2011年03月29日

「極道兵器」映画情報とか映画

*トレイラー出ましたな。
 (流血とかちょいエロとかあるので一応ご注意)

 
 主人公ちと線細いとか、タイガー若いとか色々感じる事はありますが、思った以上に原作リスペクトだなとは思います。
 「真・極道兵器」の方の、ビックリドッキリ姐さん兵器も登場するようですが、これは原作には登場しない「将造の妹」みたいですね、どうやら。
 倉脇が、ちょっと見ただけでも憎々しいクソ野郎なのはわりと安心。
 拓ボンジュニアはほんっとにいよいよ親父さんに似て来たなー。

公式サイト

*夕張ファンタスティック映画祭での好評記事
 永井豪も絶賛!全裸女性の股間からの「おっぴろげミサイル」発射!伝説のコミック『極道兵器』映画化!! - シネマトゥデイ


海外版のポスターとあらすじ(英文)
 ポスターがめちゃくちゃかっこいい……!
 あらすじを見る限り、どういう形になるか分からないけど鉄ちゃんは出て来るっぽいですな。

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posted by 大道寺零(管理人) at 16:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画

2009年09月18日

ヘンリー・ギブソン死去映画

この訃報タイトルをmixiのブルース・ブラザーズのコミュで見て、正直
「……何役の人だっけ??」
と、役名と名前がすぐ一致しなかったのだが、中身を見てすぐに思いだした。
「イリノイ・ナチ」のリーダー役を演じた方ですね。享年73歳とのこと。

このシーンを見て以来、「ワルキューレの騎行」が流れる映画と言えば、私の中では「地獄の黙示録」よりも「B.B」になったのだったなあ……
posted by 大道寺零(管理人) at 17:39 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画

2009年07月23日

大雷蔵祭映画

*公式
大雷蔵祭(角川映画)

秋に角川シネマ新宿で「雷蔵映画100本上映企画」があるらしい。いいなあ東京近郊の方…
地方にも一応企画は来るらしいけど、まあ東北にはどーせ来ても仙台くらいよねー。

今まで見た雷蔵映画はせいぜい10本程度(すべてNHK-BSで放送されたもの)だが、その中で一番好き、映画としてよくできていると思ったのは「大殺陣・雄呂血」で、これは是非一度大スクリーンで見てみたいと思う。

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posted by 大道寺零(管理人) at 11:49 | Comment(5) | TrackBack(0) | 映画

2009年02月26日

「デルス・ウザーラ」(1975年)映画

ソ連に招かれた黒澤明が、役者も一部除くスタッフもロケも全てソ連側、言語もオールロシア語で撮った映画。
アカデミー外国語映画賞を受賞している。

この作品を「イイ」と評価する人の話をほとんど聞かないので、「これも眠くなりそうかな…長いしなあ…」くらいに思って見たら、予想以上に良かった。
見ながら時々「そう言えばこれ、黒澤映画なんだよな」と自分で再確認しないと、黒澤映画を見てる気が全然しない。そのくらいに異色の作品なのだが、「何かケツからドタマまで一本芯を通されたような気分」になる余韻はまぎれもなく黒澤作品だと感じた。
カラーになってからの作品の中では一番好きかもしれない。


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posted by 大道寺零(管理人) at 15:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2009年02月25日

「夢」(1990年)映画

「黒澤明自身が見た夢」をもとに、8つの物語のオムニバス形式で綴った映画。

よく言われることだが、「他人が見た夢の話をされることほど苦痛なことはない」のである。よっぽど面白いか、話が上手な人でないかぎりは。
何しろ夢なので、起承転結も何もあったものではなく、話の流れがメチャクチャで整合性などない場合が多い。さらには、「本人の中にはイメージが残っているが、それを他者に伝えきれなくて説明がグチャグチャになる」「頭の中のビジュアルイメージを言葉に変換しきれない」といった問題もある。
しかしその中からインパクトのある題材を選びぬいて、力のあるクリエイターが作品に連結させると、時に独特の浮遊感・非現実感・不条理感・ブツ切り感が効果的に作用して、とてつもない名作が生まれる場合もある。
漱石の「夢十夜」などがその例だろう。

で、この「夢」についても、最初からストーリー整合性の枠など取っ払って、不条理に溢れる「イメージの洪水」に身を委ねよう…というつもりで見たのだけど、ちょっと肩すかしだった。
その理由の一つは、「話としてそこそこ整合性が立っていて(思想や主張はむしろ、他の作品よりもストレートでうるさく感じるほど)、それでいてリアリティがあるわけでなく、妙に中途半端」に感じたということ。もっと不条理なら不条理に徹したほうが面白かったようにも思う。
もう一つは、パートによって幻想譚だったり、時にホラーだったり、パニックもの・ディストピアものの趣をそれぞれに持っているのだが、何しろ公開が1990年である。これをわざわざ身に来る年齢層のファンは、それぞれのジャンルについて、「もっと面白くてよくできた作品(映画に限らず)」を大抵どこかで見てきていて、無意識にそれと比べてしまったり、「どっかで見た絵」と感じてしまうことがある。不幸にして私はそう思ってしまった。
例えば、原子力発電所が爆発し、富士山が噴火して人々が逃げ惑う…というようなシーンについても、「●●年前のあの特撮映画の方がよく出来ていた。"世界の黒澤"が、しかも平成になってから撮った絵がこの程度??」という感想が真っ先に出てきてしまったのだった。

そして何より、この映画は「ズルい」
上記に挙げたような、所々の、しかし明確な不満や「こんなものなの?」という疑問が生じても、「だってこういう夢を見たというのだから仕方がない」の一言で全てケリが付けられてしまい、個々人が感じた不完全燃焼感のやり場があらかじめ奪われている。そして「夢じゃしょうがないけど…」とさらに燻ってしまう。そんな感想を持たれた方もいらっしゃるのではないかなー。

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posted by 大道寺零(管理人) at 16:13 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画

2009年02月24日

天国と地獄(1963年)映画

黒澤明の「現代もの」の中では最も一般的な評価が高い作品。
エド・マクベインの「87分署シリーズ」のひとつ、「キングの身代金」を原作にし、大幅なアレンジを加えている。

最初から最後までピンと意図の張りつめたサスペンス仕立てで、期待通り面白かった。

(以下、いつものようにネタバレを含むレビューですが、この作品の場合、ストーリーを知ってしまうと面白さは半減どころか激減…してしまうと思われるので、これから見る予定の方はご注意ください。)

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posted by 大道寺零(管理人) at 18:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2009年02月20日

「醜聞」(1950年)映画

黒澤明という人は、一体私の涙腺からどれほど貯水量を奪っていくのだろう。
この映画も、「社会派」という概要説明からは別に泣ける内容などと全然思わずに観たら直撃を食らった。志村喬と左卜全に完全にやられた。

無責任・無根拠の、売らんかなのスキャンダル記事で他人の名誉を傷つけて顧みないマスコミの暴挙に憤慨した黒澤明が企画したという逸話で知られる映画。その憤りがストレートすぎるほどストレートに出ている。
60年近くたった今でも、マスコミの腐敗した体質に全く改善・進歩がないという事実にハッとさせられる場面が多い。

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posted by 大道寺零(管理人) at 21:38 | Comment(4) | TrackBack(0) | 映画

2009年02月04日

「蘇える金狼」(1979年)映画

昨年NHK-BS2で放送されたものを録画視聴。
NHKなので有名な吹雪ジュンとのファックシーン等がカットされているかも?と思ったがおおむねそのままだった模様。(ノーカット劇場版を見ていないので比較できないのだけど、大筋そのまんまかと思う)

とにかく松田優作がカッコよく、脇を固める怪優大サービスの嵐に嬉しさを隠せない。ラストの展開はちょっと読めてしまったが、1本の映画として文句なく楽しめた。
大藪春彦の原作は未読。原作ファンからは改変部分に不満が多く出たことは一応知っている。

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posted by 大道寺零(管理人) at 17:48 | Comment(7) | TrackBack(0) | 映画

2009年01月27日

「乱」(1985年)映画

「影武者」にイマイチ入り込めなかったのに対して、「乱」はけっこう好きだったりする。ベースとなった「リア王」という作品の力、シェイクスピアの力も多分にあるのかもしれない、とは思うのだが。

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posted by 大道寺零(管理人) at 14:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2009年01月26日

「影武者」(1980年)映画

「乱」の方を先に見て、そっちはけっこう好きなんだけど、こちらはなんとなく今一つだった。微熱状態で見ていたせいもあるかもしれないが、何度となく寝落ちして(特に前半)、そのたびに巻き戻して見た。そこそこ期待して見たので。(個人的に)タルコフスキー級の寝落ち率になるとは思わず、驚いた。
間合いがとにかく「長っ!」と感じるシーンが多く、その意図とか意味が分からない、というか効果的に感じられなかった。勿論別につまらなくはないのだけど。
3時間がとにかく、長い。2時間30分とまではいかなくとも、せめて20分くらいは詰められた内容だったんじゃないかな?というのが正直な感想。

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posted by 大道寺零(管理人) at 01:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2009年01月19日

「どですかでん」(1970年)映画

なんーとなく見るのを後回しにしてしまっていたのだけど、ようやく最後まで見た。
けっこう見るのが辛いシチュエーションや話も多いこともあって、何かの合間に30分くらいずつ、エピソードの切れ間と思しき所で細切れに見るという、ファンからは怒られそうな見方になってしまったのだが…

いや〜この作品、読後感を語ろうとするとえらく難しいというか、なかなかまとまらない。
賛否両論が激しい作品だというのも理解できるし、興行的にはダメだったというのもこれまたさもあらん、と思う。
「隠し砦」とか「赤ひげ」のように、「面白いよ!」と太鼓判を押せるかと言えば私には難しい。
貧民街を舞台にしたオムニバスストーリーなのだが、現代で想像できる「貧しさ」とは何もかもレベルが違っていて、住居にしろ服装にしろ、現代では「極貧」とはいえここまで小汚いということは(それこそホームレスのレベルでなければ)まずお目にかかれない。
どうにも救いがなく、見ていて怒りにかられるようなエピソード、暗い話が重いのだが、それだけではなく、あっけらかんとした強かな話、じんわりと人の絆を描く話もある。しかしどれもシチュエーションや設定が「キツい」ため、「面白い」「貧しさの中のユーモア」という軽い一言で片づけていいものか、という気がすごくする。
どのエピソードにもどこかしら「目をそらしたくなる」「見なくていいものを見てしまった」ような気まずさのようなものを感じる。
そして見終わった後には、何かどっしりと重い「実感」が残る。まるで澱のような印象だが、それでいて「気まずさ」だけではない、複合的な何かがある。なんとも不思議だ。

山本周五郎の「季節のない街」を原作にしており、作品世界については、原作も読んで比較してからのほうが把握できるのだろうけど(現在未読)、とりあえず映画単体からの感想など。

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posted by 大道寺零(管理人) at 21:29 | Comment(4) | TrackBack(0) | 映画

2009年01月16日

「隠し砦の三悪人」(1958)映画

なん〜〜〜にも難しいことを考えずに楽しめる、単純明快な冒険活劇。
そのストーリーもごくごくシンプル。
私としてはとにかく、雪姫演じる上原美佐の魅力に撃沈された。もう「美佐姫」とお呼びする以外ない。

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posted by 大道寺零(管理人) at 17:17 | Comment(4) | TrackBack(0) | 映画

2009年01月14日

「赤ひげ」映画

「及第点のヒューマンドラマには違いないだろう」と、うっかり軽い気持ちで見ていたら、終盤予想外にボロボロ泣かされてしまった。何もかもが素晴らしすぎる。
単に「泣ける」とか「ヒューマニズム」という手垢のついた言葉で表現するのはあまりに軽いように思える。それほどオーソドックスにして繊細であり、何より誰を取っても演者の表現がそれぞれにいい。端役に至るまで、その登場人物に見事に没入している。

赤ひげ先生や保本にはじまり、患者の一人一人、賄い下女たちに至るまで、小石川養生所の誰もが、病と闘いながら、自分以外の他者から少しずつ何かを分けてもらい、無知や貧困の中で摩耗したり、あるいは最初から与えられなかった人間としての尊厳や情愛の温かさを獲得していく物語、だと思う。
医師が患者の体と心に生きる力を与えていく、というのは医療ドラマではごく定番の構図だが、この作品の中ではそれが医師→患者の一方通行ではなく双方向であること、また医師以外のスタッフや患者の周辺の人物との間でも行われている点で一線を画している。
そしてこの映画を見る者もまた、最後まで見終わってみれば、それぞれの人間の生き様や演技を通して、いつの間にか「少しずつ何かを分けてもらった・教わった」という濃厚な実感がズシンと腹の中に生まれていることに気づくのではないだろうか。

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posted by 大道寺零(管理人) at 23:16 | Comment(4) | TrackBack(0) | 映画

2008年05月26日

モンティ・パイソン 人生狂騒曲映画

BS映画劇場で録画して視聴。
前々からモンティ・パイソンは見たい見たいと思っていたのだけれども機会がなかった。
(調べてみると10年くらい前にNHKの深夜で放送していたらしい。惜しいことをしたが、当時は実家住まい+仕事が滅茶苦茶忙しかったのでチェックどころではなかった)
シリーズ通してではなく、なぜか最終作のコレだけが単品で放映された。

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posted by 大道寺零(管理人) at 17:55 | Comment(4) | TrackBack(0) | 映画

2008年05月01日

カンフーハッスル映画

この間フジで放送したのを録画視聴。
この作品について、監督・主演以外は何の予備知識もなく見たのでけっこう楽しめた。総じて少林サッカーの方が好きではあるが。

前半の町の人メインのパートの方が面白かったかなー。
結局平和だった町に火の粉がふりかかってきたのも主人公のせいだし、最後の覚醒に至るまでに何らかの努力とか訓練があったほうが日本人好みではあったと思う。
前半はクロマティ高校の神山なみに存在感ない(その割にいらんことばかりする)し、最後までいま一つ好感を持てないままに終わってしまったかなという印象ではある。しかし大家夫妻は最高。
きっと武侠小説に詳しい人はもっと楽しめるのだと思う。あと過去のカンフー映画のパロディもいろいろ入ってるらしいのでそちら好きの人もかな。

「ありえねー」を連発する放送前の日本製導入部分(これは日本公開時にもCMなどで使われていたが)はセンスが痛かった…

以下は局側への不満。
この放映、フジに限らずTVロードショーではよくあるパターンだが、連休封切の「少林少女」を盛り上げるためのタイアップ放送。それはそれでいいのだけど、物語が終わって、エンドロール…と思った瞬間に軽部アナが出てきて早速「少林少女」の宣伝をみっちりと。
はぁ…フジ(に限ったことではないが)はホントにしょっちゅうこういうことするよな…
(「時をかける少女」の時もそうだったし)

放映時間にどうしても収まらないから、というのならば、本編をカットされるよりは…と我慢できないでもないけれど、こういうタイアップ宣伝のためにあるべきものを切られるのは非常に不愉快だし、余韻をぶった切る行為のせいで、好きでも嫌いでもなかったタイアップされる側の作品にまでちょっと反感を持ってしまうことすらあるのだけど…

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posted by 大道寺零(管理人) at 23:25 | Comment(5) | TrackBack(0) | 映画

2008年02月26日

足りないものは多々良純映画

この前、きたかZさんの某日のmixi日記「霧の中から宮口精二」というタイトルがあまりにも素晴らしかった(「アイアンキング」のOPと「七人の侍」の両方が分かる方なら、映像と音楽が頭の中で再生されることだろう)ので、「七人の侍」のことをいろいろ思い出し、以前書こうと思って機会をなんとなく逸してしまった記事を書いてみる。

と偉そうに始めてはみたが、実は「七人の侍」全編をきちんと腰を据えて見たのは数年前のことで、それも大変恥ずかしながらアニメ「SAMURAI7」が契機だったりするのでこの時点でファンからはボッコボコに叩かれそうなのだが…
子供のころ何度かTVロードショーか何かで放映されていて、それを親が見ている隣でチラ見していた記憶はおぼろげにあるのだが、何しろ総時間207分の超大作である。3時間以上となる番組を9時くらいから放送されても、「8時9時には寝る時間」が普通だった当時のジャリガキが最後まで起きていられるはずもなく(そして両親から寝ろと言われぬはずもなく)、キチンと見たことはなかった。
その後機会があれば見よう、TVにかかったら録ろうとずーーっと思いつつ何となく機会がなく(TV放映にあたっては、黒澤側が「ノーカットでシネスコで放映するならよし。それ以外は認めん」という条件を出したためか、なかなかロードショー放映される機会がなかったようだ。現在は映画専門チャンネルなどでよく流れている。)そのままダラダラと、「大体あらすじは知ってるけども」という状態で来てしまったのだ。

「SAMURAI7」は、2004年に「七人の侍50周年記念作品」としてリメイクされたアニメ作品(スカパーの後NHKでも放映された)。制作はGONZO。

舞台は「はるか未来の、大戦後の地球」と設定されており、高度に発達した機械文明と刀を持った侍と米を作る農民が併存する独特な世界。
サムライたちの「雇い主」であるカンナ村を襲う「野伏せり」は、「機械化された元サムライ」となっている。
機械化人まで登場するハイテクノロジーな世界にあって、カンナ村が米を作る農民たちの村であり、「コメ」が重要な意味を持ち、野伏せりたちがコメを狙う理由は独自に設定されており、物語の中で明かされる。

「七人の侍」の筋立てはほぼ前半で消化し、後半は独自のストーリーが展開。終盤は野伏せり大軍団と「その背後にある者たち」との最終決戦が描かれる。

<注:追記以下、「七人の侍」及び「SAMURAI7」について各種ネタバレを含みますので、見たくない方・これから見ようと思っている方はご注意ください。>




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posted by 大道寺零(管理人) at 12:36 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画

2007年06月04日

眠狂四郎・勝負(1964年)映画

シリーズ2作目。
「眠狂四郎」シリーズは5,6本観たけれど、コレが一番面白く感じた。
全体的に中身が濃く、しかしストーリーを追って消化するだけに終わらず、江戸情緒や新春のどことなくゆったりした空気も感じさせる演出が凄い。
(監督:三隅研次)

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posted by 大道寺零(管理人) at 05:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画

2007年04月28日

藤村志保さん映画

この間録画した「眠狂四郎」シリーズを、焼く前に見ておこうかとダラダラ見ていた。
4本放送したうち、中村玉緒が2本、藤村志保が2本に出演していた。(シリーズ全作ではもっとたくさん出てます)
どっちも最初の出演では死んでるのだが、全然違う役として再登場している。昔の邦画ではこのように、看板役者が全く異なる役柄で同じシリーズに再登場するというのは日常茶飯事だったんだよなー。客もそういうもんだと納得するしね…

若き日の玉緒ちゃん若い頃の中村玉緒は、いかにも育ちのよさそうな感じで可愛らしい。
顔立ちとか声の質は、言われてみれば中村玉緒なんだけども、まさか当時楚々とした玉緒ちゃんに萌えた殿方は、よもやああいう「ぐへへへ」なキャラになるとは想像もしなかったに違いない……声も今のように「焼けて」ないし。

で、藤村志保。(←リンク先は公式サイトで、「写真館」のページから昔の作品の写真が数点見れます。)
この人は今も凛とした着物美人なんだけど、若い頃がまたいい。
とにかく知的で、ちょっと抑えた感じの物腰が涼しげだ。
黄金やダイヤモンドのような押し付けがましさがなく、「玉」のような風格とでも言うか。いいなー実に。


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posted by 大道寺零(管理人) at 01:29 | Comment(3) | TrackBack(0) | 映画

2007年04月15日

山田洋二藤沢シリーズの庄内弁映画

「たそがれ清兵衛」に続き、「隠し剣 鬼の爪」(TV放映分)をようやく見終えた。
このシリーズは本当に緻密で、久々に「邦画の時代劇を見てる見てる」という充実感がある。

藤沢周平の時代劇の多くは、「海坂藩」という架空の藩(藤沢の故郷である山形県鶴岡市周辺・庄内地方の酒井氏庄内藩がモデル)が舞台となっており、撮影にあたっても、庄内でのロケが多用されている。
現在では、鶴岡市全体が「藤沢周平時代劇のふるさと」「リアル海坂藩」ということで熱心に観光のセールスポイントにしているようだ。

映画で誰でも一番に面食らうのが、「方言が相当ガチ」ということだと思う。
実際、藤沢周平の小説の中でも、あまり濾過していない庄内弁がガンガン出てくる。
そして映画でも、県内でも通じない庄内弁特有の言葉にも、特に解説スーパーなどが付くわけでもなく、普通の会話として流れていくのだが。
正直、「これ、庄内以外の人大丈夫なのか?」と心配になることがしばしばある。
(例:めじょけね⇒かわいそう・不憫
   ほろげ⇒ボケ・考えなし(ああ、ニュアンスを伝えるのが難しい))

そして、もう一つ心配なのが
「この人たち、こんなに庄内弁上手くなっちゃってその後支障をきたしてないか?」
ということだ。


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posted by 大道寺零(管理人) at 11:41 | Comment(3) | TrackBack(0) | 映画

2005年07月21日

BB映画

日本ドラマに比べて、海外ドラマの方が見ていて楽しい事が多い。
理由を考えたのだが、

・母国語以外だと、多少演技(台詞回しや滑舌)がヘボくてもあまり気にならず、俳優のパーソナリティや雰囲気で楽しめてしまう。

ことが大きい事に気付いた。英語(もしくはその映画の母国語)力がある人はそうも行かないと思うが、ヒアリング・スピーキング能力が低い私には無問題だ。(若かった事もあるが、「戦メリ」の坂本龍一ですら当時は「いいかも」と思ってしまったほどだ…今となっては大いにどうかと思うが…)
多少大根でも気にならないので、ストーリーや背景などにスンナリ入っていける。
日本ドラマの場合だと、ヘボさはヘボさでしっかり分かってしまうし、役柄とプライベートにあまり乖離がありすぎる場合にも気分が冷めてしまうことがある。

そんな私でも、「ブルースブラザーズ2000」の、クラプトンの
「Why Not!(いいね)」
はハッキリ「ああ、クラプトンったら大根だなぁ(だがそれがいい)」と分かった。

というわけで、先日HDD録画した「ブルースブラザーズ(以下「BB」と表記)2000」を所々見た。
見たいところだけサーチしたり、同じところを何度も見るうえで、チャプター分割が実に便利だ。
逆に言えば、それだけスキップする部分が多かった(特に音楽部分以外)とも言える。
「BB」と「BB2000」を比較するのは、どちらも好きな作品ではあるが、やはり酷な事だ。
エルウッドの相棒となるBBメンバーは、「2000」では3人登場し、それぞれに魅力はあるけれど、結局は、「ジェイク(ジョン・ベルーシ)の不在を埋めるには3人も必要(そしてそれでもまだ足りない)」ということを、見るたび再確認してしまう。
ただこの作品の甘え上手でズルいのは、登場ミュージシャンが豪華で、しかもみんなそれぞれ楽しそうに演奏している所だろう。この作品を見てみようと思う人間にとって、
「まあ○○(これはJ.Bであったりアレサおばさんであったり様々)が楽しそうにやってるからそれだけで許そうかな」
と思えるアーティストが少なくとも一人は出ている。そこがズルい。
まあ勿論そのくらいでは許せない向きからの批判もものすごい多い作品ではある。

批判の要点は数々あるが、それは一々頷ける指摘だ。

*前作に比べて、ブラックさがなさ過ぎる

上流階級・ネオナチ・警察・良識・宗教など、おそらくは「音楽以外のもののほとんど」をおちょくり倒した「BB」の「ヤバさ」は相当薄れてしまっている。
これはベルーシの不在が大きいとは思うが、責められない一面もある。
「BB」から「2000」の間に、随分外野からの声がうるさくなり、企画に当たって
「子供を出せ」「家族の情愛を加えろ」「タバコは吸うな」などの規制がやかましかったという説がある。確かにその話を聞いてからバスターを見ると、素直に盛り上がれないものがあるのは事実。

*エルウッドやBBバンドの目的がなさすぎ

「BB」では、「育った孤児院を存続させるために固定資産税を払うためのお金を、期限内に作る」という骨子があった。
「2000」の場合、最後に「クイーン・ムセットのところでバンド勝負」というモチベーションが登場するものの、それは成り行きに過ぎない。
ジェイクを失った心の穴を埋めようと、混乱したまま突き進むエルウッドの物語と考えるべきなのか。

*意義のわからないオカルト表現が多く、しかもスベりがち

コレは確かにそうだなあ…許容派から見てもツラい場面がいくつかある。
特にお約束の、終盤のロシアンマフィアたちが乱入して来る場面で、クイーンの妖術で全部片がついてしまうのは残念。「BB」では、あの伝説の車落下場面+衝撃の告白シーンという目玉があっただけに、もう一騒ぎするものだとばかり思っていたのだが。

とはいえ、最後の「ニューオリンズ」のセッション&スタッフロールは何回見ても幸せになれるのだった。続きを読む
posted by 大道寺零(管理人) at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画