、「玄=冬」に通じる…とするのは流石に苦しいか。
あの燕はもしかして、「やってきた燕」ではなくて、「これから去り行く燕」なのかもしれないという一つの可能性。
「稲妻」「稲光」は秋の季語(古来、雷光が落ちることによって稲が実るという言い伝えがあった。ゆえに「稲の妻=稲妻」)。ただしこれは一般に降雨を伴わないものを示し、「雷」「雷雨」となると夏の季語。
どちらにしても冬である11月との関連は厳しいか。
「雷」は「神鳴り」でもあるから、神無月が終わってまた神様が戻ってきた…というのはさすがにこれもハイハイ妄想妄想の域だろうなあ。
現代では、雨の20点札と言えば小野東風の札だが、これは明治になってから差し替えられたもので、そもそもは
「雷雨の中を走る番傘の浪人」
の図柄だった。
この浪人は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」に登場する「斧定九郎」とも言われており、アナーキーな悪役ながら(ゆえに、と言うべきか)なかなか人気のある役である。
ただし、演目に登場する「雨の山崎街道」の場面設定は6月29日とされている。
図柄交代の理由は、定九郎の役どころが身も蓋もなく言えば強盗殺人の極悪人なので道徳上よろしくないから…と言われている。
なぜ小野東風になったのかというのはやはり諸説あり、
・「斧」と「小野」をひっかけた
(斧定九郎のそもそものモデルは赤穂藩家老の"大野"九郎兵衛)
・どちらも番傘を持っている
・定九郎の役や服装の解釈のために初代中村仲蔵が苦心・努力を重ねたというエピソードと、かな文字を生み出すために思案しつつ、柳に飛びつく蛙の無心な努力に心打たれた小野東風の逸話を重ね合わせた
などなど。
うんすんカルタやローカル花札に登場した「鬼札」(ジョーカー的な役割を持つ札。詳しくは調べてみてください;うんすんカルタやローカル札は種類が多く遊び方も様々でなかなか複雑なのです;)の名残ではないかという説が、システム的に考えると最も有力か。
雨も柳も、どの季節にも応用できる季語でもある。
ともあれ、ストレートに季節の花鳥草木を配置している1〜10月に比べると、11月・12月にはスパッと割り切れない謎が多い。
季節としては冬なので、雪を配置してもよさそうなのだが、花札には「月・花」は登場しても「雪」の要素は一切出てこない。
かるた遊びが導入され、盛んだった西日本で雪は身近でなかったせいか、それとも「雪・ユキ」博打の世界においてなんらかの忌み言葉であったというような要素が見つかればまた面白いかもと思っているのだが。
花札の遊び方を教えてもらったのは幼稚園の頃で、小学生中学年くらいまで面白くて面白くて、よく親戚にも相手をしてもらっていた。
とはいえ単純な花合わせだけで、役もつけていないごく単純なものだったが、旧暦の季節の花や定番の組み合わせ(梅に鶯など)の歳時記と同時に計算も覚えられるという点では、幼児の教材としてもなかなか秀逸なカードシステムと言えるだろう。
花札の風雅は、実際には賭博を取り締まる当局の規制から逃れるための方便と言う意味合いが強かったとはいえ、やはりなかなか奥深いものがあると思う。
花札はゲームもデザインも大好きで、11月の20点札は「柳に番傘」だったのが、いつのまにやら小野道風になってた〜というのは知ってはいたんですが、「柳に番傘」の札が見られるとは思いませんでした!先生ありがとうありがとう!!!
そーいや、無視する〜の意の「シカト」も花札が語源でしたっけか。
子供の頃気づいたのですが、一般的な花札で青(水色)が使われているのは小野東風だけ、同じく緑は鶯の各1枚だけなんですよね。
赤系はいっぱいあるのに、配色は偏っているなあ、と思っていました。
でもいろんな色を使うとこうなっちゃうんでしょうかね
http://www.chosunonline.com/article/20060804000054
>「柳に番傘」の札
私は恥ずかしながら今回調べて初めて知りました。
画像はすべて拾い物です;
昔の花札は、版ズレとかも味があっていいですね〜。地方札なども勉強になりました。
>無視する〜の意の「シカト」も花札が語源でしたっけか。
そうですそうです。十月の鹿がそっぽを向いているところからですね。
昭和の不良言葉と思われがちですが、発生は江戸時代ですから意外に古いのですよね。
>>末期ぃさん
>一般的な花札で青(水色)が使われているのは小野東風だけ、同じく緑は鶯の各1枚だけなんですよね。
そういえばそうですね〜、紫は多いですけどねぇ。
明治時代になって印刷技術が発展したことも関係しているのかもしれないですね。
>韓国かるた
無理やりながら、これはこれで面白くはありますね。ただ、菊の盃の変わりに急須が入っているのはさすがになんとも無理すぎるような…
花札って素敵ですね!見てるだけでも大好きです!
こんにちは、コメントありがとうございます。素敵なお名前ですね。
現在の花札は、ポルトガルから渡って来たカルタの賭博遊びが大流行し、何度となく政府から規制・禁止された結果、花鳥風月をあしらった花遊びを建前にしつつ発展したものですが、独特の季節感や言葉遊びを含んだ、それでいて庶民(それこそ子供の頃の私でも楽しめたほど)でも広く平易に楽しめるものに変化した、その過程もまた優れた文化だと思います。
何しろ特に役なしで絵合わせだけでも楽しめる、役などを組み込んで高度な計算込みでも面白い、点数で計算を覚えたり、季節の花々や札の由来を知ることもできる。知育玩具としても秀逸なものがありますね。
花札を使ったコンピューターゲームもいろいろありますが、実際に花札を「パシッ」と打ちながら遊ぶのは、やはり実物ならではの楽しみがあると思います。